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堕天/FREEDOM’S CROWN  作者: イチジク
もう目覚めたから

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39/40

不穏な風

# エピローグ(完全版)


---


旭川市内。


北海道警察本部の会議室。


蛍光灯の白い光が、疲弊した顔を照らす。


ヒカリは椅子に座り、コーヒーを啜っていた。


熱い。苦い。だが——生きている実感がある。


「……で、報告書はいつ出すんだ?」


碇が呆れたように言う。


「明日でいいよね?」


「駄目だ。今日中に出せ」


「えっ...マジかよ」


ヒカリが頭を掻く。


伊織は隣で、熱いお茶を両手で包んでいた。


「……あの、碇先輩」


「なんだ」


「熊の神は……死んだんですよね?」


「分からん」

碇の返答は短く、妙に乾いていた。


彼の視線は窓の外へ流れた。

「確かに悲鳴は聞こえなくなった。だが——確認はできていない」


伊織の心臓がひとつ跳ねる。

「確認……?」


「ああ。雪と氷に深く潜り込んだ。掘り出す手段はない。」

碇は腕を組み、声を落とす。


「地中レーダーでも探したが……反応が曖昧だ。どれが生き物でどれが氷塊かが分からない。」


「つまり……」

部屋の空気が、じわりと揺らいだ。


「生きてるかもしれない……?」

伊織の問いは、呟きというより“逃げ道のない確認”だった。


「可能性はある」

碇は、重く頷いた。


「だが、あの深さと圧力なら、動けないはずだ。低体温と酸欠で、再生も追いつかない。」


「でも——**絶対とは言いきれない**」


「……そう、ですよね」

伊織が、お茶を啜る。

手が、微かに震えている。


ヴェレスは、包帯に覆われた身を壁にもたせかけていた。

全身がひどく傷んで見える。それでも——その奥では、確かに再生が進んでいる。


「ヒカリ様……」


「ん?」


「あの熊の神……もし生きていたら……」


「その時は、また遊んでやる」


ヒカリが笑う。


「何度でもな」


「……!」


ヴェレスの目に、涙が浮かぶ。


「ヒカリ様……最高です……」


「泣くなよ、気持ち悪ィ」


「すびません……!」


碇が、窓の外を眺める。


外は——**夏真っ盛り**。


青空が広がり、強い日差しが街を照らす。


だが、つい数時間前まで——この街は雪と氷に覆われていた。


「……異常気象も収まったな」


碇が呟く。

「ああ」


伊織が頷く。

「真夏なのに雪が降って、街が凍りついて……異常でしたよね」


「熊の神と関係があるのか?」

ヒカリが問う。


「分からん」

碇が首を振る。


「タイミングは一致してるが——因果関係は不明だな」


「……そういえば、江頭は?」


「意識が戻った」


伊織が答える。


「病院で休んでいます。生存者の方々も、ご無事だそうです。」


「そうか」


碇が安堵の息を吐く。


「……良かった」


その時——


会議室のドアが開いた。


北海道警の警部が入ってくる。


やけに表情が硬い。


「お疲れ様です」


「お疲れ様です」


碇が頷く。


「……何かあったか?」


「はい」


警部が資料を広げる。


「熊の神——ウェンカムイの埋められた地点を、継続的に監視しています。」


「……何か変化が?」


「いえ、変化はありません」


警部が首を振る。


「ですが——**奇妙な現象**が確認されました」


「奇妙な現象?」


「はい」


警部がタブレットを操作する。


画面に、グラフが表示される。


「周辺で、**微弱なエネルギー反応**が検出されました」


ヒカリが身を乗り出す。


「エネルギー反応?」


「はい。神の力……とは少し違う、**異質な何か**です」


警部が真剣な顔で言う。


「波形を分析したところ——まるで**何かが吸い取られているような**パターンでした」


「……吸い取られてる?」


碇が眉をひそめる。


「はい。熊の神から——何かが、外部へ流出しているような……」


警部が言葉を濁す。


「ただの推測ですが」


「……!」


碇が息を呑む。


「詳しく調べられるか?」


「難しいですね」


警部が首を振る。


「あの場所に人が近づくのは危険です。もし熊の神が——」


「分かった」


碇が頷く。


「監視を続けてくれ。何か変化があれば、すぐに報告を」


「了解しました」


警部はひとつ敬礼し、無言のまま扉の向こうへ消えた。

その瞬間、会議室には——凪いだような静寂がすとんと落ちた。


「……気になるな」


ヒカリが呟く。


「ああ」


碇が頷く。


「何かが吸い取られてる……まるで——」


「まるで?」


「……いや、何でもない」


碇が首を振る。


「憶測で物を言うべきじゃないな。」


「教えろよ」


「今は、まだだ」


碇が窓の外を見る。


「確証が持てたら、話すさ。」


「……ケチ」


ヒカリが肩をすくめる。


---


その夜。


ヒカリは、ベッドに倒れ込んでいた。


体が鉛の様に重い。


閉じた傷が痛む。


だが——生きている。


「……疲れたな」


ヒカリが呟く。


窓の外に視線を移す。


夏の夜。


星が輝き、虫の声が聞こえる。


(何かが吸い取られてる……)


(何だったんだろうな)


(まあ、いいか)


ヒカリが瞼を閉じる。


深い眠りが、彼を包み込む。


---


同じ頃。


どこか遠くの、暗い部屋。


一人の人影が、モニターを見つめていた。


モニターには——日本地図と、いくつかの赤い点。


そして——グラフが並んでいた。


「……**美味い**」


低い声が、闇に響く。


「人々の恐怖。信仰。畏れ」


人影が、グラフを見つめる。


「熊の神が暴れ、人々はヤツを畏れた」


「その恐怖、信仰が——**私を満たす**」


人影が笑う。

不気味でこの世の理から逸脱したモノの様である。


「聖別の儀は成功した」


「熊の神を聖なるものとして別ち——その力を**私のもの**とした」


人影が、北海道の点を見つめる。


「**北海道は完了**」


「次は——**どこにしようか**」


人影が、地図上の別の点を指差す。


「……ああ、ここがいい」


人影が再び笑った。


笑いは静かで、どこか冷たく——そして、飢えていた。


「**もっと喰いたい**」


「もっと——**信仰を**」


そして——

モニターの光がふっと途切れた。

残された部屋には、闇だけが静かに沈み込んでいく。


---


翌朝。


ヒカリは目を覚ました。


窓の外を見る。


夏の陽が、北海道の街を白く灼きながら流れていく。

空気の端まできらりと震えるような、真昼の光だ。


蒸し暑さの中に蝉の声が響く。


「……暑ィな。寒暖差で風邪引くぞ。」


ヒカリが呟く。


スマートフォンが鳴る。


碇からのメッセージだった。


『おい‼︎報告書、まだか?』


「……うわ、忘れてた」


ヒカリが頭を抱える。


だが——彼は、笑っていた。


また日常が、戻ってきた。


平凡で、退屈で、でも確かに——


生を謳歌する日常。


「……よし、書くか」


ヒカリが机に向かう。


エアコンをつける。


冷たい風が、部屋を満たす。


そして——


ペンを走らせ始めた。



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