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第7話:不思議な同居人

月曜日の朝。


僕は地下の温泉から上がり、リビングでコーヒーを淹れていた。


「はぁ……」


窓の外、庭を眺める。


昨日の子供たちのこと、そして——


「黒いもや……」


あの、生垣の向こうにいた影。


子供たちは「近づくな」と言った。


「ちょっと不気味だったな……」


むしろ、最後に会釈したような気がした。


「まあ気にしてもしょうがないか」


そう決めて、もう一度庭を見る。


生垣の向こう。


「……いない」


黒いもやは、消えていた。


「いつもいるわけじゃないのか……」


少しホッとしたような、拍子抜けしたような。


「まあ、いいか」


コーヒーカップを持ち上げる。


その時——


ピンポーン。


「ん?」


玄関のチャイムが鳴った。


こんな朝早くに?宅配便かな。


カップをテーブルに置き、玄関に向かう。


ドアを開ける。


「はい——」


そこに立っていたのは——


女性だった。


20代後半くらい?黒髪のロングヘア。


でも——


「……あ」


体が、半透明で向こう側の景色が、うっすらと透けて見える。


「あの、すみません……」


女性は申し訳なさそうに、でもどこか遠慮がちに頭を下げた。


「初めまして。昔、ここに住んでいた者なんですが……」


「え、あ、はい……」


「今日は、ご挨拶に伺いました」


女性は小さく微笑んだ。


「あの……もしかして」


「はい」


女性は静かに答えた。


「幽霊です」


「……やっぱり」


僕は額に手を当てた。


「マジか……」


「あの、お忙しいところ本当に申し訳ないんですが……少しお時間、よろしいでしょうか?お願いします、お願いします」


女性は両手を合わせた。


「……まあ、入ってください」


僕はため息をついて、ドアを開けた。


「ありがとうございます!」


リビングに、幽霊が座っている。


シュールな光景だ。


「はぁ……」


コーヒーを一口飲む。


「改めまして、初めまして」


女性は丁寧に頭を下げた。


「藤村雪乃と申します。ゆきのって呼んでください」


「……ゆきのさん」


「はい。ここに、80年ほど前まで住んでおりました」


ゆきのさんは、どこか儚げな雰囲気を漂わせている。


「で、今日伺ったのは——」


ゆきのさんは少しモジモジした。


「新しい方が入居されたと聞きまして、ご挨拶に、と……それと、もう一つ」


「もう一つ?」


「この辺で、ただよう許可を頂きたくて……」


ゆきのさんは真剣な顔になった。


「あの、わたし成仏できなくて……ずっとこの辺りにいるんです。でも、新しい方が入られたので、ちゃんと許可を取らないと、と思いまして」


「……あの」


僕は困った顔をした。


「いや、ですけど……」


「ええ!?」


「幽霊がいるって、ちょっと……不気味だし」


ゆきのさんは目を見開いた。


「ちょっと、ちょっと待ってください!」


「いや、待ってくださいと言われても——」


「他に行くところないんですよ、私!」


ゆきのさんは立ち上がった。声が少し震えている。


「ここ以外、行けないんです!この家の周辺しか!もう、どこにも!」


「それは……そうかもしれませんが」


「かわいそうだと思いませんか!?私、死んでから80年もずっとここにいるんですよ!?成仏できなくて、一人で、寂しくて——」


ゆきのさんの目に、涙が浮かんでいる。


「それなのに、新しい人が来たら『出てけ』って言われて——そんなの、ひどすぎます!あんまりです!」


「いや、ひどいとかじゃなくて——」


「私、何も悪いことしてないのに!ただここにいるだけなのに!」


ゆきのさんは涙を流し始めた。


「お願いします!お願いします!追い出さないでください!邪魔しません!本当に!存在感消します!空気みたいになります!だから、だから——」


「……はぁ」


僕は深く息を吐いた。


これは、面倒くさいタイプだ。


「ほんとに邪魔しませんか?」


「ほんとにしません!お願いします!」


ゆきのさんは瞳をうるうるさせながら、こちらを見つめてくる。


「はぁ……わかりましたよ」


「本当ですか!?」


ゆきのさんは涙を拭いて、顔を輝かせた。


「ありがとうございます!本当にありがとうございます!あなた、いい人ですね!すごくいい人!」


「でも、条件があります」


「何でも言ってください!何でも!」


「勝手に物を動かしたり、変な音を立てたりしないでください」


「はい!はい!」


「それと、俺が寝てる時に枕元に立つとか、そういうのもなしで」


「承知しました!絶対しません!約束します!」


ゆきのさんは何度も頷いた。


「本当に、ありがとうございます……よかった……追い出されるかと思いました……」


ゆきのさんは、また涙ぐんでいる。


「……大丈夫ですか」


「はい、大丈夫です。ありがとうございます。」


鼻をかむようなそぶりをしているが、それ俺の服なんですけど…


(ポルターガイストってやつか…?)


それから、僕はゆきのさんに色々と聞いてみた。


「ゆきのさん、昨日庭にいましたよね?黒いもやみたいな」


「あ……見られてましたか」


ゆきのさんは少し恥ずかしそうに頷いた。


「あれ、私です。幽霊の状態だと、時々ああいう風に見えるらしくて」


「やっぱりか……」


「子供たちが『近づくな』って言ってましたけど」


「あ、ユイちゃんたちですね」


ゆきのさんは少し寂しそうに笑った。


「前の持ち主の方が、子供たちに『近づくな』って言ってたみたいで」


「どうしてですか?」


「あの……私、妄想するのが好きで」


ゆきのさんは恥ずかしそうに言った。


「自分の世界に入り過ぎちゃうと、周りが見えなくなるんです…その間周りの物を浮かせちゃうみたいでして…

あぶないから…おじいさんが、子供たちは近づかないように、って配慮してくださってたみたいで」


「妄想……」


「はい。なんせ暇なんで。色々考えるの、好きなんです。昔のこととか、もしこうだったらとか……」


ゆきのさんは遠くを見つめた。


「一人で妄想してる時が、一番落ち着くんです」


「……そうなんですか」


80年も漂ってるとそういう事もあるんだな。少し気の毒だな。


「それで、どうして成仏できないんですか?」


「それが……」


ゆきのさんは首を傾げた。


「覚えてないんです」


「覚えてない?」


「はい。死んだ理由も、成仏できない理由も、全部忘れちゃって」


「全部……?」


「ええ。気がついたら幽霊になってて、ここにいました」


ゆきのさんは困ったように笑った。


「記憶が、所々抜けてるんですよ」


「抜けてる……」


「はい。生きてた頃のことも、ほとんど覚えてなくて」


「じゃあ、この家のことも?」


「それが——」


ゆきのさんは少し考えた。


「この家のこと、何か大事なことがあったような気がするんですが……思い出せないんです」


「大事なこと?」


「ええ。何か、この家には秘密があって——でも、何だったか……」


ゆきのさんは頭を抱えた。


「すみません、役に立てなくて……ダメですよね、私……」


「いや、そんなことは——」


「いつもこうなんです。肝心なことを忘れちゃって……」


ゆきのさんは落ち込み始めた。


それに呼応したように、周囲の物が浮き始めた。


「ゆきのさん!ゆきのさん!浮いてます!」


僕は慌てて言った。


「ああ!ごめんなさい!」


彼女が正気に戻ると、元に戻った。


「思い出せないならゆっくりで大丈夫です、きっとそのうち思い出せますよ」


ほっと胸をなでおろしながら、彼女を落ち着かせるように言う


「……そうですかね」


「ええ。もし何か思い出したら、また教えてください」


「はい!」


ゆきのさんは少し元気になった。


「これから、よろしくお願いします。あの、私、邪魔にならないようにしますから。本当に」


「こちらこそ……」


僕は立ち上がった。


「じゃあ、俺は仕事があるので」


「あ、はい!お邪魔しました!」


ゆきのさんも立ち上がった。


「あの、私はどこにいればいいですか?」


「え?」


「あの、居場所というか……どこにいたら邪魔じゃないですか?リビングはダメですか?それとも庭?どこがいいですか?」


「……好きなところにいてください」


「好きなところ……でも、嫌じゃないですか?」


「邪魔にならなければ、どこでも」


「本当ですか?じゃあ、庭にいますね。庭なら邪魔じゃないですよね?大丈夫ですよね?」


「ええ、大丈夫です」


「よかった……ありがとうございます」


ゆきのさんは嬉しそうに玄関に向かった。


ドアを開ける——かと思ったら、そのまま壁をすり抜けていった。


「……幽霊だった」


当たり前だけど、改めて見ると不思議だ。


そして——


僕は小さくため息をついた。


「疲れた……」


ソファにドサッと座る。


「またいろいろありそうだな……」


ーーーーーーーーーーーーーーー

その日の夕方。


僕は書斎で仕事をしながら、ふと今後のことについて考えていた。


ゆきのさんのことは——まあ、慣れるしかない。


幽霊がいる家。不思議な扉がある家。温泉がある家。


「ほんとに普通の家じゃないな、ここ」


でも、まあ嫌いじゃない。


その時、窓の外にゆきのさんの姿が見えた。


庭をぼんやりと歩いている。


「何してるんだろう……」


見ていると、ゆきのさんが物置小屋の前で立ち止まった。


じっと、扉を見つめている。


「……ん?」


ゆきのさんは、物置小屋の扉に手を伸ばした。


でも、触れられない。手が、すり抜けてしまう。


何度か試してから、ゆきのさんは諦めたように手を下ろした。


そして——


こっちを向いた。


僕と、目が合った。


ゆきのさんは、慌てて手を振った。


僕も、小さく手を振り返す。


ゆきのさんは玄関に向かってきた。


ピンポーン。


通り抜けずに玄関からくるんだ。


「……律儀だな」


僕は席を立ち、玄関に向かった。


ドアを開ける。


「あの、すみません!お仕事中なのに!」


ゆきのさんは申し訳なさそうにしている。


「一つ、思い出したことがあって!」


「思い出した?」


「はい!あの、物置小屋!」


ゆきのさんは物置小屋を指差した。


「あそこに、何か入ってたような……」


「何か?」


「はい。大事なもの、だったと思うんですが……」


ゆきのさんは首を傾げた。


「何だったか、思い出せないんです。でも、絶対に何かあったはずで——あの、もしよかったら、中を見てみてもらえませんか?お願いしてもいいですか?ダメですか?」


「……明日、見てみます」


「本当ですか!?」


「ええ。今日はもう暗いので」


「ありがとうございます!お手数おかけしてすみません!」


ゆきのさんは何度も頭を下げた。


「明日、楽しみにしてます!あ、でも、プレッシャーじゃないですよ!無理しなくていいです!でも、できれば……」


「分かりました」


僕は少し疲れた声で言った。


「明日、見てみますから」


「ありがとうございます!」


ゆきのさんは嬉しそうに笑った。


「じゃあ、お仕事頑張ってください!」


壁をすり抜けて、去っていった。


「……行っちゃった」


僕は書斎に戻って、仕事を再開した。


その夜。


僕は窓から物置小屋を見つめていた。


「何が入ってるんだろう……」


この家には、まだ知らない秘密がある。


物置小屋も、その一つかもしれない。


「明日、開けてみよう」


小さくつぶやいて、僕はカーテンを閉めた。


そして——


「何か掘り出し物でもでてくるかもな」


そう思いながら、ベッドに倒れ込む。


遠足前夜の少年のように、僕は期待に胸を躍らせながら瞳を閉じた。


(第七話終わり)



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