第4話:野菜と少女と、逃走劇
夕方、キッチンで夕食の準備をしていた。
冷蔵庫を開け、卵を取り出す。 オムライスでも作るか。
「——きゃああああ!」
外から、叫び声が聞こえた。
「何だ?」
包丁を置き、窓の外を見る。
声は、裏庭の方からだ。 家の死角になっている場所。リフォーム中も、あまり見ていなかった。
「誰かいる……?」
玄関を開け、裏庭に回る。
小さな畑がある。 雑草だらけだった場所だ。
その隣に、あのモアイ像が置かれていた。
「また勝手に移動して……」
いつの間に、ここに来たんだ。
そして、畑には女子高生くらいの少女がしゃがみ込んでいた。
「な、何で……何でこんなことに……」
少女は泣きそうな声で呟いている。
「あの、君……」
少女が振り向いた。
涙目だ。
「誰ですか!」
「いや、俺がこの家の——」
「私の大事な畑に、こんな趣味の悪い像置いたの誰ですか!」
「え?」
少女が指差した先を見る。
畑の真ん中に、モアイ像が置かれていた。
「ああ……それ、俺の」
「えっ」
少女は固まった。
「……趣味悪……」
「聞こえてる」
「あ、すみません!」
少女は慌てて口を押さえた。
「いや、まあ……俺も好きで置いたわけじゃないんだけど」
「え?」
「ああ、そいつ勝手に動くんだよね」
少女は、僕を見た。
じっと、見つめてくる。
「……頭、大丈夫ですか?」
「失礼だな!」
「だって、モアイが動くって……」
「本当なんだけど……」
少女は疑わしそうな目をしている。
「まあ、いいや。それより——」
「リフォーム、終わったんですか?」
「え?」
少女は話題を変えた。
「ずっと工事してたから、まだ誰も住んでないと思ってました……」
「ああ、先週引っ越してきたばかりで」
「そうだったんですか……」
少女は驚いた様子だった。
「知らなかった……ごめんなさい、家主の方がいたんですね……」
「いや、でも何で君がここに?」
少女は、また畑の方を見た。
「あの……私、ここの畑を使わせてもらってたんです。空き家だったから……」
「畑?」
僕は足元を見た。
確かに、小さな畑がある。 トマト、キュウリ、ナス——ちゃんと育っている。
「でも、でも……野菜が……」
「野菜?」
「引き抜かれてるんです!勝手に!」
少女は立ち上がり、畑を指差した。
「これ、私が3ヶ月かけて育ててきたトマトなんです。それなのに、勝手に……」
確かに、畑の一部が荒らされている。 トマト、キュウリ、ナス——いくつか引き抜かれた跡がある。
「誰が、こんなことを……私、毎日水やって、肥料も適切な配合で、土壌のpHも測って……」
少女の言葉が止まらない。
「トマトは酸性土壌を好むから、pH6.0から6.5に調整して、窒素肥料は控えめにして、リン酸とカリウムを多めにして……」
「あ、ああ……」
「それで、支柱も立てて、脇芽もちゃんと摘んで、実が大きくなるように摘果もして……」
「そ、そうなんだ……」
「キュウリは浅根性だから、水やりの頻度を増やして、でも過湿にならないように排水性も考慮して……」
「え、ええと……」
「ナスは肥料食いだから、追肥のタイミングをちゃんと計算して、1週間に1回、液肥を……」
止まらない。
少女の野菜への情熱が、溢れ出している。
「——それなのに!こんな、勝手に引き抜かれるなんて!しかもモアイまで侵入してるし!」
少女は再び泣きそうになった。
「と、とりあえず、中に入らない?日も暮れてきたし」
「え……でも……」
「まずは落ち着いて、話そう。誰が引き抜いたのか、一緒に考えよう」
少女は少し迷ってから、頷いた。
「……すみません」
リビングに入り、お茶を淹れる。
「ごめんね、急に呼び出して」
「いえ……勝手に畑を使ってた方が悪いので……」
少女はテーブルに座り、お茶を両手で持った。
「俺、全然気づかなかった。リフォームで忙しくて、裏庭まで見てなくて」
「そうだったんですか……」
「畑、使ってもいいよ。どうせ、俺は野菜作れないし」
「本当ですか?」
「ああ。ただ——」
僕は窓の外を見た。
モアイ像が、まだ畑にいる。
「あのモアイ、時々動くから。驚かないでね」
「……本気で言ってます?」
少女は、また疑わしそうな目をした。
「本気だけど……まあ、見れば分かるよ」
「……はい」
少女は、明らかに信じていない様子だった。
「ところで、名前は?」
「あ、すみません。緒方美咲です。近くの高校に通ってて……」
「美咲さんか。俺は柊一真。よろしく」
「よろしくお願いします……」
美咲は少し恥ずかしそうに頷いた。
「で、野菜が引き抜かれてたって……」
「はい。昨日の夕方まで、ちゃんとあったんです。でも、今日学校から帰って見に来たら……」
「毎日来てるの?」
「はい。学校帰りに、必ず」
「それは……すごいな」
「野菜は、大切なんです」
美咲の目が、真剣だった。
「分かった。じゃあ、一緒に——」
その時。
冷蔵庫から、ゴトンと音がした。
「……何だ?」
もう一度、ゴトン。
「冷蔵庫……?」
僕は立ち上がり、キッチンに行った。
「そういえば……」
数日前、テーブルに置かれていた野菜を思い出した。 誰が置いたのか謎だったが、冷蔵庫に入れておいた。
「まさか、あれが……」
冷蔵庫を開ける。
「——は?」
中から、トマトが飛び出してきた。
手足が生えたトマト。
「キャアアアア!」
美咲が叫んだ。
トマトは床に着地すると、リビングの方へ走って行った。
「待て、トマト!」
冷蔵庫の中から、次々と野菜が飛び出してくる。
キュウリ、ナス、ニンジン、ピーマン——
全て、手足が生えている。
「何だ、これ……!」
野菜たちは、リビングを駆け回り始めた。
テーブルの下、ソファの後ろ、本棚の隙間——
「あ、あのトマト!」
美咲が指差した。
「私が育てたトマトです!」
「どれ?」
「あの、ヘタの形が——追いかけます!」
美咲はトマトを追いかけた。
「モアイが動くって、これのことですか!」
「いや、野菜は初めて見た!」
トマトは素早く逃げる。
テーブルの下を通り、ソファに飛び乗り、窓際へ。
「待って!」
美咲が手を伸ばす。
トマトは窓から——
「あ、開いてる……」
裏庭に飛び出した。
「逃げた!」
美咲は窓から外を見た。
「他の野菜も!」
キュウリ、ナス、ニンジン——
次々と窓から飛び出していく。
「待てー!」
僕も追いかけた。
裏庭に出ると、野菜たちが畑に集まっていた。
手足を動かして、何かを主張しているようだ。
モアイ像も、じっとそれを見ている。
「何だ、あれ……」
美咲は畑に駆け寄った。
「あ……」
畑の一角を見て、固まった。
「これ……」
僕も近づいて見る。
畑の端、日陰になっている場所に、枯れかけた野菜が植えられていた。
トマト、キュウリ、ナス——
でも、明らかに様子がおかしい。
「水、足りてない……」
美咲が呟いた。
「肥料も……配合が、間違ってる……」
手足の生えた野菜たちが、その枯れかけた野菜の周りに集まっている。
まるで、何かを訴えているような。
「……そっか」
美咲は、膝をついた。
「ごめんね」
野菜たちに話しかける。
「私、この子たちのこと……見落としてた……」
手足の生えたトマトが、美咲の手に触れた。
「ここ、日陰になってるから……水も光も足りなかったのに……」
美咲は涙を拭った。
「私、他の野菜ばっかり見てて……」
「トマトは、水を切らしちゃダメなのに……肥料のバランスも、ちゃんと考えなきゃいけなかったのに……」
野菜たちは、じっと美咲を見ている。
「ごめんね。今度からは、ちゃんとする」
美咲は枯れかけた野菜を、優しく撫でた。
「全部、ちゃんと見る。一つ一つ、大切にする」
「約束する」
その瞬間——
野菜たちの手足が、ゆっくりと消えていった。
「あ……」
トマト、キュウリ、ナス、ニンジン。
全て、ただの野菜に戻る。
ポトン、ポトンと地面に落ちた。
「……終わった?」
美咲は野菜を拾い上げた。
「ありがとう。教えてくれて」
モアイ像も、じっと美咲を見ていた。
「……あなたも、ありがとう」
美咲はモアイ像に、小さく頭を下げた。
「趣味悪いとか言って、ごめんなさい」
モアイ像は、無表情のまま。
でも、どこか満足そうに見えた。
それから30分。
僕たちは、家じゅうに散らばった野菜を集めていた。
リビング、キッチン、廊下、書斎——
あちこちに、野菜が転がっている。
「はぁ……」
僕はソファに座り込んだ。
「すみません……私のせいで……」
美咲が申し訳なさそうに謝った。
「いや、まあ……野菜が元気になったなら、いいか」
テーブルの上に、野菜の山。
トマト、キュウリ、ナス、ニンジン、ピーマン——
「これ、どうしよう……」
「あ、料理します!」
美咲が手を挙げた。
「え?」
「お礼です!野菜料理、得意なんです!」
美咲は目を輝かせた。
「トマトはリコピンが豊富で、加熱すると吸収率が上がるので、トマトソースにして……」
「あ、ああ……」
「キュウリはビタミンCを壊す酵素があるので、酢を使って……」
また、止まらない。
「ナスはポリフェノールが豊富で、油と相性がいいので……」
「お、お願いします……」
僕は諦めた。
翌朝。
美咲は、約束通り料理を作ってくれた。
トマトソースのパスタ、キュウリの酢の物、ナスの揚げ浸し、ニンジンのグラッセ——
全て、美味しかった。
「ごちそうさま」
「どうでした?」
「最高だった」
美咲は嬉しそうに笑った。
「これからも、畑使っていいよ」
「本当ですか?」
「ああ。ただ——」
僕は少し笑った。
「野菜、少し分けてくれない?」
「もちろんです!」
美咲は元気に頷いた。
「毎週、持ってきます!」
「ありがとう」
美咲は帰って行った。
リビングに戻ると、まだ野菜が少し残っている。
「……片付けるか」
僕は深く息を吐いた。
窓の外を見る。
裏庭の畑で、美咲が枯れかけた野菜に水をやっている姿が見えた。
モアイ像が、その横でじっと見守っている。
「……いい子だな」
僕は笑って、野菜を片付け始めた。
(第四話終わり)




