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堕天【 FREEDOM’S CROWN 】 ~生きる為、怪物と契約した男~  作者: イチジク浣腸
聖桜教団編

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43/65

ペルソナ

待ち合わせ場所のカフェ。ヒカリは1時間も前に到着し、窓際の席で待っていた。


彼は楽しみすぎて、じっとしてられなかった。せっかちな性分もあって、気づいたら部屋を出ていた。


「ヒカリくん!」


イヴが明るい声で入ってくる。

まだ、集合時刻の30分前だ。


「あれ、イヴ?早いな」


「早いのはヒカリくんだよ〜いつから居たの?」


イヴが驚いたように尋ねる。


「ん?今来たとこ」


嘘だ。実際は1時間前から待ってた。でもそんなこと言えるわけないよな。そんなみっともない事。


「そうなんだ。私も早く来ちゃって」


イヴが少し照れくさそうに笑う。その表情が可愛くて、ヒカリは思わず見とれてしまった。


「まぁ...楽しみだったし」


軽く流す。こういう時、変に気を遣わせない方がいい。


「じゃあ、何か飲んでから行こっか」


二人はカウンターへ向かう。メニューを眺めながら、イヴが首を傾げた。


「うーん、何にしようかな」


「俺は……オレンジジュースで」


ヒカリはメニューを見ながら答える。コーヒーは苦手だ。イヴが普段入れてくれる、砂糖とミルクがたっぷり入ったやつなら...飲めるけど。


「私は……あ、このカフェ、フレンチロースト推してるんだ...」


イヴの表情が一瞬曇る。しかしすぐに笑顔を作り直した。


「フレンチロースト?何ソレ、美味そう」


「んー、でも私、フランスのコーヒーってあんまり好きじゃないんだよね〜」


「マジ?意外」


「何と言うか……フランス文化全般がね、どうにも苦手で。性に合わない。」


へぇ、とヒカリは思った。お洒落な感じだからフランスとか好きそうに思えたのに。


「それがね……まぁ、色々あってね」


イヴは少し遠い目をする。何か事情がありそうだが、ヒカリは深く追及しなかった。


「でも、バレエだけは別だよ。あれは美しいと思う」


「バレエ?観に行ったりすんの?」


「たまにね。フランスのバレエ団が来日した時は必ず観に行く」


「へぇ、詳しいんだな」


イヴは少し照れくさそうに笑った。その笑顔を見て、ヒカリの胸が高鳴る。


(かわいい)


結局、イヴはカプチーノを注文した。


-----



カフェを出ると、午後の光が二人の影を細く伸ばした。

水族館へ向かう道のりは、ほどよく人通りがあり、ざわめきが波紋のように耳へ届く。

ヒカリは白い半袖のシャツを着ていた。

学生服感を残しながらも、開襟ではないため、どこかぎこちない清潔さが漂っている。


「――あ、ちょっと待って」


イヴがふいに足を止めた。

ヒカリが振り返ると、彼女は眉をひとつ寄せて近づいてくる。


「ん?」


「襟、乱れてる」


その言いぶりは淡々としているのに、なぜか胸の奥がざわつく。

イヴはヒカリの正面に立ち、そっと両手を伸ばした。

細い指先が、迷いもなく襟元に触れる。

生地が微かに動くのと同時に――

彼の首筋に、イヴの指の温度が触れた。

──冷たい。

その時、空気が止まったような静けさが落ちた。


「……あんがと」


ヒカリは少し照れくさそうに言った。


「どういたしまして」


イヴは微笑んで、また歩き出す。


「楽しみだね」


イヴが弾んだ声で言う。少しヒカリに寄り添うように歩いている。


「だな。」


イヴの歩幅に合わせるように、ヒカリは歩いた。胸の奥で、何かが静かに灯る。


街を歩いていると、夕暮れの光が建物の間から差し込んでくる。ネオンと空の境界が溶けるような時間帯だ。


その時——


「きゃあ!」


前方で子供の声がした。


風に煽られた帽子が、宙を舞っている。小さな男の子が必死に追いかけているが、帽子は風に乗ってどんどん遠くへ。


ヒカリの身体は、考えるより先に動いていた。


階段を駆け上がり、手すりに手をかけて跳ぶ。視界の端を人々が流れ、車が光の帯を引きながら走り抜ける。


街は障害物の迷路だ。段差、壁、柵——すべてが彼の足を待っていたかのように連なっている。


蹴り上げ、跳ね返り、壁を蹴って空中を滑る。


風が顔に触れ、髪を乱す。心臓が熱を帯び、時間が濃縮される。


空中、指先が帽子の縁に触れた。


掴んだ。


───着地。

膝が微かに曲がるが、見事に衝撃を吸収する。


「……おお」


周囲から小さなどよめきが起こる。


ヒカリは帽子を持って、泣きそうな顔をした男の子のところへ歩いた。


「ほら」


「あ、ありがとう……!」


男の子は嬉しそうに帽子を受け取り、母親の元へ駆けていった。


ヒカリが振り返ると、イヴが立っていた。


少し呆然とした表情で、ヒカリを見つめている。


「……今の、すごかったね」


イヴが呟いた。


「は?」


「今の、すごかったよ」


「あー、まぁ、体が勝手に動いてよー」


ヒカリは照れくさそうに頭を掻いた。


イヴは何か言いたげに口を開きかけたが、結局何も言わず、ただ微笑んだ。


「行こっか」


「おう」


二人は再び歩き出した。


-----


エントランスを抜けると、薄暗い館内に青い光が揺らめいている。大きな水槽の中を、色とりどりの魚たちが泳いでいた。


「わぁ、綺麗……」


イヴが水槽に顔を近づけた。

青い光が、彼女の頬の線をなぞるように揺れている。

その横顔に、ヒカリの視線はぴたりと吸い寄せられた。

まるで磁石でも仕込まれたように――逸らすことができない。

(……綺麗だな)


水槽の中で揺れる光より、泳ぐ魚より、ずっと鮮やかだった。


「ふーん、何見てるのさ」


イヴが横目でこちらを盗み見て、少しだけ唇を上げた。

からかいの温度が混じった声。

それだけでヒカリの胸が跳ねる。


「は、えっ……」


情けない音が喉から漏れ、ヒカリは慌てて目をそらす。

水槽のガラスに映る自分の耳が赤いのが分かって、ますます困る。

イヴはそんな彼を見て、ひとつ小さく息を笑いに変えた。


「まあ、いいや。ねぇ、あれ見て」


イヴが指差す先には、ゆったりと泳ぐマンタがいた。


「うわっ、でけぇな……」


「優雅だよね」


二人並んで、しばらく水槽を眺める。イヴの肩が自分の肩に触れそうな距離。


ヒカリの心臓がバクバクする。


イヴはちらりとヒカリを見上げ、微笑んだ。そしてまた水槽へ視線を戻す。


「うん?あのマンタ、なんか面白い動きしてるな」


ヒカリが指を差す。


「ほら、あそこ。くるくる回ってるじゃん」


「本当だ。可愛いね」


イヴが笑った。その笑顔に値段はつけられない。


-----



クラゲのコーナーに差し掛かった時、大きな展示パネルがあった。


「『未曾有の発見』……って書いてあるな」


ヒカリが読み上げる。


「みぞうゆうの発見」


イヴが一瞬、表情を変えた。しかしすぐに笑顔になる。


「ぷっ……み、みぞうゆう?」


「は?違うの?」


「『みぞう』だよ、ヒカリくん」


「マジかよ……」


恥ずかしさで顔が熱くなる。


「可愛い」


イヴが優しく笑う。バカにしているのではない。本当に愛おしそうな笑顔だった。


「わ、笑うなよ……」


「ごめんごめん。でもね、そういうの嫌いじゃないよ」


そう言って、イヴはヒカリの腕に軽く触れた。


ヒカリの胸が高鳴る。


「こいつ、チョロいぞ」


イヴが小さく呟いた。


「は?今なんつった?」


「ん?何も言ってないよ〜」


イヴは誤魔化すかの様に、ニコニコしていた。


-----



深海魚のコーナーは、より暗く、より静かだった。


不気味な姿の魚たちが、ゆっくりと泳いでいる。


「うわ、これヤバくね?」


ヒカリが指差す先には、巨大な口を持つ魚がいた。


「....説明文、読んでみて」


イヴが促す。

...楽しそうだ。


「えーと……『この魚は轟音を立てて……』」


「ごうおん、ね」


「あ、違った。『轟音』……とどろき、おん……」


「うん」


「……って、これ『轟』って字。車が三つだから『しゃしゃしゃ』って読むのかと思った」


「ぶっ!くふ。」


イヴが笑いを堪えきれず、声を上げた。


「ふっ、ふふ。はっはは。しゃ、しゃしゃしゃって!ヒカリくん、センスある!」


「いや、だって車三つだろ……」


「はぁ...面白すぎる」


イヴは、こらえきれないように目尻を潤ませながら笑った。

笑いすぎて涙がにじんでいるのに、どこか誇らしげで、あどけなくて、そして胸に刺さるほど綺麗だ。


「……ほんと、ヒカリくんってさ……」


言葉の続きは笑いに溶けて消える。

そのまま、彼女はふっと距離を詰める。

軽い仕草だった。

けれど、迷いを許さない自然さで、ヒカリの肩に手を置いた。

───冷たいけど温かい。

ヒカリの意識はただ一点に吸い寄せられた。

肩に置かれたその手に。

-----



「そろそろお昼にしない?」


イヴが提案する。


「いいな。腹減ってきた」


館内のレストランへ向かう。


メニューを眺めながら、ヒカリが呟く。


「うーん、何でもいい「ヒカリくん!」


イヴが急に真剣な表情になった。


「あっ、」


「前にもいったよね。人が一生で食べられる数は決まってるんだよ」


「そうだったな」


「だから、『何でもいい』なんて言っちゃダメ。ちゃんと選ばなきゃ」


その真剣な眼差しに、ヒカリは思わず笑みを浮かべる。


「分かった、じゃあ、これにするか」


ヒカリはメニューを指差した。


二人は注文を済ませ、料理が来るのを待つ。


「ちょっとトイレ行ってくる」


ヒカリが席を立つ。


「うん、行ってらっしゃい」


-----



トイレから戻る途中、ヒカリはレストランの入口近くで立ち止まった。


そこには、小さな触れ合いコーナーがあった。ヒトデやナマコに触れる体験コーナーだ。


水槽の縁に、誰かが触った後のヒトデが一つ、置きっぱなしになっている。


(……これ、使えるな)


ヒカリはニヤリと笑った。


周りを確認してから、そっとヒトデを手のひらに乗せる。


テーブルへ戻った。


イヴは窓の外を眺めている。


ヒカリはゆっくりと席に座り、テーブルの下からこっそりとヒトデをイヴの手元に滑り込ませた。


「イヴ、ちょっとこれ見て」


「ん?何?」


イヴが視線を戻した瞬間——


「きゃあっ!」


イヴが小さく悲鳴を上げた。


手元にヒトデがいる。


「な、なにこれ!?」


「ヒトデ」


ヒカリがケラケラ笑う。


「ちょ、ちょっと!ヒカリくん!」


イヴは驚いた顔をしたが、すぐに笑い出した。


「もう、びっくりした!」


「悪い悪い」


ヒカリはヒトデを持って、触れ合いコーナーに戻しに行った。


戻ってくると、イヴはまだ笑っていた。


「ヒカリくん、意外といたずらっ子なんだね」


「まぁな」


ヒカリは得意げに笑った。


イヴは少し呆れたように、でも楽しそうに首を振る。


「でも、楽しかった」


「マジで?」


「うん。ヒカリくんといると、退屈しない」


そう言って、イヴは微笑んだ。


ヒカリの胸が高鳴る。


(俺のこと好きなのだよな?)


-----



食事を終えた後、館内の休憩スペースで二人はベンチに座った。


「ちょっと疲れたね」


イヴが言う。


「だよな。ちょっと休憩するか。」


自動販売機でドリンクを買おうとした時、ヒカリはポケットを探った。


「あれ……」


「どうしたの?」


「いや、小銭が……まぁいいや、これで買えるな」


ヒカリは小銭をかき集めて、なんとか二本分買った。


「ごめん、イヴ。俺が奢るつもりだったのに」


「ううん、全然いいよ。ありがとう」


イヴは嬉しそうに受け取った。


ヒカリは少し恥ずかしかった。本当は、もっとちゃんとやりたいのに。


でも、イヴは何も気にしていないようだった。むしろ、その不器用さが好ましいとでも言いたげな表情だ。


(イヴは優しいよな)


「ヒカリくん、普段何してるの?」


イヴが尋ねる。


「普段?まぁ、色々だな。最近は……壊れたもん直したりとか」


「直すの?」


「うん。捨てられてるもんとか、拾ってきて使えるようにすんの。意外と使えるんだよ」


「へぇ、器用なんだね」


「まぁな。昔からやってたし」


本当は、そうしないと生きていけなかった時期があったからだ。好きでやってたわけじゃねぇ。


「すごいね。私、そういうの全然ダメなんだ」


イヴが感心したように言う。


「へ〜意外」


「うん。だからヒカリくん、尊敬するな〜」


そう言って、イヴは微笑んだ。


-----



イルカショーの時間になり、二人は観客席に座った。


「わぁ、すごい!」


イヴが目を輝かせる。ヒカリの腕に軽く手を添えた。


イルカたちが華麗にジャンプし、トレーナーの指示に従って芸をする。


「これ、訓練すげぇんだろうな」


ヒカリが呟く。


「うん。でも信頼関係がないとできないよね」


イヴが真剣な表情で言う。


「トレーニングって、ただ命令するだけじゃダメなの。相手を理解して、信頼を築いて……そうやって初めて成立する」


「詳しいな」


「昔、少し……そういうの勉強してたから」


「へぇ」


イヴは少し遠い目をした。何か深い事情がありそうだが、ヒカリは追及しない。


ショーが終わり、二人は館内をさらに巡る。


-----



ペンギンたちがよちよちと歩いている。


「可愛い……」


イヴが目を細める。


「確かに、可愛いな」


「ねぇ、ヒカリくん」


イヴがヒカリを見上げる。


「ペンギンって一生同じパートナーと過ごすんだって」


「マジで?」


「うん。一度ペアになったら、ずっと一緒。素敵だよね」


イヴは優しく微笑む。そしてヒカリの手にそっと触れた。


ヒカリの心臓が跳ねる。


そういうことだよな。じゃなきゃこんなこと言わねぇだろ。


「ヒカリくん?」


「あ、悪い。ぼーっとしてた」


「疲れた?大丈夫?」


イヴが心配そうに覗き込む。


「ううん、全然。むしろ楽しいな」


「よかった」


イヴはほっとしたように笑った。


ヒカリは笑う余裕がなかった。


-----



水族館を出ると、外は雨が降り始めていた。


「うわ、マジか……」


ヒカリが空を見上げる。


「傘、持ってきてないね」


イヴが困ったように笑う。


「俺も持ってねぇ……とりあえず、どっか雨宿りだな」


二人は走り出した。


雨はどんどん強くなっていく。イヴのスカートが雨に濡れ、髪も濡れていく。


「こっち!」


ヒカリが近くの商店街のアーケードを見つけて、イヴの手を引いた。


軒先に滑り込む。


「はぁ……はぁ……」


二人とも息を切らしている。


イヴのスカートはびしょ濡れだった。白いブラウスも雨に濡れて、少し透けている。


「ごめん、濡れちゃったね」


ヒカリが謝る。


「ううん、大丈夫」


イヴはスカートの裾を両手で掴み、ぎゅっと絞った。水がぽたぽたと地面に落ちる。


ヒカリは思わず目を逸らした。濡れたブラウスから、下着のラインが透けて見える。


「ヒカリくん?」


「あ、いや、なんでもない」


ヒカリは慌てて視線を外に向けた。


「ひゃっ」


イヴが小さく笑った。


「……今、変な声出したろ」


「気のせいじゃない?」


イヴはいたずらっぽく笑う。


雨は相変わらず強く降っている。

ふと、軒先の隅に目が留まった。

小さな狐の置物が、棚の隅にひょっこりと居座っていた。

手のひらほどの大きさで、古びた釉薬がところどころ剝げ、時の流れに磨かれたような鈍い光を放っている。

その顔つきは妙に生々しく、笑っているのか、企んでいるのか分からない——まるで、通りがかりの人間を一度は化かしてみたことがある、とでも言いたげな表情だった。


「……なんだ、あれ」


ヒカリが低く呟く。狐と目が合った気がして、無意識に眉を寄せた。


「ん? 狐?」


イヴが覗き込み、肩をすくめる。


「商店街の縁起物かな。こういうの、たまにあるよ。誰が置いてるのかわかんないやつ。」


彼女の声は軽いのに、その横顔に映る狐の影だけは、不思議とじっとりと深かった。

その時、遠くでカラスが鳴いた。


「カァ、カァ」


不吉な声が、雨音に混じって響く。


ヒカリは少し嫌な予感がした。でもすぐに気を取り直す。


「まぁ、すぐ止むだろ」


「そうだね」


イヴは微笑む。


地面には水たまりができていて、そこにアーケードの明かりが揺れている。


ヒカリはふと、水たまりに目をやった。


黄色い花弁が一枚、雨に打たれて浮かんでいた。バラの花弁だ。


揺れる水面に映る花弁は、歪んで見えた。


「……」


何も言わなかった。

ただ、少し胸騒ぎがした。


-----



「ねぇ、ちょっと寄ってもいい?」


海辺へ向かう途中、イヴが小さなゲームセンターを見つけて立ち止まった。


「ゲーセン?いいぜ」


店内に入ると、クレーンゲームやレトロなアーケードゲームが並んでいる。


「あ、これやってみたい」


イヴがシューティングゲームの前で立ち止まる。


「マジで?意外だな」


「昔、ちょっとやってたから」


イヴはコインを入れ、銃を構える。


画面上の的を次々と撃ち抜いていく。その動きは素早く、正確だ。


「すげぇな……」


ヒカリが驚く。


「でしょ?」


イヴが得意げに笑う。


ゲームが終わると、ハイスコアが表示された。


「よっし」


イヴが小さくガッツポーズする。


「お前、本当に上手いな。何者だよ」


「ふふ、秘密。」


イヴはいたずらっぽく笑った。


「じゃあ次、ヒカリくんの番」


「おう、任せろ」


ヒカリもコインを入れ、銃を構える。


しかし、結果は散々だった。


「あー、ダメだわ。全然当たんねぇ」


「ヒカリくん、少し配慮が足りないぞ〜」


イヴがクスクス笑う。


「配慮って何だよ」


「君がそんなに下手だと私が楽しめないから。もっと、頑張ってよ〜」


「うっせ」


ヒカリは少し拗ねたように言った。


イヴは楽しそうに笑っている。


「でも、頑張ってる姿は可愛かったよ」


「……マジで?」


「うん」


イヴが微笑む。


「次、クレーンゲームやろう」


「もちろん」


クレーンゲームの前に並ぶ。ぬいぐるみが山積みになっている。


「あのペンギン、欲しいな」


イヴが指差す。


「取ってやるよ」


ヒカリはコインを入れ、クレーンを操作する。


一回目、失敗。


二回目、失敗。


三回目——


「おっしゃ!取れた!」


ヒカリがペンギンのぬいぐるみを取り出す。


「すごい!ありがとう、ヒカリくん」


イヴが嬉しそうに受け取った。


「へへ、こういうのは得意なんだよ」


「かっこいい」


イヴが微笑んだ。

ヒカリの心臓は、取れた興奮と、胸の奥で鳴り続ける恋の鼓動が、ぐしゃぐしゃに混ざり合っていた。

どこまでが冷静で、どこからが浮ついた気持ちなのか——もう自分でも判別がつかない。

ただ、胸の内側だけが妙に熱くて、落ち着かず、

それでいて嫌じゃない。



「チャンスは人生一度きりだよ」


イヴが急に真剣な表情で言った。


「ん?」


「ぶちかませ!死ぬ気で全てを捧げなきゃ!」


「……何の話?」


「次のクレーンゲーム」


イヴが指差す先には、大きなクマのぬいぐるみがある。


「あれ、欲しいの?」


「うん」


「……マジかよ。あれ、超難しいだろ」


「でも、ヒカリくんなら取れるよ」


イヴが期待の眼差しを向ける。


「……わかった。やってやるよ」


ヒカリは覚悟を決めた。


コインを入れ、クレーンを操作する。


一回目、失敗。


二回目、失敗。


三回目、失敗。


四回目——


「よっしゃあああ!」


ヒカリがクマのぬいぐるみを取り出した。


「やった!ヒカリくん、すごい!」


イヴが飛びつくように抱きしめた。


「お、おう……」


ヒカリは照れくさそうに頭を掻く。


「ありがとう。大事にするね」


イヴが嬉しそうに笑った。


-----



ゲームセンターを出ようとした時、イヴが立ち止まった。


「あ、プリクラ撮ろう!」


「プリクラ?」


「うん。記念に」


イヴが嬉しそうに言う。


「いいぜ」


二人はプリクラの機械に入った。狭い空間に二人きり。


「どのフレームにする?」


「イヴが選べよ。俺わかんねーもん。」


「じゃあ、これ」


イヴが画面をタッチする。


「はい、撮るよー」


カシャ。


一枚目。二人とも少し緊張した表情。


「もっと笑って!」


イヴがヒカリの肩を叩く。


カシャ。


二枚目。イヴは笑顔、ヒカリは照れくさそう。


「次、変顔しよ!」


「マジで?」


「やろうよ!」


カシャ。


三枚目。二人とも変な顔。


撮影が終わり、落書きタイムになる。


「ねぇ、ここに描いて」


イヴがペンを握って、画面にハートを描く。


「お前、意外とこういうの好きなんだな」


「うん、楽しいもん」


イヴは笑顔で次々と装飾を加えていく。


ヒカリもちょっとだけ落書きを加える。


「完成!」


プリクラが出てくる。


「これ、半分こね」


イヴがプリクラを切り分けて、ヒカリに渡した。


「ありがとな」


「大事にしてね」


「当たり前だろ」


ヒカリは丁寧にプリクラを財布にしまった。


-----



雨が止んだ頃、二人は再び歩き出した。


「ねえねえ」


ヒカリが声をかける。


「なに?」


「手ぇ寒い」


「えぇ〜夏じゃん」


イヴが笑う。


「ははは」


ヒカリも笑ってごまかした。


結局、手は繋げなかった。


二人は並んで歩く。


「海、行ってみない?」


イヴが提案する。少し上目遣いで。


「いいな」


二人は海辺へと向かった。


波の音が聞こえる。潮の香りが鼻をくすぐる。


しかし、空は曇っていた。


「あー、夜景見えないね」


イヴが残念そうに空を見上げる。


「まぁ、しゃーねぇな」


「でも、雰囲気はいいよね」


イヴが笑う。そしてヒカリの隣に座った。少し距離が近い。


二人は防波堤に座り、暗い海を眺めた。


しばらく沈黙が続く。


「……ねぇ、ヒカリくん」


イヴがヒカリの方を向く。


「ん?」


「私ね、光の中を一人で歩くよりも、闇の中を大切な人と共に歩くほうが良いと思うなぁ〜」


イヴが呟いた。


「……急にどうした?」


ヒカリは少し戸惑う。何を言ってるんだ、こいつ。


「ん、なんとなく」


イヴは微笑む。


「一人でいるのって、強そうに見えるけど……実際は、すごく冷たいと思うの」


「冷たい?」


「うん。誰もいない部屋で、息だけ白くなって。静かだけど、温もりがない」


イヴは海を見つめたまま、静かに続ける。


「私はそういうの、自由だとは思えないんだ」


ヒカリは黙って聞いていた。


「誰かと一緒にいるって、縛られることじゃなくて……むしろ、やっと呼吸ができるようになる感じ」


イヴはヒカリを見上げた。


「ヒカリくんは、どう思う?」


「……わかんねぇ」


ヒカリは正直に答えた。


「でも、イヴといると……悪くない」


「ふふ、それだけで充分」


イヴは嬉しそうに笑った。


「今日、楽しかった」


「俺も」


「ヒカリくんと一緒だと、なんだか……安心する」


イヴは優しく微笑む。


ヒカリの心が震える。


「また来ようね。次は晴れた日に」


イヴがそう言って、ヒカリの手にそっと触れた。


ヒカリの心が弾む。


「おう、また来ような」


ヒカリはそう答えた。


イヴは満足そうに微笑むと、再び海へ視線を戻す。


ヒカリもそれに倣う。


曇り空の下、二人は並んで座っていた。


波の音だけが、静かに響いていた。


(最高の一日だったわ)


ヒカリは内心で思わずガッツポーズしていた。


-----



「じゃあね、ヒカリくん。また明日」


「ああ、またな」


二人は駅前で別れた。


イヴは一人、夜道を歩く。


やがて、見慣れた洋食屋の看板が見えてくる。


「ただいまで〜す。」


イヴは店の扉を開けた。


店内は薄暗い。店長は留守のようだ。


イヴは、ふっと息をつくような仕草で、持っていたバッグをカウンターの上へそっと置いた。


その時――


カランカラン。


扉が開く音。


「あれ?もう閉店ですけど……」


イヴが振り返ると、そこには数人の男たちが立っていた。


スーツを着た、見慣れない顔。


彼らの目には、明確な殺意があった。


「……」


イヴは一瞬で察した。


「帰りな……今日はもう閉店だよ」


イヴは冷たく言った。


男たちは無言で店内に入ってくる。


「貴女を確保する。中華民国政府の命令だ。」


一人が中国語訛りの日本語で言った。


「抵抗さえしなければ、痛い思いはさせない。……もっとも、抵抗したところで、拐かされるのだがな。」


イヴは動かなかった。


ただ、髪を指でくるくるといじりながら、男たちを見つめる。


「……誰が誰を攫うって?」


イヴが睨んだ。


空気が一変した。


男たちが動く。


しかし――


イヴの右手から、何かが伸びた。


鎖状の刃。


筋繊維に甲殻を纏った様な、銀色の刃。


蛇腹剣の如く伸長し、鞭のようにしなる。


シュッ。


一人目の首が飛んだ。


パッ。


斬った瞬間、光が弾けた。


「なっ――」


二人目が銃を抜こうとするが、間に合わない。


鎖刃が彼の胴を両断する。


パッ。


また光が弾ける。


「化け物……!」


三人目が叫ぶ。


「化け物?あぁ、そうかもね」


イヴの口調が変わった。

それは一瞬だった。

彼女の声から、いつもの柔らかさがすっと剝がれ落ちる。

代わりに現れたのは——速く、冷たく、そして刃物のように鋭い響き。

もう、先程の彼女は居ない。


「私を攫おうとした時点で、あなたたちの運命は決まってたの。」


鎖刃が再び伸びる。


パッ、パッ、パッ。


光が弾けるたびに、男たちが倒れていく。


そして――


斬られた男たちの身体が、光の粒子となって消えていく。


跡形もなく。


まるで、最初からいなかったかのように。


数秒後、店内は静寂に包まれた。


血痕一つ残っていない。


イヴは右手を見つめる。


鎖刃は、すでに腕の中に引っ込んでいた。


「……ふぅ」


イヴは小さく息をつく。


そして、イヴはエプロンを手に取った。

その動作は、先ほどまでの冷たさとまるで噛み合わないほど静かで、妙に落ち着いていた。

エプロンを握る彼女の横顔は、どこか異様なほど整っていた。

光の角度ひとつで陰影が際立ち、その輪郭は彫りもののように鮮やかだ。また静謐さが、さらに彼女の造形を研ぎ澄ませている。

その静けさは、彫刻像を思わせた。

——さながら、ミロのヴィーナスといったところか。

ただし、こちらのヴィーナスは布をまとわぬ代わりに、エプロンを握りしめている。


「明日も、いつも通り。」


イヴは微笑んだ。


──何事もなかったかのように。


こんなふうに——

「もしかすると、あの子は自分に好意を寄せているのではないか」と胸の奥でひそかに思い立つ時ほど、得てして碌な巡り合わせはない。これは、世の多くの男性が頷くであろう、まるで舌の奥に残る、あの苦いレモンのような知恵だ。

そもそも、鈍感系の目にさえ明らかなほど、手心を加えたであろう愛嬌を振り撒く女性が、何も企んでいない道理がない。ゆえに、あの仕草や笑みが「真に自分へ向けられた恋慕」である確率など、ほぼ皆無と言って良いだろう。

だが——彼は、その真実を知らない。

まだ恋愛という厄介な迷路に足を踏み入れたことがないがゆえに、世の曇りや濁りを見極める術を持たない。

その無垢が、時に残酷である。

だからこそ彼は、あどけないほど真っ直ぐに信じてしまうのだ。

彼女が、自分を慕っているのだと。

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