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さくら色  作者: いせざき とうこ
◆本編-中学編-
2/26

2.おじいちゃん先生

 教室に戻ると、おじいちゃん先生が陣頭指揮をとって事態の収拾に当たっていた。

 廊下のガラスは男子たちが片づけはじめていて、椅子も回収され、おじいちゃん先生自ら、割れた窓ガラスをサッシからはずしているところだった。

 小声で伝言を伝えると、おじいちゃん先生は、ええ、と物わかりよさそうに頷いてくれた。年季が入っているだけあって、問題事には慣れているのだろう。

「沢野さんは、よくやりましたね。上出来です」

 さりげなくそんな言葉をかけてくれた。

「学級委員ですから」

 硬い声でそう返せば、優しく微笑んでくれた。この先生なら大丈夫だ。竹居が心配するようなことにはなるまい。そう思えた。

 それから、掃除用具入れからバケツふたつと雑巾を取り出して、廊下の片づけに加わった。

 男子たちはみんな沈み込んだ様子で、何があったのかと尋ねても、いまいち要領を得なかった。彼ら自身、一名を除けば、何が竹居をキレさせたのかわかっていなかったのだ。

 話を総合すれば。

 最初にグラビアの誰それがいい、という話をしてから、兄弟の話になった、ということ。兄弟の話なんて、知らない者同士が仲良くなる入り口に持ってこいの、オーソドックスな話題だ。その話題選びに間違いはない。

 当然のように竹居にも話はおよび、何人兄弟かと聞けば、三人、と竹居は答えた。上と下。姉と弟がいると。そこで男子たちが姉の方に食いつくのもまぁわかる。姉ちゃんっていくつ上? 竹居の答えは、二つ上。じゃぁこの中学の三年にいるのか、という話になり、そこで竹居は曖昧に言葉を濁した。私立にいってんの? まぁそんなもん。へぇー、どこ? いやー、と竹居の答えはない。竹居が押し黙り、なんとなく雰囲気が悪くなり、佐藤くんが空気を変えようと、「竹居の姉ちゃんだったら顔怖そうだな」とからかい混じりに言ったところ、ああなった、らしい。

 およその話を聞いて首を傾げる。

 竹居がキレるほどのネタでは、決してない。

 顔の怖さなんか竹居自身よくわかっていることだし、竹居が転校してきた小学五年生の時だって、同じようなやりとりがあったはずだ。

 竹居に姉と弟がいるということは、私だって知っていた。

「椅子投げるようなこと、言ってねぇと思うんだけどなぁ。やっぱ俺が悪かったんかなぁ。俺も妹の顔が怖いって言われたらちょっとヤだし。でも、冗談だったんだけどなぁ」

 しゃがんでチリトリを構えながら、佐藤くんが落ち込んだ声で言う。

「どっかで地雷踏んだんだろうな」

 ホウキでチリトリにガラスを押しこみながら、田川くんが冷静に言う。

「いや。あいつ、自分が悪いって言ってたろ。佐藤は悪くねぇって。たぶん、いろいろあるんだろ。謝ってたし、許してやってよ。今日はマジ怖かったけど、普段はほんといいやつだから」

 同じくホウキを持った野口くんが、竹居をフォローした。野口くんは同じ小学校出身だ。五,六年生の時、私も竹居も同じクラスだった。竹居とは仲がいい。

 私は佐藤くんのチリトリからバケツにガラスの破片を受けとる。大きい破片は、手を切らないように雑巾ごしに拾ってバケツに入れる。

「謝られたって、地雷がどこにあるかわかんねぇ以上、意味ねぇだろ。また踏むかもしんないし」

 田川くんがぼそりと呟く。野口くんはしばらく黙った後、意を決したように言った。

「あいつの、姉ちゃんの話。地雷はそれ。俺、地雷だって知ってて。今日も、話が出た時点で止めなきゃと思ったんだけど、止めらんなくて悪かった。とにかく、あいつの姉ちゃんの話は禁止な」

「まさかほんとに顔が怖いとか? やっぱ俺、謝ったほうがいい?」

 佐藤くんがおそるおそる聞く。

「そんなんじゃねぇよ。俺もこれ以上言えないし、勘弁して。とにかく佐藤は悪くないから。むしろフォローできなかった俺が悪かったから。気にすんな」

 野口くんが佐藤くんを安心させるように笑い、ふぅん、と何かわかったように田川くんが呟き、でも俺一応謝る、と佐藤くんが泣きそうに言って、掃除は終わった。

 私は黙って話を聞きながら、とにかく野口くんが竹居の味方で良かったと思っていた。これで竹居が孤立するなんてことになったら目も当てられない。

 ガラスでいっぱいのバケツを両手に持って、職員室に向かう。このままじゃ捨てられないから、新聞紙にくるんでゴミ袋に入れ直さないといけない。

「沢野。いっこ持つ」

 後ろから野口くんが追いついてきて言った。

 私は無言でバケツを片方差し出した。

「沢野さぁ、全部、いろいろ、ありがとな。さすがだな、学級委員」

 私はなんて言えばいいのかわからない。

「うん」

 とりあえず相づちをうつ。

「俺、とっさに動けなくて、情けねー。あいつ、大丈夫そうだった?」

 私だって、狙いを外されてたとはいえ、自分の方に椅子が飛んできたら動けなくなるよ。

 椅子を投げられて、それでも竹居をフォローした野口くんは偉いよ。

 私なんかより、竹居が孤立しないように話をしてくれた野口くんのほうが偉いよ。

 いろいろ言いたくて、だけど、なんにも言えなかった。

 聞かれたことにだけは、なんとか答えようと声を押し出した。

「竹居、貧血だって」

「そっか」

 野口くんが苦笑いみたいな、微妙な表情を浮かべる。

 私は、愛想笑いさえできなかった。

 竹居が椅子を投げて、窓を割って、泣いた。

 なんだかとてつもないことが起こった。それだけでいっぱいいっぱいだった。

 こっちが泣かないだけで精一杯だった。

 青いバケツの中で、歩くたびにガラスが音を立てる。

 このガラスみたいに、竹居の心は、あのとき、砕けた。

 とっさに何かを投げずにはいられないほど、傷ついていたんだ。

 平和に生きてきた私には、竹居のその気持ちが理解できない。

 事情を知っているらしい野口くんに、その事情を聞くのさえ怖い。

 逃げ道をふさぐように、野口くんが言った。

「あいつの地雷さぁ。あいつも、沢野になら言えると思うんだけど。誰かにうち明けられたら、ちょっとは楽になると思うんだけど」

 あの竹居が、あそこまで追いつめられた事情を、私に、言うか?

 女子の中では、確かに仲がいい方だと思う。

 竹居、って呼び捨てにするくらいには。

 だけど。

 バケツいっぱいの傷跡をうち明けられたら、そんなのこっちが平気じゃない。

 ただでさえ、今でさえ、泣きそうなのに。

「私、野口くんほど、竹居と仲いいわけじゃないよ」

 私の言葉に、野口くんが「ああ」と呟いた。

「俺、家があいつの近所だから、親経由でなんとなく事情知ってるだけで、あいつから直接聞いたわけじゃないんだ。あいつは自分からは、誰にも言ってないよ」

 野口くん自身もその事情を言わないと決めているようで、それからは黙ったままだった。

 割れたガラスの半分、持ってくれた野口くんも、たぶん傷ついていた。

 話題を止められなくて、竹居を止められなくて、傷ついていた。

 竹居。いい友達持ってるね。

 野口くんはあんたを責めてないよ。(かば)ってくれたよ。

 竹居に伝えて、ありがとうの一言ぐらい言えと言おう。

 だけどその一方で、野口くんにはなんて言えばいいのかわからなかった。

 野口くんすごいね。偉いね。竹居を庇ってくれてありがとう。

 これを言うのは、上から目線か。決してそんなつもりはないけれど。

 言葉にすれば、野口くんがどう受けとるのか、わからなかった。

「竹居に、野口くんみたいな友達がいてよかったよ」

 どうにかそれだけを言った。

 野口くんは「だろ」と少し笑って同意して、バケツを持ち直した。

 ガラスが一際((ひときわ)大きく、カチャリと音を立てた。



 その日、竹居が教室に戻ってくることはなかった。

 帰りのホームルームで、おじいちゃん先生が微笑みながら言った。

「みなさんもね、ちょっとびっくりしたと思いますが。竹居くんも悪気があってのことではないですから、できれば気にせずにいてあげてくださいね。幸い怪我人もいませんでしたしね」

 いやいや。「ちょっとびっくり」どころじゃないし「気にせずに」は無理だろう。私は内心、盛大につっこんだが、担任がどんと構えているというのはクラスを落ち着かせた。それでも、昼休みを掃除でつぶされて不満に思っていた一部の生徒から、「何だよ」「甘いんじゃねーの」と、ふてくされたような小声のブーイングが起こる。

 ブーイングを受けて、おじいちゃん先生がふと真顔になった。

「竹居くんには、今後こんなことがないよう私からきつく叱っておきました。忘れなさいとは言いませんが、この件はこれ以上蒸し返さないこと。いいですね?」

 反論を許さない厳しさで、ぴしゃりと言った。怒鳴りこそしないものの、その老体から、威圧するような、冷ややかなオーラが出ていた。

 いつも孫に接するように優しいおじいちゃん先生がそんな一面を見せたのは初めてで、クラスのざわめきがぴたりと止んだ。

 今までなめてたけど、この先生を怒らせたら、体育教師の比じゃなく怖い。

 それがクラスの共通認識となって、竹居の件は、表面上はその日のうちに、速やかに収拾された。

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