前哨戦
警察庁。
最上階の会議室。
長いテーブルを囲んで、スーツ姿の男たちが座っていた。
公安部の幹部たちだ。
テーブルの中央には、大型モニターが設置されている。
画面には——セフィラ、国際超常現象対策機構のロゴが映し出されていた。
「——本日のセフィラ定例会議を開始する」
モニターから声が流れる。
画面が切り替わり、各国の代表者たちの顔が映し出される。
西側——アメリカ、イギリス、フランス、日本。
東側——ナチスドイツ、中華民国、ロシア共和国。
世界は未だ、二つの陣営に分かれている。
自由主義と民主主義の西側。
ファシズム、国家社会主義の東側。
東西冷戦は落ち着きつつあるが、2020年代に入っても続いている。
第二次大戦でナチスはソ連を破り、モスクワを含む西側ロシアを東方生存圏として併合した。
残されたシベリアには、ナチスの傀儡政権・ロシア共和国が成立している。
だが——クラウンという共通の脅威を前に、両陣営は情報を共有せざるを得なかった。
「議題は前回と同じ、各国におけるクラウン対策の進捗状況について」
司会役のイギリス代表が言う。
画面には、各国の代表が映し出されている。
互いに敵対する国々だが、この場では表面上の礼儀を保っている。
「まず、アメリカから報告を」
『ニューヨーク支部です。先月比で超常存在の出現頻度が15%増加。特にConquest Fiendの活動が活発化しています』
アメリカは独自の呼称を使う。クラウンを「Fiend(悪霊)」と呼ぶ。
「ヨーロッパは、まず我々から。」
『こちら、ロンドン支部『監視局』。報告します。霧の神の発現が市内で多発。現時点では、直接的な『臨界事象』、すなわち大規模被害は確認されていません。』
「フランスは?」
『パリ支部。処刑の神が再び活動を開始。市民への被害は避けられていますが、警戒レベルを引き上げています』
次に——東側の報告。
「ドイツからの報告は?」
画面に、ナチスドイツの代表が映る。
鷲の紋章を胸につけた、厳格な顔つきの男だ。
背後には、ハーケンクロイツの旗が見える。
『ベルリン支部です。鉄の神が東方生存圏で確認されています。対処は完了しました。』
東方生存圏——かつてのモスクワを含む、ナチスが併合した旧ソ連領。
ドイツ代表の声は、冷たく機械的だった。
「中華民国は?」
『北京支部。龍の神が活動中。我が国の特殊部隊が対応しています』
中華民国の代表——青天白日満地紅旗を背にした男が答える。
「ロシア共和国は?」
『ウラジオストク支部。霜の神がシベリアで目撃されています。調査中です』
ロシア共和国——かつてのソビエト連邦の残滓。
第二次大戦でナチスに敗北し、モスクワを含む西側を奪われた。
残されたシベリアに、ナチスの傀儡政権として成立した国だ。
形式上は独立国家だが、実質的にはナチスの支配下にある。
次々と報告が続く。
日本側の幹部たちは、メモを取りながら聞いていた。
そして——
「次に、日本からの報告を」
司会が言った。
日本側の幹部の一人が立ち上がる。
「日本からは、前回予告した通り——特殊なケースについて報告いたします」
画面に、資料が映し出される。
『クラウンとの合一化に成功した人間』
その文字を見て、各国の代表たちがざわめいた。
西側も、東側も——全員が食い入るように画面を見つめる。
「前回の会議で概要をお伝えしましたが、本日は詳細なデータを共有いたします」
幹部が資料をスクロールする。
『対象者:ヒカリ(仮名)』
『年齢:推定16歳』
『契約神:自由の神・ルシファー』
『特異性:クラウンとの完全な合一化。これまでに確認された事例はなし』
『能力:変身による身体能力の飛躍的向上、高速移動など』
『戦闘データ:添付資料参照』
画面には、ヒカリの変身した姿——黒い翼と光の角を持つ、異形の姿が映し出される。
北海道での戦闘映像も流される。
熊の神・ウェンカムイとの戦闘。
圧倒的な力で神を押し返すヒカリの姿。
各国の代表たちが、沈黙したまま画面を見つめていた。
『……驚異的だ』
アメリカ代表が呟く。
『我々も似たようなケースを探っているが......発見にはいたっていない。』
ドイツ代表が、興味深そうに——いや、飢えたような目で画面を見つめる。
『この対象者は、どのように管理されている?』
中華民国代表が尋ねる。
「現在は、警視庁公安部の管理下にあります。厳重な監視体制を敷いております」
幹部が答える。
『このデータは....各国で本当に、共有してよろしいのか?』
イギリス代表が確認する。
「はい。セフィラの原則に基づき、情報は共有いたします」
幹部が頷く。
画面の向こうで——
ドイツ代表と中華民国代表が、一瞬視線を交わした。
会議室の隅——
牛島が、じっと画面を見つめていた。
拳を握りしめている。
(馬鹿げている……)
心の中で毒づく。
(奴らは、ヒカリを研究材料としか見ていない)
牛島は、前回の会議で反対した。
ヒカリの詳細情報を他国に晒すことの危険性を指摘した。
特に——東側に対して。
ナチスドイツ。中華民国。
彼らは、手段を選ばない。
だが——上司たちは聞く耳を持たなかった。
「国際協力の時代だ」
「透明性を持って行動しなければならない」
「この冷戦は終わりつつある。我々も協力すべきだ。」
そう言われて、押し切られた。
(奴らは、実績の数でしか人を見ない)
牛島の脳裏に、ある懸念が浮かぶ。
断片的な諜報情報だが、ドイツが何らかの研究を行っているという噂がある。
人間を神にする計画。
《ハヴァ計画》という暗号名で呼ばれている。
真偽は不明だ。証拠もない。
だが、牛島の直感が警告を発していた。
(もし本当なら、ヒカリのような存在は格好の研究材料になる)
会議が終わり、通信が切れる。
幹部たちが満足そうに頷き合っている。
「これで各国との連携が深まる」
「素晴らしい成果だ」
「冷戦が終われば、世界は平和になる」
牛島は、黙って立ち上がった。
(平和?笑わせるな)
そして——
会議室を出る前に、一度だけ振り返った。
(ヒカリを、絶対に他国の手に渡してはならない)
決意を新たにする。
-----
翌日。
牛島は、上司たちを集めて話をした。
「ヒカリの監視体制について、提言があります」
「何だ、牛島」
上司が面倒くさそうに言う。
「ヒカリの監視を、私に一任していただきたい」
「……何?」
「地下に閉じ込めておくのは、資源の無駄です。奴には、もっと有効な使い道がある」
「しかし、ヒカリは危険だ。暴走したら——」
「暴走したら、私が殺します」
牛島が即答した。
「……!」
「それは前から決まってることでしょう。ヒカリが裏切ったり暴れたりしたら、私が殺す。それが取り決めです」
牛島が上司たちを見回す。
「だから、監視も私に任せてください。あなた方はどうせ何もできやしない」
「貴様……!」
一人の上司が激昂する。
「何様のつもりだ!」
「事実を言ってるだけです」
牛島が肩をすくめる。
「あなた方は、平和ボケしている。争いが起きないと思い込んでいる。危機感が欠如している。」
「……」
「聖桜教団は、また動きます。次は、もっと大規模な攻撃がきっと来る」
牛島が声を落とす。
「その時——ヒカリという戦力を、無駄にしないでください」
「……」
上司たちは、黙り込んだ。
しばらくの沈黙の後——
「……分かった」
一人の上司が、重い口を開いた。
「牛島、お前に任せる。ヒカリの監視は、お前が管理しろ」
「了解しました」
牛島が頷く。
「ただし——セフィラへの報告は、今後も継続する」
「……勝手にしてください」
牛島が吐き捨てる。
「だが、今後は詳細を伏せることをお勧めします。ヒカリの能力の全容を、これ以上晒さないでください」
「……検討する」
上司が曖昧に答える。
牛島は、それ以上何も言わずに会議室を出た。
-----
霞ヶ関。
警視庁の地下極秘フロア。
ヒカリは、自室のベッドに寝転がっていた。
「……暇だな」
天井を見つめる。
ここに来てから、どれくらい経っただろう。
時間の感覚が、曖昧になってきている。
その時——
ドアがノックされた。
「入れ」
ヒカリが起き上がる。
ドアが開き、牛島が入ってきた。
「よう」
「話がある」
牛島が椅子に座る。
「ヒカリ、ここから出られることになった」
「……は?」
ヒカリが目を丸くする。
「マジで?」
「ああ」
牛島が頷く。
「上と交渉した。監視体制を緩和する代わりに、私がお前を管理する」
「管理って……」
「ヒカリと同居する」
「は?」
ヒカリが素っ頓狂な声を出す。
「同居って、アンタと?」
「そうだ」
牛島が腕を組む。
「ヒカリの行動は、俺が監視する」
「……」
「それと——もしお前が暴走したら、俺がすぐに殺す」
牛島が真剣な顔で言う。
「それが条件だ」
「……」
ヒカリは、しばらく黙っていた。
そして——
「……まあ、いいか」
「いいのか?」
「地下よりはマシだろ」
ヒカリが笑う。
「それに、アンタとなら——退屈はしなさそうだ」
「……そうか」
牛島が立ち上がる。
「じゃあ、荷物をまとめろ。明日、引っ越しだ」
「了解」
ヒカリが頷く。
牛島が部屋を出ていく。
ヒカリは、天井を見上げた。
(……地上か)
(良いじゃん。)
-----
翌日。
ヒカリは段ボール箱を抱えて、エレベーターに乗り込んだ。
「これで最後だな」
呟きながら、荷物を確認する。
服、本、プリクラの入った財布——たったそれだけだ。
地下での生活は、もう終わりだ。
ヒカリはエレベーターのボタンを押す。
地上階へ。
-----
東京都内、とあるマンション。
一般の住人も暮らす、ごく普通のマンションに見える。
だが、ここには警察関係者が多く住んでいる。
ヒカリの部屋は、3階の角部屋だった。
隣——というか、同じフロアの隣の部屋には、牛島が住んでいる。
「着いたぞ」
牛島がヒカリに鍵を渡す。
「これがお前の部屋だ」
「サンキュ」
ヒカリが鍵を受け取り、ドアを開ける。
中は——
シンプルな1Kの部屋だ。
ベッド、机、クローゼット。
最低限の家具が揃っている。
「……悪くねぇ」
ヒカリが呟く。
「ルールは分かってるな?」
牛島が腕を組む。
「外出時は連絡、門限は夜10時、暴れたら即座にアンタが殺しに来る」
「そうだな」
牛島が頷く。
「それと——何か困ったことがあったら、すぐに俺に言え」
「……あんた、意外と優しいんだな」
「勘違いするな。ヒカリが問題を起こせば、俺の責任になるんだ。だから先回りして潰すだけさ。加えて俺の後輩が心配性なんでね。」
「あ〜、はいはい」
ヒカリは笑って、部屋に荷物を置いた。
-----
引っ越しから数日が経った。
ヒカリは、少しづつ新しい生活に慣れてきていた。
朝は牛島と一緒に朝食を取り、午後は訓練施設で体を動かす。
夜は部屋で漫画を読むか、スマホをいじるか。
平凡な日常——だが、ヒカリにとっては新鮮だった。
そして、今日は久しぶりの休日だった。
「買い物でも行くか」
ヒカリは部屋を出て、牛島の部屋のドアをノックした。
「牛島さんよ〜、買い物行ってくるわ」
「待て」
ドアが開き、牛島が顔を出す。
「どこに行くんだ?」
「どうせGPSか何かでわかんだろ?はぁ...渋谷あたりだよ。服買いたいし」
「……分かった。夕方6時までには戻れ」
「...了解」
ヒカリは軽く手を振って、マンションを出た。
-----
午前10時30分。
ヒカリは丸ノ内線の電車に乗っていた。
休日ということもあり、車内はそこそこ混んでいる。
家族連れ、カップル、学生。
みんな、楽しそうに話している。
ヒカリはイヤホンを耳に入れ、音楽を聴いていた。
(平和だな……)
ぼんやりと窓の外を眺める。
電車は地下を走り、次の駅へ向かう。
その時——
車内のアナウンスが流れた。
『次は、霞ヶ関、霞ヶ関です』
霞ヶ関駅。
官庁街の最寄り駅だ。
ヒカリは、少しだけ表情を曇らせた。
(…はぁ、この近くだな。嫌な事思い出した、休みなのに。)
電車が減速し、ホームに滑り込む。
ドアが開く。
何人かの乗客が降り、新しい乗客が乗ってくる。
その中に——
一人の男がいた。
面を被り、大きなバッグを抱えている。
顔は見えない。
ヒカリは、一瞬だけその男に目をやった。
(……?)
何か、嫌な予感がした。
男の動きが——不自然だ。
周囲を警戒するような、怯えたような——そんな雰囲気。
(……まさかな)
ヒカリは視線を外す。
だが、警戒は解かなかった。
ドアが閉まる。
電車が動き出す。
-----
電車が次の駅に向かって走り出した、その数秒後——
車内に、異様な臭いが漂い始めた。
「……ん?」
ヒカリが顔をしかめる。
刺激臭。
鼻をつく、何かが焦げたような臭い。
「なんだコレ……」
周囲の乗客も気づき始めた。
「なんか臭くない?」
「うわ、何この匂い……」
ざわざわと、車内が騒がしくなる。
そして——
「うっ……!」
一人の女性が咳き込んだ。
「げほっ……げほっ……!」
次々と、乗客が咳き込み始める。
「な、何……!?」
「目が……目が痛い……!」
「息が……苦しい……!」
パニックが広がる。
ヒカリも、目に激痛が走った。
「……チッ」
涙が溢れる。
呼吸が苦しい。
喉が焼けるように痛い。
(毒ガスか)
ヒカリは咄嗟にシャツで口と鼻を覆った。
しかし、すでに遅い。
車内は、毒ガスで満たされている。
乗客たちが次々と倒れていく。
「助けて……!」
「誰か……!」
悲鳴が響く。
ヒカリは、視線を巡らせた。
そして——
見つけた。
床に転がる、ビニール袋。
その中から、液体が漏れ出している。
液体が空気に触れ、気化している。
それが——毒ガスの正体だ。
「……」
ヒカリは、お面の男を探す。
もういなかった。
(クソっ)
ヒカリは、冷静に状況を判断する。
(次の駅まで、あと2分くらいか?)
(それまでに——できることは)
ヒカリは、床に転がるビニール袋に近づいた。
他の乗客は倒れている。
誰も動けない。
ヒカリは息を止め、ビニール袋を掴んだ。
(……熱ィ)
液体が手につく。
皮膚がじりじりと焼けるような痛み。
だが——ヒカリは動じなかった。
痛みのブレーキが、壊れている。
ヒカリはビニール袋を、窓の隅に押し込んだ。
少しでも、拡散を防ぐために。
そして——
電車が、次の駅に到着した。
-----
ドアが開く。
乗客たちが、必死にホームへ逃げ出す。
「助けて……!」
「誰か……医者を……!」
ホームは、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
倒れている人。
咳き込んでいる人。
嘔吐している人。
ヒカリも、ホームに降りた。
「げほっ……」
視界がぼやける。
涙が止まらない。
だが——意識は、はっきりしていた。
(……まだ動けんな)
ヒカリは、駅員に声をかけた。
「毒ガスだ‼︎換気‼︎」
「え、あっ、はい!」
駅員が慌てて無線を取り出す。
ヒカリは、周囲を見回す。
倒れている人々。
その中に——
子供がいた。
小学生くらいの男の子。
意識がない。
「……チッ。マジかよ。」
ヒカリは、子供の元へ駆け寄った。
呼吸を確認する。
弱いが——ある。
「おい、誰か救急車呼んだか!?」
ヒカリが叫ぶ。
「呼びました!もうすぐ来ます!」
駅員が答える。
「……よし」
ヒカリは、子供を抱き上げた。
そして——
ホームの端、換気口の近くに運ぶ。
少しでも空気の良い場所へ。
「……頑張れ」
ヒカリが呟く。
その時——
ヒカリの視界が、ぐらりと揺れた。
「……ん?」
膝をつく。
体が重い。
毒ガスの影響が、じわじわと効いてきている。
(……畜生、クソっタレ。)
ヒカリは、壁にもたれかかった。
意識が遠のく。
そして——
倒れた。
-----
東京メトロは、すぐに全線を停止した。
消防、警察、救急が現場に急行する。
防護服を着た隊員たちが、駅構内に突入する。
「被害者多数!」
「毒物の特定を急げ!」
「換気を最優先に!」
怒号が飛び交う。
ヒカリは、担架で運ばれた。
意識は朦朧としている。
(……くそ、またかよ。)
救急車に乗せられる。
サイレンの音が、耳に響く。
そして——
病院へと搬送された。
-----
その日の午後。
全国のニュースで、事件が報じられた。
『東京メトロ丸ノ内線で、毒ガステロ発生』
『死者13人、負傷者数十人』
『犯人は逃走中』
『使用された毒物は、神経ガスの一種と見られる』
テレビ画面には、駅の映像が映し出される。
防護服を着た隊員。
担架で運ばれる被害者。
パニックに陥る人々。
日本中が、震撼した。
-----
ヒカリは、病院のベッドで目を覚ました。
「……ここは」
視界がぼやける。
酸素マスクが顔についている。
「気がついたか」
声がした。
ヒカリが顔を向けると、牛島が立っていた。
「牛島さん……」
「無事で良かった」
牛島が椅子に座る。
「毒ガステロに巻き込まれたそうだな」
「……ああ。やられたなぁ」
ヒカリが苦笑する。
「犯人は?」
「逃げた」
牛島が苦い表情をする。
「お面の男が、車内にビニール袋を置いて逃げた。中身は、VXガスに似た化学物質だ」
「VXガス……」
「神経ガスの一種だ。殺傷力が極めて高い」
牛島が腕を組む。
「死者は13人。ヒカリを含め、数十人が病院に搬送された」
「……チッ」
ヒカリが拳を握る。
「また聖桜教団か?」
「俺の予想では、おそらく」
牛島が頷く。
「犯行声明が出た。『神に頼らぬ国を』だそうだ。
裏に奴らが居るのはまず間違いない。」
「……」
「ヒカリも、標的だろうな。」
牛島が真剣な顔をする。
「クラウンと合一した存在——奴らにとって、最も邪魔な存在だ」
「……だろうな」
ヒカリが天井を見つめる。
「望月も、斎藤も——奴らに殺された」
「……ああ」
牛島が頷く。
「今回のテロも、警告だろうな。次は——もっと大規模な攻撃が来る」
「……」
「ヒカリは、しばらく安静にしてろ。動けるようになったら、また連絡する」
牛島が立ち上がる。
「それと——」
「ん?」
「子供を助けたそうだな」
牛島が、少し笑った。
「碇の言う通り...キミは人間だ。」
「……うるせぇ」
ヒカリが顔を背ける。
牛島が部屋を出ていく。
ヒカリは、天井を見つめた。
(聖桜教団……)
(許さねぇ)
-----
ヒカリは、ベッドで横になっていた。
体はまだ重い。
スマホが鳴る。
イヴからのメッセージだった。
『ニュース見たよ。大丈夫?』
ヒカリは、返信する。
『大丈夫。ちょっと巻き込まれただけだし。』
『心配したよ。無事で良かったよ。』
『ありがとな』
ヒカリは、少し笑った。
(イヴ……)
もう一度、メッセージを打つ。
『落ち着いたら、またどっか行こうな』
『うん。楽しみにしてる』
ヒカリは、スマホを置いた。
窓の外を見る。
夜の東京。
いつもと変わらない景色。
だが——
この平和は、脆い。
いつ崩れるか分からない。
(俺が守る……)
ヒカリは、静かに決意した。
-----
その頃。
東京郊外の、とある建物。
聖桜教団の本部だ。
広い会議室に、数人の男女が集まっていた。
中央の豪華な椅子に、一人の男が座っている。
白い法衣を着た、50代の男。
教団のリーダー——山本匡夫だ。
丸い顔に、油じみた笑顔。
その両脇には、若い女性信者が二人、寄り添っている。
「いやぁ、大成功だったな!」
山本が高笑いする。
「死者13人!負傷者数十人!素晴らしい成果だ!」
女性信者たちが、山本を持ち上げる。
「さすが教祖様です」
「教祖様のご英断のおかげです」
「はっはっは!そうだろう、そうだろう!今夜は楽しみにしておけ!」
山本が女性の肩を抱く。
会議室の隅——
一人の男が、静かに立っていた。
穏やかで知的な雰囲気を纏った、三十前半の男。
白いシャツに黒いスラックス。
教師のような、落ち着いた佇まい。
大神璽王。
教団の「支援者」として、会議に出席している。
「大神さん、どうだった?」
山本が大神に声をかける。
「素晴らしい成果でした」
大神が穏やかに微笑む。
「これで——公安の目を逸らすことができました」
「そうだろう、そうだろう!」
山本が得意げに笑う。
「公安は、俺たちのアジトを特定しつつあるらしいんだ。強制捜査も近いってよ」
「ええ」
大神が頷く。
「だからこそ——今回のテロが必要だったのです」
「地下鉄で大混乱を引き起こせば、警察の目はそっちに向く!俺たちへの捜査は、先延ばしだ!」
山本が拳を振り上げる。
「はっはっは!俺って天才じゃねぇか!」
「……」
大神は、何も言わず微笑んでいる。
目は、笑っていなかった。
「で、次はどうするんだ?」
山本が大神に尋ねる。
「次は——もっと大規模に行きましょう」
大神が地図を広げる。
「邪魔者を根絶やしにします。」
「ターゲットは?」
「標的は変わらず『神性事案対策部』です。そのために、陽動と本命を分けました。
まずガスを撒いた。あれで捜査は混線し、現場は無意味に騒がしくなった。十分でしょう。重要なのは、その先です」
大神はレーザーポインターを走らせ、古びた地図の片隅――都市の“汚点”のような一点で止めた。
「この『特区』。表向きは管理区域ですが、実態は違う。
クラウンが定着し、繁殖し、支配している地帯です。人間が主導権を失った時点で、あそこは都市ではなく“巣”になった」
淡々と続ける。
「内部に残っているのは、クラウンの影響を受けた潜在的な神契者――通称『異端者』。
または、犯罪者や体制から弾き出された者たち。国に居場所を失い、流れ着いた残骸です。」
わずかに口角が動く。
それは嘲笑ではない。評価ですらなかった。
「自制も理性も持たず、自分を特別だと誤認した失敗作の群れ。
救済の対象ではありません。
教義上、存在そのものが誤りであるゴミ共。」
間を置き、淡々と続ける。
「もっとも、ただ廃棄するのは非効率ですがね。
――ゴミでも、燃やせば熱にはなる。」
一拍置き、言い直す。
「なので、利用させてもらいましょう。
最前線に放り込む。弾薬として、です」
赤い点が東京全域へと滑る。
「異端者に同時多発的な行動を起こさせる。制御不能な害獣が街に散れば、公安は否応なく対応に追われる。
結果、敵と生きる価値のない塵芥が同時に摩耗する。互いに噛み合い、潰し合う――『対消滅戦術』」
大神の声は、終始一定だった。
「我々は手を汚さない。
異端者は役目を果たして消える。公安も同時に削れる。
首都機能は麻痺し、東京は一時的に“空白”になる」
レーザーが消える。
「その後で、山本先生に立っていただく。この国の上に、正しい秩序として。
ガス事件により、神性対策部の視線は、無駄な方向に引き裂かれている。連中は気づかない。東京が最初から“奴らの墓場”として指定されていたことに。」
静かに、結論だけが落とされた。
「――Xデーは近い」
「フハッ……最高だ!その熱狂、この血が滾るのを止められん!」
山本が興奮する。
「神契者なんて、化け物どもだ!全員殺しちまえ!」
「……その通りです」
大神が穏やかに言う。
「神に頼らぬ国を——我々の手で作りましょう」
「そうだ、そうだ!」
山本が、ゆっくりと立ち上がる。
「神に縋る連中は、みんな同じだ。
考えることを放棄して、責任を投げ捨てている」
一拍、間を置く。
「この国を動かすのは、神じゃない。
――俺たち人間だ。日本人だ。」
空気が震えた。
女性信者の一人が、恍惚とした声で呟く。
「……やっぱり、教祖様は分かっていらっしゃる」
──それが合図だった。
誰も拍手はしない。
ただ、同じ言葉が静かに重なっていく。
「正しい」
「間違いない」
「教祖様は、いつも正しい」
山本が満足そうに笑う。
大神は——
静かに、その様子を見つめていた。
穏やかな笑顔を浮かべたまま。
(愚かな男だ)
心の中で、冷徹に思う。
(だが——利用価値はある)
大神の目には、暗い炎が宿っていた。
山本は、気づいていた。
自分が——大神に利用されていることを。
だが——逆らえない。
大神の背後には、何かがある。
──圧倒的な暴力。
──逃れることの出来ない危機。
それは、DNAにまで刻まれた原初の恐怖だ。
山本は、それを感じ取っていた。
だから——従うしかない。
大神の言う通りに動くしかない。
「じゃあ、次の作戦の準備を進めよう!」
山本が声を上げる。
「公安共を、一掃してやる!」
「……はい」
信者たちが頷く。
大神は、静かに微笑んでいた。




