4話:選択
狼人族の子供等の棲み家は村はずれにあった。
集会所から村の住宅部を抜け、犯行現場の畑を横目に十分ほど歩いた場所だ。
あまり良い思い出がないからか、あるいは無用な疑いを避ける為か、ベオルンは犯行現場を不快げに一瞥すると早足でその横を抜けて行った。
彼女達の居所が村の中心部から離れているのは、満月に暴走する狼人族の特性故だろう。
これが都市部ならば一晩だけ自主的に牢に入ったり、地下室を作って篭ったりするのだという。
「……人間が狼獣化の権能を有していても満月に暴走しないんですよね?」
多少調子を取り戻したロウは隣を歩くラーガンに話しかけた。
返事はない。もしや空気を読めてなかったかと横を向けば、老執事は足を止め、犯行現場を眺めていた。
髪と同様、真白く染まった眉の下で不審げに目が細められている。
「ラーガンさん?」
「おっと、失礼いたしました。少々耳鳴りがしたもので」
「耳鳴り、ですか? 僕は聞こえないのですが」
ラーガンに倣ってロウも犯行現場に向き直って耳を澄ますが、特に何も聞こえなかった。
ただ、この場にいることに言い知れぬ不快感があるだけだ。
「ふむ、気のせいでしょうかな。
……さて、人間と獣系亜人の違いでしたな。お察しの通り、人間が獣化の権能を有していても暴走することは稀です」
ラーガンは歩みを再開してロウの隣に並んだ。
木底を皮で鋲打ちした靴はよく音を響かせそうだが、足音ひとつたてないのは執事の嗜みか。
「その代わり、獣人の権能の方が強力――半身だけでなく、全身を完全に獣へ変えることができるのは獣人だけでございます。一説には獣人の血と権能の親和性が高過ぎるが故に暴走するのでは、とも言われておりますね」
「生活するの大変そうですね」
「どんな種族にも欠点はございますので」
「人間にもですか?」
「鬼角から見れば、日が沈む毎に眠らなければならないのは欠点であるようにみえますよ」
「ああ、成程。そういうものですか」
「そういうものでございます」
「おーい、こっちダ!!」
そうこう話している内にロウ達は狼人族の住居についた。ベオルンが元気よく手を振ってロウ達を招き入れる。
それは一見してあばら屋だった。手入れする余裕がないのか、傍目から見ても荒れているようにみえる。ベオルンの苦労が偲ばれた。
「お前ラッ!!」
ベオルンが声を張り上げる。応じて、あばら屋の扉が吹き飛びかねない勢いで開かれ、5人の子供が飛び出してきた。
その誰もが頭部に獣耳があるが、髪や瞳の色は様々だ。親は違うのかもしれない。
「だいじょうぶだったか、ベオルン!?」
「ひ、ひどいことされなかったの?」
「大丈夫。お前らもちゃんとお留守番していたみたいダナ」
すがりついてくる子供達を一人ずつあやしながらベオルンはにかりと笑って見せた。彼女が群れの長であることを感じさせる強い笑みだ。
ベオルン以外の5人は6,7歳のようで何かしらの仕事に従事できるようにはみえない。
どの子も元気一杯といった風だが、服の上からでも痩せているのがわかる。
村の者も別に餓死させる気はないのだろうが、優先順位の問題なのだろう。ロウはそれが少しだけ悲しかった。
「ベオルン様、こちらを」
その時、ラーガンがどこからか取り出したバスケットをベオルンに手渡した。
バスケットの中にはバケットや干し肉が入っている。老執事は如才なかった。
子供達がきゃいきゃいと歓声をあげる。ベオルンは完全に獲物に群がる獣と化した子供達を器用にいなして差し入れを分配していく。
子供達も子供達で好き勝手やっているようにみえて案外統率がとれている。差し入れが全員に行き渡った後に声を揃えてお祈りしてから食べ始める姿にもそれが表れている。
(しかし、あの神様に祈るのか……)
神をみたというのも案外複雑な気持ちになるものだなあ。ロウは心中でひとりごちた。
色々と感謝しているが、人の話を聞かない神だった印象が先立つからだ。
尤も、元より願いを叶えて欲しいから祈るなどという者はごくごく少数だろうが。
そうして、わいわいと遅い朝食が始まる中、ベオルンはじっと手の中のバケットを見つめていた。
「どうしたの、ベオルン? さっきのでお腹いっぱい?」
「ううん、おなかはまだへってるんダケド……」
「減ってるんだ」
「うぐっ……その……」
ベオルンは暫し視線を彷徨わせていたが、意を決してロウ達を見上げた。
「去年、父上が流行病で亡くなったときに畑の野菜を盗んだ……こいつらがお腹が減ったって言うかラ、ボクは……」
「前科があったから村の人はああいう態度だったんですね」
「し、仕方ないダロッ!!」
「仕方ないで済むなら法執行官なんて仕事はないんですけどね。いや、僕も人のことは言えませんが」
「で、でも、その分の償いはシタ!! 余計お腹が減っちゃったけど……で、でも、その後は父祖に誓って盗みはやってナイ!! なのに、あいつら、食料が減る度にボクらのせいにして……」
言って、瞳をうるませるベオルンを見て、ロウはがしがしと髪を掻いた。思わず、目線でラーガンに助けを求める。
老執事は小さく頷きを返すと、嗚咽を漏らす少女の前に膝をついて目を合わせた。
見下さず、見下ろさず、子供であっても対等の目線で応じる。その仕草はどことなくアリシアに似ている。彼女のこういった所作はラーガンに学んだのだろう。
「ベオルン様、自分から告白した勇気を私は称賛します。ただ、その件に関しては、既に村内で解決されたというのなら、後から来た我々がどうこういうのはお門違いです」
「……」
「しかし、法とは責任の所在を明らかにするものです。故に、罪を購うこともまた己の責任を全うする為の一手段でしかありません。ベオルン様が罪を償ったというのなら俯くことはありません」
「……うん」
「さ、お食べなさい」
「うん!!」
そうして、涙を呑みこんだベオルンは少々しょっぱくなったパンを頬張り始めた。
「よかったんですか?」
ロウは小声でラーガンに尋ねる。
罪を裁くのは法執行官の役割だ。アリシアが村内で解決された話をほじくり返すとは思えないが、それでも裁くか否かを執事が決めていい訳ではない筈だ。
「お嬢様には報告いたします。ただ、私にも年頃の娘がいます。思う所がない訳ではありません」
「……ラーガンさんって結婚してたんですね」
「遅い春でしたが。こう見えて人間であれば天寿を全うしている年齢ですので」
言われてみれば、控え目に笑うラーガンは姿勢よく背筋が伸びているうえ、執事服の上からでも鍛えられているのが、髪は総白髪で顔にもいくらか皺が刻まれている。
さらに、鬼角族が歳を取る毎に角が短くなるというならば、白髪に隠れるまで短くなったラーガンはかなりの高齢だろう。
雰囲気からして、60、70歳あたりにだろうかとロウは当たりを付けた。
逆に、それで年頃の娘ということはけっこうなロマンスだが、その点は口を噤むことにした。
そのまま暫くラーガンと並んで狼人族の子供達を眺めていると、食事の終わった彼らも好奇心に満ちた目で見返してきた。
警戒されているという訳ではないようだが、何かしらきっかけを欲しているようにも見える。
「……ここに水の入った杯があります」
ロウは子供達の使っていた木杯のひとつを手に取ると子供達にみえるように掲げた。
見上げる子供達の視線を受けつつ、そのまま並々と注がれた水面に人差し指を触れさせる。
「こうすると――」
アラン・サーミリオンを思い出す。彼の片腕を吹き飛ばしたあの瞬間の感触を思い出す。
無秩序に権能を行使するのではなく、対象を限定、選択する感覚。
刹那、指の先に小さく黄金の光が灯って、消えた。
ロウは膝をついて子供達にも中身が見えるようにする。
「……なにも変わってないぞ?」
木杯を覗き込んだ子供の一人がそう指摘する。
たしかに、木杯の中身は変わっていないようにみえる。
あるいは目の良い者ならば、先ほどよりも澄んでいることに気付いたかもしれないが。
「味が変わったんだ」
「あじ? ……しょっぱ!?」
中身を舐めた子供が驚いたように甲高い声をあげる。
それを皮切りに他の子供達が続々とロウの周囲を取り囲んだ。
「もういっかいやって!!」
「いいよ」
ロウは今度ははらはらと風に舞う落ち葉を掴む。
秋葉は見るも鮮やかに紅葉している。
指先に意識を集中させ、イメージする。理科の実験、葉脈だけを溶かし出す、あの感じ。
次の瞬間、指先に黄金の光が散って、葉脈標本が残った。
おお、と稚い歓声が上がった。
結局、子供たち全員に葉脈標本が行き渡るまでロウは六度の権能行使をせがまれた。
「あいつらと遊んでくれて、その、アリガトウ……」
「いえいえ」
おかげで対象を限定する感覚はおおよそ掴めた。ロウとしても満足のいく結果だ。
最後の一枚をベオルンに渡して、立ちあがる。ずっと屈んでいたため少々膝が辛い。
「そろそろ事情聴取の時間です」
「了解です」
「うん、わかっタ」
ラーガンの促す声に少女も立ちあがり、子供達を家に戻す。
アリシアは此処や集会所よりも、犯人に出くわす可能性のある自分たちの近くの方がベオルンは安全だと判断した。その点に関してはベオルンも異論はなかった。
「――お嬢様は既に事件に目星をつけておられます」
子供たちがいなくなったのを見計らってラーガンが口を開く。
やはり、とロウは沈黙の中で確信を深めた。アリシアが“法典”の回復を待たずに事情聴取を開始したのはその為だったのだ。
「貴女が仰っていた『食料が何度も減っている』というのも気になります。明日を待っては手遅れになるやもしれません」
「……」
「おそらく事件は解決します。しかし、ベオルン様、貴女方も身の振り方を考えた方がよろしいでしょう。事件を解決しても村の方の悪感情は消えません」
「……村を出ろってコトカ?」
「それも選択肢だということです。なんでしたら、私の方からお嬢様に進言しても構いません」
「……考えとク」
ベオルンは標本をそっと懐にいれ、真剣な表情で頷きを返す。
選択の時はすぐそこに迫っていた。