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罪と塩  作者: 山彦八里
4章:模倣犯
19/23

序章:禍日

 それは抜けるような青空が眩しい夏の日のことだった。


 何の因果か片道切符で異世界に来てから早一カ月。

 幸運なことに、塩野八郎はそこそこの生活ができていた。

 少年にはふたつの幸運が味方していた。

 ひとつは少年が辿り着いた都市“カルフィア”は交易の要衝にあって、とにかく人手が必要で、何の技能のない八郎でも食い扶持を稼ぐことができたこと。

 いまひとつは八郎を拾った者が過去にマレビトに会ったことがあり、カルチャーギャップに固まる八郎をそれとはなしにフォローしてくれたことだった。


「チェロはほんとにお子様だねー」


 そう言って生き倒れ寸前だった八郎(チェロ)を拾った女性――ジェシカはのほほんと笑った。

 男物の服を着こなし、くすんだ銀髪を短く揃えた妙齢の女性は街の何でも屋だった。

 カルフィアは未だ発展途上で日ごとにマンパワーが必要とされる場所が異なる。ジェシカはそこに目を付け、定職を持たない者を集めて送り出すことを生業にしていた。

 日本で言う所の派遣会社のようなところだと八郎は思った。天罰権能だけ与えられて、着の身着のまま異世界に放り出された身には専門的な技能を要求されないのがありがたいとも。

 仕事の多くは掃除やら都市内の荷運びやらの単純作業だった。だいたい体力勝負で賃金は安いが、手に職はおろか一般常識もない八郎としては他に選択肢はなかった。

 14歳まで日本で健康的に育てられた少年の体はよく働いて、少なくとも追い出されるような心配はなかった。


「まずは常識。下に見られたら交渉は終わりだよ、チェロ」

「わかりました、ジェシカさん」

「ん、よろしい!」


 蓮っ葉な口調でそう言ってジェシカは八郎の頭を荒っぽく撫でた。

 その感触は少しだけ向こうに残してきた姉を思い出させた。


 目を掛けられていたのだろう。ジェシカは機会のあるごとに八郎を都市の各所に送り出した。

 ハチロウという発音はこちらの世界では難しいらしく、出先でも少年はもっぱら「チェロ」か「黒髪の坊主」と呼ばれ、報酬分より少しだけ勤勉に働いた。

 出先から帰ってくる度にジェシカは朗らかに笑って八郎の頭を撫でた。いつしか少年はその笑顔を真似するようになっていた。


 はじめは電気もガスもインターネットもない世界に戸惑ったものの、八郎は徐々に慣れていった。

 そのうち、視界の端をかっ飛んで行ったり、馬車を持ち上げて運んだりしている人を見ても動じなくなった。

 人間は適応する生き物なのだと確認するような日々だった。


「こっちの世界には色んな人がいるの。出会いは宝だよ」


 ジェシカは交渉役ではあっても指導者ではなく、向日葵のような女性ではあったが太陽ではなかった。八郎にはそうみえた。

 彼女の何でも屋は仮の宿だった。何らかの技能を身につけた者をジェシカは笑って送り出した。

 そうして生まれたコネが何でも屋に仕事をもってくる伝手となっていることに八郎が気付いたのは、暫く経ってからだった。


「チェロは計算早いし、文字の読み書きができればそれで食っていけるよ」

「はい、ジェシカさん」

「頑張れよ、若人」


 その言葉を信じて八郎は空いた時間でこの世界の文字を覚えた。自分もこの人の宝になりたいと思ったからだ。

 言葉は通じるのでそこから逆算していけば読み書きの習得はそこまで難しくなかった。

 どこか英語に似たこちらの言語には過去にやってきたマレビトの縁を感じた。

 サルジェンヌという建国王の名も、向こうの似た名前の伝説の伯爵を思い起こさせるから不思議なものだった。


「できることだけやって、できないことは他の人に任せるんだよ、チェロ」


 八郎に生きる術を教える傍ら、ジェシカは何度となくそう言った。

 ジェシカは目端の利く女性だった。言い換えれば、他人に仕事を割り振るのが上手い有能な怠け者だった。

 その割り振りの上手さと、仕事と報酬をきっちり掴んでくる交渉能力で『ジェシカの何でも屋』は同業者より一歩も二歩も先じていた。

 もしかしたら他人の能力や適性がわかる権能を持っているのかもしれない。なんとはなしに八郎はそう思ったが、ついぞ問うことはなかった。

 自分の権能を問い返されるのを恐れたからだ。あるいは既に気付かれていたのかもしれないが、面と向かって問われるまで自分からそれを告げる勇気はなかった。


 後々、八郎はこのことを何度となく後悔することになる。



 ◇



 “天罰・塩の柱”(ネツィブ・メラー)、他者を塩の柱に変える天罰の権能。

 八郎の元いた世界の神話から引用された借用概念にして、神の裁きの具現。

 天罰の権能の保持者は教会で聖人として保護されると聞いたとき、八郎の心が揺れなかったといえば嘘になる。希少な権能を保護しているならば、『元の世界に帰す』権能の保持者もいるかもしれないと思ったからだ。

 それでも、少年は教会に駆け込むのは最後の手段に定めた。

 理由はいくつかあった。大きくは、教会がなぜ天罰の権能を集めているか不明であるからと、常識に欠ける現状では元の世界に帰すことを――その権能の実在の有無すらわからずに――餌にいいように扱われる可能性を危惧したからであった。


 あるいは今の生活がそんなに悪くなかったことも理由であったかもしれない。

 向こうに残した家族のことは気がかりだったが、トラックに轢かれた場面は目撃者もいた。死体があるかはわからないが、死んだことになっている可能性は高かった。

 時間が経つにつれ、こちらの世界にしか居場所はないかもしれないという危惧も生まれていた。


 あちこちに派遣されて学ぶことも多い。やっていけそうになかったら最悪、教会に駆けこめばいいので気も楽だ。八郎は現状をそう規定した。

 限りなくアウトに近いアウトだが、塩を物々交換に使うことで辛くない程度の生活基盤も整ってしまった。

 ある程度の常識――特に権能まわりの感触は掴めた。

 手に職をつけるか、権能的にみていっそ塩業に携わるのもいいかもしれない。


「塩業は国の専売だから、そうなればチェロはお役人様かな。大出世だよ」


 なにより、このカルフィアという都市にジェシカがいたことが八郎の心を惹きつけていた。


 将来の展望を語ると、ジェシカは朗らかに笑った。

 八郎がどこからともなく取り出した塩を肴に杯を傾ける姿は洒落ていて、少年に好意とも憧れともつかない複雑な感情を呼び起こした。

 この人の役に立ちたい。だけど、離れたくない。二つの相反する想いを抱えたまま八郎は日々を過ごしていた。



 破局はある日突然に訪れた。



 八郎がその日の仕事を終えて安宿に戻る途中のことだった。

 カルフィアは都市全体が発展の熱気に包まれているようで、裏道の日陰に入っても、歩きながら汗ばんだ体を手で扇ぐ衝動に駆られるほどの暑さだった。

 その衝動に逆らわずに自らを扇いでいた少年は、ふと露天商と女の人が口論しているのを耳にした。

 偽銀貨がどうこうという聞き慣れた声に振り向けば、奇抜な恰好をした客の女性の手にどことなくチープな感じのする銀貨があった。

 馴染みの露天商ということもあり、八郎が仲裁に入ろうとした刹那、その女性がぐるりとこちらを向いた。


「……ッ!!」


 目が合った瞬間、八郎の本能が全力で警戒を発した。

 驚いたことにソレはまだ少女だった。おそらくは十代半ばで八郎より年下。存外に整った顔立ちに、不思議な色合いを湛える赤と緑のオッドアイ。

 無造作に腰まで伸ばした紫紺色の髪、無骨な首輪、形のいい胸や細い腰つきにぴたりと張り付いた革のビザール。

 ひょろりと伸びた足には千切れた枷の残骸を嵌め、そこから垂れた鎖が蛇の蛇行に似た音を立てて地面を擦っている。

 たまにみる街娼ともかけ離れた異様なまでに異様な装束。


「あの……」


 少年がなんと声をかけるか迷っている内に、つかつかと近寄ってきた少女は裂けるような笑みを浮かべた。


「――ミ・ツ・ケ・タ」


 声なき声でそう告げて、少女は少年に向けて手を伸ばした。

 まずい。マズイ。コレは駄目だ。

 脳髄が最大音量で警鐘を鳴らす。コレは禁忌タブーだ。触れてはならない。


「離れろ!!」


 恐怖に駆られた八郎が権能を発動するのと、少女の手が頬に触れるのは同時だった。


「――“伽藍魄離”(ラブソウル)


 瞬間、八郎の中から何かが抜け出た。

 精神力、魂、あるいは――“権能”の源。


「なるほど。なーるほど、これが“天罰”の感触かあ」


 感心するようなその声に、脱力感に折れそうになる膝を支えて、八郎は顔を上げた。

 心底からの愉悦に顔を歪める少女を視界に捉えて、その手に輝く黄金の光(・ ・ ・ ・)を見て取って、奪われてはならないものを奪われたのだと理解した。

 権能を奪う権能。それに八郎は思い至った。


「……えせ、返せッ!!」

「嫌だね。こいつはオレが有効活用してあげるよ、おにーさん」


 八郎の伸ばした手をするりと躱し、少女はオッドアイに妖しい光を灯した。


「でも、折角だ。不甲斐ないおにーさんの代わりに試してあげる」


 無邪気なその宣言と共に、少女は躊躇なく黄金の光を地面に叩きつける。


「――“伽藍魄離・塩の柱(ラブソウル・ロウ)”」

「ッ!? このっ!!」


 その時、八郎が同じように黄金の光を解き放ったのは咄嗟の行動だった。

 元より同じ権能というのは稀だ。それが天罰ならば天文学的な確率だろう。

 それでも、八郎の本能は理解していた。

 権能を権能で相殺する。そうしなければ死ぬと理解していた。


 最早、目も開けていられない程の黄金の光に包まれながら、八郎はこの世界に来て初めて全力で己の権能を行使した。



 結果として、塩野八郎の行動は半分だけ成功した。


 自分が五体満足であることを感覚的に理解して、八郎は小さく安堵の息を吐いた。

 そうして、いつの間にか閉じていた目を開けて、


「――――――――え?」


 絶望を目にした。


 はじめ八郎はその光景を理解できなかった。脳が理解することを拒否していた。

 まず感じたのは眩しさ。一面の白い結晶が陽光を照り返している。

 塩、塩の塊だ。周囲全て、視界に映る全て、都市のひとつが余さず塩に変わっている。


「なんだ、これ……?」


 建物も、道も、街路樹も何もかもが塩の柱になっている。

 絶望の予感を受けながら錆びた音を立てて八郎は首を回し、馴染みの露天商がいた場所に目を向ける。


 そこには彫刻のように生前の形をそのまま残した――塩のヒトガタが鎮座していた。


 心の折れる音がした。


「あ、ああ……!!」


 意図せず膝から力が抜ける。ざりと音を立てて塩の地平に倒れ込む。

 極度のショックに加え、権能を強奪された直後の全力行使で八郎の心身は限界だった。


「あっはっはっはっは!! こいつはすげえ!! これが天罰、これが神サマのチカラか!!」


 朦朧とする視界に狂笑をあげる異装の少女が映る。

 少女の片腕は喪われていた。断面からさらさらと白い結晶が零れ落ちている。

 だが、少女にとっては喪失よりも後の楽しみが増えたことの方が重要だった。


「オレが押し負けた。するってぇとおにーさんの中にはより大きなモンがまだ眠ってる訳か。はは、たまんねえな!!」

「お、まえ……」


 少女は哄笑を伴奏に舞い踊る。観客もなく、塩の大地でただひとり踊り狂う。

 八郎が相殺し、押し返したことで少女の片腕は消し飛び、塩柱化の効果も都市ひとつに留まった。

 ふたつに分かたれた天罰が相殺しあって尚、都市ひとつ分。天罰が再びひとつになったとき、果たしてその力はどれほどのものを巻き込むのか。

 倒れ伏したまま八郎は異装の少女を睨みつける。

 喜悦に乱れるオッドアイは八郎の視線を受け止めて、笑みの形に細められた。


「今の手持ちにおにーさんを拘束できる権能がないんだ。悪いけど逃げさせて貰うね。追ってくるなら覚悟しなよ」

「オマエは、何でこんなことをしたんだ!?」

「わからないの?」


 そこではじめて笑みを消して、少女は無邪気に小首を傾げた。


「こんな力を持ってるのに――試してみたいと思わなかったの?」

「ッ!?」


 言葉の刃は深々と八郎の心を抉った。激痛に心臓が止まったかと錯覚した。

 否定するべきだった。こんなこと望んでいなかったと言うべきだった。

 だが、己の心の中に一片たりともそんな感情がなかったとは八郎は断言できなかった。

 並ぶ者のない力を与えられ、異世界にやってきて、何か大きなことを成し遂げられるのではないかと、無邪気に願っていた過去の自分を否定できなかった。


「……まあいいや。それじゃあね、おにーさん。精々元気に生きてね」


 少女は踵を返し、ゆらゆらと袖の海月を揺らして去っていく。

 八郎には臥したままその背を見送ることしかできなかった。


 風が吹き、辛うじて都市のカタチを保っていた塩の柱が崩れていく。

 人も物も、全てが小さな結晶となって散っていく。


「ジェシカ……さん」


 もう会うことのできない銀髪の女性を思い浮かべて、八郎は呻いた。

 今すぐ死ぬべきだ。少年はそう考えた。

 生きて、とあの少女は言っていた。ならば、死ねばこれ以上天罰を奪われるのを防げる、かもしれない。

 そうだ。死ぬべきだ。こんな危険なチカラを持っている者が生きていていい筈がない。

 舌でも噛んでさっさと――


『できることだけやって、できないことは他の人に任せるんだよ、チェロ』


 脳裡に閃いたその言葉で、八郎は自殺を思いとどまった。

 自分にできること、あの少女が天罰の権能を得たことを知るのはまだ自分しかいない。ここでその責任を投げ出すわけにはいかない。

 なにより、あの少女を止めることはきっと自分にしかできない。都市ひとつを消し飛ばす天罰の権能を他人には任せられない。

 誓う。必ずあの少女を追い詰め、このツケを払わせる。それだけが犠牲になった人達に報いる唯一の方法。

 立ち上がり、涙を止め、追いかけて、追い詰める。

 それは塩野八郎ができることで、必ず遂行しなければならない罰だ。

 だから、まだだ。まだ死ねない。


 それでも、今だけは――


「う、あ、ああああああぁ――――」


 塩の砂漠に慟哭が空しく響く。


 その日、カルフィアは消失した。

 抜けるような青空が眩しい夏の日のことだった。

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