第5話:エアロビおばさんと、家の秘密
朝、階段を下りてリビングに入った瞬間——
「——は?」
僕は固まった。
リビングで、誰かが踊っている。
60代くらいのふくよかな女性——だが、動きは20代のように軽快だ。
ピンクとグリーンの派手なレオタード。
頭には蛍光色のヘアバンド。
サングラスをかけて、大きなイヤリングが揺れている。
そして——エアロビをしている。
「ワン、ツー、スリー、フォー!」
女性は元気に体を動かしている。
腰を左右に振り、腕を上げて、ステップを踏む。
「何だ……これ……」
僕の理解が、追いつかない。
泥棒?
いや、泥棒がエアロビはしない。
じゃあ、幽霊?
でも、こんなファンキーな幽霊がいるのか。
「えーっと……」
どうすればいい?
警察を呼ぶべきか。
それとも、声をかけるべきか。
「とりあえず……どうしよう……」
僕は小声で呟いた。
「あら、おはよう!」
女性が振り返った。
サングラス越しに、僕を見ている。
「お、おはようございます……」
「起きるの早いわね!健康的でいいわ!」
女性は笑顔で言った。
「あの……どちら様ですか……?」
「あら、挨拶がまだだったわね」
女性はエアロビを止め、サングラスを外した。
「私、この家の元持ち主の田中フミコよ!よろしくね!」
「元持ち主……?」
「そうよ!この家、元々私のものだったの」
「え……」
僕は混乱した。
「でも、俺、この家買ったんですけど……」
「ああ、そうね。売却したわ」
「じゃあ、何で勝手に入ってるんですか……」
「鍵、持ってるから!」
「なんで持ってるんですか!」
「返すの忘れてたのよ!」
フミコはケラケラ笑った。
「……合鍵、返してもらえませんか」
「やだ」
即答だった。
「……はい」
僕は諦めた。
「それで——」
フミコは再びサングラスをかけた。
「朝のエアロビ、習慣なの。ここ、広くて気持ちいいから、たまに来させてもらってるのよ」
「勝手に入らないでください……」
「やだわ」
「……」
「あなた、何か困ってることない?」
「え?」
「独り言、聞こえたわよ。『どうしよう』って」
「あ……」
確かに、言った。
「実は……」
僕は少し迷ってから、話すことにした。
「この家で、色々おかしなことが起きるんです」
「おかしなこと?」
「扉が勝手に現れたり、ガラスのマッチョが出たり、野菜に手足が生えたり……」
フミコは目を丸くした。
「え?本当に?」
「本当です……」
「すごいわね!」
フミコは驚いた様子だった。
「私が住んでた時は、何も起きなかったのに!」
「何も……?」
「そう。だから、つまらなくて売っちゃったの」
フミコは少し残念そうに言った。
「前の持ち主から聞いてたのよ。この家、不思議なことが起きるって」
「前の持ち主……」
「ええ。だから、私もワクワクして住んでみたんだけど、何も起きなくて」
フミコは肩をすくめた。
「1年くらい住んだけど、本当に何も」
「それで、売ることにしたんですか?」
「そうよ。でも、あなたには色々起きてるのね」
フミコは興味深そうに僕を見た。
「もしかして、この家、真面目な人が好きなのかしら」
「真面目……?」
「だって、私、こんなだもの」
フミコは自分のレオタード姿を指差した。
「真面目とは程遠いわ」
「まあ……確かに……」
「でも、あなたは几帳面そうよね」
フミコは笑った。
「きっと、この家はそういう人が好きなのよ」
「……そういうものなんですかね」
「分からないけど!」
フミコは明るく言った。
「とりあえず、一緒に踊りましょう!」
「え?」
「エアロビよ!体を動かせば、頭もスッキリするわ!」
「いや、でも……」
「さあ、こっちに来て!」
フミコは僕の手を引いた。
「ちょ、ちょっと……」
気づけば、僕はリビングの真ん中でエアロビをさせられていた。
「ワン、ツー、スリー、フォー!」
フミコが掛け声をかける。
「腕を上げて!そう、いい感じ!」
「はぁ……はぁ……」
息が上がる。
5分ほど踊った後、フミコは手を叩いた。
「はい、休憩!」
「はぁ……はぁ……」
僕はソファに座り込んだ。
「で、この家のことなんですけど……」
「ああ、そうね」
フミコも隣に座った。
「私も詳しくは知らないの。前の持ち主から聞いた話だけど——」
「はい」
「この家、昔から不思議なことが起きるらしいわ」
「昔から……」
「100年くらい前からって聞いたわ」
「100年……」
「住んだ人が、すぐ逃げていっちゃうの。怖がる人もいれば、気味悪がる人もいて」
フミコは少し寂しそうに言った。
「だから、ずっと空き家だったり、持ち主が変わったりしてたみたい」
「でも、悪いことは起きないんですよね?」
「そうらしいわ。前の持ち主も、そう言ってた」
フミコは頷いた。
「ただ、不思議なことが起きるだけ」
「なんで起きるんでしょうね……」
「さあ?」
フミコは首を傾げた。
「分からないわ。でも——」
「でも?」
「楽しそうじゃない?」
フミコは笑った。
「ガラスのマッチョとか、野菜に手足とか」
「まあ……確かに」
僕も少し笑った。
「悪くは、ないです」
「でしょ?」
フミコは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、大丈夫よ!楽しめばいいのよ!」
「楽しむ……」
「そうよ。せっかく買った家なんだから」
フミコは立ち上がった。
「さあ、もう一回踊りましょう!」
「え、まだやるんですか……」
「当たり前よ!ワン、ツー、スリー、フォー!」
30分後。
フミコは満足そうに頷いた。
「はい、今日はここまで!お疲れ様!」
「はぁ……はぁ……もう、無理……」
僕はソファに倒れ込んだ。
全身が痛い。
汗だくだ。
「いい運動になったわね!」
フミコは涼しい顔をしている。
「あなたも、もっと鍛えなさい!」
「クリスタルマッチョにも同じこと言われました……」
「クリスタルマッチョ?」
「ガラスのマッチョです……」
「面白そうね!今度見せてね!」
フミコはケラケラ笑った。
「じゃあ、私はそろそろ帰るわ」
「え、もう帰るんですか?」
「そうよ。用は済んだし」
「用って……エアロビですか……」
「そうよ」
フミコは当然のように言った。
「また来るわね!」
「来ないでください……」
「来るわよ!」
フミコは明るく言った。
玄関に向かい、扉を開けた。
「じゃあね!楽しんでね!」
「あ、ちょっと——」
扉が閉まった。
「……行っちゃった」
僕はソファに座り込んだ。
「結局、何しに来たんだ、あの人……」
窓の外を見ると、フミコがピンクの自転車に乗って去っていくのが見えた。
派手なレオタード姿のまま。
「……自由すぎる」
でも、少しだけ気が楽になった。
この家の不思議なこと。
悪いことじゃない。
楽しめばいい。
「そうか……」
僕は笑った。
「楽しめば、いいのか」
リビングを見回す。
温泉の扉、モアイ像、プロテインの山——
全部、この家からのプレゼント。
「……ありがとう」
僕は小さく呟いた。
その夜。
書斎で仕事をしていると、リビングから音がした。
ゴトン。
「……また何か?」
リビングに行く。
テーブルの上に、小さな箱が置かれていた。
「何だ、これ……」
開けてみる。
中には、レオタードが入っていた。
ピンクとグリーンの、派手なレオタード。
そして、メモ。
『次はこれを着てね!—フミコより』
「いらねええ!」
僕は頭を抱えた。
(第五話終わり)




