窮鼠
その時——。
すでに碇によって蹴飛ばされていた部屋の入り口から、統制の取れた足音が床を打ち、複数人の公安職員たちが勢いよくなだれ込んできた。
「公安だ! 一切動くな!」
ナイフのような鋭さを帯びた声が、空間を切り裂くように響いた。
その圧倒的な数と統率された殺気に、山本は狼狽えた。
「な、なんで……! なぜ公安がここに……!」
「京都の任務が、予定より早く終わったもんでな」
碇が、山本の日本刀を弾き返しながら冷徹に告げる。
「その後——急いで駆けつけた。俺が先行し、後続を呼び込んだ。お前たちの逃げ場はどこにもないから安心しろ」
碇の背後に、空気を歪めるほどの威圧感を放つ二人の人外が立っていた。
一人は着痩せするものの、内に屈強さを秘めた男。もう一人は、剃刀めいた鋭さを身に纏う女だ。
ヒカリは彼らを知らない。だが牛島から、「他班のアホ共」と吐き捨てるようにその名を聞かされた覚えがある。
「……キミがヒカリ君ね。牛島さんから話は聞いているよ。」
屈強な男——井上班長が、横たわるヒカリを一瞥する。
親しみはない。ただ、共通の知人である「牛島さん」を慕う者特有の、事務的だが確かな信頼がそこにはあった。
「あんたが井上……班長?」
「あー、そうそう。で、あっちの女が柳生ね。……いやぁ、ずいぶん派手にやられてるじゃん。これで牛島さんのお気に入り? ま、せっかくだしさ――理由の一つくらい、ちゃんと見せてくれない?」
柳生と呼ばれた女は、ヒカリに視線すら向けず、周囲を警戒しながら短く鼻を鳴らした。
そして、最後に入ってきたのは——。
髭を蓄え、安物のスーツをだらしなく着た中年の男。手には金属製のスキットル、口には極太の葉巻。その男が立つだけで、部屋の空気が物理的に重くなったように感じられた。
「……よう、坊主。生きてるな。」
男が、煙を吐き出しながらヒカリを見つめる。その鋭い眼光は、獲物を値踏みする肉食獣そのもの。
「あんた、誰だ……?」
「因幡啓治だ。公安総務課――指導官をやっている。
……よく持ちこたえたな。
ここから先はいい。――俺たちが引き受ける」
─────
モニターの向こうで、大神は静かに微笑んでいた。そこに感情の温度はなく、ただ事実を受け入れる者の表情があるだけだった。
「……そうか。公安の本隊か。しかも、因幡啓治――あの男まで動いたんだね」
大神は指輪にそっと触れる。その仕草は慈しみにも見えたが、瞳は盤上を見下ろす、神そのものだった。すでに役目を終えた駒を、淡々と理解する視線。
「ならば――ここまでだ。私は、撤退しますよ」
「お、おい、大神! 俺を見捨てる気か!」
山本はモニターに向かって、声にならない悲鳴を上げた。
「見捨てる……?」
画面の向こうで、大神はわずかに首を傾ける。その表情には怒りも嘲りもない。ただ、事実を告げる者の静けさがあった。
「いいえ、山本先生。あなたは――すでに役目を果たしています。
ヒカリ君のデータは、必要な分だけ得られました。それで十分、終わりです。」
「そ、そんな……!」
「安心してください、山本先生。あなたの犠牲は――きっと、無意味ではありません。
世界は、常に誰かの働きの上に積み上がるものですから」
その言葉を最後に、
プツン、と音を立ててモニターの光が消えた。
「おい……大神……大神……!」
応答はない。
砂嵐に覆われた画面の前で、山本はただ立ち尽くしていた。
自分が“役目を終えた、塵芥に満たぬ存在”であることを、ようやく自覚しながら。
「……もう、いいだろ。
抵抗する意味はない。お前は――ここで終わりだ」
碇は静かに前へ、踏み出す。
感情の揺らぎはなく、ただ“結論”だけがそこにあった。
手には、公安支給の日本刀が力強く握られており。
構えは低く、しかし迷いは一切ない。




