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罪と塩  作者: 山彦八里
2章:狼の少年
13/23

幕間

 昏く、淀んだ空気が漂う。

 表通りは遠く、日も差さない薄暗い街の裏通り。

 埃と悪臭と、血や反吐やらが混ざり合って判別のつかない水たまり、蹲る薄汚れた人々。

 そこはスラムだった。夢破れた者、全てを喪った者、そして、犯罪者たちの巣窟。

 表に居場所を喪った達が集まって歪んだ秩序を形成したその場所は、街がどれだけ発展しようと、否、発展する程にその闇を深くしていた。


 そんな裏通りを一人の流れ者がふらふらと彷徨い歩いていた。

 ソレは一見して異様な姿をしていた。

 無造作に腰まで伸ばした紫紺色の髪、無骨な首輪、骨が浮くほど痩せた体にぴたりと張り付いた革のビザール。

 ひょろりと伸びた足には千切れた枷の残骸を嵌め、そこから垂れた鎖が蛇の蛇行に似た音を立てて地面を擦っている。

 娼婦というにもあまりに怪しいその姿はその上、右腕がなく、空いた袖を水母のように風に流している。


 何かを探しているのか、あるいは道に迷ったのか。

 視線は定まっておらず、蹲った落伍者達を避ける足運びは茫洋として危なっかしい。

 そうして、ソレは複雑に入り組んだ狭い裏通りを彷徨い続け、気付いた時には、その前後を複数の男たちに阻まれていた。


「とびきり奇妙なのがいるって聞いてみれば、なんだお前?」


 手に手に錆びた剣を携えた男たちはこのスラムを暴力によって支配する者達だ。

 表の法が機能しないスラムでは彼らの暴力こそが秩序を維持している。

 無論、それは彼らが利益を得る為以上のものではないが。


「どこぞの変態貴族から逃げ出したのか?」

「まあ、なんでもいいけどよ」


 男の一人が威圧するように大股でソレに近付き、切っ先で俯くソレの顎を持ち上げる。


「……へえ、こいつはたしかにとびきりだな」


 ひゅう、と揶揄するような口笛が吹かれる。

 ソレは女だった。おそらくはまだ十代半ば。存外に整った顔立ちに、不思議な色合いを湛える赤と緑のオッドアイ。

 視線を下げれば、ぴっちりと張りついた革越しに形のいい胸や細い腰つきが浮き彫りになっている。

 成程、飼いたくなる気持ちはわからないでもない、と男は野卑な声音で呟いた。


「嬢ちゃん、ここいらで女の一人歩きは危ないぜ」

「そうそう。行くトコないんだったらオレ達のトコに来いよ」


 不審から一転して、男達の声に隠す気もない劣情が込められる。

 それに気付いているのか、いないのか。少女はただ、にやりと口もとを歪めた。


「いーや、おにーさんを待っていたのさ」


 その笑みは捕食者の笑み。その声は獲物がかかったことを喜ぶ肉食獣の声。

 そのことに男たちは最後まで気付かなかった。


「……オレ? いや、娼婦を寄越せなんて約束はしてないぞ?」


 少女は応えず、笑みを浮かべたまま男の股間に隻腕を伸ばした。


「おいおい、気が早いぞ。せめてねぐらまで――」


 狂人だと見做したのだろう。

 男はへらへらと笑いながら少女の肩を抱く。


「――“伽藍魄離・塩の柱”(ラブソウル・ロウ)


 そして次の瞬間、黄金の光が吹き荒れ、男の下半身は塩となって消し飛んだ。



「……え?」


 べちゃりと男の上半身が濁った水たまりに落下し、飛沫を散らす。

 男は何が起きたのかわからず己を見下ろし、あるべきものがない事実を認識し、悲鳴をあげた。


「あああああああ!? オ、オレの足がっ!?」

「ヒヒ、足の二本や三本で喚くなよ、おにーさん」

「なっ……」


 少女が酷薄な笑みを浮かべて告げる。

 驚くべきことに、下半身を喪った男は生きていた。

 だが、心は折れたのだろう。男は残る両手で地面を掻いて少女から離れようと這い進む。

 背後でようやく状況を理解した仲間達が怒声をあげるが、振り向く余裕はない。


 そうして、更に数度、黄金の光が瞬き、辺りは元の静寂を取り戻した。

 尤も、汚濁の中を這いずる男は既に己の荒い息遣いしか聞こえていなかった。

 男を動かすのは恐怖に他ならない。

 あの黄金の光を浴びた瞬間、男は正しく理解した。これは“罰”なのだと。禁忌を犯した者を裁く光なのだと。

 故に、逃げなければならない。数えるまでもなく、己の罪には心当たりがあり過ぎる。

 だが、その必死の努力をあざ笑うかのように、ゆらりと垂れた海月の袖と異装の少女が行く手を遮った。


「治さないの? おにーさんの権能は再生系でしょ? 見逃してあげるからさ、ほら、治しなよ」

「ッ!!」


 歪な笑みと共にかけられた言葉に男は慌てて己の権能を発動させた。

 自身の肉体に限定した再生の権能。それが男の権能だ。

 少女が何故それを知っていたのかまでは恐怖と混乱の詰まった男の頭では思い至らない。

 唯々意識を集中させる。さすがに下半身全部の再生というのは男も初めてだが、現状を打開する為には他に手はない。


 しかし、男は気付かなかった。何故、己が権能を使うことに思い至らなかったのか。

 つまりは――


「な、なんで!?」


 ――試すまでもなく男の権能(たましい)は理解していたのだ。半身の喪失を癒すことはできない、と。


「どーしたの?」

「治らないんだ!! なんで、どうして!?」

「……ああ、やっぱりふつーの権能じゃ治せないのか」


 少女の顔から笑みが消え、細い指先が諸々の液体で濡れた男の顔に触れる。

 男の顔が恐怖に歪む。悲鳴が喉をついて出る。


 そして、再び黄金の光が路地裏を照らした。


 スラムの住人は既にその光を恐れるかのように逃げ出している。犯行を目撃した者はいない。

 他に誰もいない路地裏で、少女はやや不便そうに片手に着いた塩を振り払った。


「奪えたのは“4割”ってとこか。まだまだ先は長いな。

 ……しかし、コイツもダメか。片腕のままってのは不便なんだけどねー」


 ぼやき、未だ形を残す塩の塑像に向けて燃える唾を吐きかける。

 唾自体が“燃える水”となって白く輝くような炎を発して、塩塊を一帯諸共焼き尽くす。

 そうして、後始末をつけた少女は踵を返し、ゆらゆらと袖の海月を揺らして光差さぬ闇の中に消えていく。


 後には、黒く焦げた影だけが残っていた。



 ◇



 規則的な蹄と車輪の音が響く。

 窓の外、秋の景色も次々と背後に流れていく。“石の街道”の主要路、異世界版アスファルトで舗装された道に入ったことで馬車の速度は大きく上昇している。

 ベオルン達を伝令員に預け、再び二人きりとなった馬車の中、ロウは手編みに精を出すアリシアをぼんやりと眺めていた。

 冬に備えてマフラーらしきものを編んでいる少女の手つきは、そこそこ揺れる馬車の中でも危なっかしい所がなく、几帳面な性格を表わすように整然と編み目が続いている。

 手芸はできるとの自己申告は虚偽ではなかったようだ。

 その時、視線に気づいた少女が顔をあげた。手を止めぬまま、エメラルドの瞳がロウは見つめる。


「どうかしたの?」

「いえ、ちょっと姉を思い出しまして……」


 ロウは誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべた。

 ホームシックという程ではないが、長く離れていると実家が恋しくもなってくる。


「……言われてみれば、たしかに貴方は弟って感じがするわね」

「ええー? これでも、しっかりしてるって言われることが多かったんですが」

「そういうのじゃなくて……そうね、甘え上手なところがそう見えるのかしら」

「はじめて言われましたよ、それ」

「そう?」


 微妙そうな顔をするロウを見て、くすりと笑みを浮かべてアリシアは手元に視線を戻した。

 馬車に再び静寂が訪れる。


「元の世界に戻りたいの?」


 だからか、その言葉は静寂を乱さぬように囁くように告げられた。

 ロウは数瞬、返答に迷った。


「戻りたいとは思っています」

「……」

「――ですが、それは今ではありません。模倣犯を野放しにはできない」


 それでも結局、本音で話すことにした。

 アリシア相手に嘘をつき通せるとは思えないし、なにより真心をもって接してくれているこの少女に嘘をつきたくなかった。

 たとえ、それが少女の重荷になるとわかっていても、互いの間に偽りを挟みたくなかった。

 予想通り、少女は手を止めて困ったような表情をしていた。


「ラーガンが何か言ったのかもしれないけど、あまり気負い過ぎない方がいいわよ」

「アリシアさん、鏡どうぞ」

「失礼ね。毎朝みているわよ。それから――」


 少女はそこで一旦言葉を区切り、こほんと可愛らしく咳払いして改めて続きを口にした。


「私的な場ではアリシアでいいわ。言葉づかいもね」

「いいんですか?」

「私がいいと言っているのよ。それに、マレビトの貴方にまで敬われていると、まるで自分が偉くなったと勘違いしてしまいそうだから」


 言って、アリシアは膝上の“薔薇の法典”ローズ・オブ・コーデックスを撫でた。

 それは彼女なりの戒めだ。

 己はあくまで“名無し”に過ぎない。法執行官の立場や“法典”の威光は自身ではない。そのことを忘れない為の戒め。


「前にラーガンにも頼んでみたのだけど、やんわり断られたのよね」

「ラーガンさんらしいですね」

「そうね。……それで、だから、その、貴方を利用するみたいで悪いのだけれど……」

「まあ、そういうことなら、わかり……わかった」


 真剣な表情のアリシアを見つめながら、ロウはどうにか了承した。

 それで、ようやく少女も安堵の息を吐いた。


「やっぱり気負い過ぎてるのはアリシアの方だと思うよ」

「う、ぜ、善処するわ」

「そうしてください」

「言葉づかい」

「適度に頑張れ」

「それはそれで難しいわね……」


 真面目な顔をして考え込むアリシアの姿にロウは口元を綻ばせた。

 車内の空気が和やかに溶けていく。

 こんな時間が続けばいい。心中の憎悪に蓋をして、こうして旅をしていたい。

 ほんの僅かだが、たしかに少年はそう願った。

 だが、その願いは叶わうことはなかった。


 突如としてロウの左腕が疼いた。


 チリチリと肌が粟立つような熱と全力疾走後の鼓動にも似た荒い脈動。

 不調ではない。たしかに感じた。今のは権能を使った時の感覚。

 そして、己の中の何かが奪われていくおぞましい手触り。

 憎悪に歪みかける感情を制御しつつ、意識を集中し、出所を――すなわち、模倣犯の所在を探す。


「こっちの方角……アリシアさん、ここから西にある街はわかりますか?」

「ちょっと待って。ラーガン、地図を!!」


 早速元に戻ったロウの口調に事態の深刻さを感じとったアリシアは多くを問うことなく行動に移った。

 ラーガンから手渡された羊皮紙の地図を開き、現在地を指さす。


「ここから西に行くと山岳都市“オルドヴァナ”があるわ」

「たぶん、もう少し遠くです」

「更に西ね。だとすると――」


 細い指先が地図上を滑らかに走り、ある一点でぴたりと止まる。

 少女の顔にこれ以上ない緊張が走る。


「――宗教都市“ヘカリトス”。ユーティス教会の総本山のある重要都市よ」



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