表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

第9話:夏の始まりとプール開き

じりじりと肌を焼くような陽気の土曜日の昼下がり、僕は書斎でクライアントの図面と格闘していた。


ピンポーン。


気だるい静寂を破り、チャイムが鳴る。


「ん?」


ドアを開けると——熱気と共に、賑やかな二人が飛び込んできた。


「にいちゃん! 遊びに来たで!」


ユイちゃんとケンちゃんだ。


「今日、学校休みやねん!」


「ああ、そう……」


僕が状況を飲み込む前に、二人は慣れた手つきで靴を脱ぎ捨て、リビングへ突撃していく。


リビングにつくと二人は窓の外をみていた。


「にいちゃん、この家プール出さへんの?」


窓の外、陽炎が立つ庭を見ながらユイちゃんが言う。


「プール?」


「こんな暑い日はプールやで! 」


「いや、プールなんて……ビニールプールなら買いに行かないと」


「ないんやったら、出そ!」


この家ならできるやろ? と言わんばかりの顔だ。やったことはないが、そんなことまでできるのか?


二人は庭に出ると、太陽の下で並んで立った。


「せーの!」


パン! パン! パン! 柏手が庭に響く。


「「プールよ出てこい!」」


その瞬間だった。

ズズズズズ…… 地面の底から、重低音が響いてきた。

地震ではなく、庭の土がまるで熱で溶けたチョコレートのように波打ち始めたのだ。


「嘘だろ……」


長方形に——いや、子供が粘土で作ったような歪な形に、地面が沈降していく。

手前は浅く奥は深く、完璧なスロープが形成されたかと思うと、 ボコォッ! 底面から凄まじい勢いで水が噴き出した。

カルキ臭さなど微塵もない、地下深くから汲み上げられたようなきれいな水だ。


「ええ……」


あっという間に、庭が巨大な水溜まり——いや、手作り感あふれる25メートルプールへと変貌した。

手前は浅く50センチ、奥に行くにつれて深くなり、一番深いところで1.5メートルほどだった。


「できた! プールや!」


二人はすでに水着姿だった。早着替えにも程がある。


「抜かりなしやで?」


「……お前ら、最初からそのつもりだったな」


バシャーン!


二人が水飛沫を上げて飛び込む。

涼しげな音が、暑さを一瞬だけ忘れさせた。


その時、


「柊さーん!」



裏庭の家庭菜園から、麦わら帽子姿の美咲が顔を出す。


「野菜の様子見に……え??? プール…?????」


美咲の手から、収穫したばかりのキュウリが落ちた。


「ああ、まあ……いつものやつで」


「『いつもの』で片付けないでください! とんでもないことになってますよ!?」


「ねえちゃん、一緒に入ろうや!」


プールからユイちゃんが手招きする。


「え、でも私、水着なんて持ってないし……」


「あ、水着なら小屋にあるよ」

僕は口を滑らせた。

美咲が、ピタリと固まる。


「……は?」


「いや、昨日整理した時に偶然見つけて。前の住人の忘れ物だと思うんだけ…ど」


「……柊さん」


美咲の声が、冷たくなった。


「気持ち悪…」


「ち、違う! 誤解だ! 本当に偶然なんだって!」


「引かないで! お願いだから通報しないで!」


数分後。


「……ありました」


美咲は物置から戻ってきた。手にはレトロな花柄のワンピース水着を持っている。


「ほら、言っただろ?」


「でも……なんでサイズまでピッタリなんですか……やっぱり気持ち悪い……」


美咲は水着を握りしめ、汗ばんだ額を拭った。

この殺人的な暑さで、背に腹は代えられないという葛藤が顔に出ている。


「……今回だけですからね。暑くて死にそうなので!」


捨て台詞を残し、彼女は着替えに向かった。

 

—————————————————————————

それから、しばらくみんなで遊んだ。

物置から見つけた浮き輪やビーチボールで、久しぶりに無邪気に遊ぶ。


「にいちゃん!」


ユイちゃんが目を輝かせた。


「もっと色々作ろ!ウォータースライダーとか!」


「ちょっと待って——」


また手拍子が響く。


「「ウォータースライダー!」」


ゴゴゴゴゴ!

プールの端が盛り上がり始めた。螺旋状に、どんどん高くなっていく。

3メートル、4メートル、5メートル——

白いスライダーが完成した。


「まだまだいくで!流れるプールに、ジャグジーや!」


再び手拍子。

プールの周りに円形のコースが出現し、隅には泡が湧き出る場所ができた。


「おまけにこれもどうや!」


さらに手拍子。

プールサイドに、カラフルなパラソルとデッキチェアが並んだ。

庭は、もはや完全なプール施設になっていた。


「……なんだこれ」


美咲も呆然としている。

その時。


「ひゃっほー!」


ウォータースライダーを滑り降りてくる、ピンクとグリーンのレオタード姿の女性。

田中フミコだ。

バシャーン!

フミコさんはプールに飛び込んだ。


「あら!最高だわ、これ!」


「なんで勝手に入ってるんですか……」


というかレオタードのままプールに入るのはどうなのか…


「合鍵持ってるもの!」


そして、プールサイドには——

全身が透明なガラスのような質感の、筋肉隆々とした男性が立っている。赤い水泳帽をかぶり、黒い海パンを履いて、まるで監視員のように腕を組んでいる。


「……クリスタルマッチョ」


「……お前、泳げないだろ」


僕は思わずツッコんだ。

そして、デッキチェアには——


「ゆきのさん?」


パラソルの下、日陰のデッキチェアに彼女はいた。


膝を抱えて、楽しげな水面をじっと見つめている。


その瞳には、ほんの少しの寂しさが滲んでいた。


「あ……見つかっちゃいました」


「入らないんですか?」


「ええ……幽霊なので。水はすり抜けちゃうんです」


ゆきのさんは自身の透けた掌を見つめて、力なく笑った。


「冷たさも、水の重さも、もう感じられないので」


「そうですか……」


かける言葉を探していると、ゆきのさんがふと顔を上げた。


「あ、でも……」


彼女の視線の先、流れるプールにビーチボールが一つ、ぷかぷかと浮いている。 ゆきのさんは恐る恐る、そのボールに手を伸ばした。

指先が触れる——すり抜けない。


「……!」


彼女はそっと体重を預けた。ボールは沈み、浮力となって彼女を支える。

ゆきのさんはビーチボールにつかまって、ゆっくりと水流に身を任せた。


「……楽しい」


水には触れなくても、「浮く」ことはできる。

その顔に浮かんだ穏やかな微笑みは、夏の陽射しよりも眩しく見えた。


「子供たちには、姿見えないようにしてるんです。驚かせたくないので……」


「そうなんですか」


「はい……大人の人にだけ、見えるようにしてます」


それから、さらに30分ほど遊んだ。

フミコさんは流れるプールとスライダーを行ったり来たり。


「ケンちゃん、スライダーもうちょい長くせえへん?」


ケンちゃんは頷いた。


「ちょっと待って——」


その時、フミコさんがスライダーの上に登っていった。


「もう一回滑るわー!」


「あ、ちょっと待って!」


僕が止める前に——

パパン、パパン、パパン!


「「スライダー、もっと長く!」」


ゴゴゴゴゴ!

ウォータースライダーが、ぐんぐん伸び始めた。


「あらやだ!!」


滑り始めたフミコさんの叫びが聞こえた。

スライダーは庭を超えて、どんどん伸びていく。

隣の家の方へ——

思わず叫んだ。


「止まれ!」


でも、止まらない。

スライダーの先端が、隣の家の庭のちょうど上あたりまで達した。

そして——


「あい きゃん ふらーい!」


フミコさんが、スライダーから——

隣の庭に、すっ飛んでいった。

バシャーン!


「あ……」


「……やっちゃった」


ユイちゃんとケンちゃんは、同時に顔を見合わせた。


数分後。


「すみませーん!」


怒号に近い声が響いた。

振り返ると、隣の家の方から二人が歩いてきた

一人は若い男性——20代前半くらいの青年。

そして、もう一人は——


「フミコさん……」


二人とも、全身びしょ濡れ。


「あんたが新しく引っ越してきた人か!」


「あ、はい、その……」


青年は怒った顔で近づいてくる。


「そっちの水が——いや、その前に!」


青年は、プール施設全体を見て固まった。


「……これ、何……?」


庭の巨大プール施設。ウォータースライダー。プールサイドに鎮座するクリスタルマッチョ。デッキチェアに座る半透明のゆきのさん。


「あー……現代アート、みたいな?」


「……とにかく!そっちの水がこっちに飛び散ってきてるんだけど!?しかも、このおばさんが空から降ってきたんだけど!?」


「おばさんじゃないわ!フミコよ!」


フミコさんが抗議した。


「す、すみません……」


僕は慌ててプールから上がり、深々と頭を下げた。


「……とにかく! なんとかしてくださいよ!」


青年は困惑した顔のまま、何度も振り返りながら自分の家に戻っていった。


これは、前途多難だな……。


彼を見送った後、僕はプールに戻った。


「ごめんな、にいちゃん…やりすぎた…」


「いや、まあ…しかたないよ…プール、元に戻せる?」


「できるで」


僕はプール施設全体に祈るように向かって言った。


「元のサイズに戻して。最初の25メートルプールだけでいい」


ゴゴゴゴゴ……


家が主人の情けない命令を聞き入れたのか、プール施設がシュシュシュと縮み始める。

ウォータースライダーが消え、流れるプールが縮小していく。

元の25メートルプールだけが残った。


「よかった……」


「あら、残念。そろそろ帰る時間だわ」


フミコさんは時計を見ながら言う。


「楽しかったわ!昔に戻ったみたいで!」


この人は昔何してたんだ…


「じゃあ、私帰るわね!また来るわよ!」


「来ないでください……」


「来るわよ!」


フミコさんは手を振って、びしょ濡れのまま帰っていった。


「ほな、ウチらもそろそろ帰るわ!」


フミコさんが帰ってしばらくして、ユイちゃんが立ち上がった。


「今日は楽しかったわ!またな、にいちゃん!」


「ああ、気をつけて帰れよ」


二人は元気に手を振って、帰って行った。


「私も、そろそろ帰りますね」


美咲が立ち上がった。


「野菜、最後に見てきます」


美咲は裏庭に向かい、畑の野菜を確認している。


「トマトちゃんたち、大丈夫そうですね……」


それから、こちらに戻ってきた。


「じゃあ、失礼します。今日は……まあ、楽しかったです」

「本当?」


「はい。最初はびっくりしましたけど」


美咲は少し笑った。


みんなが帰路につき、静かになった庭。

ゆきのさんが、まだプールサイドに座っている。


「ゆきのさんも、楽しめましたか?」


「はい……ビーチボールにつかまって、流れるプール、楽しかったです」


ゆきのさんは微笑んだ。


「水には入れないけど……こんな風に楽しめるなんて、思ってもいませんでした」


ゆきのさんは立ち上がった。


「ありがとうございました」


「こちらこそ」


ゆきのさんは、ふわりと消えていった。

クリスタルマッチョも、いつの間にか消えていた。

プールサイドには、プロテインだけが残されている。

銘柄は『マッスル・ゴッド』。


「あいつも満足したのかな」


マッチョの忘れ物を拾い上げ、僕は苦笑した。


皆が帰り、静寂が戻った庭。


夕焼けが庭をオレンジ色に染める。 さっきまでの喧騒が嘘のようだ。でも、濡れた土の匂いだけが、確かにあの大騒ぎがあったことを証明していた。


「……楽しかったな」


小さくつぶやいて、僕は家の中に戻った。


* * *


夜。 心地よい疲労感に包まれてベッドに入る。


窓から見える星空は、いつもより少しだけ近く感じた。


その時—— もし僕が窓の外を見ていたら、気づいただろうか。


物置小屋の隙間から、淡い青白い光が漏れ出ていることに。 まるで、今日の騒ぎに呼応して「何か」が目覚めたかのように。


だが、深い眠りに落ちた僕は、それに気づく由もなかった。

(第9話終わり)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ