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堕天【 FREEDOM’S CROWN 】 ~生きる為、怪物と契約した男~  作者: イチジク浣腸
聖桜教団編

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いつも通り?

 激戦から数週間が経過した。

  俺——ヒカリは、ようやく元の日常を取り戻しつつあった。


 朝は牛島に課せられた厳しい訓練。 昼は公安としての任務。

 そして今、俺は公安本部からの帰り道を、鉛の様に重い足取りで歩いていた。


「……疲れたな」


 全身を激しい筋肉痛が襲っている。今日の牛島との訓練は、これまでにないほど過酷なものだった。どこかで休息をとりたい。そう考えながら周囲を見渡したとき、不意に視線を感じた。


 そこに立っていたのは、あのフランス人だった。


「おや、ヒカリくん。そんなに疲れ切った顔をして、どうしたんだい?」


 彼は相変わらず、涼しげな表情でこちらを見ている。才能をこよなく愛する彼特有の、どこか浮世離れした口調だ。


「ボクの見たところ、今の君からは非常に質の高い『高純度の努力の香り』がするよ。凡庸な三者奴がどれだけ時間を費やしても到達できない、高潔な心身から成される向上とでも言おうか」


 彼は歩み寄り、俺の顔を覗き込んだ。

 その曇り空を映しこんだかのような、かげりのある翠眼には、深い興味と期待が複雑に混じり合っていた。


「君のような才能ある人間が、こうして限界まで自分を追い込む姿を見られるなんて、ボクは本当に幸運だよ。君がその先にどんな光景を描き出すのか、想像するだけで胸がドクドクと高鳴るよ。ねぇ、少し休んでいかないかい? 君の貴重な時間を、こんなボクに少しだけ分けてほしいんだ」


 俺たちは、近くにある店『ベテル』へと向かった。


「あ、ヒカリくん! と、ええと........フランス人さん!」


 カウンターの奥から弾けるような声が響く。

 店員のイヴだ。

 彼女と隣のフランス人は、以前の来店時に顔を合わせている。

 だが、お互いに名前までは知らないままだ。


「そういえば、自己紹介がまだだったね。ボクはシュヴァリエ・ペタン。まあ、ボクのような卑小な人間の名前なんて、覚える価値もないだろうけどね」


 ペタンは自嘲気味に微笑みながら、優雅に一礼した。

  「ペタン……。そんな名前だったのか」

 ヒカリも、今の今まで彼の名を知らなかった。

 彼の発した言葉の響きを頭の中で反芻する。


「ペタンくんね! いらっしゃい。ヒカリくん、今日は一段とボロボロだね。また悪い人たちと戦ってきたの?」


 イヴは茶目っ気たっぷりに首を傾げ、俺の前に冷えた水を置いた。

 彼女の天真爛漫な空気感に触れると、張り詰めていた神経が少しだけ緩む気がする。


「……まあ、そんなところだな。仕事が立て込んでいたから」


「えー、気になるな。公安って実際、どんなことしてるの? 悪いスパイを捕まえたり、極秘の書類を運んだりするんでしょ? 」


 屈託のない問いかけだが、その内容は公安の人間としては答えに窮するものばかりだ。彼女はいつも、この領域に絶妙な無邪気さで踏み込んでくる。


「なぁ……注文、いいか」


 俺が話を逸らそうとすると、厨房の奥から低く重厚な声が響いた。店長だ。余計な口は一切利かない、ハードボイルドを地で行くような男だ。


「へ?……いつものお願いします」


 店長は短く頷くと、迷いのない手つきで調理を開始した。

 その背中からは、余計な干渉を許さない独特の威圧感が漂っている。それを見たペタンが、感心したように呟いた。


「あぁ……素晴らしいよ。ボクのようなクズが、こんな至高の瞬間に立ち会えるなんて。君という『才能』が、彼女のような『光』に照らされている。この対比こそが、ボクの求めていた光景さ。……そして、この店を支配する沈黙。職人の矜持とやらを感じさせてくれるね。料理もまたボクを驚かせてくれるのかな」


「えへへ、よくわかんないけど褒められてる? ありがとう!」


 イヴはペタンの奇妙な賛辞を無邪気に受け流したが、その瞳にはさらに強い好奇心が宿っている。


「ねえねえ、それより続きだよ。公安の本部ってやっぱり迷路みたいになってるの? 最新の武器とか隠してあったりする?」


 彼女の追及は止まらない。明るい笑顔のまま、公安の内部事情を的確に突いてくる。俺が答えを濁していると、店長が無言のまま、湯気の立つプレートを俺の前に差し出した。


「……食え。冷めるぞ」


 短く、重みのある一言。その声には、場を支配するような絶対的な静寂があった。


「あぁ、完璧だ。才能を育む土壌と、それを守る沈黙の守護者……。ねえ、ヒカリくん。君がこの場所に惹かれる理由が、ボクにも深く、深く理解できたよ」


 ペタンが満足げに頷く中、イヴは俺の顔をじっと見つめ、何かを決心したように身を乗り出した。


「ねえ、ヒカリくん。そんなに疲れちゃってるなら……今日、この後ヒカリくんの家に行ってもいいかな? 私に、君を支えさせてほしいんだ」


 その言葉を、俺は一縷の疑いもなく信じた。 重なり合う鼓動、縮まる距離。 彼女の体温が、任務で冷え切った心に心地よく染み渡った。

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