1話:出会った二人
沈みかけた初秋の太陽が草原を黄金色に照らす。
燃えるようなその輝きはその日最後の熱と共に今日という日の終わりを告げている。
黄金の草原には一本の道が敷かれている。
石の街道、草原を両断するように真っ直ぐに伸びたその街道は目的地の街まで伸びている。
その街道上を一台の馬車が駆けていく。
側面に薔薇の紋章が配された豪奢な4頭立ての馬車だ。おそらくは貴族のものだろう。
しかし、豪奢であると同時に異様でもある。馬車全体が鋼鉄で装甲化され、窓には格子が嵌められた様はまるで――。
馬車にはひとりの少女が乗車している。
年の頃は17,8か。薔薇に似た真紅の髪を後ろで纏めた凛とした雰囲気の少女だ。
髪と同色の、控え目にレースの配されたドレスに包まれた体は発展途上ながら優美なラインを描き、年齢以上に大人びて見える。
すらりと通った鼻梁と、芸術的な曲線を描く顎に描かれる顔の造形もまた体に劣らず将来の大輪の花を感じさせる。
若干くすんだ肌の色が玉に瑕だが、膝上に置いた銀の装丁で薔薇を象られた本と相まって深窓の令嬢と万人が頷くだろう。
名をアリシア・ローゼス。
サルジェンヌ王国における貴種のひとつ、ローゼス家の当主である。
黄昏の中、微笑めば誰をも魅了できるであろうアリシアはしかし、宝石を思わせる碧色の瞳を物憂げに細めていた。
車内には車輪の寄越す微かな振動がゆるやかに響く。
王国内でも辺境に位置するこの辺りでは街道に分岐はなく、おかげで迷う心配はない。が、王国内でも優先度が低いからか、街道の整備は万全とは言えず、時折、不意の振動を寄越してくる。
幾度目かの大きな振動の後、少女は格子窓の外を暫し眺めて時間を確かめると、御者台に座る執事服の老人に声をかけた。
「ラーガン、そんなに急がなくてもいいわよ」
「よろしいのですか、お嬢様。殺人事件と聞き及んでおりますが」
「たしかに貴族家の殺人事件だけど、既に犯人が自首してるの。私の仕事は事後処理だけでしょうね」
「左様ですか」
「ええ、この辺りは道も良くない。あまりとばして事故を起こされる方が怖いわ」
「畏まりました」
落ち着いた応えと共に馬車の速度が僅かに緩む。
アリシアは小さく溜め息を吐いてクッションの配された椅子に掛け直そうとして――次の瞬間、馬車が急停止した勢いで転げ落ちた。
「ラーガン!!」
レースに包まれた小ぶりな尻をさすりながら少女が声を発する。
叱責の声ではない。緊張を帯びた高音には執事に対する信頼と想定外の事態への危惧が窺える。
アリシアは手早くスカートの裾を結んで纏めると、躊躇なく馬車の扉を蹴り開けて外に飛び出した。
元より襲撃される理由には山ほど心当たりのある少女だ。
これがそうならば馬車の内に留まるのは下策。部下と共にこの場を離脱して態勢を立て直すべきだと即座に判断を下す。
だが、馬車の外に出た少女の目に飛び込んできた光景はその予想の斜め上を突っ走っていた。
――まず目についたのは降り積もった白色。
馬車の前方一帯がさらさらとした白い粉に覆い尽されている。
目立つのは大きな塊が3つ。
雪ではない。溶ける様子がないからだ。
あまりにも異様で、異質に過ぎる。
予想外の事態に困惑したアリシアは数瞬、次の行動を迷った。
「これは……“塩”ですな」
御者台を下りてアリシアを背に庇っていたラーガンが手袋に包まれた手で粉に触れ、その正体を看破した。
ほぼ同時に、少女は白塊の鎮座する道の真ん中に人が倒れているのを見て取った。
うつ伏せに倒れている為に呼吸の有無は見えないが、背格好からして男、まだ10代半ばといったところだろう。
あるいは、この異常事態を引き起こした張本人だろうか。
「お嬢様はここでお待ちを。確認して参ります」
「頼みます」
周囲を警戒しつつ少年を助け起こす執事を見ながら、アリシアは眉間に皺を寄せていた。
明らかな異常事態だが、何かしらの“権能”が関わっているなら、有り得ない事態とまでは言い切れない。
だが、なによりも塩というのが問題だった。
(塩、塩ですって!? なんでこんな所に!? いえ、まさか――)
記憶を再生する。
半年前、北方の街カルフィアが住人諸共一夜にして塩塊に沈んだ怪事件。
カルフィアは王国内でも10指に入る大都市だ。それが一夜にして滅びるなどそうある話ではない。王国を揺るがす大事件だ。
王国は未だに広く情報提供を呼び掛けており、アリシアも事件直後は周辺調査に駆り出されていた。
犯人はまだ捕まっていない。少なくとも、曲がりなりにも王国の法の一端を担うローゼス家にその報は伝わっていない。
(まさか、その犯人がこんな所で寝転がっているとは思えないけど……)
そのとき、ラーガンが気付けに成功したのか、背中を支えられた少年が咳き込みながらゆっくりと瞼を開けた。
平服、中肉中背、王国では珍しい黒髪の下、どこかぼんやりとした印象を受ける顔をした少年だ。見た目通りなら15歳かそこらか。
少年は夜空と同じ色の黒瞳は茫洋とし、病人のような蒼白な顔色をしている。これが演技であればたいしたものだろう。
ラーガンがちらりと視線を寄越す。その視線を意味をアリシアは無言の内に読み取った。
結んでいたスカートを解いて整え、意を決して少女は口を開いた。
「貴方、こんな所で寝てると死ぬわよ。というか轢くわ。死にたいならもっと人の迷惑にならないところで死になさい」
凛とした少女の声に、果たして少年は――
「………み、みず」
なんとも締まらない応えを返した。
◇
「いやぁ助かりました。かれこれ10日は食事を摂っていなかったので」
馬車に積んでいた小樽ふたつに加え、アリシアが個人的に持ち込んでいた蜂蜜の小瓶をぺろりと平らげてようやく少年は手を止めた。
顔色も先程よりは随分と良くなっている。だが、10日も飲まず食わずでいればそうなるのも仕方のないことだろう。
アリシアは頭痛を堪えるように額を押さえながらもなんとか声を発した。
「よく生きてたわね」
「はい。“権能”のお陰で、なんとか」
「――権能?」
その単語に少女の視線が鋭く細まる。
“権能”、ユーティス神より賜りし魂の発露。人の身にて起こす奇蹟。
王国においてもほぼ全ての国民が発現した、超常にして遍在の能力の名だ。
「はい、これです」
状況を理解しているのかしていないのか、相変わらずぽややんとした表情のまま少年が掌を突き出す。
その傷一つない柔らかな手を閉じたり開いたりすると、仄かな黄金の光と共に何もない所から突如として白い粉が生まれた。
アリシアはちらりとラーガンに視線を投げかけた。
老執事は何も言わず頷いた。毒ではないらしい。
少女は小指の先で少年の掌から粉をひとすくい取ると、小さく舌を伸ばして舐め取った。
途端、舌を通じて独特の辛さ、塩辛さとしかいいようのない原始的な味を知覚する。
塩だ。どこをどう味わっても塩でしかない。
「やっぱり貴方は塩を作り出す権能なの?」
「平たく言えばそうですね」
「……家が代々塩業を営んでいたとかじゃないわよね?」
「ええ。普通のサラリーマンの家ですよ」
手を払って地面に塩を振り落としていた少年が頷く。
掌に塩を生み出す権能。料理には便利だろうが、随分としょっぱい能力だ。
権能というのは本人の気質の顕れであると言われている。掌に塩を生み出す権能の示す気質には皆目見当がつかないが。
しかし、それはそれとしてアリシアは少年の素性に思い至る節があった。
「……貴方“マレビト”でしょう?」
どことなく確信を匂わせるアリシアの問いに少年は苦笑とともに頷いた。
「異世界から来た人間をそう呼ぶのなら、そうでしょうね」
「そんなトンチキな権能持ってるのはマレビトくらいよ」
「あー、やっぱり僕らはバグキャラみたいなものなんですかねえ」
「……なによそれ。マレビトだってあるのに……」
「え? えっと……」
どことなく不機嫌になったアリシアに少年が困ったように頬を掻く。
はっと顔をあげたアリシアはわざとらしく咳払いをして場を取り繕った。
「ごめんなさい。私はアリシア、アリシア・ローゼス。こっちは執事のラーガン」
「ラーガンと申します。どうぞよしなに」
「あ、どうも」
影のようにアリシアの背後に佇んでいた白髪の執事が丁寧に一礼する。
白髪を撫でつけ、きっちりと執事服を纏ったラーガンは2メートル近い長身だ。今の今まで存在感を消していた為に気付かなかったが、一度気付けば感じる威圧は並のものではなく、少年はやや緊張を滲ませて返礼した。
(あんまり犯罪者っぽくはないけれど……)
アリシアは心中で訝りながらも既定事項を告げた。
「申し訳ないけど、暫く貴方の身柄を拘束させて貰うわ」
「……カルフィア消失の件ですね」
「察しがいいわね。それとも心当たりがあるのかしら?」
「ある、とお答えしておきます。勿論、僕が実行犯というわけではありませんが」
「……そう。後日詳しく聞かせて貰うわ。兎に角、貴方の権能で街ひとつ沈めるのは難しいだろうけど、塩を生み出す権能の保持者という一点で嫌疑がかかることに変わりないわ」
「はい、存じています」
「その、自分で言うのもなんだけど、変な所で捕まるよりはマシな待遇を用意するわ」
「……ふむ」
少年はおとがいに指を掛けて考えをまとめる。
悪くない提案だ。己の“目的”の為にも、どこかでリスクを呑んで公権力の世話になる必要はあった。
ならば、最大限此方を気遣ってくれている相手につくのは選択肢としてアリだ。
あとは、アリシアがどれくらいのことができるかだが――
ふと、少年は傍らに停められている馬車に目をやった。
4頭立ての馬車は貴族用にしても随分と強固に作ってある。見た目の豪奢な装いに反し、少年の頭をよぎったのは日本にいた頃に何度となく見かけたとある車両だった。
「……この馬車、外に閂がついているんですね。内側も前後で完全に区切られている。察するに護送用の馬車ですね?」
「マレビトはほんと細かいことに気がつくわね。みんな全体的にぽややんとしてるのに」
「似たような車が僕等の世界にもあるので」
パトカーと言うんですが、と呟き、少年は曖昧に微笑んだ。
言外に匂わせた雰囲気に、アリシアもおおよその所を察した。
「ふぅん、異世界にも似たようなのがあるのね。……それで、貴方の名前は?」
「アッハイ。僕はシオノ・ハチロウといいます」
「ん……じゃあ、ロウと呼ぶわね」
「別にいいですけど、変わった呼び方されますね」
「…………アチィロ」
「ハチロウです」
「ハ、ハチェロ?」
「……ロウでいいです」
「ご、ごめんなさい。マレビトの発音は難しいの」
言って、アリシアは自分の拙さを恥じるように頬を赤らめた。
可愛い人だな、と心中で呟きながらハチロウ改めロウは苦笑を朗らかな笑みに変えた。
「ともあれ、“法執行官”のお世話になるのは初めてです。よろしくお願いします」
「ええ、よろしく。嫌疑が晴れれば貴方は自由よ。短い付き合いになることを祈っているわ」
アリシアもまた小さく微笑みを返し、少年の手を握った。
それが存外に長い付き合いになる二人の出会いだった。