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どんどん落ちる

作者: いしや

 この作品は大部分の設定を現実から持ち込んでいますが、限りなくフィクションですのでご安心下さい。


 ピカレスクミステリー【愛せない存在を消す方法】から早5年。紆余曲折を経て作者が思い描くのは、世界の破壊か、世界の構築か。人間の不幸か、人間の幸福か。







 私には才能が無いのかもしれない。

 幼少の頃から、絵にばかり夢中になって、描くたびに上手いね凄いね上手だねと、誉めそやされて来たのに……。

 母の趣味で、贋作でない美しい絵画ばかり見続けて育って来た私は、描く技術よりも見る技術のほうが先に醸成してしまっていた。そのために、自分の描く技術についていつも否定的だった。

 バランスが悪い、アングルが弱い、構成が甘い、めりはりが少ない、陰影が浅い、配色が偏っている……なにより、デッサン力が未熟。あらゆる面で、私の絵は劣っていた。周りの人は褒めてくれるけれど、正直、素人に褒められても嬉しくなかった。

 一時期、自分の画力のなさに絶望して筆を折ったこともある。描けば描くほど筆が滑り、画力がどんどん落ちているように感じたからだ。そうして絵を捨てた私は、誰かに癒されたくて、異性と遊ぶようになった。

 遊び。ほんの遊びのつもりだった。でも、いつの間にか本気になっていた。相手のことを一心に愛してしまっていたのだ。

 というより。

 完全に依存していたのだ。

 恋愛という甘い蜜に、私は完全に酔いしれていたのである。

 相手に甘えて頼って、しがみついて、離れなかった。

 そんな私が煩わしくなったのだろう、ついにその人は「死ね」という言葉を残して私の前から消えた。

 その時の衝撃といったらもう、これ以上は絶対にないというくらいに、私の全存在を否定し、世界が終わった気がした。

 衝動的に、睡眠薬を大量に飲んで自殺を図った。

 死ねなかった。

 昔の薬ならいざしらず、現在主流となっている睡眠薬は、1万錠飲んでようやく死ねるかどうかという、極めて致死性の低いものだった。

 かねてより精神的に弱かった私は、病院でうつや抑うつ、自閉や不安障害などと診断され、やがて今の発達障害という診断に至った。

 発達障害。

 暴力的に言えば、脳の構造や使い方が普通と違っている障害である。発達障害は正常な脳を持つ人達(=定型発達)に較べて少数派だが、その割合は多く、現在は100人に1人だと言われている。また、後天的な病気ではなく、先天的な障害と考えられているようだ。

 説明を聞いてもピンと来なかった。

 何故なら、生まれてからずっとこうなのだから、今更異常だの普通と違うだのと言われても、よく分からないのだ。

 しかしまあ、「家庭環境や本人の努力不足などで起こる病気ではありません」という言葉には、少し救いがあるような気がした。

 生れついての障害。

 最初からどこか壊れていて、壊れていることには気づかずに今まで生きてきたのだ。

 指がないのに箸を持とうともがいていたようなもの。

 日本人がいきなり、外国に放り出されたようなもの。

 だからいつも上手くいかないのか。

 だから私は疎外されるのか。

 納得というより、得心がいった。

 自分は、普通とはズレた生き物なのだと。

 普通のことをするのに、てこずるのだと。

 仕方ないことなのだと。

 いまはそう思えるようになっていた。

 1年ほど前から、デイケアという施設に火曜に通うようになった。午前中の絵を描く時間だけ参加していた。

 そこで久しぶりに、私は筆を取ったのだ。

 ブランクは酷かった。

 世間一般からは「上手い」と言われるレベルではあったものの、決して「素晴らしい」とは言えない、中途半端な出来映え。なにより私の肥えた審美眼には、それはラクガキと呼ぶにも値しない、ひどい駄作に映った。

 それでも、その人は「うまいね」と言った。

 その人は、絵が上手な異性だった。

「全然ですよ……」

 私がそう言うと、その人は反論した。

「そんなことないよ。立体感がちゃんと出てるじゃない」

 そう言われて、もう一度自分の絵を見た。

 確かに、立体感は出ている。

「………………」驚いた。

 私は、自分の絵の悪い部分にしか目が行っていなかったのである。よい部分を一切見ようとせずに、駄目なところばかり見て失望していた。私には、自分の絵の長所が見えていなかったのだ。そのことに、ようやく私は気づいた。

 この人は一体何者なのだろう……?

 すごく不思議になった。興味を惹かれた。

 それからというもの。

 私は毎回、その人に自分の絵を評価してもらうようになった。そしていつも的確に、どこが良かったのかを指摘してくれた。おかげで私は少しずつ、自信を持ち始めた。

 勿論、その人の作品も見るのだが、いつも素晴らしい出来で、ほとんど完璧、ケチのつけようがなかった。

 ある日。

「今日の絵もまた完璧ですね、素晴らしいです」

 私はその人の作品について、いつものようにそう評した。しかし、いつもならありがとうと微笑むのに、この時ばかりは違っていた。

 険しい顔でその人は言う。

「……本当はね、完璧なんてつまらないものなんだよ。だって欠点がない代わりに、際だった長所もないでしょう? 芸術というのはね、個性がないといけないんだよ。独創性があって初めて評価される。私の絵にはけなすところが無いのかもしれない。完璧なのかもしれない。だけど、完璧すぎて個性がないんだ。味がないとも言うね。私にはね、オリジナリティというのが解らないんだよ。どうしたら、個性的な作品が出来るんだろうね……」

「………………」

「フッ。私はね、いつも一点だけ特化した君の絵が好きだし、羨ましいんだ」

 私は何も言えなかった。

 完璧すぎるのは、よくない……?

 どうしてだろう?

 私はむしろ、完璧な絵が描きたいのに……。

 他人には優しいのに自分には厳しい人なのだなあ……と、私は思った。


 月日が少し流れた。

 相変わらず、私は完璧な絵が描けずにいた。

 だけれど、あの人が褒めてくれるおかげで描く技術は全体的に向上したし、自分の個性が解って来て、作品に独創性が増した気がした。

 充実していた。

 少し、ほんの少しずつだけれど、私は絵が上手くなっていると、実感を伴ってそう思えるようになっていた。

「この絵は凄くいいよ。素晴らしい。君は影の付け方が上手かったから、あとは強弱やめりはり、色彩の問題だといつも言っていたけれど、今回はバッチリ決まっているね」

 それは、より強い立体感を出すためのアドバイスだった。それを自分なりに理解して挑戦を続けた甲斐があった。

「ありがとうございます!」

 私は嬉しくて飛び上がりそうになった。

「これは是非、作品展に出品するべきだよ。障害者向けじゃなくて一般のほう。私が手配するから。いいかな?」

「もちろん! お願いします」

 会心の作、というより、会心の出来。長い長い努力の末に、ようやくつかんだ成功。私はそれが描けただけで、凄く満足だった。賞には興味がないけれど、この人が作品展に出したいというなら私には異存がなかった。そもそも、これが描けたのはこの人の的確な指導の賜物なのだから。私は感謝してもし尽くせないという感情を、初めて味わった。


 それからも私は一生懸命に絵を描いた。デイケアでの作業に飽き足らず、家に帰ってからもひたすらに筆を走らせた。

 あの会心の作には及ばないながらも、別の角度、別の視点からアプローチを重ね、自分の長所を更に伸ばすにはどう筆を運べばいいのか、試行錯誤した。もちろん、長所だけでなく絵全体のレベルも上げようと努力した。会心の出来とは言っても、まだまだアラが目立っていたのである。特に、デッサン力を底上げするために物体をひたすらに写生した。おかげで完璧とはいかないまでも、被写体をしっかりと描き表せるようになっていった。

 しかし。

 どうも最近のあの人は元気がなかった。私の絵のレベルは着実に上がっているはずなのに、口数が少なく、表情も曇りがちになった。私の絵を、まるで遠くの景色を見るように眺めるようになっていった。

 そして。

「どんどん下手になってくね……」

 ?

 一瞬、我が耳を疑った。

 だが確かに聞こえた。

 いつも褒めてくれるこの人が、初めて「下手」なんて言ったのだ。

 信じられない。

 どんどん下手になっていく?!

 そんな……

 やっと……やっと、自信が持てたのに……

 頑張ったのに……上手くなっていると信じていたのに……

 だって、口数が少なくなったとはいえ、いつも褒めてくれていたじゃないか……

「頑張ってるね」「また上達したじゃない」「君はまだまだ伸びるね」

 全部……ぜんぶ嘘だったのか……?

 私は、私は、私は…………

 肩を落として、私は帰った。

 気を落として、私は死んだ。

 高いビルから身を投げて、自分を落とした。

 どこまでも落とした。

 どんどん落ちる。

 どんどん落ちた。



   ◇◆◇◆


 作品展で君の絵が大賞を受賞したよ。なのに、なんで死んでしまったんだい……? 私はね、君を羨ましく思っていたんだよ。だって君はまだ成長途中にいたから。自分の持ち味を活かして、これから羽ばたいていくはずだったんだよ。私には持ち味なんてないから、仕事なんてなかったけれど、君なら絵でメシを食えるようになっていたかもしれない。私は沢山の絵を見て来たけれど、君の作品は本当に好い出来だったんだ。凄く、魂や情熱もこもっていたしね。出会った頃は凄く弱々しかった君の絵が、段々と活力を取り戻していく様は圧巻だったよ。すべての絵を並べて、1枚ずつ見ていけばストーリィのように君の成長を垣間見れたはずだ。そこには感動が眠っていただろう。ぜひ画廊で個展を開いて欲しかった。私は君の絵のファンだったんだよ。君の絵には生きること、生きていること、生きていくことが徐々に、如実に現れ始めていたんだ。なのに……なのに、どうして……? 君の絵は人生は楽しいと言っているのに、どうして君は死んでしまったの……? 死ぬべきは私だったのに。私はとうに自分の限界に達していた。伸びしろがなかった。絵は完璧に描けた。でも、それだけ

だった。完璧な絵には思念が宿らない。下手な写真のように、ただ事実を告げるだけだったんだよ。私には心が欠けているのかもしれないね。心が映らないんだ。それでも、完璧というのは悪くなかったんだと最近気づいたよ。ついに私の技術も衰えてしまったようでね。最近は全体的に絵が良くなかったんだ。上手く描けなくなってたんだよ。どんどん下手になってくね……。私はそう、いつも絵に問い掛けたんだ。どうしてなの? ってね。解らなかった。だから、私はもう死のうかなと思い始めていたんだ。でも、私ではなく君が、有望なはずの君が、亡くなってしまった。まだ私には君を指導する役目があるはずだったのにね。これからも一緒にいて、ずっとずっと君と同じ道を歩みたかったのにね。……どうやら、私は君に置いて行かれたみたいだね。どうせなら、一緒に連れてってくれれば良かったのに……。……これは、失恋なのかな。失恋……なのかなあ? ねえ、君は、どうして、私を置いて逝っちゃったんだ……? 私には生きろと言うのかい? この、君のいない世界で。君の帰らぬこの場所で。たった独りきりで。………………。そっちに逝っちゃ、ダメですか?


 私は、君の生きた証を胸に抱き、泣き崩れた。泣き崩れつづけた。

 涙は落ちる。

 どんどん落ちる。

 ぽたぽたと。

 溢れては落ちていく。

 止まらない。

 止めなくていい。

 このまま干からびて死んじゃえばいいんだ。

 私には、もう…………

 ……ねえ。

 君は、私のこと、どう想っていたの?

 どうしても、知りたいよ。

 どうしたら、教えてくれる?

 どうしよう。

 私、やっぱり君のこと、

 大好きだったんだ。

 虚しい……

 もういない君を想うことが、どんなに無意味か解っているのに……

 どんなに想っても、君はもう帰って来ないのに……

 それでも。

 私はこの、落ちた涙のぶんだけ、君を想うよ?

 だからね、いっぱい泣くね?

 いっぱい泣いて、泣いて、泣いて。

 泣き止んだら…………

 君の代わりに残ったこの子たちを。

 ちゃんと陽の当たる場所に、連れていくからね?

 君の生きた証を胸に抱いて、私はまた、涙腺を緩めた。

 まるでそれが。

 君への手向けとなる、と信じて。

 涙は落ちていく。

 とめどなく落ちていく。

 君が落ちてしまわぬように。

 君が地獄へ堕ちないように。

 君の代わりに、沢山落とすよ。

 君はちゃんと、昇ってね?








__________

   あとがき


 まず、ここまでお読みいただきまして、誠にありがとうございます。

 貴方はこの話をどう捉えたでしょうか。お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、この作品の登場人物は性別が明らかにされていません。ただ二人が異性であるとしか書かれていないのです。

 そこで質問です。貴方はどちらを男、どちらを女だと判断しましたか?

(「前半が○、後半が○」のようにお答え下さい)

 ちなみに正解はありません。

 あえて正解を求めるとしたら、それは「貴方の読み取った性別が正解」なのです。


 内容について。

 これは単なる勘違いの問題です。

 ある独り言が、時には人を殺してしまう。

 ブログがブームを通り越して、文化の一部となっている昨今。

 ちょっとした一言が思わぬ事態を招くことって、よくあるんじゃないでしょうか。

 それを悲劇として書いたのが、この作品です。

 このような悲劇を産まないように、言葉には注意したいものですね。

 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

 よろしかったら、上記の質問にお答え下さいね。今後の参考にさせていただきます。


   2010年10月7日 いしや


 小説とは世界の構築です。だからこの作品も世界を構築しますが、いつものようにボクは破壊しました。一旦壊して再構築です。

 思えば初期作品である【愛せない存在を消す方法】シリーズから、その方法論はアイモカワラズ健在なようです。

 ミステリーの方法論の基本系とも言える、どんでん返しを取り入れたシンプルな造りは、人間のもっとも根源的な興味をそそるのではないかと本気で考えたりします。

 これからもこういうやり方は続けていくでしょう。

 この形式が好きな方は、名だたるミステリの名作か、西尾維新か、それか乙一先生あたりを読むといいでしょう。

 それでは皆様、最後までお読み下さり、誠にありがとうございました。

 あと数ヶ月でインターネット開通する予定なので、パソコンで執筆したもっと長い作品を投稿できたらなぁと思っています。

 あくまでも予定ですけれど。



 2010年11月4日

          いしや

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― 新着の感想 ―
[一言] おもしろかったですよ。 前半が女性、後半が男性のように感じました。 私にとってはですけど ねぇ、無銘さん・・・?
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