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罪と塩  作者: 山彦八里
3章:星の少女
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2話:薔薇と星

 ロウ達は現場に向かうまでの間にスピカから事件についての説明を受けた。


 殺害されたのはジェラルド・ニヴェール。

 オルドヴァナ領主一族に連なるニヴェール家の当主で、50歳過ぎ。

 ジェラルドは銀行貴族と呼ばれる、いわゆる貴族の行う金貸し屋を営んでいた。

 主に平民向けの土地を担保にした小口での商売をしていたらしく、土地を持たない貴族でありながらかなりの儲けを得ており、本人もそれを誇示していた。


 犯行現場は自室。朝食を配膳する為に部屋を訪れた侍女が、返事がないことを不審に思い、鍵を借りて開けたことによって発見された。

 死因は喉の貫通創。あがいた様子がないことからおそらくは即死。

 凶器は見つかっておらず、また、部屋を荒らされた形跡はなく、証文も一枚たりともなくなっていない。


 通報を受けたスピカは犯人が逃走する可能性を危惧し、オルドヴァナ領主に出門禁止を要請して、今に至る。




 高地故、オルドヴァナの冬は厳しいらしく、がっしりとした石造りの邸宅が多い。

 その中でも犯行現場となったニヴェール邸は、周りの建物より二回りは大きく、ついでに唯一の三階建てだ。

 下手すれば都市の中で最も高い建物かもしれない。見るからに金がかかっている風が見て取れる。

 使用人の数もかなり多い。彼らは主を喪ったとあって、黒い腕章を付けて喪に服し、粛々と葬儀の準備をしている。

 だが、ロウは彼らの間にどことなく安堵した雰囲気を感じた。

 先導するスピカに視線を向けると、彼女も同じものを感じたのか、小声で答えた。


「――ジェラルド氏の取り立ては厳しく、麾下の私兵が恐喝まがいの取り立てを行っていたのを住民が目撃しておりますわ。全員が住み込みというわけでもないでしょうし、肩身の狭い思いをされたのかもしれません」

「それは問題にならなかったんですか?」

「遺憾ながら、氏はぎりぎり――ギッリギリのところで法に反してはいませんでしたわ」


 スピカは憮然とした表情をした。違法であれば即座に出しゃばるつもりだったのだろう。

 早朝に殺害された人物のプロフィールを既に入手しているのも、あるいはその為か。


「氏の言動は目に余るものがありましたが、オルドヴァナ領主も氏からは多額の借財を受けているらしく、彼には大きく出られませんでした。

 モチロン、その結果がこれというのはわたくしの望んでいたものではありませんけど!!」

「金貸しの宿痾とはいえ、随分と恨まれていそうね」

「その点に関しては法執行官(わたくしたち)が言えたものではなくて?」

「そうね……それで、この事件のどこに問題があるの?」


 アリシアの問いにスピカの足が止まった。

 その部屋は邸宅の三階の一番奥まった場所にあった。


「ここが氏の自室になります」


 事前に借りていたのだろう。スピカは白手袋をはめて懐から鍵を取り出すと、迷うことなく鍵穴に差し込んだ。

 がちゃりと音と立てて鍵が半回転する。


「今回の事件、問題となっているのは――」


 スピカは一度息を吸い、意を決してその事実を告げた。



「――犯行現場が密室だったのです」



 ジェラルドの自室をみたロウの第一印象は『暖かそう』だった。

 山々に棲む動物なのだろう。さして広くはない室内の至る所に熊や鹿に似た動物の毛皮が掛けられていた。

 犯行当時の状態から何も動かしておらず、暖炉には白い灰が溜まり、年季の入った執務机には数枚の書類が置かれたままになっている。

 扉は一ヶ所、窓は南向きの大窓とその上の明り取り用の小窓の二ヶ所。

 大窓の木戸は閉じられているが、開けられたままの小窓から西日が顔を覗かせていて、室内は蝋燭を灯さずともまだ十分に明るかった。

 陽の差す部屋の中でただ一点、床の敷物に沁み込んだ赤黒い染みだけが、この場所で起こった惨劇を証明していた。


「ここが密室だった?」


 アリシアは理知的な輝きを宿す碧眼をぱちりと瞬かせた。


「はい。部屋の状況は発見時から何ひとつ動かしておりません。

 早朝、侍女がこの部屋の鍵を開けるまでこの部屋は施錠されたままでした。わたくしが確認した限り、他に出入りできる場所もなかったかと」

「暖炉の煙突は?」

「中の“返し”を確認しましたが、動かした形跡はありませんでしたわ」

「鍵の管理は?」

「鍵はふたつ。本人が死亡時に持っていた物と執事が持っていた物だけ。今は両方ともわたくしが借り受けていますわ」

「……常道で考えるなら、執事が怪しいのだけど?」


 だが、そんなことはスピカでなくともわかることだろう。

 実際、スピカはかぶりを振って否定した。頭の動きに合わせて縦ロールがゆらゆらと揺れる。既に裏は取っているのだろうことが察せられた。


「執事は昨晩、氏の言い付けで徹夜で証文の整理をしておりました。他の従者と共に作業していたので“ありばい”は確認できております」

「ありばい? いいけど、鍵は肌身離さず持っていたのね?」

「朝、侍女に貸し渡すまでは、その通りだと証言していますわ」


(……手際がいいなあ)


 アリシアの問いにすらすらと答えるスピカに、ロウは心中で驚きを得ていた。愉快な外見や言動からはちょっと想像できない有能さだ。

 初動捜査が重要であることは世界が変わっても不変の事実だ。多くの証拠は失せる可能性があり、それ以上に人の記憶は風化しやすいからだ。

 その点、スピカは元から都市に駐在していたことを差し引いても、アリシア以上に手配に隙がない。


(問題は、そのスピカさんをして手詰まりになっていることか)


「――ひとまず、私もその侍女と執事に話を聞ききたいわ」


 まだ情報が足りない。

 二人が呼ばれるまでの間、アリシアは目を閉じて考え込んでいた。



 ◇



「何度も同じ話をさせられても困るんですがね。こっちは見ての通り忙しいんですよ」


 やって来た男はアリシアとロウを一瞥すると、開口一番そう言い放った。

 執事服を着た狐目の男だ。陰険そうな風貌に隠す気のない不機嫌な気配が合わさって、部屋の雰囲気は加速度的に悪化している。

 執事と共にやって来た大人しそうな顔立ちの侍女に至っては今にも泣きそうだ。


「フィルマン様、そのような言い方は……」

「お前は黙ってなさい、エメ」


 ぴしゃりと言い放ち、執事フィルマンは鬱陶しげにブラウンの髪を掻いた。その様子に、エメと呼ばれた年若い侍女は青白い顔を更に青くして縮こまってしまった。

 亡くなったジェラルドは四十過ぎだったが、子を授かるのは遅かった。

 嫡子はまだ五歳、他に継承者はおらず、従って当座の仕事の一切はフィルマンが取り仕切っている。

 その重圧は推して知れよう。


「……当主の葬儀を行うにしても、下手人が判明していた方がいいのでは?」

「それは私が同じことを繰り返し話して捕まるものなのですか?

 知っていることは全てシャイニース様にお話ししました。どこの下等執行官か知りませんが、其方で情報交換しあえばいいだけの話でしょう」

「ちょっと……」

「いいの、スピカ。仰るとおりです、フィルマン氏。ですが、我々も職務ですので」


 激昂しかけたスピカを制し、アリシアは鉄面皮のまま言い返した。

 怒りはない。むしろ、心中では腹の据わった御仁だと評価してさえいた。

 このフィルマンという男、部屋に入った際にアリシアが手に持つ“薔薇の法典”とロウのネクタイに編み込まれた薔薇の紋章を確認しておきながら、その出自に知らぬ存ぜぬを吐き通したのだ。

 ローゼス家の名などには屈しないという無言の表明だ。その一事だけでも、この男が交渉という鉄火場に慣れていることを感じさせた。


「遺体発見時の状況をお聞かせください」


 だが、元よりアリシアはローゼスの名に頼るつもりなどない。

 少女にとって出自は手札の一枚ではあっても、切り札ではないのだ。


「私がエメの悲鳴を聞きつけてこの部屋に来た時には、既に旦那様に息はありませんでした」

「先に部屋に入ったのはそちらのエメさんですか?」


 アリシアが仕事用の鉄面皮で視線を向けると、小柄な侍女はびくりと震えてフィルマンの背中に隠れてしまった。

 あるいは彼女の脳裡には、今朝この場所で倒れていた主人の姿がまだ焼き付いているのかもしれない。


「私が来た時、彼女は扉を開けたまま廊下でへたりこんでました。尤も、私が来る前はどうだったか知りませんが」

「エメさん」

「ひっ……ち、誓って、部屋には入っておりません!!

 旦那様はいつも決まった時間に起きられるのに、今日に限っては……ノックにも返事がなく、扉の前で暫く待ったのですけど、物音もしなくて……それで、フィルマン様に鍵を借りて……」

「だそうですが?」


 侍女の悲鳴じみた証言にも眉ひとつ動かさず、フィルマンは冷徹なまなざしをアリシアに向けた。

 執事が、半ばパニック状態の侍女をダシにこの場をお開きにしようとしているのは明らかだ。


「まだ続けますか?」

「お願いします」

「……私が部屋に入った時、旦那様はうつ伏せで倒れていました。頭が扉側で、この染みの位置に首があったことに間違いありません」


 アリシアは、フィルマンが指さした床の敷物に目をやった。

 扉から3メートルほどの所に赤黒い染みがあり、一ヶ所小さく破れている。フィルマンの証言通りなら、そのあたりに首が位置していたのだろう。


「遺体は冷たかったですか?」

「は? いえ……そうですね、温かくはなかったと思います」

「ジェラルド氏について何か思う所は?」

「嫌なことを訊きますね」


 フィルマンは露骨に顔を顰めた。

 疑ってますと言われたようなものなのだから、当然の反応ではあるが。


「正直に言えば、旦那様はあまり好感のもてる方ではありませんでした、少なくとも私生活ではね。

 仕事はやり手でしたが、屋敷では癇癪持ちで好色、横柄ときて、やめていく使用人を引きとめるのにも苦労しましたよ。金払いはいいから辛うじて体裁を保てた、といった状態でしたね」

「遺体に争ったような形跡はありませんでしたね?」

「……身内の犯行を疑っておいでですか。では言っておきますが、使用人の誰もが旦那様に恨みを抱いていてもおかしくはありませんよ。私とて殴られたことは一度や二度ではありませんし、このエメも部屋に連れ込まれかけたことがあります」

「ッ!!」


 フィルマンの暴露にエメは更に震えを大きくした。

 小柄な侍女は全員の視線が集中していることに気付くと、堪え切れず涙を零した。


「事実ですか、エメさん?」


 アリシアは心中の疼痛を一切表に出さずに淡々と問うた。

 こんなことは初めてではない。だが、慣れるものでもない。

 死者の罪を裁くことは“法典”でも不可能だ。神判は生者の為にのみなされる。


 長い沈黙の後、侍女は確かに頷いた。



 ◇



「……あの二人に“法典”(コーデックス)を使うのは避けた方がよさそうね」


 侍女と執事が退出したのを確認して、アリシアは大きなため息を吐いて、言った。

 今この場にはアリシアとスピカ、二人分の“法典”がある。その気になれば、一人ずつ神判することも可能だった。

 それをしなかったのは、彼らが無罪だから――ではない。


「ええ、現状ですと“法典”は二人を有罪だと判断するかもしれませんわ」

「何でですか?」


 ロウは思わず疑問を口にしてしまった。

 じろりと二人の法執行官の目が少年を捉える。一方は未だ仕事用の鉄面皮のまま、一方はどこか興味深げに見つめる。


「今のままでは犯人だけに該当する条件を限定できないからですわ」

「現状の条件で神判すれば、被害者が発見されない状態(みっしつ)の作出に寄与したとして、フィルマン氏まで因果が及んで、有罪と判定されるかもしれないの」

「エメさんの場合は犯行時刻によりますけど……彼女は意図的にジェラルド氏との接触を先延ばしにしていたようですし、異変に気付いてから鍵を借りに行くまでにかなりの時間が経っていたものと思われますわ」

「なるほど。その間に、ジェラルド氏が死亡したかも(・ ・)しれない(・ ・ ・ ・)、と」


 その光景は傍からは見殺しにしたようにみえるだろう。

 少なくとも、条件を限定されていない“法典”はそう判定すると二人は予想しているようだ。


「エメさんの行動は最善ではなかったけど、状況を鑑みれば他にしようがない。そんな人まで裁くようでは執行官の存在意義がないわ」

「今回の場合、最低でも“とりっく”を明らかにしないと犯人だけを有罪にするのは難しいですわ!!」

「とりっく? とにかく、今日はもう時間切れみたいね」


 アリシアは若干悔しげにつぶやいた。

 外では太陽が既に山々の稜線に下半身を沈めている。

 周囲を山に囲まれたオルドヴァナでは日没を待たずに夕闇が訪れる。

 一行は一旦捜査を打ち切って、ニヴェール邸を後にした。

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