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罪と塩  作者: 山彦八里
3章:星の少女
14/23

1話:山岳都市

 朝靄が遠く煙り、スカートのように山裾を隠す。

 谷底の川はごうと音を立て、秋も徐々に深まってきた山岳部は気の早い紅葉と共に徐々に冬に向けて装いを変えている。


 ぱしゃり、とロウは谷底の川から桶に汲んだ水で顔を洗う。

 周囲の気温に比して尚、水は冷たく、心の底で熾火のように燻り続ける焦燥感が僅かに鎮まるような気がした。

 宗教都市“ヘカリトス”に潜伏していると思われる模倣犯を追い、西に舵を取ってから早数日。

 時折、疼くように権能の不正使用を感知するが、不思議なことに模倣犯の所在はひとつ都市に留まっているようにロウは感じていた。


(模倣犯は何故逃げない? 待ち構えている? いや、僕達を待つ意味がない。逃げれば確実に権能の奪取が完了するのに……)

「……くそ」


 桶に手を差し込んでもう一度顔を洗う。

 情報が足りない。現時点であれこれ考えても邪推の域を出ないだろう。

 今はとにかく模倣犯に追いつくことだけを考えるべきだろう。

 尤も、ロウに神託(オラクル)を下した“南の託宣者”は「模倣犯に追いつく」とは告げたが、「勝てる」とは言っていない。それもまた不安要素であった。


「ふう……」


 タオルで顔を拭き、気持ちを切り替える。

 視線をあげれば、先日までの見渡す限りの草原や麦畑から打って変わって、周囲は無数の山々が屹立している。

 王都は遠く、西の宗教都市を守るように聳える天然の要害だ。

 比較的標高の低い山間を縫うように引かれた“石の街道”がなければ、どれほど日数をロスしていたかわからない。

 ロウはそのまま視線を遠くに巡らせ、ソレに目をやる。

 視線の先、峻厳な山々に寄り添うようにひとつの都市が存在している。

 家々の屋根は急な角度が付いているのが印象的だ。冬になれば雪が降るのだろう。


「あれが山岳都市“オルドヴァナ”だよ」

「ん?」


 まるで思考を呼んだような声が間近で聞こえて、ロウは振りかえった。

 そこには草の匂いを強くさせる柔和な表情の男がいた。


「すまない。驚かせてしまったかな」

「いえ……その、こんにちは」

「ああ、こんにちは」


 猟師だろうか、とロウは推察した。

 背に弓を、腰に水筒と鉈、血抜きした鳥を吊るしただけの軽装には山歩きに慣れた気配を感じさせた。


「いるかい?」

「あ、これは御親切にどうも」


 ロウの視線を感じたのか、猟師風の男は水筒を掲げて軽く振った。

 断るのも悪い気がして、ロウはおずおずと水筒を受け取って煽った。

 こっそり口もとに寄せた指先で毒やそれに類する物を選択して権能を発動するが、不発だった。

 代わりに、キンと冷えた清水が喉を滑り落ちて体に沁みていく。秋の朝に飲むには少々冷たいが、目の覚めるような味がした。


「おいしい……」

「それはよかった。オルドヴァナは山から直接水を引いているのが自慢でね。このあたりでは唯一、そのまま飲めるんだ」

「へえ、そうなんですか。ありがとうございます。街での楽しみが増えました」

「宿は決まっているのかい?」

「いえ、まだです」


 オルドヴァナは国教の総本山への一本道の途上にある街だ。こうして旅人に会うことが多いのだろう。

 男は親切にもいくつかの宿屋の名前と所在地を告げると、一足先に街に戻っていった。

 ロウは失礼ながら、日本にいた頃にしたゲームの村の入り口にいるNPCを思い出して、少しだけ懐かしさを感じた。




「は……う……? 難しいわね……」


 桶の水を零さないよう注意しながら馬車に戻ると、適当な切り株に腰かけたアリシアの背中が見えた。

 何かを口ずさみながら手早く化粧を施していた少女は立ち上がり、振り向いて、桶を持ったままのロウとばっちり目があった。

 途端、日焼け止めの塗られた少女の頬にさっと朱が差した。


「……聞いてた?」

「いや、よく聞こえなかった、です」

「それならいいわ。あと言葉づかい」

「隠れて努力してることを隠すことはないんじゃない?」

「癖みたいなものよ。法執行官候補は王都の学院に通って基本に知識を学ぶのだけど、“名無し”の私が頑張ってますって風をみせると、ね」


 昔を思い出したのか、アリシアは若干憂鬱そうに溜め息を吐いた。

 それでも腐らず努力を止めなかったあたりが、アリシアがアリシアたる所以だろう。

 俗な言い方をするなら根性というべきか。少女のそういう所をロウは好ましく思っていた。


「察するに、けっこう成績は良かった?」

「記憶力には自信があるの。あとは工夫よ」


 言外に肯定してアリシアは切り株から立ち上がった。

 真紅のドレスの裾がふわりと上品に浮き上がり、ほっそりとした脚が数瞬外気に晒される。


「水、ありがとう。朝食を摂ったら都市に入りましょう」

「もう見えるところまで来てたんだね」

「ええ。王都からヘカリトスに巡礼する人達が通る宿場街だし、消耗品の補充は手早く済ませられると思うわ」

「うん、いつ模倣犯が動きだすかわからないし。法執行官としては歯がゆいかと思うけど……」

「ロウ」

「アイタッ!」


 申し訳なさそうな少年の額を軽く弾き、アリシアは腰に両手を当てて叱るように言った。

 まるで弟を叱る姉のようの姿だった。


「人間ひとりにできることは限られるわ。私は私の意思で、模倣犯を捕え、貴方の冤罪を回避することを第一目標に設定した。それだけよ」

「アリシアさん……」

「法執行官の数は少ないけれど、私だけでもないのよ? それを手を抜く理由にはしないけれど、だからといって何でも背負いこんでは周りに迷惑かけるだけよ」

「……はい」


 少しだけ赤さの残る額を押さえながらロウは少女の気づかいに感謝した。

 表情の晴れた少年に、アリシアは満足げに頷きを返した。


「それと、伝令員(メッセンジャー)を何人かヘカリトスに先行させてるわ。“カルフィア消失”の重要参考人なんて眉唾の話に聞こえるでしょうけど、ローゼスの法執行官の言葉なら領主も無下にはしないでしょう」

「いつのまに……」


 この時代、旅には危険がつきものであり、手紙の類は複数出すのが基本となる。

 アリシアは少なくない手勢を割いて、確実を期した。


「これが権力……」

「今が使いどころよ」

「ですね。大人しく捕まってくれたらいいんですが」

「そんな容易い相手ではないでしょうね。『権能を奪う権能』なんて大事になってもおかしくないのに、これまで尻尾すら掴ませなかった相手だもの」


 そんな相手が更に自分の天罰権能を持っているのだ。

 焦りは少女によって鎮火された。

 だが、事実としてすべてを人任せにはできない。その決意をロウは強く心に刻んだ。



 だが、オルドヴァナに入城したアリシア達はその足を止めざるを得なかった。


 彼女達が都市に到着するのと前後して、とある貴族が自宅で殺害されているのが発見された。

 犯人は未だ見つかっておらず、その日を以て何人も都市からの出門を禁じる旨の布告がなされた。



 ◇



 都市の正門で事の次第を聞いたアリシアはその足で大通りに面したとある屋敷へと直行した。

 ロウもまたラーガンに馬車を任せ、有無を言わさず応接間に通された少女に付き従って今に至る。


 通された応接間はいやに豪華で、如何にも高そうな壺やら絵画やらが我が物顔で鎮座していた。おまけに沈み込むような毛足の長い絨毯は何故か金に近い黄土色で、ひどく目に悪い。

 成金趣味っぽいなとロウは感じたが、さすがに口に出すことはしなかった。


「先に言っておくけど――」


 革張りのソファに行儀よく腰かけるアリシアは、背後に侍るロウにきれいなうなじを見せたまま口を開いた。


「私達だけ門を通してくれとか、今日来たばかりだから無関係です、みたいな話はできないわ」

「まあ、そんな気はしていました」


 そういう話がぽんと出てくるあたり、例えばローゼス家の領内であったりすれば可能なのだろう。

 忘れがちだが、この少女はかなり名の知れた貴族のご令嬢なのだ。

 だが、この大陸を大雑把に統べるサルジェンヌ王国が各都市の自治を広範囲で認めていることからして、その家名も支配地域の外では横道を通すほどの権力にはなりえないのだろう。

 特にここオルドヴァナは王都と宗教的最重要都市(ヘカリトス)を繋ぐ主要街道上の枢要部だ。下手につつけば話がこじれるどころか、逆に足止めされる可能性すらある。


「ただ、出門禁止は近いうちに解かれるでしょうね。オルドヴァナは食料の大きな割合を輸入に頼っているから、あまり長く流通を止めることができないの」

「成程、出られないとわかったら商人も後回しにするでしょう。

 ……あれ? オルドヴァナって結構重要な都市なんですよね?」

「ええ、そうだけど」


 アリシアは洗練された手つきで香気漂う紅茶を淹れた白磁のカップを口元に寄せながら答えた。


「なら、都市付きの法執行官がいるんじゃないんですか?」


 瞬間、カップを持つ手がびくりと震えて、止まった。

 飴色の表面に小波が生じて凪に戻るまでの間、アリシアは微動だにしなかった。


「…………いるわ」

「え?」


 少女の声は小さい上に何故か異様に低くて、思わずロウは聞き返していた。


「だから、この都市には高等執行官が駐在しているわ。ここがその“彼女”の屋敷よ」

「あの……なんで嫌そうな顔してるんですか?」

「すぐにわかるわ」


 言って、半ば自棄気味にアリシアが紅茶に口を付けたその時、応接間の扉が勢いよく開かれた。


「失礼、遅くなりましたわ!!」


 この屋敷の主なのだろう。堂々と入ってきたのは、アリシアと同年代と思しき少女だった。

 金髪を縦にカールさせ、複雑な模様の織り込まれたドレスに白無地のコートを羽織った姿は屋敷と同じくどこか成金っぽい雰囲気がする。

 小脇に抱えた金装丁の本はおそらく“法典”(コーデックス)だ。そこから職業も察しがつく。

 そして、少女は態度と同じく堂々とした胸を張ってアリシアをびしりと指さした。


「お久しぶりですわ、アリシアさん!!」

「……相変わらず元気そうね、スピカ」


 頭痛を堪えるように額を押さえるアリシアをみて、なんとなく事情を察したロウであった。




 スピカと呼ばれた少女はアリシアの対面に遠慮なく座ると侍女に自分の分の紅茶を用意させる。

 その頃には再起動したアリシアの表情もフラットに戻り、ちらりと背後のロウに視線を向けた。


「彼女はスピカ・シャイニース、学院の同期よ。スピカ、この子はロウ、私の従者でマレビトの子なの。色々と疎い所があるけど大目に見てあげて」

「どうも、初めまして」

「初めまして、ロウさん。この世界へようこそ!! 本来ならマレビトたる貴方に聞きたいお話が沢山あるのですが、状況が許さないことを残念に思いますわ!!」

「そうですね。一刻を争う事態のようですし、またの機会ということで」

「ええ、よろしくてよ!!」


 今にも高笑いしそうなポーズでスピカはロウのぽややんとした笑みに応えた。

 エネルギーが有り余っていることだけはロウもこの短い時間で理解できた。

 学院にいた時もこのノリで孤立しがちなアリシアに突撃していたのだろう。是非、その光景を見てみたかった。


「早速本題に入るけど、私達は早急にヘカリトスに向かいたいの。だから、可及的速やかに都市を出たい。その為には事件が解決されるのが最上なのだけど……片付きそう?」


 挨拶もそこそこにアリシアが切り出すと、スピカの顔が目に見えて曇った。

 その顔には捜査は難航していますと書かれているようだった。


「正直に申しますと、今日アリシアさんがお越しになられたことにユーティス神のご慈悲を感じましたわ」

「貴方の手に負えない事件を私が解決できるとは思えないけど……」

「謙遜なさらないでください!! わたくし達の代の主席ではございませんの!!」

「それは学院の頃の話で、辞退した話じゃない。主席は貴女でしょう」


(記憶力と工夫でトップに立ったのか……)


 その両方が並ではなかったのだろう。ロウは彼女と競わねばならなかった同期にちょっとだけ同情した。

 他方、スピカが優秀であることは察しがついていた。若くして重要都市付きの法執行官に就いているからだ。

 法執行官の裁量は広く、“法典”は悪用すれば容易く冤罪を仕立てあげられる。家柄やそれに付随する要素だけでは任せられない役職だ。

 ――だからこそ、“名無し”でありながら、アリシアは“薔薇の法典”ローズ・オブ・コーデックスに選ばれたのかもしれないが。


 そして、スピカより優秀な成績だった筈のアリシアがこうして辺境を巡業している現状は、“名無し”であることがこの世界でどれだけ深刻な欠点なのかをロウにまざまざと見せつけていた。

 同じ感情をスピカも抱いているのだろう。眉根を寄せて、堂々とした胸に手を当てる姿は痛ましさすら感じられる。


「譲られた主席の座を誇示するほど、わたくしは厚顔無恥ではありませんわ。それに、わたくしの成績は権能の助けもあって――」

「スピカ」

「……失礼しました。貴女を侮辱するつもりはなかったのです」

「わかってるわ。とりあえず、事件について聞かせてくれる?」


 アリシアの言葉に、しょげていたスピカの顔がぱっと輝いた。

 その姿はどことなく主人を前にした大型犬のようだ。

 学院時代もこの姿にアリシアは絆されたのだろう。常の厳格さに反して、少女は可愛いもの好きなのだ。


「手助けにもならないかもしれないから。あまり期待しないでね」

「十分ですわ!! 早速現場に向かいましょう!! 馬車を用意するのでお待ちになって!!」

「はいはい」


 満面の笑みでアリシアの手を取ってぶんぶんと振るスピカの様子に、ロウは思わず笑みを零した。


 二人は案外、良い友人なのかもしれない。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 前話で西にあるオルドヴァナという街について触れているので、次の街はオルドヴァナって言うらしいね→よく知ってるわね。という会話は不自然だと思いました
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