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堕天/FREEDOM’S CROWN  作者: イチジク
もう目覚めたから

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6/41

不味い焼肉と洋食屋

休日の朝は最高だ。


もちろん目覚ましもセットしてない。誰からも指示されない。訓練、任務もない。


「あー、幸せ。よーーし、二度寝しよっと。」


俺はベッドで寝返りを打つ。


このまま昼まで寝てもいい。いや、夕方まで寝てもいい。


「ヒーカーリー、起きてる?」


扉をノックする音。


ヒルメの声だ。

ヒルメの声だ...


「寝てるー」


「嘘つかないの。起きなさい」


「やだー」


「今日、焼肉行くわよ!」


焼肉?


俺は飛び起きた。


「マジ?...それはホントウデスカ?」


「本当ですよ〜。公安の近くに巷で評判の店があるの。一緒に行きましょう!」



焼肉か。最高、いいな。


「分かった、すぐ準備する」


「じゃあ30分後にロビーで」


ヒルメの足音が遠ざかる。


俺は服を着替えて、顔を洗った。


休日に女と焼肉とか最高じゃん。


────


公安本部のほど近く、その焼肉屋はあった...

店の名は「肉神」。だが、その威厳を誇示するには、あまりにもくたびれた外観だった。

雨風に削られた看板は文字の判別すら危うく、まるで神の名を試すかのように色あせている。

入口は人ひとりがやっとすり抜けられるほど狭く、無骨な木の戸は油と煙に馴染んだように黒ずんでいた。

外から眺めれば、ここがただの場末の焼肉屋にしか見えない。薄汚れた暖簾の奥から漂う煙は、妙に鼻を突き、胃をざわつかせた。

焦げた油の匂いと、どこか生臭い肉の気配――静かに、しかし確かに、この店が噂通りの美味ではないことを告げていた。


「ここぉ?大丈夫なのか?」


「...............評判いいのよ..........安いし」


ヒルメが扉を押す。


重く湿った油の匂いが押し寄せた。


店内は薄暗くて、壁には肉の写真がびっしり貼られてる。


「いらっしゃい!!!!」


店主が笑顔で迎える。


太った中年男。エプロンは油で黒光りしてる。


「お、今日も元気そうだね!うんうん!」


「へっ⁈....今日も?初めてのはずだけどなぁ。」


俺が言うと、店主は笑った。


「あっははぁ、そうだっけ?まあいいや、座って座って‼︎」


なんか変な店だな。


俺たちはカウンター席に座る。


「――おい、昨日のニュース見たか?いや、あれ、違うんだよ、絶対裏がある…いや、でも誰も気づいてねえんだ、わかるか?ああ、もう、誰も信じられねえ…」


店主がぺちゃくちゃ話しかけてくる。


「いや、見てねぇっす」


「......そっかそっか。じゃあこれ、おすすめのカルビ!」


皿の上に肉が盛られる。


見た目は…うーん、微妙。


色が黒ずんでて、油がベトベトしてる。

臭いもキツい。


「焼いてみなよ!」


店主が網に肉を乗せる。


ジュウジュウと音を立てる。


臭いは…焼いても変わらずやばい。


腐ってるわけじゃないけど、なんか変だ。


「ほら、食べて食べて!」


店主が俺の皿に肉を乗せる。


俺は箸で肉をつまむ。


口に入れる。


「……」


まずい。


いや、マジでまずい。


油っぽい、変な臭いがする。クソ以下だな。



「どう?美味しいでしょ?」


店主が期待の眼差しで見てる。


「あ、あぁ…美味しいなぁ。」


嘘をついた。


でも、まずいとは言えない。


「ヒカリ...私ちょっと無理かも。」


ヒルメはポケットからそっとティッシュを抜き、まるで口元の脂を拭くようにふと当てた。

その動きに合わせて、指先で肉の塊を押し出すようにして、薄くねじれたティッシュの裏へと吐き込む。

顔には微かな苦笑を残して、周囲への視線を一つも逸らさない――バレないように、あくまでさりげなく。


「おかわりどう?」


「いや、もういい。大丈夫だ。」


「遠慮しないで!ほら!」


また肉が皿に盛られる。


はぁ?やべぇだろ。いらねぇって言ってんだろ...


口の奥で反射が起きた。

むせるような感覚――胃の奥から逆流する嫌悪感が、一瞬体を支配する。


「ヒカリ、大丈夫?」


ヒルメが心配そうに聞く。


「大丈夫、大丈夫だって。うめぇー」


嘘に嘘を重ねる。


でも、これ以上は無理だ。食べ物は粗末にしたくないけど、これは...


「にいちゃん‼︎いい食いっぷりだな‼︎嬢ちゃんも食べないと!ほら、タレはこのくらいかけると美味しいよ!」


店主がタレをヒルメの肉にドバドバとかける。


「あ、ありがとうございます」


ヒルメは笑顔を浮かべつつ、再び肉を口に運す。だが、指先の動きは隠すようにティッシュの上でそっと吐き出す。

その瞬間――


店主の目がヒルメを捉えた。


「テメェエエエ‼︎」


声が変わった。


「見たぞ‼︎吐いたな、吐き出したよなぁぁぁぁアアア‼️...コロス、殺してやる‼️」


店主の体が膨れ上がる。


肉が蠢き、フライパンが宙に浮く。


「肉は残さず喰えェェ‼︎骨まで愛せェェ‼︎」


店主の体から触手のような肉塊が伸びる。


クラウンだ。


「マジかよ、休日なのに仕事かよ‼︎」


俺は椅子から飛び退いた。

──肉塊が、まるで生き物のように俺に襲いかかってくる。

ドガッ!

カウンターが悲鳴を上げて砕け散る。

そこから、ヌルヌルとした触手が蠢きながら伸びてきた。

肉の塊は、形を変え、牙にも似た突起を光らせ、俺の足元へと迫る。

その瞬間、店内の空気が変わった――甘く脂の香る煙の中に、獣の匂いが混じり、俺の血の奥底が冷たく震える。


「ヒカリ、変身して!」


ヒルメが叫ぶ。


「分かってるって!」


俺は首にナイフを当て掻っ切る。


血が流れる。


炎が体を包む。


-----


その姿は、ただ哀れであった。


背に黒き翼を持つ。けれどもそれは燃え残りの煤にすぎず、羽根はばらばらに剥がれ落ち、地に散らばっては腐ってゆく。


額には光の角が立ち上がっていた。けれども輝きはどこか歪み、あたかもこの世に似つかわしくない異物のようで、見る者の心を苛むばかりであった。


人のかたちをしている。


だが人には見えない。


眼差しは青白く澄みながら、底にひそむのは飢えと怨嗟と、救われたいという身勝手な渇望だった。


「楽して生きたい」「幸せになりたい」「満腹になりたい」「眠りたい」「愛されたい」――そのような卑小な願いのすべてが、なぜか彼をして神に逆らわせ、天をも焼かせる。


哀れである。


けれども美しい。


堕天の影は、その矛盾そのものを姿とする。


彼は生きたがっていた。誰よりも、醜く、必死に。


-----



俺は肉塊を掴む。


光が宿る。


「きめぇぇんだよ!クソが!」


肉塊を引きちぎる。


店主が悲鳴を上げる。


「我が肉を‼︎我が愛を‼︎」


フライパンが飛んでくる。


俺は腕で防ぐ。


ガキィン!


硬い。でも、問題ない。


「お前の焼肉!マジでまずかったわ!」

ヒカリの声が店内に響き渡る。


「食べ物を粗末にしやがって!畜産家に失礼だと思わねぇのか!」

店主が硬直している隙に、ヒカリは突如、両手を振りかざして前へ跳ぶ。


「もう二度と、こんな腐った肉、客に出すな!」

空気が裂けるようにヒカリが店主めがけて飛びかかる。


拳を振り上げる。


光が爆発する。



店主の体が吹っ飛ぶ。


壁に激突して、崩れ落ちる。


肉塊が溶けていく。


「終わりだな」


俺は元の姿に戻る。


店内は滅茶苦茶だ。


「うわ、これ…どうすんだよ」


「碇さん達に連絡しないと」


ヒルメがスマホを取り出す。


────


三十分後、碇さんやリリスさん等が到着した。


「状況は?」


碇さんが店内を見渡す。



「店主が神契者でした。肉の神と契約してたみたいです。」


ヒルメが報告する。


「休日だったのに、ご苦労様。」


リリスさんが俺の頭を撫でる。



「後処理は俺たちがやる。君たちは休んでいいぞ」


碇さんが言う。


「マジっすか?」


「ああ。ただし、報告書は後で提出しろ」


「へいへい、分かりました」


俺たちは店を出る。


外の空気が美味い。


「ヒカリ、あなた本当にあの肉、食べ切ったのね。」


ヒルメが呆れ顔で言う。


「あぁ?食いもんには変わりねぇだろ。栄養に変われば一緒だ。」


「...それにしても、休日に戦闘って最悪ね」


「マジで。おかげで腹減ったし」


「……じゃあ、私のお金で、別の店に行かない?」

微かに笑みを浮かべながら差し出された手に、ヒカリは少しだけ驚いたように目を見開いた。


「行く行く!どこかいい店ない?」


ヒルメが考える。


「公安の近くに、洋食屋があるわ。ベテルっていう店よ。」


「洋食か。いいな。ハンバーグ食べてぇなぁ。」


俺たちは歩き出す。


─────


ベテルは小綺麗な店だった。


焼肉屋とは大違い。


入口から、温かい光が漏れてる。


「いらっしゃいませ」


木製の扉を開けると、女性の声。


俺は顔を上げた。


その瞬間、心臓が止まった。


「…え」

なんか……ドキドキする。

肩より上でまとめられた赤みがかった紫のショートヘアは、後ろにひとつのお団子を結んでいる。

お団子の端から毛束が無造作にこぼれ、軽やかに揺れる。

青い瞳が俺をじっと見つめていた。


白い肌、細い首、柔らかそうな唇。



「カウンター席でいいですか?」


その声が、耳に心地いい。


「あ、あぁ…はい」


俺は思わず敬語になってた。


ヒルメが不思議そうに俺を見る。


「ねぇ、どうしたの?」


「いや、なんでもねーよ」


俺たちはカウンター席に座る。


店員が近づいてくる。


近くで見ると、もっとやばい。


「お飲み物は?」


「コ、コーヒーくれ」


声が裏返った。


「私も」


ヒルメが冷静に答える。


店員が微笑む。


その笑顔が、心臓に直撃する。


「少々お待ちくださいね」


店員が振り返る。


その後ろ姿も完璧だ。


「ヒカリ、顔赤いわよ」

ヒルメが心配そうにこちらを覗く。


「あら、もしかして風邪?」


「引いてねぇよ」


風邪じゃない。けど心臓がバクバクした。



しばらくして、コーヒーが運ばれてきた。


湯気が立ち上る。


店員が俺の前に置く。


「顔色ひどいですねぇ……疲れてません?」


その声に、心配そうな響きがある。


「甘いの、足しときましたよ。」


スプーンで砂糖を落とす仕草が、妙に色っぽい。



「ありがとう」


俺は視線を逸らす。


「ゆっくりしていってくださいね」


店員が微笑む。


でも、その笑顔の奥に何かある。


少しだけ、いたずらっぽい光。


「あのさ…」


俺は思わず声をかけた。


「はい?」


「お、お名前、聞いてもいいか?」


ヒルメが呆れた顔をする。


店員は少し驚いた顔をして、それから微笑んだ。


「イヴです」


「イヴ…」


俺は少し間を置いて、カッコつけて言う。


「なんか…聖書っぽい名前だな。エデンの園的な」


(今の俺はイケてたな)


「ふふ、詳しいんですね」


「ええ、両親が付けてくれました」


イヴが少し身を屈め、顔がすっと近づく。

店の灯りが髪に柔らかく落ちた。


「キミの名前は?」


「...ヒカリ」


「ヒカリ…いい名前。」

イヴは少し顔を赤らめ、目を細めて微笑んだ。その声には、どこか恍惚とした響きがあり、聞く者の胸を跳ねさせるようだった。


「ご贔屓にしてね。ヒカリくんのために、特別な一皿、作るからね。」

その声は耳元でささやかれるように、静かに響いた。



「えっ?ああ…だったら、ずっと絶対食いに来るよ!」


俺はわざと低い声で、片手で髪をかき上げる。


(完璧だろ〜)


イヴが笑って、厨房に戻る。


『ヒカリ、キミは完全にやられてるね。』


ルシファーが呆れていた。


(うるせぇ)


俺はコーヒーを一口飲む。


甘い。でも、その甘さが心地いい。


〈っ、ちょっと待て…〉


脳内でルシファーに語りかける。


〈絶対、俺のことが好きだな、この女。...このまま恋に発展して・・・素敵なことじゃねーか。〉


〈落ち着け、ヒカリ。鴨にしか見えないぞ。〉


(大丈夫だろ。俺を束縛するなよ)


〈束縛ではない!自由の神が束縛なんて自由からかけ離れたことはしない‼︎〉


ルシファーの声が苛立ってる。



「ヒカリ、さっきから上の空って感じだけど大丈夫?」


ヒルメが心配そうに見てる。


「あ、いや、なんでもない」


でも、俺は気にしねぇ。


イヴ。


あの笑顔、あの声、あの仕草。


全部が完璧だったな。


「また来よう」


俺は心の中で決意した。


「絶対にまた来る」


〈やれやれ…〉


ルシファーの呆れた声が響く。


「あ、ヒルメ。お前コーヒーに塩入れてんぞ」


「え?」


ヒルメが自分のカップを見る。


砂糖と塩を間違えたらしい。


「…あれ?あれれ?」


真面目な顔で首を傾げるヒルメ。


「オマエ、本当に抜けてんな」


「う、うるさいわね!」


ヒルメが顔を赤くする。


そんなやり取りを見ながら、俺は笑った。


休日も、悪くない。

神契者

・神と契約する人。

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