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罪と塩  作者: 山彦八里
1章:しょっぱい少年
4/23

4話:塩の権能

 翌日、太陽も昇らぬ早朝にアリシアは街から離れた林へとアラン――領主代行にして殺害されたセルリルの息子である彼を呼びだした。

 辺りは未だ薄暗く、朝靄の煙る林の中には緊迫した空気が漂っている。

 昨日よりさらに目の下の影が濃くなったアランは不快気な様子を隠そうとしなかった。

 当然だろう。この状況はまるで自分が容疑者として疑われているようにしか思えないのだから。

 腰にサーベルを佩いているのは自衛の為か、それとも――。


 だが、相対するアリシアは法典を携え、ぴんと背筋を伸ばし、鉄面皮を崩さない。

 10歳にして薔薇の法典に選ばれ、12歳で法執行官として野に放り出された少女にとって、これは日常に等しい。

 つまりは、この程度の緊迫感と危機感では眉ひとつ動かす必要性を感じないのだ。


「こんな早朝に、こんなひと気のない場所に呼び出すとは何事ですか、執行官殿」

「先に確認しておきたいのですが、アラン氏、貴方の権能は“他者に命令を下す”ものですね?」

「……お調べになったのですか。たしかに、その通りです」


 単刀直入に告げるアリシアの弁にアランは眉を顰めたが、ややあって不承不承頷いた。

 男の権能は声を起点に他者に働きかけるものであり、上に立つ者としてはこの上なく有用だが、その性質上、隠蔽は不可能に近い。

 ドーヴィスの街でも知っている者は多い。ここで隠し通せるとは思わなかったのだろう。


「なら――」

「ですが、先んじて申し上げますと、私の権能“囁く声”(ウィスパー)は本人の意思に反する行動は強制できない。加えて、天罰の権能(・ ・ ・ ・ ・)ではない(・ ・ ・ ・)ため、他者を害する命令は拒否されますよ」

「でしょうね。もしも他者を直接害することができるなら、貴方はあのような回りくどい手を採らずとも御父上を殺害できたでしょうし」

「……執行官殿は、私が権能を使って大叔父を唆したと言いたいのですか? それは不可能な――」

「たとえば――」


 アランの苦言を遮り、アリシアは淡々と言葉を重ねる。

 湿り気を含む朝の風が後頭部で束ねた真紅の髪を揺らす。

 相対するアランには、それがまるで罪人を焼き尽くす炎のようにみえた。


「たとえば、泥酔させた老人の手首にナイフを括りつけておき、標的と抱擁を交わすように誘導すればどうでしょうか?」

「ッ!!」


 アランの見せた一瞬の動揺をアリシアは見逃さなかった。

 薄闇の中で、美しい碧眼に斬り込む刃の如き鋭さが宿る。


「当然ヴィーノ氏に殺意はない。勿論、ナイフが刺さる保障もない」

「無茶苦茶だ。博打にしたって成功する確率が低すぎる。誰もそんな賭けはしませんよ」

「成功しなくてもよかったのではないですか? ヴィーノ氏がナイフを持ったままセルリル氏に近付いた、その事実を作出できれば貴方は目的を果たせた」

「い、言いがかりだ!!」


「貴方はただヴィーノ氏か、あるいはその子供が次の領主に就くことを――

 ――貴方が領主になること阻む障害を排除できればよかった」


 アリシアは核心を告げた。

 林の中をひと際強く寒風が吹きつけ、落葉が風に舞う。

 あとはただ張り詰めた糸のような沈黙が場を支配していた。


「…………」


 何度経験してもアリシアはこの瞬間に慣れなかった。きっと一生慣れることはないだろう。

 感傷とも罪悪感とも異なる、他者の人生を明確に変えてしまうことへの痛み。

 感情に昇華されることのないその原初の痛みが胸の内を抉る。


 この、容疑者が“犯人”へと変質する瞬間には、きっと慣れることはない。


「――――」


 隈に覆われたアランの瞳には今やガラス玉じみた無機質さだけが残っている。

 男の手はゆっくりと腰に佩いたサーベルへ伸びている。

 ここでアリシアを排除したところでどうにかなるものではない。状況は既に詰んでいる。

 それをわかっているのか、いないのか、表情の抜け落ちたその相貌からは読み取れない。


 故に、応じるように、あるいは引導を渡すように、アリシアもまた手に持つ法典を開く。

 所有者のみが開くことを許される神法の書は眩い銀の光を纏い、その意を果たす。


「――法執行官アリシア・ローゼスの名において“法典”(コーデックス)を開帳す」


 自ら風を起こし、法典のページが高速でめくられ、あるページで止まる。

 古代文字で書かれたその内容は読むまでもなく、アリシアは一言一句記憶している。


 ――神の法にすら、人を殺してはならない、とは書かれていない。

 ――ただ『人を殺した者を裁くべし』と記されているだけだ。


 神ならぬ人の身ではその理由は推測することしかできない。

 しかし、経験として理解していることはある。


「今度の事件に於いて、ヴィーノ氏を操りセルリル氏を殺害せしめた容疑を神判する。

 重ねて、殺意なき場合は無罪とする。やむにやまれぬ事情があった場合も同じく。

 ――それでも尚、この者に罪有るならば、その胸に黒薔薇を授けよ」


 一度、自らの意思で同族(ヒト)を殺した者は歯止めが効かなくなる。

 殺人は“禁忌”から“手段”へと成り下がる。

 死は究極の解決手段だ。だからこそ、死刑という制度がある。


 殺人者は止まれない。

 家族でも友人でもいい。あるいは、法でも、信仰でも、倫理観でも、罪悪感でも構わない。

 誰かが、何かが止めなければ、墜ちるところまで墜ちてしまう。

 それがヒトという存在が生まれながらに持つ業の一端だ。

 故に、アリシアは法を執行する。正義ではなく、意志によって、これを執行する。


 銀光がひと際強く放たれると同時、法典から幻想の茨が勢いよく伸びる。

 それはアランの心臓と法典とを結び、数瞬――果たして、男の胸元には黒薔薇が咲いた。

 禍々しい黒色をみせるそれは、法典が男の罪を認めた証に他ならない。

 該当条件を限定された法典は、それでもこの男が父を殺害する為に行動したと示した。


「アラン・サーミリオン、――汝に罪有り」


 凛として告げる宣告にアランの顔色は僅かに曇った。

 あるいは、それが男にとって引き返せる最後の時点だったのだろう。


 アランは胸元に咲いた黒薔薇を引っ張り、それが肉に食い込んで取れないことを悟ると、視線をアリシアに戻した。

 無機質な視線に温度はない。ただ道に転がる小石を見下ろすような渇いた殺意があるだけ。

 ただの手段として他者を害する者がいるだけだ。


「……たしかに、私は己の権能を用いて大叔父を泥酔させ、ナイフを袖内に括りつけ、父に嗾けました。

 ええ、仰る通りです。まさかここまで上手くいくとは思いませんでした。父には今しばらく働いて貰うつもりだったのですがね」

「ユーティス神より与えられた権能を親殺しと大叔父の失脚のために使ったのか。恥を知りなさい、アラン・サーミリオン」

「それは持たざる者のひがみ(・ ・ ・)というものですよ、執行官殿」

「ッ!!」


 あからさまな侮蔑に、アリシアは唇を噛み締めた。

 実の父を謀殺した者ですら権能を持つというのならば、名無したる己が身のみじめさは如何ほどか。


「それで、どうするんですか? ほら、私は罪を認めましたよ」

「貴方を拘束します。貴方がいつから計画し、どの程度の確度でセルリル氏を殺めようとしたのか、それによって量刑を決めます」

「どうせ死刑でしょう? 尊属(ちち)を殺したんですから」

「……」

「つまり――今さら1人でも2人でも変わりはしないということですね」


 アランの平坦な声が今はそれ故に恐ろしい。

 サーベルの切っ先をアリシアに向けて尚、その声音には動揺のひとつもない。


「後悔しますよ」

「“させてみろ、名無し風情が”!!」


 怒声とともにアランの全身から戦意が迸る。

 この場でアリシアを殺す決意が明確に窺える。


 しかし、その突剣がアリシアを刺し貫くことはなかった。


 アランが踏み込む直前、突如として横合いから飛び出してきたロウが柄ごとその拳を掴んだのだ。

 トラバサミのように噛みついた指の間でぎしりと男の手が軋み、震える。

 見た目からは考えられないほど、少年の握力は強い。


「このっ、クソのような権能しか持たぬ愚図が私に触れるな!!」

「おや、アランさんは僕の権能についてご存知だったんですね。まあ、部屋を盗聴していたんでしょうが」

「チッ、だったらどうだというのかね?」


 アランはアリシアから視線を外さぬまま、激昂した風を装ってロウの会話に乗った。

 時間稼ぎの為だ。

 男はこの場に来る前に権能を使って林の中に、常は私刑に用いている部下を配置していた。

 こうした事態に備えて、日頃から倫理観の薄い、つまりは権能で悪事に誘導しやすい荒くれ者を選別し、後ろ暗い事柄に慣れさせておいたのだ。

 たとえば、「あの法執行官は美しいな」とそう囁けば、あとは本人の意思が全てを決める。

 合図の(けんのう)は既に放っている。すぐにでも彼らはこの場を包囲するだろう。



 ――だが、男は失念していた。


 本人の意思が全てを決めるということは、逆に言えば、その意志が覆される程の何かを前にすれば、彼らは容易く意見を変えてしまうということでもある。


「それで、君はこの状態からどうする?」

「……」

「まさか、塩でも振りかける気だったのかい。よしてくれ。笑ってしまうだろ」

「……ふむ、貴方は僕の権能をそういうものだと理解しているんですね」

「掌から塩を生み出すのだろう。チンケな権能だ、憐憫すら覚えるよ」

「そのことについてひとつ訂正しておきます。僕の権能はただ塩を生み出すのではない」



 ――――万物を塩に変えるチカラなんです。



 その時、秋の太陽がようやく地平線に顔を見せた。

 暖かな陽光が林の中に差し込む。薄闇を打ち払い、三人の周囲を照らしていく。

 そして、アランは気付いた。気付いてしまった。



 男の周囲には襤褸を纏った無数の塩塊が打ち捨てられていた。



「あなたの部下は来ませんよ。いえ、もう来ていたというべきですか」

「なっ――」


 絶句する男の心臓がどくどくと不吉な鼓動を打ち鳴らす。

 背筋が氷柱でも差し込まれたかのように冷たく震え、顎を汗の滴が流れ落ちる。

 耳元でカチカチと不快な音が響く。暫くして、それが己が歯を鳴らしている音だと気付いた。

 父を謀殺せんとした時ですらこうまで動揺することはなかった。

 そうして、今この時、アランは己の命が危機に直面していることを理解した


「この、離せッ!! ここまでうまくいったのだ!! たかがガキ二人にッ!!

 “誰か来てくれ!! 私を助けろ!!”」


 アランは掴まれた手を振りほどこうと暴れ、左手でロウを殴りつけ、蹴りつけた。

 だが、万力で締めたかのように少年の手はがっしりと離れない。

 不吉な鼓動が男の胸の中で更に強くなる。

 至近距離からみつめる表情を消した少年が今はこんなにも恐ろしい。


「――失礼ながら、あなたの言葉は誰にも届かない」


 故に、それは宣告だった。

 シオノ・ハチロウの権能は既に起動している。

 少年は優しく、しかし、無慈悲にその名を宣告する。


 その一手こそ落日の光、かくて世に禁忌を伝える滅びの一節。


「――“天罰・塩の柱”(ネツィブ・メラー)



 瞬間、触れるモノ全てを塩の柱に変える黄金の光が男の腕を侵した。


 変化は一瞬、ロウが掴んだ拳からサーベルの切っ先までは塩塊となって崩れ落ちる。


「――ヒィッ!?」


 つんざくような絶叫がアランの口をついて出る。

 それでも、侵食は止まらない。

 拳から手首、手首から、肘へと男の腕は確実に塩塊へと変化していく。


「う、腕が、私の腕があああああああッ!!」


 叫び、アランはその変質を最後まで見届けることなく気を失った。

 数瞬して、ロウは無言で手に着いた塩を払うと、男の肩口で塩柱化は停止した。


 後には、朝の林の静けさだけが残った。



 ◇



「本当に殺さなかったのね」


 気絶したアランを見下ろしながらアリシアは意外そうに告げた。

 本人が言う通り、アランはおそらく死刑に処すことになる。

 そして、法執行官たるアリシアには刑を下す権限があり、ロウの権能にはそれができるだけの殺傷能力があった。

 態度如何によっては即刻死刑も已む無し。それがこの場に到るまでに少女が出した結論だったのだ。


「ヴィーノさんの罪を軽くするにはこの人に囀って貰うのが一番ですからね。

 それに、僕は心が強くないので、良心を鍛える場面にはできるだけ遭遇したくないんです」


 ロウはぎこちない苦笑と共に、目の前の奇蹟を為した己の手を握り締めた。


 “天罰・塩の柱”(ネツィブ・メラー)、他者を直截に塩柱化させる権能。

 そして、その名を告げて発動した場合には塩柱化の効果を間接的に触れている部分まで波及、拡散させることができる。

 その効果範囲は、少なくとも街ひとつ(・ ・ ・ ・)を塩柱に変えられることは既に実証されている。


「……そうね、理性的な行動だと思うわ。こんな小道具を用意した甲斐もあったというものね」


 アリシアは襤褸を被せた塩塊――どれも元は土くれだ――を見遣りながら肩を竦めた。

 この場に配置されていたアランの部下は誰ひとりとして殺していない。

 皆、先陣がやられたものと誤解して逃げ帰ってしまった。

 ロウの発案だ。無駄な殺生は避けたいと、限りなく必殺に近い権能を持つ少年がそう提案したのだ。


「他者を直接害することのできる権能は限られる。それらは――」


 アランの部下達が逃げるのも無理はないだろう、とアリシアは思う。

 彼らはただ一心に畏れたのだ。


「――それらは“天罰”と、そう呼ばれているわ」


 まさか実際に目にする機会が来るとは思わなかった。

 呟き、少女は憂いと畏怖を秘めた碧眼で少年を見据えた。


 たとえば、火を生み出す権能を持つ者は王国内にも数多く存在する。

 彼らは生み出した火を他人にぶつければ火傷を負わせられるし、あるいは殺害することもできる。

 しかし、彼らの中に“人間を直接燃やす“ことができる者はいない。

 よしんば他者を焼いたとしても、それはあくまで火を生み出し、その熱量によって結果を発生させたに過ぎない。

 彼らが人間を燃やすには、人間を燃やすだけの熱量を生み出さなければならないのだ。


 だが、時にその過程を無視し、他者を焼き尽くしたという結果を導き出す権能を持つ者が生まれる。

 他者の命を直接奪うことを神に許された権能。

 常軌を逸したそれらを人々は畏れ、故に“天罰”と呼ぶ。


「貴方は自分の権能が“天罰”であることを知っていたわね。だから、隠していた」

「はい。僕はこの世界に来る時に神様に権能を貰ったのですが、貴重な権能だとも聞かされました」

「ユーティス神様から直接貰ったの? それが本当なら天罰の権能であることにも納得できるわね」


 天罰の権能は殺害能力は元より、その影響力も絶大だ。

 この世界の人々にとって天罰の権能は“法典”(コーデックス)よりも更に直截的な神の裁きとして信仰され、畏れられている。

 アランの部下達にしても、次期領主を裏切ることより、信仰に根ざす天罰(きょうふ)の方が恐ろしかったのだ。

 その影響力を思うと、アリシアの胸は締め付けられるような痛みを寄越した。

 それは遥か昔に乗り越え、捨て去った筈の、嫉妬という名の残骸の発する痛みだった。


「……戻りましょう。ヴィーノ氏の審判をしなければならないわ」


 スカートの裾を翻し、アリシアは歩き出した。

 今だけは後をついて来る少年に自分の顔を見られたくなかった。




「あ、アランさんは放っておくんですか?」

「……ラーガンを呼んで来るわ」


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