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罪と塩  作者: 山彦八里
3章:星の少女
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3話:星の少女

 人がひとり死のうとも夜は変わらず訪れる。

 空に一番星が輝き、天の暗幕に小さな輝きがいくつも灯る。

 スピカの屋敷に着いた時には既に、オルドヴァナは微かな肌寒さを伴って夜の時間となっていた。


「アリシアさん、今日はお泊りになられるのでしょう? 盛大にとはいきませんが、手厚くもてなして差し上げますわ!!」

「ありがとう。お世話になるわ」


 自然な流れで先導するスピカに屋敷を案内されながら、アリシアはようやく鉄面皮を解いた。

 張り詰めていた空気が緩む。

 こうしてみると同期の二人の印象は対照的だ。

 凛とした印象のアリシアと向日葵のような印象のスピカ。

 どちらがどうという訳ではないが、後ろをついて行くロウはなんとはなしに呟いた。


「スピカさんって貴族っぽい方ですね」

「……ロウ、貴方には私が何に見えていたのかしら?」

「い、いえ、それは言葉の綾でして」


 ジト目で睨むアリシアに手のひらを向けてロウは慌てて弁解する。

 もしかして気にしていたんだろうか、と背筋を一筋冷や汗が流れた。

 薔薇の少女は無論、法執行官として優秀だが、何でも自分でやろうとするきらいがある。

 “名無し”であることが彼女にそう生きることを強いたのだ。

 生まれてからの15年を平和に、安穏と過ごしてきたロウは、少女の半生を思うと胸の奥が疼く。


「これでも……私の信頼すべき従者にはそう見えないらしいけれど、これでも歴とした貴族なのよ」

「拗ねないでくださいよ、アリシアさん。僕が悪かったですから」

「拗ねてなんかいないわ」

「わたくしを無視していちゃいちゃなさらないでください!!」

「いちゃついてもいないわよ」


 アリシアは溜め息を最後にロウへの追及を緩めると、どことなく成金っぽい雰囲気のする屋敷の内装を見遣るように視線を巡らせた。

 毛足の長い絨毯に、これみよがしに陳列された陶器の数々。背後のロウから「何か違わない?」という空気が発せられるのを少女は感じとった。


「スピカの家は3代前に貴族になったばかりだから、本人も気にしてるの」

「それでこんなド典型的貴族をされてるんですね」

「普通にしている方がらしく見えると言ったのだけど、聞いてくれないのよね」

「聞こえてますわよ!?」


 からかいの矛先が向いたスピカは頬を真っ赤に染め上げた。

 やられてばかりではたまらない、と妙な対抗心を発揮して少女は反撃にロウをびしりと指さす。


「誰にだって譲れないものがあるのです!!

 だいたい、アリシアさんだってロウさんに随分と入れ込んでるではありませんか!!

 貴女がラーガンさん以外の男を傍に仕えさせているの初めて見ましたわ!!」

「ええ、それが何か問題? 公私の区別はつけているわ」

「!!」


 さらりと返されたスピカは今度は別の意味で頬を真っ赤に染めた。

 意外……でもないが、少女はかなり初心なようだ。突きつけたままの指先がぷるぷると震えている。


「身分違いの恋なんて……身分違いの恋なんて、わたくし、アリだと思いまわすわ!!」


 スピカの中ではそう言うことになったらしい。

 上気した頬のままに少女は声を挙げる。放っておいたらこのまま教会に突撃しそうなノリだ。

 流れ弾に当たったロウは困ったようにアリシアの方を窺って、その身を凍りつかせた。


「恋とかそういうのじゃないわ。……ほんとに、そういうのじゃないの」


 あのアリシアが痛切な表情で目を伏せていたのだ。

 少女の心の内はロウにもわからない。

 恋ではないだろう。その表情はあまりに痛々しい。

 同情や憐憫でもない。それは立場の強い者が弱い者に向けるものだ。

 敢えて言うならば――


(……罪悪感?)


 何故アリシアさんが罪を想わねばならないのか。

 そう問いかけるか、ロウは一瞬迷った。

 その間にアリシアは表情を消してしまった。機を逃してしまったのが少年にもわかった。

 前を行くスピカは気付いているのか、いないのか、くるりとターンしてアリシアの手を掴むと、真剣な表情で何度も頷いた。


「ご心配なさらないで。このことは誰にも漏らしませんわ!!」

「話を聞きなさい」

「お返しですわ。さあさあ、アリシアさん、お風呂の準備はできておりますわ。旅塵を落としに参りましょう!!」

「邪悪な目的が透けて見えているわよ、スピカ」



 ◇



 ロウは湯を貰って旅の垢を落として格好を整えると、一足早く食堂へ案内された。

 教室ほどもある食堂は他と比べるとやや落ち着いた佇まいだ。テーブルに置かれた意匠を凝らした燭台が主張している程度で、ロウは穏やかな気持ちで主の到来を待つことができた。

 1時間ほど経つと数人の従者を伴ってアリシアとスピカが食堂に入ってきた。

 ドレスを借りたのだろう。アリシアは常の真紅のそれから膝丈の青いドレスに着替えさせられていた。

 日焼け止めを洗い流した白磁の肌は抜けるように白く、食事の邪魔にならないよう七分丈に詰めた袖や露出した脚先が目に毒だ。

 特に、風呂上がりで桃色に染まった頬は見慣れている筈のロウでもはっと息を呑むほどだった。


 スピカは笑顔でロウにも着席を促し、夕食を配膳するよう従者に指示を出した。

 夕食は前菜から始まり、鴨のロースや蒸したジャガイモに熱した削りチーズをかけたラクレット、ハーブで香り付けされたポテトパンケーキが供された。

 オルドヴァナでは山岳地帯を利用して山羊を育てているらしく、チーズは独特なコクと臭みがあるが、それが却って淡白な味わいのジャガイモに合っていた。


「そういえば、スピカさんの捜査の仕方って……」


 久しぶりの保存食でない手の込んだ食事に満足しつつ、グラスに注がれた清水で口内を潤して、ロウはふと疑問に思っていた事を尋ねた。

 デザートのアップルタルトを切り分けていたスピカは顔を上げるとにやりと意味ありげに笑んだ。


「貴方の世界のそれに似ている?」

「はい、その通りです」


 まるでテレビドラマで見たような、と付け足す必要があるが。

 指紋をとるわけでもないのにわざわざ手袋を付けたり、“とりっく”なるものを気にしたりといったあたりは特にそう感じられる。

 この世界の捜査とは基本的に聞き込みだ。科学捜査の手法が発展していない以上、法執行官が情報を得るには目撃者にあたるしかないからだ。

 その点を鑑みるとスピカの捜査方法はかなり異色だといえる。


「よく気付いたわね、ロウ。それが彼女の権能の特色なの」

「ご説明しましょう!!」


 スピカは堂々とした胸元から使いこまれた黒い手帳を取り出した。


「わたくしの権能“三本脚の記録”(ヒストリカルエンジン)はシャイニース家に代々伝わる『記録』の権能なのですわ!!」

「シャイニース家は元は罪名書記官なの。私の黒薔薇みたいな“法典”が罪人を神判した証からその経緯を読み取り、記録することを生業としていたの」

「成程」


 アリシアの補足にロウは納得の頷きを返した。

 “法典”は有罪か無罪かの判断しかしない。量刑の基準にはならないのだ。

 故に、サルジェンヌ王国は先例を積み上げることで基準を作りだしたのだろう。元の世界で言う所の英米法的な基準の立て方だ。


「そして、代々書記官を務めていた我が一族はおじい様の代になって遂に、遂に!! “法典”の執筆に成功したのです!! それがこの“星の法典”ステラ・オブ・コーデックスですわ!!」

「えっと……」


 スピカは金装丁の星に彩られた“法典”を自慢げに掲げる。

 なにがすごいのかイマイチ理解できないロウは、助けを求めるようにアリシアを見た。


「ただ内容を書き写しただけでは“法典”にはならないの。そこにユーティス神の息吹が宿らないと“法典”として機能しない。

 ……そうね、人に権能が宿るのと同じようなものだと思えば間違いないわ」

「所有者以外に開けなかったり、神判した者にその証を授けるみたいな“法典”の超常機能は権能と同じ由来なんですね」

「そういうこと。……まあ、法典は“名無し”でも使えるのだけれど」


 小さく呟き、自らがその実証者であるアリシアは小さく自嘲の笑みを零して、朗々と一族の歴史を語っているスピカに向き直った。


「そして、わたくしの権能は『人の記録』に特化したものですわ。技能、知識、望むならばその人生の全てを記録することができますの」

「その記録された中にマレビトがいた、と」

「ざっつらいと、ですわ!! ……この使い方、合ってますわよね?」

「おおむねは」


 ロウが首肯すると、スピカは満足げな笑みを浮かべた。

 記録することはできても、それを使いこなすのは少女自身の技量に依るのだ。


「それから、この特注の白衣もその方の知識から再現したものですわ!!」

「へ、へえ、そうなんですか」


 ドレスの上から羽織っていると違和感が凄まじい。

 白衣を普段使いしていることにつっこむかロウは暫し迷ったが、本人が楽しそうだし放っておくことにした。


「他にも幾人もの法執行官の知識や技能を私は記録しておりますわ。学院で優秀な成績を修めたのも、正直、権能に依る所が多いのです」

「それでもアリシアさんに負けた?」

「ぐ、ぐぬぬ……その通りです。だからこそ、アリシアさんはわたくしの“らいばる”なのですわ!!」


 これ以上はないだろうというドヤ顔だった。

 ちらりとアリシアに視線を向けると、案の定、頭痛を堪えるように額を押さえていた。


「スピカ、そのマレビト由来の言葉を試験で使っていなかったら、貴女、私より成績良かったのかもしれないのよ?」

「え、ええ!?」

「当たり前でしょう。試験でいきなり“ありばい”がどうこうなんて言われたって試験官はわからないわよ」

「何で教えてくださらなかったの!?」

「何度も忠告したわよ。……貴女が聞いてなかっただけで」


 テーブルを叩いて詰め寄るスピカにアリシアはさらりと言って、目を伏せた。


「だから、その、私も貴女が主席でも間違いじゃないと思ったから、辞退できたの」

「アリシアさん……」


 恥ずかしそうに言うアリシアを、スピカは驚きと感動の入り混じった表情で見つめていた。


「こ、この話はここまでね!! 今回の事件についてロウの意見を聞いてなかったし」

「え?」


 露骨な話題転換の生贄に選ばれ、唐突に話を振られたロウはちらりとスピカの顔色を窺った。

 視線に気づいたスピカはぶんぶんとかぶりを振って表情を改めると、堂々とした胸をどんと叩いて揺らした。


「わたくしのことは気になさらないで。優秀な執行官には優秀な助手が付きものですわ!!」

(優秀じゃなかったら叩き出されるんだろうか?)


 有り得そうで怖い。名無しである筈のアリシアと真正面から付き合っていることは、翻ってスピカが実力主義者であることを感じさせる。

 ともあれ、今回は問題ないか、とロウは思考を切り替えた。事件について自分なりの見解は既に出ていた。


「とりあえず、凶器はまだ特定できてないんですよね?」

「ええ。(ピック)突剣(レイピア)か、そんな大きさの傷口ですが、特定には至っておりません。他に争った形跡もないですし、正直、身内の犯行を疑っておりますわ」

「傷の角度は?」

「角度? そうですわね、喉下からやや上向きに一直線、うなじまで貫通していました」


 この位の傾きでした、とスピカが手で示したのはおよそ45度くらいの角度だった。

 次いで、少女は小首を傾げてロウを見遣った。


「何か気になることがございますの?」

「……血が飛び散ってなかったな、と思いまして」

「たしかに、敷物に残っているの以外はなかったと思う。……ああ、成程」

「はい、そういうことです」

「お二人で納得なさらないで!! 泣きまわすわよ!!」


 ちょっと涙目で言うスピカに、二人は視線を交わす。

 お願いしますとロウが目線で告げると、アリシアは頷き、白くほっそりとした指をひとつ教鞭のようにぴんと立てた。


「首を刺して、凶器をすぐに抜いたのならもっと派手に血が飛び散っている筈。

 そうでないということは、凶器は暫く刺さったままだったと考えるべき、ということよ」

「!!」


 瞬間、スピカの顔にも納得の表情が生じた。

 少女の記憶する知識の群れは急速にある一点へ――おそらくは真実へと収束を始めていた。


「一応確認しときますけど、風を刃にするとか、高熱の光を束ねて撃ち込むとか、そんな権能はないですよね?」

「聞いたことはないわね。どう、スピカ?」

「わたくしの記録にもありません。オルドヴァナの住民の権能については凡そ把握していますが、その中にもありませんわ」

「そんなことまでしてるんですか!?」

「“すかうと”を兼ねているのです。シャイニースは法執行官としてもまだまだ若輩、優秀な人材はどれだけいても困りませんの……っと、アリシアさんの前で言うべき事ではなかったですわね」

「気にしないで。私だって他が同じ条件なら権能が優秀な人を配下に選ぶわ。それは私が“名無し”であることとは無関係よ」


 気遣うスピカに表情で大丈夫だと告げて、アリシアは己の従者を見遣った。


「それで、ロウ、貴方はどこまでわかったの?」

「凶器がわかりました。あとはそれを実行可能なのかが問題です」


 ロウは一息ついて、己の推理を明かした。


「犯人は――――ができる人です」



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