婚約うっ!?
病室にしばらく静寂が訪れる。
「あ、そう言えば、俺取り調べっていうか、調書みたいなの取られてないな」
はっと気付き、なんとなく声に出す俺。
「え?だって、昨晩目を覚ました時に来ていたお巡りさんに話してたじゃない?」
「…そうだっけ?全く覚えてないや…まあ、頭打っていたから仕方ないか」
ははは、と笑う俺。
ふう、と溜息を付く遥。
「昨晩、本当に済まない事をしてしまった。
誤解からとは言え、やってはいけない事だった。
申し訳なかった…」
親父さんが深々と頭を下げている。
驚いていた様な顔で親父さんを見詰めていたまどかさんも、
はっとしたように頭を深々と下げた。
少し驚いたが、
「ええ、気にしないで下さい。」
と答える俺。
「…ちゃんと謝れるんじゃない」
亜由美も驚いた様に声を出す。
「治療費や通院費なんかの必要経費はもちろんウチで持たせて貰うし、
それに、なるべくキミの希望に沿える様に慰謝料も出させて頂く」
「…治療費と必要経費はありがたく頂きますが、慰謝料は要りませんよ」
俺の言葉に親父さんは頭を振る。
「いや、そういうワケには行かない。
私は正直、キミの事を誤解していた。
亜由美が最近、家庭の事情から夜遊びをする様になってしまったのは
キミとの交際が原因くらいの事を考えてしまったが、それは大変失礼な思い違いだった」
再び深々と頭を下げる親父さん。
「そうよ!ショウくんは真面目で、優しくて、頑張り屋さんで、カッコいいんだから!
私の夜遊びの原因は、そこに居るパパの新しい奥さんなのよ!」
亜由美が怒鳴る。
「亜由美ちゃん…」まどかさんが哀しそうに呟く。
「亜由美、なぜそんなにまどかを嫌うんだ。
昔はあんなに懐いていたじゃないか」
親父さんが諭すように言う。
「何言ってるのよ!ママが出て行った途端にウチに入り込んで!
私に優しくしてくれてたのも下心が有ったからなんでしょっ!!」
パンっ!!
病室に響いた音は、遥が亜由美を引っ叩いた音だった。
「は…るか…ちゃん…?」
亜由美は頬を押さえながら呆然としている。
亜由美の言葉を聞きながら怒りの形相をしていた遥を見ていた俺は、
やるのではないかと予想していたので驚きはしなかったが。
「バカっ!!亜由美のバカっ!!」
遥が涙を流しながら怒っている。
「あなた、昔はパパが大好きって私たちに自慢してたじゃない!
それに、娘を心配して夜中に探し回るなんて、そんな良いお父さんとまどかさんに何てこと言うのっ!!」
さて、俺の出番かな。
皆が愕然としている間に俺は痛む左手と右足を庇いながらベッドを下り、
びっこを引きながらドアの近くへ移動する。
遥の勢いに押されて、遥以外は俺の行動に気付いていない。
「何よ…何よっ!!遥ちゃんのバカぁっ!!
遥ちゃん家は良いわよねっ!!優しくてカッコいいおじさんに綺麗なおばさん!
可愛い双子の妹ちゃんまで居てっ!!そんな幸せなあなたに私の辛さなんて解るわけ無いわっ!!」
だっと駆け出す亜由美がドアを開けようとした時、俺は亜由美を右手で抱き止めた。
「痛っ!…ハハ、まだやっぱ痛てぇな」
「ショ、ショウくん…?」
涙をいっぱいに溜めた瞳で俺を見上げる亜由美。
「亜由美、お前は幸せなんだぜ?お前には優しくて娘想いなお父さんと、
一生懸命お前のお母さんになろうとしてくれているまどかさんが居るじゃないか?
それとも、まどかさんはお前の事を邪魔者扱いでもするのか?
もしそうなら、俺が許さない。遥だって許さない。だって、俺達は幼馴染じゃないか!
昔からずっと一緒に遊んできただろ?悩みが有るなら俺達に話せよ。
俺と遥は全力でお前の為に出来る事をするからさ」
「ショウ…くん…ふえ、ふええええん!!」
亜由美は俺に抱きついて泣き出した。
遥が俺にグッとサムアップしている。
俺も亜由美を右手で優しく抱き締めながら、ギプスに包まれた左手を上げてサムアップを返した。
「ショウくん、遥ちゃん、ありがとう…」
親父さんが深々と頭を下げる。
まどかさんも涙を流しながらそれに倣う。
「亜由美、良い友達と彼氏を持ったね…」
親父さんが涙声で言う。
うんうん、と頷く俺と遥とまどかさん。
…ん…?
ピク、と遥が固まった。
「そうよ、最高の彼氏でしょ、ショウくんは」
亜由美が涙を拭きながら言う。
ピシ、と俺と遥の間の空気が凍った。
…天国のママン、絶対零度な視線が俺に突き刺さってるよ…
「あ、あの、お父さん、それはデスね、誤か」
「よし!解った!私はショウくんと亜由美の交際を認めるぞ!
いや、ショウくん!ふつつかな娘だが、キミになら任せられる!
いっその事、婚約してしまったらどうだ!そうすれば、ショウくんは家に住んでもらえるし、
学費や生活費、進学費なんかもウチで面倒を見て上げられる!」
感極まった様に叫ぶ親父さん。
って、ちょっとちょっとぉうっ!!
「ホント!?パパ!きゃあ大好きぃっ!!」
親父さんに抱き付く亜由美。
おっさん!デレデレしてんなよっ!!
「ちょ…!!」
遥が何かを言おうとしながら絶句している。
そして俺をキっと睨んで口をパクパクしているが…
ええいっ!!
「お父さん!亜由美!ちょっと待ってくれよっ!!」
「うんうん、もうお父さんと呼んで貰えるのか。嬉しいが寂しい、複雑な気分だな」
「もう、パパったらぁ!」
「そうだな、まあ大学生結婚ていうのも中々ロマンチックだな。私も憧れたしなぁ…」
遠い目をする親父さん。おっさん、自分に酔ってるね…?
「ようし!じゃあ、二人が無事に大学受かったら入籍と挙式だな!
費用はお祝いに私が全部持とう!新婚旅行はどこが良い?
あ、私とまどかもついでに旅行に着いて行こうか!」
「私オーストラリアが良いっ!でも、向こうでは別行動だからね」
「ははは、若い二人の邪魔はせんよ。行きと帰り以外は別行動でな」
「そんな事言って、まどかさんとの邪魔をされたくないんでしょ〜?」
「やはは、亜由美には適わないなぁ」
をい。あんたら。さっきまでの積み木崩しチックな雰囲気はどこに…?
って言うか、あの、その、お話聞いて下さると嬉しいんですが…
「だーかーらー!なんでそうなるんですか!」
「おお、ショウくん済まない、君の意見を聞いてなかったな」
…ほっ。我に返ってくれたか。
「で、ドコが良い?オーストラリアじゃ不満なら、ヨーロッパでもカナダでも…」
…をいっ!!親父っ!!そっちかいっ!!
「あなた、亜由美ちゃん、ちょっと待って。ショウくんと遥ちゃんが戸惑ってるわ。
大体、飛びすぎよ二人とも。もうちょっと落ち着いて」
まどかさんが冷静に突っ込みを入れてくれる。
「あ、ああ。そうだな。ちょっと先走りすぎたか。
まあでも、ショウくん、今の話は飛び過ぎとしても婚約の話は考えてくれたまえ」
「…え〜と、その、あの」
言い淀む俺。
「とりあえず、今はショウくんの怪我の完治が最優先です。
後の話はそれからじっくりしましょう」
まどかさんが俺と遥に目配せをする。
この人、かなりデキそうな女性だな。
「あらぁ?何が有ったの?」
遥のおばさんが眠った沙里を抱いて戻ってきた。
香奈もひょこひょことくっ付いて来てる。
「あ、これは若宮さん、この度は大変ご迷惑をお掛けしまして…」
亜由美の親父さんがおばさんに挨拶する。
「ね、ショウくん!明日何か作ってくるね!何が良い?」
亜由美が俺の腰に手を廻して抱きついてくる。
遥からの視線がメチャ痛てぇよ…
「あ、ああ。じゃあ肉じゃがなんか良いかな?」
適当に答える俺。
「さ、亜由美、今日は帰ろうか。
ショウくん、また来させてもらうよ。さっきの話、考えておいてくれ」
親父さんが俺の肩をポンポンと叩いて病室を出て行き、まどかさんがそれに続く。
「ショウくん、また明日ね!大好きだよ」
亜由美が突然俺の頬にキスをしながら言い、タタタと掛けて出て行った。
立ち尽くす俺の後ろで、真っ赤に燃えている炎の様な存在感が居る…
ギギイッ、っと自分の首から音がしてくるような気さえしながら振り向くと、
可愛い顔を般若の様に歪めた遥が立っていた。
神よ…もし居るのならこの状況をなんとか収拾してくれたまえ…