5話:エピローグ
数日後、アランが父から引き継いだ領主執務室を捜索した結果、死亡したセルリルの遺言状が見つかった。不意の死に備えて認めておいたものだろう。
そこには細々とした引き継ぎと共に決定的な一文が書かれていた。
『次代の領主にはヴィーノの嫡子を任命する』
アランが犯行に及んだのはこの書状を見つけたからだという。それと前後して部下に命じて凶器のナイフを購入したことも判明した。
人の上に立つ者にふさわしい権能を持っている男にとって遺言に従うことは耐えがたいことだったろう。
セルリル・サーミリオンがこのような決定を下したのは20年前、ヴィーノから領主の座を奪ったからなのかは定かではない。それを知る機会は永遠に失われた。
そして、アランが罪を認めたことでヴィーノの冤罪も晴れた。
とはいえ、その手で甥を殺したことは老人の心に重くのしかかっている。近く世を捨て教会に入るという。
法によって裁かれずとも、老人は今度の一件を己の罪だとみているのだろう。
果たして、アランは己が所業の結果をどう思っているのか。それを問う機会ももうすぐ喪われることとなる。
死刑を宣告され、悄然とした表情のまま連行されていくアランを眺めながらアリシアは手の中の一輪の黒薔薇を弄んだ。
“薔薇の法典”が咲かせたアランが有罪たる証。刑の宣告によって彼の体から分離したそれは王都クルザームに判決記録と共に送られることになる。
永遠に枯れることのない罪の証は王国の地下書庫で咲き続けるのだろう。
「……これで終わりですよね」
「ええ」
アリシアの隣に侍るロウがぼそりと呟いた。
ここ数日、ロウはその殆どを無言の内に過ごしていた。
思う所があったのだろう。今も隻腕のアランの背中を見て顔を顰める少年に、アリシアはかつての自分を――まだ死に慣れていなかった頃の自分を見た。
「貴方達マレビトはほんと平和な所で育ったのね」
「……ええ、その通りですが、何故そう思ったんですか?」
「優しいから。余裕と言い換えてもいいわ」
アリシアはゆっくりとロウに向き直り、その黒瞳を覗き込んだ。
二人の目線は真っ直ぐに結ばれる。年齢は少年の方が2,3下だが、身長は殆ど変わらないのだ。
「貴方には他者を赦す余裕がある。殺しにかかってきた相手にすら慈悲をかける余裕があるわ。
私やアラン氏みたいに切羽詰まった様子がない。ただ楽天的なだけかとも思ったけど、それだけじゃないのね」
「幾分かは楽天的だと思ってるんですね……」
「自覚はあるのでしょう? ――じゃなくて」
コホンと咳払いしてアリシアはロウの手に触れた。
ぴくりと震えを寄越す少年の手には剣ダコのひとつもない、死が遠い世界で育った者の手だった。
「きっと貴方のような人を育てるには、何かを恐れることなく堂々と日の下を歩ける平和な日々と、死の危険のないベッドが必要なのだと思う。それらはこの世界にはないものだわ。
――だから、その優しさを喪わないでほしい。この世界ではそれを育むことはできないから。喪えば二度とは戻らない」
「…………善処します」
ややあって煮え切らない答えを返すロウにアリシアは微かに眉を潜めたが、構わずその手を握りしめた。
本題はここからだった。
「けど、だからこそ疑問なの。――どうして貴方は生き倒れていたの?」
今度の事件は終わった。これ以上、この街でアリシアにできることはない。
だから、次はこの少年の事情――自らカルフィア消失に関係があると宣ったシオノ・ハチロウの事情を尋ねる番なのだ。
「アリシアさんに拾われる前に盗賊に襲われて、辺り一面を塩に変えて命からがら追い払ったんですけど……と、そういう話を聞きたい訳じゃないですよね?」
「ええ。天罰の権能保持者は教会に行けば聖人として扱われることは知ってるわね?」
「……はい」
「あるいは、天罰の権能であることを隠しても、貴方の塩を生み出す権能ならどこの街でも重宝される筈だわ。
なのに何故、貴方はひとりで旅をしていたの?」
「為すべきことがあるからです」
「それは何?」
「――――“模倣犯”を追うことです」
握った手が微かに強張る。その一瞬、アリシアはたしかに息を呑んだ。
少年が告げたその一言にはあらゆる感情が詰まっていた。
憤怒、憎悪、悲嘆、そして、なによりも溢れんばかりの後悔が籠っていた。
「模倣犯というのは何?」
「僕の権能を使ってカルフィアを滅ぼした犯人です。僕は何としても奴を捕まえないといけないんです」
「何故? 法執行官に事情を話せば貴方が追わずともいいでしょうに」
それは法執行官に就くアリシアにとって至極当然の問いだった。
初動が遅いと揶揄されることもある法執行官だが、カルフィアという一都市が消失した大事件は別だ。
今も王国全土で懸賞金付きで情報提供が求められているように、通報すれば、どれほど怠惰な法執行官でも尻に帆を掛けて捜査に入るだろう。
だが、ロウは困ったようにかぶりを振った。
「この世界に来て右も左もわからなかった僕を助けてくれたあの街の住人の鎮魂の為、そして、僕自身の冤罪を晴らす為です」
「冤罪……?」
「感じるんです。模倣犯の権能は“他者の権能を奪う”もの。奴は今も僕の権能を奪い続け、使い続けている。それがわかるんです」
それを知覚する度に脳味噌を薄皮を剥ぐように削られる不快な感覚がロウを襲う。
自身が奪われていく感触はひどくおぞましい。
だが、それ故にロウは模倣犯がまだ健在であることがわかる。
「他者の権能を奪う? 直接よね? もしかして、相手も天罰の権能なの?」
「可能性は高いと思います」
「……なら、たしかに厳しいわね」
天罰の権能に常識は通じない。それらが有するのは過程を無視し、“人間を殺める”という結果を導き出す超常のチカラなのだ。
故に、アリシアはロウの言わんとすることを理解した。
“法典”は全知であるが、人間にとって万能の聖遺物ではない。
条件を限定せずに審判すれば、僅かな因果関係であっても有罪認定を下してしまう危険がある。
「つまり、貴方の言う通りなら、法典は――」
「それが今まで僕が法執行官を頼らなかった理由です。“法典”はただ有罪か無罪かを判定する。微妙な線ではありますが、おそらく法典は僕を有罪と判定するでしょう」
「……」
苦みきった表情で告げるロウに対し、アリシアは数瞬、言葉に詰まった。
事情を話し、冤罪を主張すればいい。そう云うことは簡単だ。
だが、早急な解決を求められているカルフィアの消失事件について、“一応の犯人”としてロウが処断される可能性は低くない。
“法典”が有罪と認定したならば、反対意見の多くも封殺できる。
神の法を用いていても、裁くのは結局のところ人間の都合なのだ。
「曲がりなりにも模倣犯が使っているのは僕の権能。そして、僕に落ち度があるのも確かです。奴に利してると言われれば否定のしようがない。
だから、打ち明ける相手は慎重に判断しなければならなかった」
「……“名無し”の私でよかったの?」
「はい」
おずおずと問うたアリシアに、ロウは即答を返した。
他に選択肢がないというのもあるんですが、と頬を掻きながらも目を瞠る少女から目を逸らさず、確かに頷いた。
「アリシアさんは生き倒れてた僕を見つけた時点で強引に捕えることもできました。自分で言うのもなんですが怪しさ満点の状況でしたし。
それでも貴女は僕に言葉をかけてくれた。対話を諦めなかった。
――だから、貴女がいいんです。貴女になら裁かれても僕は悔いはない」
「ここまで事情を聞いておいて、そんな理不尽なことする訳にはいかないわ」
「僕を殺せば、模倣犯が“天罰・塩の柱”を得られなくなるとしても、ですか?」
「ッ!?」
その問いにアリシアは即答を返せなかった。
もしも模倣犯がカルフィア消失と同じことを再びしようとするのなら、国に仕える者としてあらゆる手を講じる義務が少女にはある。
他に手段がないのなら、身寄りのない異世界のマレビト一人を犠牲にして大多数の国民を救えるのなら、決断しなければならないだろう。
「逆に、貴方が死んだら模倣犯に一気に権能が移る可能性はないの?」
「断言はできません。ですが、カルフィアが消失したあの時、模倣犯が僕を殺さなかったということは、逆説的に奴には僕を生かしておく理由があったということです。
現に、模倣犯は少しずつ僕の権能を奪っています。そういう権能なのか、それとも模倣犯が遊んでいるのかはわかりませんが……」
「……」
「いざという時はお願いします。それが、僕が貴女に身柄を預ける条件です」
ロウの声に揺らぎはなかった。既に自身の命を諦めているのだ。
そういう者をアリシアは幾度も見てきた。少女は唇を噛んだ。
やるせない気持ちになる。慰めを言うことすらできない四角四面な自分が少しだけ嫌になった。
「……そんなことにはさせない、と言えればいいのだけれど」
結局、少女が口に出せたのはそれだけだった。
「すみません」
「謝らないで。自分の無力さに腹が立ってくるから」
ぱんっと自ら頬を叩いて気合を入れたアリシアは、驚いた様子のロウを爛々と輝く碧眼で見据える。
口元には小さな、しかし、好戦的な笑みを浮かべる。
約束はできない。失敗するかもしれない。
それでも行動する自由はあるのだ、と口角を上げた桜色の唇は語る。
「兎に角、貴方はその模倣犯とやらの行方がわかるのね?」
「ぼんやりとですが。一応他にも手がかりはあります」
「なら、一緒に追いましょう。それが一番手っ取り早いわ」
「……いいんですか?」
「模倣犯を捕まえれば、私にとっても大きな功績になる。貴方を犠牲にする必要もなくなる。なにより、都市一つ沈めるような凶悪犯罪者を放っておくわけにはいかないもの」
胸を張ってそう告げたアリシアは一度離した手を再びロウに差し出した。
「行きましょう」
「……思ったより長い付き合いになりそうですね」
「本当ね」
ロウは苦笑しながらもアリシアの手を確と握り返した。
「よろしくお願いします、アリシアさん」
「こちらこそよろしく、ロウ。貴方の冤罪が晴れるように、貴方を犠牲にせずに済むように私も尽力します」
柔らかな初秋の風が黒と真紅の髪を揺らす。
そうして、固く結ばれた手を間に二人は誓いを立てた。
1章:しょっぱい少年、完