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罪と塩  作者: 山彦八里
2章:狼の少年
11/23

5話:隠されたもの

 来た道を戻れば、相変わらず言い知れない不快感の残る犯行現場には既にアリシアが待機していた。

 “法典”を手に現場を睨んでいた少女は、やってきたロウ達に背中を向けたまま静かに口を開いた。


「まず疑問に思ったのが、犯行現場の足跡が多過ぎたことよ」

「朝気付いた村の人たちの足跡じゃないんですか?」

「自分たちの畑を無思慮に踏み荒らすと思う?」

「それは……」


 ロウは言い淀んだ。少年の実家も農家だ。多少なりとも共感できることもある。

 つまり、畑を立て直すのは自分たちだということ。特に苗や種は回収しないと取り返しがつかない。極力荒らしたくないというのが心情だろう。


「この時点で私は複数犯の可能性を考えた。けど、ラーガンの報告でそれだけでは足りないことに気付いた」


 村の者ではない複数の足跡、ラーガンの報告、その二つを結びつけるもの。

 思い至ることはひとつしかない。


「……“盗賊”、犯人は盗賊の本隊なんですか?」


 盗賊、という単語にベオルンの肩が震える。

 それはかつて彼女の父が追い払った筈の存在なのだ。


「でなければこの無秩序な足跡の数に説明がつかないわ。でも、それだけではない。……話は変わるけれど、狼人族は満月の夜に権能が暴走し、理性を失って暴れる。けど、村に被害はでていないでしょう」

「言われてみればそういう話は聞きませんでしたね。どう、ベオルン?」

「……満月の夜の記憶はちゃんとはないけど、村に近付いたことはないと思ウ」

「それは、オニールが吊るされているからね?」

「あ!!」


 ロウは思わず声をあげた。

 たしかに獣避けとして各家にオニールは吊るされている。

 理性を失い本能だけで行動していたのなら尚更、嗅覚を強く刺激するソレにベオルンが近付くことはない。

 そして、オニールは畑にも植えられていた。

 アリシアが朝の時点で“法典”(コーデックス)を使ったのは、あの時点でベオルンが無実だとほぼ確信していたからだ。


「犯人には理性があった。どころか、遠吠えを偽装してベオルンに罪を被せようとする知恵を有していた」

「……」


 これから来る容疑者は二人。それぞれ獣狼化と幻聴の権能の保持者だ。

 前者なら自分が獣化すれば遠吠えを発せられる。獣人でないなら満月でも暴走せずに権能を行使できる。

 後者なら幻聴を発生させることで遠吠えを偽装できる。ベオルンの吠声を聞いたことがあればそれを再現しただろう。

 だが、それだけでは二人の内、どちらが犯人か絞ることはできない。あるいは、犯人が姿の見えない盗賊達である可能性もある。


「――もうひとつ。犯人は何故、法執行官(わたし)のいる時に犯行に及んだのか」

「僕達が来たことを知らなかったとか?」

「かもしれない。だから、考えられる経緯はふたつ。

 ひとつは、村の外にいた犯人たちは私達が来たことに気付かず犯行に及んだ。

 もうひとつは、犯人たちは私達が訪れたことを知りながら犯行に及んだ。もっと言えば、私達が来たから犯行に着手しなければならなかった」


 アリシアは指を二本立てる。ここまでの話ではそのどちらかまでは絞れない。


「後者の場合、犯人は村の者。正確に言えば、昨日、私達がこの村に到着した時点で村にいた者ね」

「僕達が来たからというのは? おかしくないですか、それは」


 ロウは苛立ち混じりに問いを重ねた。

 否――


(僕は何でイラついているんだ?)


 ふと疑問に思う。犯行現場に来てから断続的な不快感に襲われて、どうにも語気が荒くなっているのを自覚する。

 それだけではない。思い返してみれば、村の者たちも此処では妙に殺気だっていたように思う――満月の夜に遠吠えが聞こえたという理由だけでベオルンを犯人扱いする程に。


「ロウ、落ち着いて。“音”に惑わされては駄目」


 そうして混乱するロウの耳に、涼やかな声が沁み渡る。


「音? 僕には聞こえませんよ」

「私も殆ど聞こえないわ。でも、此処に来てから、この音を聞いてから、自分の行動が短絡的になっているのがわかるの。まるで、この場所から一刻も早く離れたいみたいに」

「――――」


 ロウは地球にいた頃の記憶を思い出す。

 ある種の高周波――『モスキート音』は人間に不快感を抱かせる効果があるという。

 実際に見たことあるのは精々、実家の畑でカラス避けに使われていた装置くらいだが、その効果を利用して公園や店の入り口にたむろする若者を追い払うのに使われているという話を聞いたことがある。


 目を閉じて耳を澄ます。

 重要なのは認識だ。そういう音が今この場で鳴っていると意識すること。

 漫然と聞き流していたその音を捉える。不快感があるということはロウにも聞こえている筈なのだ。

 数瞬して、少年の耳は確かに蚊の羽音のような微かな音を聞いた。

 無意識に権能を発動し、黄金の光を纏った手を虚空に振るう。

 直後、ぱんと渇いた音を立てて、何もない空中からぱらぱらと塩が舞い落ちた。


「ん、よくやったわ、ロウ。あとは――」


 モスキート音が消えたのを確認してアリシアが小さく安堵の息を吐くのが肩越しにわかった。

 そうして、完全に復調した法執行官が振り向く。

 燃えるような碧眼の睨む先、道の向こうから二人の男が歩いて来ていた。

 共に薄く汗を掻いた作業着を纏い、片方はおどおどとしてアリシアの顔色を窺い、もう片方は見るからに憮然としている。何故自分が呼ばれたのか、といった風だ。

 ラーガンが小声で前者が獣狼化の権能、後者が幻聴の権能の持ち主だと耳打ちする。


「単刀直入に訊きましょう。――この畑に何を隠しているの?」


 アリシアは誰何を問わない。わかりきった質問はしない。

 沈黙は数瞬。男たちは顔を見合わせ、動かない。

 対する法執行官は眉を顰め、小さく“法典”を揺らした。


 瞬間、“幻聴”の権能を持つ男が劇的に反応した。


「駄目だ、バレた(・ ・ ・)!!」


 男は“法典”が一日に一度しか使えないことを知らなかったのだろう。数年の一度しか法執行官の訪れない村では無理もない。

 そして、男の声に応じて、犯行現場の畑がぼこりと盛り上がる。

 直後、土を跳ね上げて飛び出した人影が真っ直ぐアリシアに襲いかかった。


「危ない、アリシア!!」

「邪魔だ!!」


 咄嗟にロウはアリシアを庇う。

 次の瞬間、鉄塊を撃ち込まれたような棍棒の一撃がロウの腹部を打ち抜いた。


「カ、ハッ……!!」


 衝撃、激痛、振り抜かれるままに少年の体が吹き飛ばされ――ラーガンが如才なく抱きとめた。

 そのとき、ロウの脳裡をよぎったのは淡い後悔だった。

 自分が間に合うなら当然、ラーガンが間に合わない筈がなかったのだ。


「――いいえ。素晴らしい勇気でした」


 抱きとめたロウを地面にそっと横たえ、ラーガンは告げる。


「ロウ様。誇られよ、貴方は誰よりも早くお嬢様を守られた」

「ラーガン、さん?」

「貴方様はまだ未熟だ。だから、これから成長すればいい。それまでは老いぼれに見せ場をお与え下され」


 云って、老執事はアリシアを庇うように襲撃者の前に立った。

 年齢を感じさせない大きな背中だった。


「ひとりだけ?」

「空気が足りなかったんでね」


 じりと距離を測りつつ、アリシアが問う。襲撃者は骸骨のようにこけた頬を皮肉気に歪めた。

 棍棒を手に、皮鎧を土で汚し、目の奥に淀んだ光を滾らせている男。盗賊だと言われれば、誰でも納得してしまいそうな外見だ。


「……間引いたのね」


 男の出てきた穴の中にいくつ死体が埋まっているのか。

 アリシアは碧眼に炎を灯して肩を竦めた男を睨む。


「そこのジイさんが一晩中走りまわってなけりゃ、全員で逃げられたんだがな」

「ふむ、地中に穴を開ける権能ですかな。連続使用には限界があるとみえる。坑道を掘ることはできないし、多人数を地中に留めておくのも困難である、と」

「……ああ、私達がいることに気付かずにこの畑まで来てしまったのね、貴方達」


 食糧の補給か、休息か。村人に協力者がいることからして立ち寄るのは初めてではないだろう。

 暴走したベオルンに襲われることを危惧して村人たちが夜の外出を控える満月の夜は、秘かに立ち寄るのに絶好の機会だっただろう。

 だが、それは諸刃の剣でもあった。

 昨夜に限っては、村の周囲では夜でもラーガンや伝令員が走りまわっていた。見つかるのは時間の問題だっただろう。

 しかも、オニールのない場所ではベオルンに襲われる危険性がある。下手に殺してしまえばそこから足がつく。

 彼らはこの畑に隠れるしかなかったのだ。足跡を誤魔化す為に下手な偽装工作までして。


「今まで露見しなかったのはそちらの幻聴の権能のおかげかしら?」

「ヒィッ!?」


 アリシアの視線を受けた村人(きょうはんしゃ)は悲鳴をあげて逃げ去ろうと踵を返し――その足を噛み千切られた。

 地を転がる足首に遅れて、ポンプのように足の断面から血が噴き出す。


「あ、ああああああ!!」


 片足を失い、尻もちをついた共犯者の前には麦穂色の毛並みをなびかせた狼がいた。

 獣狼変化(ビースト・ロア)、獣人にのみ許された完全獣化。

 今や巨大な狼と化したベオルンは唸り声をあげて牙を剥いた。


「ベオルン、殺しては駄目よ」

「……ワカッタ、マダ殺サナイ」

「ん、いい子ね」

「――ヨソ見が過ぎるぜ、法執行官!!」


 アリシアが視線を切ったのを見て取って、盗賊が棍棒を掲げて振りかかる。

 当然、正面を守るラーガンが妨害に入る。

 が、元より盗賊の本命はそちらだったのか。急激に軌道を変えた棍棒がラーガンを打ち据える。


 刹那、鈍い激突音が響く。

 次いで、折れた棍棒が冗談のようにくるくると宙を舞った。


「……は?」


 棍棒を振り下ろした体勢のまま、盗賊が間の抜けた声をあげる。

 男の目の前にはラーガンがいる。老執事は無手のまま。ただ突き出した拳を引いて構えを取る。


 両拳を胸前で構え、踵を僅かに浮かせたその姿はまさしく――


「ボクシング……?」

「はい、拳闘でございます」


 ロウの呟きに振り向かぬままラーガンは応える。


「かつてマレビトの方に教わったものです。私の刃は鋭過ぎる。殺めずに他者を制するにはこれが適していたのです」


 云って、ラーガンの姿がふっと消えた。

 慌てて視線を巡らせれば、一瞬の内に盗賊の側面を取った老執事が拳を打ち出していた。


「ガッ……!!」


 直後、肉を打つ炸裂音が二度響き、お手本のようなワンツーが盗賊の顔面を弾き飛ばした。

 よろめき、振り向く盗賊を他所に、再び側面を取っての再度の二連打。

 筋肉の詰まった両腕は、鞭のようなしなやかさと破城槌の如き破壊力を束ねて拳撃を放つ。

 直撃した盗賊は、快音を響かせて出来の悪い操り人形のようにその体を左右に揺らした。


「……うわあ」


 ラーガンに拳闘を仕込んだマレビトのえげつなさにロウはちょっと引いていた。

 成程、老執事のそれは確かにロウの知るボクシングだった。

 元いた世界に於いて、単なる拳闘ならば、それこそ紀元前の時代から存在している。それこそ、二足歩行と同時に発祥したと言われても不思議ではない。

 だが、ラーガンのそれは完全なアウトボクシングだ。となれば、彼の師事したマレビトは確実に近代以降の人物だろう。


 そして、もしも、この異世界にアウトボクシングに類する概念がないのなら――格闘戦に於いて、ラーガンの相手は未知の格闘術への対応を強いられることになる。


 顔面を腫らした盗賊は棍棒を捨てなんとか組みつこうと距離を詰める。

 が、それはラーガンの掌の上でのあがきでしかない。

 ただでさえ長身で、二階級は上のラーガンが足を使って間合いを維持し、そのリーチを活かして拳を放っていては、相手はなす術なく殴られるしかない。

 その上、拳の弾幕を抜けてようやく近付いたかと思えば、老執事は容赦なく左右に跳んで自身の間合いを保ち続ける。

 おそらくは自分がどのようにしてやられているかも理解できていないだろう。


(あれ、ラーガンさんは権能を使っていない?)


 一方的な撲殺現場と化した戦闘を眺めながら、ロウはふと疑問を抱いた。

 戦闘向けの権能ではないのか。だが、それはラーガンから受ける印象とは異なる。

 一見して好々爺然とした老執事だが、一度目にすれば視線を外せない凄味がある。少なくともロウにはそう見えた。


「ラーガンは権能の使用を自らに禁じているの」


 問いに答えたのはアリシアだった。

 ロウの背を支えるようにして寄り添う少女は、己の執事の舞台を真っ直ぐな視線で見つめている。


「何故ですか?」

「相手を殺してしまうから。鬼角(オーガ)族の“血染めの刃”(ブラッド・ブレイド)といえば、一昔前なら王都のゴロツキが聞いただけで震えあがったらしいわ」

「それはまた……なんとも恐ろしい話ですね」


「ク、クソッ!!」


 何十発と殴られて既に顔面が原形を留めていない盗賊がたまらず地面に両手を叩きつける。

 一瞬の内にその姿が地中に潜り込む。一人ならば多少は移動できるのか。

 地中の相手はラーガンといえど殴れない。老執事の拳がぴたりと止まる。

 だが――


「それは悪手ですな」

「――におうぞ、オマエ!!」


 ラーガンの脇を疾風の如く駆け抜けたベオルンが四肢を撓ませて跳ねる。

 そのまま空中で捻りを加えながら地面のある一点に爪を突き立てる。

 前肢が土を跳ね上げながら勢いよく地面を貫く。

 次いで、引き抜いた爪に付着した血が跳ね飛ぶ。

 出血量からして傷は浅い。

 だが――目印としてはそれで十分。


「ロウ!!」

「――“天罰・塩の柱”(ネツィブ・メラー)!!」


 アリシアの声に導かれるように、ロウの手が零れた血に触れる。

 黄金の光が掌を伝い、導火線のように塩柱化の効果が血痕を貪り、標的を捉える。


 そうして、地中から響いたくぐもった悲鳴は事態の終結を告げていた。


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