富士ヶ嶺への秒読み(カウントダウン)
ヒカリは、次から次へと湧き出てくる雑魚の群れを相手に、半ばキレかかっていた。
「くっそ……キリがねえーな! !どいつもこいつも、一列に並んで順番待ちしてろってんだ!」
拳を振り回し、炎で異端者を焼き払う。
だが、頭の中は、さっき見た「絶対零度の絶景」がこびりついて離れない。
(……いや、マジかよ。あんなの反則だろ)
ヒカリは、異端者の攻撃を紙一重でかわしながら、牛島の戦いを反芻する。
(あんな怪物相手に、ほぼ遊びながら勝っちまいやがった。……いや、遊びってレベルじゃねえな。掃除だな、あれは。ただの掃除。)
無駄のない動き。完璧なタイミング。 牛島の背中は、まるでもう一生追いつけない遠い世界の住人のように見えた。
(最強かぁ。……クソ、俺とはモノが違うのか?)
自分の未熟さが、嫌になるほど骨身に染みる。 だが、同時に胸の奥で、ドロりとした熱いものが弾けた。
(待ってろよ。……いつか、なってやる。アンタの横で、同じようにスカした顔で立ってやっからな)
ヒカリは、脳裏に焼きついた牛島の動きを、無理やり自分の肉体にねじ込もうとする。 一つ一つの踏み込み。短刀の角度。視線の配り方。 (覚えろ!俺の脳ミソ。忘れるな、俺の筋肉。……これが、俺の『教科書』なんだよ!)
そして——。 最後に、地面に膝をついた牛島の姿がフラッシュバックした。
(……限界だったんじゃねえか。あの人)
放射線でボロボロになって、立っているのも奇跡みたいな状態だったはずだ。それなのに、あの男は最後まで「最強」のフリをして見せた。
(余裕ぶっこきやがって。……スカしやがってさぁ。)
ヒカリは、鼻の頭を指でこすり、ニヤリと笑った。その目は、少しだけ牛島に似た「研ぎ澄まされた殺意」を帯び始めている。
「……見てろよ。次は俺がアンタを守ってやるよ」
炎が、爆発的に膨れ上がる。
「あんたの『闘い』だか何だか知らねえけどさ——この場は、俺が最高に綺麗に片付けてやるよ!」
ヒカリは、吠えながら異端者の群れへと飛び込んだ。
──────
戦場を埋め尽くしていた異端者の群れを、ヒカリは怒りに任せて叩き潰した。 だが、乱戦の最中、深手を負った一人が血を撒き散らしながら病院の闇へと消える。深追いしようとしたヒカリの背後で、重い衝撃音が響いた。
「っ、牛島さん!」
牛島が膝をついていた。最強と謳われた男の背中は、放射線と熱波に焼かれ、陽炎のように揺れている。ヒカリは慌ててその肩を担ぎ上げた。
「しっかりしろ! まだ終わってねえだろ!」
「……ああ。騒ぐな、傷に響く」
牛島が血の混じった息を吐き、自嘲気味に口角を上げる。その視線は、もはや逃げた雑魚には向いていない。
「雑魚はどうでもいい。……ヒルメを、探せ。さっさと連れ戻してこい。」
「わかってる! 座ってろ!」
牛島を壁に預け、ヒカリは廃病院の奥へと弾かれたように駆け出した。 薬品の死臭と埃が混ざり合う廊下を、心臓の鼓動をBGMに突き進む。最奥、地下へと続く重厚な鉄扉。ヒカリは躊躇なく、その扉を蹴破った。
ドォォンッ!!
衝撃で跳ねた埃が舞う暗い地下室。月明かりの届かない部屋の中央に、椅子に縛り付けられた人影があった。
「ヒルメ!」
心臓が口から飛び出しそうなほどの高鳴り。ヒカリは転がるように駆け寄り、震える手でその目隠しを剥ぎ取った。
「…………え?」
思考が、氷ついたように停止した。 そこにいたのは、愛する少女ではなかった。月光を鈍く跳ね返す、滑らかなプラスチックの質感。無機質な硝子玉の瞳。 そこに鎮座していたのは、精巧に作られたマネキン人形だった。
「なんだよ……これ。……冗談だろ……?」
呆然と呟くヒカリの声が、冷たいコンクリートの壁に跳ね返る。その時、静寂を切り裂いて、マネキンの胸元に固定された古いレコーダーが、無機質な作動音を立てた。
『助けて……誰か……助けてぇ……っ!』
スピーカーから溢れ出したのは、間違いなくヒルメの声だった。震え、怯え、涙に濡れた、本物の悲鳴。 だが、それはただの電気信号が再現した、過去の録音データに過ぎない。
「…………っ!!」
救い出したと思った「現実」は、最初から存在しなかった。 牛島が命を削って化物を退け、自分が必死に敵を蹴散らして辿り着いた答えは、ただの「空っぽの箱」だった。
「くそっ!! ッざけんな"!!」
ヒカリの拳が、地下室の床を粉砕する。
────
レコーダーの音が、不意に途絶えた。 静寂。直後、スピーカーからノイズと共に別の、歪んだ冷徹な声が這い出してきた。
『やあ、ヒカリ君。そして牛島さん』
「……っ!」
ヒカリがレコーダーを凝視する。
『本物は、もっと『麗しい』場所にいるよ。……我々の聖地にな』
「聖地……?」
聞き返すヒカリの頭上で、天井に設置されたモニターが突如として起動した。 砂嵐の向こう側に映し出されたのは——暗い地下室で、恐怖に身を震わせる伊織ヒルメの姿だった。
「ヒルメ!」
ヒカリが画面にすがりつく。だが、その背後の光景に彼は息を呑んだ。 壁一面に、鮮血を思わせる赤で描かれたハーケンクロイツ。そして、その傍らには不吉な「黒い太陽」の意匠が鎮座していた。
「……なんだ、これ。一体何を……」
『あと三十分で、彼女は『飢渇降臨』の儀式に供される』
歪んだ声が、告解のように続ける。
『間に合うかな? 我々の聖地——山梨県富士ヶ嶺まで』
「富士ヶ嶺……!?」
ヒカリの顔から血の気が引く。都内から山梨の富士の麓。物理的に、三十分ではどうあがいても到達不可能な距離だ。
『さあ、ヒカリ君。君は間に合うかな? それとも——彼女は、神の贄となるのかな?』
嘲笑うような笑い声が地下室に響き渡り、モニターは無慈悲に暗転した。
「……クソッ! 死ね!! ぶっ殺してやる!!」
ヒカリは拳を血が滲むほど握りしめ、地下室を飛び出した。牛島の元へと駆け寄る。
「牛島さん! 聞いてたか!? ヒルメは富士ヶ嶺って場所にいるんだ!」
「……ああ」
牛島は、震える手で通信機を握りしめていた。
「こちら牛島……至急、医療班と……ヘリを要請する……」
途切れ途切れの声。最強の男の命の灯火が、今にも消えようとしていた。
「牛島ぁ!! しっかりしろ!」
「……俺は、もう動けない」
牛島が、霞む視線でまっすぐにヒカリを見つめる。
「キミが……行け。俺の代わりに、すべてを片付けてくるんだ」
「でも、アンタをこんなとこに置いて——」
「大丈夫」
牛島が、自嘲気味に小さく笑った。
「使いたくはなかったが……俺には、別のクラウンとの契約がある」
「……別の?」
「ああ。治癒を司るクラウンだ」
牛島が、焼け焦げた胸元に手を当てる。
「放射線のダメージも……すぐに治る。俺を誰だと思っている」
「……」
「だから——ヒカリは、ヒルメを救いに行け」
牛島が、残された力を振り絞ってヒカリの肩を掴んだ。その掌の熱が、ヒカリの心臓に熱い火を激らせる。
「お前なら——できる。行ってこい」
「……わかった。必ず、連れ戻してくる!」
ヒカリが強く頷いたその時、空を切り裂いて、救いの福音——重厚なヘリのローター音が響き渡った。




