約束
公安神性事案対策部——通称、神喰。
その本部から歩いて15分ほどの場所に、一軒の洋食屋がある。
洋食屋ベテル。
シンプルな手書きの看板。
清潔な店内。
そして——抜群に美味い飯。
ヒカリは、ここの常連となった。
夏の昼下がり。
ヒカリは、公安本部を出て歩いていた。
濁り一つない蒼天、日差しが強い。
額に汗が滲む。
「……暑ェな」
ヒカリが呟く。
だが、足は止まらず、むしろ加速していた。
15分歩けば——美味い飯が待っている。
商店街を抜け、住宅街を通り——
そして、見慣れた看板が見えてくる。
洋食屋ベテル。
「……着いた」
ヒカリが扉を開ける。
カランカラン——
鈴の音が鳴る。
「いらっしゃい!」
明るい声が、店内に響く。
カウンターの向こうから——
イヴが笑顔で手を振っていた。
明るい表情。
いつも前向きで——
どんな状況でも、軽口を飛ばす。
「よォ、イヴ」
ヒカリが手を上げる。
「ヒカリくん! 今日も来たね!」
イヴが笑う。
その笑顔には、陰りがない。
「また暑い中、歩いて来たでしょ? お疲れ様!」
「ああ、まあな」
ヒカリがカウンター席に座る。
「なぁ、今日のオススメは? ハンバーグ?」
「当たり! さすがヒカリくん、ホームズ顔負けだね!」
イヴがウインクする。
翳りのない宝石のような澄んだ瞳で。
「じゃあ、それ。それ食べたい。」
「了解! ちょっと待っててね!」
イヴが厨房へ入っていく。
ヒカリは、カウンターに頬杖をつく。
店内に、他に客はいない。
ピーク時間を過ぎた、静かな時間帯。
そこに美しく響く音色。
「……」
(最近、忙しかったからな)
熊の神との戦い。
報告書の山。
そして——碇や牛島からの呼び出し。
(たまには、こういう時間も必要だよな)
ヒカリが息を吐く。
その時——
「はい、お待たせ!」
イヴが、ハンバーグ定食を運んできた。
湯気が立ち上る。
美味そうな匂い。
「おー、美味そう」
「でしょ〜? 今日は、特に、デミグラスソースが良い感じ!」
イヴが笑う。
「食べてみて、絶対美味しいから!」
「ああ、いただきます」
ヒカリが箸を取る。
ハンバーグを一口——
「……うめェ」
「でしょ!?」
イヴが嬉しそうに笑う。
「ヒカリくんの"うめェ"が聞けて良かった! やっぱり作り甲斐あるね!」
「お前、料理上手いよな」
「残念、褒めても何も出ないよ?」
イヴが笑う。
「でも、嬉しいよ。 ありがと!」
ヒカリが食べ続ける。
イヴは、カウンターの向こうでグラスを拭きながら——
ヒカリを見ていた。
「……ねえ、ヒカリくん」
「ん?」
「最近、忙しかったでしょ?」
イヴが、少しだけ声のトーンを落とす。
だが——笑顔は崩さない。
「……よくわかったな。」
ヒカリが頷く。
「色々あって」
「そっか」
イヴが相槌を打つ。
「大変だったね」
「まあ、仕事だし」
「でも——無理してない?」
「……してねェよ」
ヒカリが笑う。
「俺は大丈夫だ」
「そっか」
イヴが笑う。
「ヒカリくんがそう言うなら、信じるけど。」
「でも——たまには休んだ方がいいよ?」
「……分かってる」
「うん! ならいいんだけど!」
イヴが、カウンターに身を乗り出す。
「じゃあさ——今度、一緒に遊ばない?」
「……遊ぶ?」
「そうしよう。水族館とか行きたいな!」
イヴが笑う。
「ヒカリくん、最近全然遊んでくれないしな〜」
「……悪ィな、忙しくて」
「いいよいいよ、分かってる。」
イヴが手を振る。
「仕事大変だもんね! でも——今度は時間作ってよ?」
「……はい」
ヒカリが頷く。
「じゃあ、来週の土曜とかどう?」
「来週の土曜……」
ヒカリが考える。
(特に予定はないな)
「ああ、大丈夫だ」
「やった」
イヴが笑う。
「じゃあ、決まり! 楽しみにしてるね!」
「……ああ」
ヒカリが笑う。
少しだけ、顔が熱くなる気がした。
「楽しみにしてる」
「えへへ、水族館なんて久しぶりだなぁ」
イヴが嬉しそうに話し続ける。
「ペンギンとか見たいな。あ、クラゲも綺麗だよね!」
「好きなんだな」
「そうだよ、海の生き物、癒されるんだよね」
イヴが笑う。
その笑顔には——
一瞬だけ、静かな影が落ちた。
だが——すぐに消え去った。
明るい笑顔に戻る。
「じゃあ、ゆっくり食べてね!」
「ああ」
ヒカリが食べ続ける。
イヴは、カウンターの向こうで——
また、グラスを拭き始めた。
食事を終え、ヒカリは店を出る。
「ごちそうさん」
「はーい! また来てね! 次は土曜日だね!」
イヴが手を振る。
「ああ」
ヒカリが手を上げて、店を出る。
カランカラン——
鈴の音が鳴る。
扉が閉まると——
イヴの笑顔が、少しだけ——
静かになった。
「……」
イヴが、カウンターに手をつく。
深く、息を吐く。
「……ヒカリくん」
イヴが呟く。
「楽しみ」
そして——
再び、笑顔を作る。
次の客が来るまで——
その笑顔を、絶やさない。
ヒカリは、公安本部へ向かって歩いていた。
夏の日差し。
汗が滲む。
「……水族館、か」
ヒカリが呟く。
「久しぶりだな」
そして——
笑った。
少しだけ、顔が熱い。
「まあ、たまにはいいか」
(二人で……)
ヒカリが考えて——
すぐに首を振る。
(いや、別に普通だろ)
(よく遊んでるし)
(付き合ってるワケじゃねェし)
そう思うのに——
なぜか、心臓の音が少しだけ早い。
「……ちっ」
ヒカリが舌打ちする。
「バカだな」
そして——
公安本部へと戻っていった。
その夜。
ヒカリは自室で、スマートフォンを見ていた。
イヴからのメッセージ。
『土曜日、楽しみ!』
『待ち合わせは駅前のカフェでどう?』
ヒカリが、返信しようとして——
手が止まる。
(何て返せばいいんだ?)
(了解、だけじゃそっけねェか?)
(でも、変に長く書くのも変だよなぁ)
ヒカリが悩む。
数分後——
『了解』
結局、短く返信した。
すぐに返信が来る。
『やった! じゃあそこで!』
『水族館、楽しみにしてるね!』
『ヒカリくんと行くの、久しぶりだもんね!』
ヒカリが、スマートフォンを見つめる。
(……楽しみ、か)
ヒカリの口元に、笑みが浮かぶ。
「……楽しみだな」
ヒカリが呟いた。
そして——
ベッドに倒れ込んだ。
だが——なかなか眠れない。
(水族館……)
(何話せばいいんだ?)
(いや、いつも通りでいいだろ)
(でも……)
ヒカリが悶々と考え続ける。
気づけば——深夜だった。
「……寝よう」
ヒカリが目を閉じる。
深い眠りが——ようやく、彼を包み込んだ。
同じ頃。
洋食屋ベテルの2階。
イヴの部屋。
イヴは、ベッドに座っていた。
スマートフォンを見つめる。
ヒカリとのメッセージ。
「……楽しみ」
イヴが呟く。
「久しぶりに、遊べる」
そして——
笑った。
明るい笑顔。
だが——
その目には、少しだけ——
寂しさが滲んでいた。
「……大丈夫」
イヴが呟く。
「笑って、生きようか」
「それが——私のやり方だから」
そして——
スマートフォンを置く。
窓の外を見る。
夏の夜。
星が輝き、虫の声が聞こえる。
「……ヒカリくん」
イヴが、小さく呟いた。
「楽しみにしてるからね」
そして——
ベッドに横になった。




