正義の物語は始まった。
翌日。
聖桜教団本部。教祖・山本匡夫の演説は、かつてない熱狂を帯びていた。
「同胞諸君! 特区の忌まわしき異端者どもは今、我らが神器の軍門に降った! 奴らは今や、政府の犬どもを迎え撃つための、動く『肉の壁』に過ぎない!」
山本が拳を振り上げる。
「奴らに衣食住は無用!生かすつもりは毛頭もない!」
「化け物同士を食い合わせ、最後に我々が浄化するのだ!」
信者たちは歓喜し、「教祖万歳」と地を鳴らす叫びを上げる。彼らにとって、忌むべき異端者を生かしているのは、あくまで「公安と共倒れさせるための効率的な処分方法」であると信じ込まされていた。
しかし、奥の私室に戻った山本の顔は、冷や汗で濡れていた。
「……大神、いい加減にしろ。信者たちは、最後には奴らが全滅すると信じている。だがお前、本当は奴らを『処分』する気なんてないだろう」
部屋の隅、モニターの光に照らされた大神璽王は、指に嵌めた**神器「ソロモンの指輪」**を眺め、冷たく微笑んだ。
「山本先生、あなたは『正義の物語』綴り、民衆に『正義の物語』を与えていればいい。信者たちは、私の支配する異端者が公安を削る様を見て、あなたの知略を称賛する。そして、あなたに対する信仰がより熱を帯びる。それで十分でしょう?」
──神器。
クラウンが遺した残滓か、あるいは彼らの成れの果てか。その本質は、一言では断じ得ぬ「超常」を孕んだ兵装の総称。
この指輪の権能は**『支配』**。神、神に連なる契約者の意志を強制し、服従させる。
大神は、信者たちが期待する「”共”倒れ」など狙っていなかった。彼は異端者を自分の忠実な手足として、あるいは「ルシファー」を覚醒させるための道具として生かし……利用し続けようとしていた。
「もし奴らを生かしていることがバレたら、俺は八つ裂きにされるんだぞ!」
怯える山本を、大神は冷徹な瞳で見据える。
「バレませんよ。いくらでも偽装できる。それに……彼らは私の所有物だ。貴方に権限はありませんよ」
山本は、何も言えなかった。
ただ——恐怖に支配されているだけだった。
────
牛島は、乱れた髪を無造作に掻き上げ、床に這いつくばるヒカリを見下ろした。その瞳は、凍てつく湖のように静かで、鋭い。
「なんだ、もう終わりか? ……キミの動きは、あまりにも神の力に依存しすぎている。力が封じられれば、キミはただの『死に急ぐガキ』だ。……立て。床の感触を味わうのが今日の目的ではないだろう?」
「……っ、クソっ、わかって……るよ……!」
ヒカリは震える手で床を突き、無理やり身体を押し上げる。全身の筋肉が悲鳴を上げている。肺が焼けるように熱い。神の力を使えば一瞬で癒える疲労だ。だが、牛島はその「甘え」を一切許さない。
「……理解しているつもりなら、それはただの慢心だ。神の力は万能の道具じゃない。いつか必ず、それが通用しない『絶対的な絶望』——フード男ような理外の存在が現れる。その時、キミは自分の『生』を放棄するつもりか?」
牛島は音もなく踏み込む。無駄のない、あまりに洗練された「人間の歩法」。
「……ッ!?」
「遅い。判断も、覚悟も。……すべてが鈍すぎる」
一瞬の交差。 牛島の鋭い掌打がヒカリの喉元に突きつけられ、そのまま流れるような足払いで再び彼を制圧した。
────
訓練最中、道場の隅。 牛島は一滴の汗も乱れも見せず、壁に背を預けていた。
「……休憩だ。5分だけやる。無駄に呼吸を乱すな。心拍を整える、これも技術のうちだ。」
「……はぁ、はぁ……。あー……死ぬかと思った……。なぁ、牛島さん」
ヒカリが肩で息をしながら、問いかける。 「……なんで、そこまで俺に厳しくすんの? 嫌がらせにしては手が込みすぎだろ」
牛島は少しの間沈黙し、窓の外の景色を眺めた。それから、静かに言葉を紡ぐ。
「……殺したくないからだ。キミに死なれたら困る」
「……は?」
「キミが暴走し、人の理を外れた時、俺がキミを殺す。それが上からの命令だ。……だが、俺は自分の後輩を始末する趣味はない。... それはあまりにも非効率で、無意味な損失だからな。」
牛島が視線をヒカリに戻す。その瞳には、深い責任感と、消えることのない微かな熱が宿っていた。
「だから、キミには生き延びる技術を身につけてもらう。神の力に頼らず、一人の『人間』として生き延びる術を。……キミはまだ子供だ。だが、いつか嫌でも大人になる。その時までキミが生き延びていられるように——俺は、今キミを鍛える」
牛島はそれだけ言うと、背を向けて立ち去ろうとした。
(……本気で俺のこと、心配してんのか?....バカだなぁ。)
ヒカリは、その孤高な背中を見つめながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。




