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さくら色  作者: いせざき とうこ
◆本編-中学編-
1/26

1.竹居がキレた

 竹居たけいは見た目が怖くて口が悪いだけで、性格は温厚だ。

 そんな竹居がキレたところを、一度だけ見たことがある。



 中学一年の四月。

 入学式が終わってすぐのホームルームで、自己紹介と学級委員決めがあった。

 おじいちゃん先生が「誰か学級委員やりませんか」と穏和に声をかけ、誰も手を挙げない数十秒を経て、やりたい人はいなさそうだと確認の上、私は女子の学級委員に立候補した。

「ハイ、やります」

 ほぼ同時に、斜め前で竹居が無言で手を挙げた。

 竹居と一緒なら楽だな、ラッキー。

 当時、竹居はすでに高校生並の体格で、目つきも悪かった。自己紹介の時、竹居が立ち上がると、教室のざわめきが、一瞬、静まった。

竹居賢吾(けんご)です」

 他の人はどこそこの小学校からきました、とか、趣味は読書です、とかひとこと付け足していたけれど、竹居はそれだけ言って座った。

 中学生用の机は竹居には小さくて、竹居は足を前に投げ出し、思い切り背もたれに寄りかかって、不良のように座っていた。

 私は竹居が転校してきた小学五年生のときから竹居を知っていたし、六年生の時は一緒に学級委員をした。だから竹居が全然怖くないとわかっていたし、そういう座り方が座高を低くするため―――つまり後ろの人の視界のじゃまにならないようにするためだと知っていたから、自己紹介の時に隣に立っていたら、「もーちょっと何とか言いなさいよ。バスケ好きだけど泳げませんとかさぁ」くらいのツッコミはしたかもしれない。

 とにかく、多少乱暴につっこめるくらい、ほんとの竹居は怖くないのだ。

 男子の方でも、竹居とちょっと話せばそのくらいはわかるらしく、最初遠巻きに見られていた竹居も、数日たてば、男子の輪の中心にいるくらいのポジションになっていた。

 口は悪いけど、縁側でひなたぼっこしてるおじいちゃん並に温厚で、面倒見がよくて、気配りもできて、頭がいい。

 それが私の竹居に対する評価だったから、いきなり起こった出来事に、私は凍り付いた。



 入学式から一週間くらいたった、昼休みの教室。グラウンド側の窓を背に、私は仲良くなった女の子たちと話しながらお弁当をつついていた。

 食べ始めて五分たったかどうか、ぐらいだろうか。

 廊下側で男子に囲まれて昼食をとっていた竹居が、ひとり、ゆらりと立ち上がった。

 竹居は体が大きくて目立つから、立ち上がったのに気づいた。食べるの早いな、なんてのんきに思いながら、視界に収めていた。

 そしたら、そこから先はまるでスローモーションのようだった。

 竹居は男子の輪から抜け出て、教室の真ん中にあった椅子の背に手をかけた。椅子の脚を両手に持った。振りかぶった。私はあっけにとられて、竹居が椅子を頭上高く持ち上げた異様な姿を見ていた。

 なんかヤバイ。ちょっとあんた。とっさに声をかけようとした。

 けれどその声は間に合わず、竹居は思い切り、椅子を廊下の窓に投げつけた。

 廊下側の窓は開け放しにされていた。竹居に投げられた椅子は、重なった二枚のガラス窓を両方ともぶち破った。ガラスの割れる高い音がして、ガラスの落ちる音がして、それから、廊下の壁に当たった椅子がバウンドする音がした。

 教室はシンと静まりかえった。

 竹居とお弁当を食べていた男子たちが唖然として、それから、ひっと息をのんだ。

 女子が遅れて小さく悲鳴をあげた。けれど、竹居の矛先がこちらに向くのを恐れるように、その悲鳴もすぐに止んだ。

 教室は静かだった。

 竹居は教室の真ん中にひとりで立っていた。

 おそらくはその行動の原因となった男子たちに、それ以上つかみかかるわけでもなく、ただただ、立っていた。

 誰も何も言わなかった。竹居が椅子を投げるまで、男子たちが竹居と何を話していたのか、私には聞こえていなかった。

 ただ。

 あの竹居がキレた。

 おじいちゃんのように温厚な竹居がキレた。

 よほどのことがあったのだと、その考えだけが私の頭にあった。

 ガタン、と椅子の音がした。自分が立ち上がった音だった。

 廊下に向かって歩いた。開けられていた窓から顔を出した。

 廊下には椅子と砕け散ったガラスが転がっていた。怪我人はいなかった。

 両隣のクラスから、なんだなんだと野次馬が集まりかけていた。

 それだけ確認して、掃除用具入れからホウキ数本とチリトリを取り出した。

「ちょっと。野口くんと田川くんと佐藤くん。悪いけど、廊下お願い」

 固まったままの男子に押しつける。

 椅子は男子たちを狙ってはいなかった。

 男子たちから離れた窓、誰も座っていないところに向けて投げられていた。

 だから教室内にも怪我人はいなかった。

「ユミちゃん、先生呼んできてくれる?」

 振り返って、一緒にお弁当を食べていた小学校からの友達に、そう言った。

 教室はまだ凍り付いたままだった。

 私だけが動いていた。

「竹居は」

 自分の声が震えているのがわかった。

 怖いよこんなの。さすがに。

 だけどたぶん竹居は悪くない。

「竹居は―――」

 初めて竹居の顔を真正面から見た。

 竹居は呆然としていた。

 唇に血の気がなくて、顔色がひどく悪かった。

「竹居は、保健室、行こう」

 竹居がゆっくりうつむいて、男子たちを見た。男子たちが後ずさる。

「悪い、俺」

 竹居の声はかすれてた。

 あんたは悪くない。とっさにそう思った。

 竹居の学ランの、肘のあたりを引っ張った。

 竹居は動かずに、男子たちに言った。

「お前ら、悪くねぇから。俺がちょっと―――」

 ちょっと、の後は言葉がなかった。竹居はそれ以上何も言えないようだった。

「廊下、お願いね」

 私が念押しすると、男子たちは、ぎこちなくうなずいた。

 竹居の学ランを強く引っ張った。ふらふらしている竹居を強引に保健室に連れて行った。

 保健の先生は竹居を見るなり「貧血ね」と言い、竹居はすぐさまベッドに寝かされた。

 一体何があったのか。

 竹居本人に聞ける雰囲気ではなかった。あの廊下の惨状も気にかかっていた。果たしてちゃんと片づけてくれているか。二次災害を起こしていないか。

 教室に戻ろうとして、呼び止められた。

「沢野」

 ベッドを振り返れば、竹居は片腕を目の上に載せていた。

「担任に、家に連絡する前に俺に話してくれって伝えてくんねぇか」

 竹居の低い声が震えていた。

「頼む」

 ああ、なにが竹居をこんなにも。

「わかった」

 大きな声ではっきり言ってやった。

「これは私の予想だけど、あんたは悪くない。伝えるから」

 なにが竹居をこんなにも追いつめた。

「今すぐ伝えてくるから」

 だから、大丈夫だから、泣くな。

 泣くな。竹居。

 事情もわからないままこっちが泣きそうで、教室まで走った。

続きます♪

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