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堕天/FREEDOM’S CROWN  作者: イチジク
もう目覚めたから

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38/41

氷と雪の棺

  ヒカリは足を止めた。


 ───そして、再び動いた。


 だが、その動きは誰もが予想したものと違った。


 前には出ない。横にも下がらない。


 ヒカリは——"周囲を見渡した"。


「どうした、ヒカリ?」


 碇が怪訝そうに名を口にした。


 ヒカリは沈黙した。


(偉そうなこと言ったが、肝心の倒し方が見えねぇ。)

 

  目だけが、戦場の隅々を舐め回すように走る。


 雪、木、岩、斜面——


 そして、風の流れ。


 "乾いた雪。風下に偏った積雪。急峻な斜度。"


 ヒカリの脳内で、情報が的確に処理される。


(コイツは再生する。何度殺しても無駄か?)


(いや——再生に時間がかかってんな)


(つまり、**体力を消耗してる**ってことだよな)


(なら、どうする?)


(消耗させて、**動けなくする**)


(どうやって?)


(……地の利を使う)


 ヒカリの視線が、山の斜面に止まる。


 風下側に張り出した、白い棚。


 **雪庇**。


(…あれ、崩れそうだな。乾いた雪が風で溜まって…張り出してるのか?)


(巨体が乗れば——**落ちる**)


(その下は……谷。凍った、沢?)


(冬の北海道の沢は分厚く凍るって誰かが言ってたな。でも、あの巨体なら——**割れる**)


(割れた氷の隙間に落ちて、雪崩で埋まれば——)


(動けなくなる、特撮で見たぜ。)


 ヒカリの口元に、笑みが浮かぶ。


「……よっしゃ」


 その声には、確信が滲んでいた。


「碇先輩、伊織」


 ヒカリが二人を呼ぶ。


「……なんだ」

「なに?」


「作戦会議だ。**3人寄れば100万パワー**」


「文殊の知恵な」


 ---


 ヒカリが指を差す。


「あの雪、見える?」


 碇が目を凝らす。


「……見える。雪庇だな。風下側に張り出してる。」


「あれ、崩れやすいだろ?」


 ヒカリが説明する。


「乾いた雪が風で吹き溜まってて、構造が不安定だ。」


「つまり——**重量**がかかれば崩れんだろ」


 不安げな表情のまま、ヒルメはそっと尋ねた。

「でも、ヒカリも危険じゃない……?」


「俺は軽い、こいつは重い。」


 ヒカリが熊の神を見る。


「あの巨体なら、雪庇?ごと落ちる」


「……なるほど、完璧な作戦だな。」


 碇が頷く。


「だが、落ちたぐらいで死ぬなら、ここまで窮地に陥ることもなかったって話だ。」


「だよな」


 ヒカリが頷く。


「だから、落ちた先が重要だ」


 ヒカリが谷底を指差す。


「あそこ、凍った沢がある。」


「ねぇ、氷の厚さは……?」


  ヒルメが問いかけた。

 その声に、かすかな不安が滲んでいた。


「分かんねェ。でも、北海道の冬なら30センチ以上は凍ってる」


「それでも、あの巨体が落下したなら割れるだろうな。」


 碇が分析する。


「ああ。**氷を割って閉じ込める**」


 ヒカリが笑う。


「氷の割れ目に落ちれば、足場がない。這い上がれない」


「そこに雪崩を起こせば——」


「雪と氷の世界でお陀仏だね。」


「そういうこった」


 ヒカリが頷く。


「だが——」


 碇が眉をひそめた。


「問題がある」


「……何?」


「どうやって雪庇まで誘導する? こいつは馬鹿じゃない。罠に気づくかもしれん」


「だから、**怒らせる**」


 ヒカリが笑う。


「イライラさせて、冷静さを奪う」


「……ヒカリ、挑発が十八番だもんな」


 碇が呆れたように言う。


「褒めてんのか?」


「貶してる」


「ひでェな」


 三人が、小さく笑った。


 緊張が、少しだけ和らいだ。


「じゃあ、役割分担だ」


 碇の指が、ぱきぱきと乾いた音を立てて折れる。


「ヒルメは天叢雲剣で雪庇の一部を削り取れ。」


「了解です」


「俺はライフルでこいつの動きを封じる。」


「ヒカリ、お前は誘導だ。**雪庇が崩れる前に逃げろ**」


「分かってら」


「あと——」


 碇が後方を振り返る。


「北海道警、江頭と生存者を安全な場所へ運べ!」


「承知しました!」


 隊員たちが駆け寄り、二人を担ぎ上げる。


「お前は……」


 碇の視線が、ヴェレスに向けられる。


「私も……戦います……」


 声は震えている。碇の言葉に肩がわずかに強ばり、手のひらがぎゅっと握られる。


「……やめとけ」


「でも……」


「お前の役割は囮だ」


 碇の声は冷たい。ヴェレスはわずかに目を伏せ、息を詰める。その背後に、わだかまりのような熱がゆらめく。


「ヒカリが逃げる時、出来る限り注意を引け。命令だ。」


「……はい」


 声は低く、わずかに震えながらも、目だけはヒカリの方をしっかり見据える。手の指はそっと動き、怒りや苛立ちは飲み込みながら、覚悟だけを胸に据える。その胸の奥では、ヒカリの役に立てる、喜びが小さく弾んでいた。

「よし——作戦開始だ」

 ヒルメや碇の存在は遥か遠く、目の前の光──ヒカリだけが確かにあった。


 ───


 ヒカリが、熊の神を見る。


 獣は再び、ヒカリを見据えていた。


 両目は再生し、赫く輝いていた。

 その輝きは恒星を想起させた。


「オマエ……マダ、タノシマセテクレルノ?」


 熊の神が問う。


 声は低く、喉の奥から絞り出されるような響き。


 ヒカリは——笑った。


 だが、その笑みはいつもと違った。


 冷たく、侮蔑に満ちていた。


「はぁ...楽しませる? **畜生のために?**」


「……ナンダト?」


 熊の神が動きを止める。


「お前、頭大丈夫か?」


 ヒカリが吐き捨てる。


 熊の神が咆哮する。


「...強い? **嘘つけ**」


 ヒカリが指を差す。


「お前、さっきから傷が治るの遅くなってんぞ」


「……!」


 熊の神が自分の体を見る。


 確かに——傷が残っている。


 **肩の裂傷。脇腹の打撲。脚の骨折痕。**


 再生が追いついていない。


「見ろよ、その様を。**ボロッ、ボロじゃねェか**」


 ヒカリが笑う。


「お前、もう限界なんだよ。**認めろよ、ザコ**」


「フザケルナ! フザケルナァァァァ!」


 熊の神が激昂する。


 地面が揺れ、雪が舞い上がる。


 **怒りが理性を食い潰す。**


 獣の目が、完全に血走る。


(チョロいなァ——**釣れた**)


 ヒカリが内心で笑う。


「オマエ……オマエ……! ゼッタイニユルサナイ!」


「マジかよ、怖ェ怖ェ」


 ヒカリが挑発する。


「じゃあ、**殺してみろよ**」


「コロス! ゼッタイニコロス!」


「ふっ...やってみろよ。」


 熊の神が突進する。


 巨体が雪を蹴散らし、地面を揺らす。


 ヒカリは——走った。


 雪庇へ向かって。


 **計画通り**


「**フザケルナ! ニゲルナ!**」


 熊の神がヒカリを追う。


 巨体が地面を叩くたびに、雪が跳ね上がる。


 木々が倒れ、岩が砕ける。


 やばい——追いつかれる。


 熊の神は雪面を割りながら迫ってくる。


 ただ、殺すためだけに。ヒカリを。


  「シネッ‼︎」


 振り下ろされる腕——

 その瞬間、碇の銃弾が獣の関節を撃ち抜いた。


「ガッ……ァアアッ!」


 雪に膝をつき、体が震える。

 腕はぶら下がったまま、もう形を保っていない。

 痛みが洪水のように脳を焼き、

  まともに立つことすら困難なはずだった。

 ——が。

 その痛みは、獣の内側でどこか遠くへ押し流されていた。

 ヒカリの背を見失った瞬間、怒りが熱となって、

  残りの身体を押し出す。

 腕はもう使えない。

 だが脚はまだ動く。

 たったそれだけで、獣は再び歩み始めた。

 熊の神は壊れた姿勢のまま雪面を砕き、

 破綻した軌道で、それでも異様な速さで突進した。


「シネッ‼︎」


「ちょっと待って!!」


 雪煙の向こうから、ヴェレスが跳び込んだ。

 腕を伸ばし、獣の進路を身体ひとつで塞ぐ。

 一瞬、熊の神の足が止まる。

 迷いが遅延を生む——ほんの刹那の揺らぎ。


「ァ……?」


 だが次の瞬間、怒りがその迷いを呑み尽くした。

 獣は腕を振れぬまま、肩からぶつかるように突っ込んだ。

 衝撃音が雪峰に響く。

 ヴェレスの体が跳ね飛ばされ、

 木へ叩きつけられ、雪が爆ぜた。


「ぐっ……まだ……!」


 それでも彼女は、歯を食いしばって地面を掴み、

 獣の足首へ手を伸ばす。

 ほんの一秒でも、ヒカリが逃げる時間になる。

 熊の神は煩わしげに足を振り払い、

 ヴェレスを雪に転がして捨てると、

 ふたたびヒカリだけを見据える。

 壊れた息を吐きながら、

 それでもなお、獣は追ってくる。

 ヒカリとの距離は、

 ヴェレスが奪った数秒で確かに開いていた。


 ──雪を蹴り、ヒカリは走る。

 背後の咆哮は痛みで軋む獣がそれでも憎悪を抱き、走り、怒鳴る音だった。


 ───


「ヒルメ、**今だ!**」


 碇が叫ぶ。


「はい!」


 ヒルメが剣を振るう。


「**天叢雲剣!**」


 水流が、雪庇の積雪を撃つ。


 **表層が削られる。**


 内部の脆い層が露出する。


 乾いた雪の結晶が崩れ、構造が不安定になる。


「よし……!」


 ヒルメが呟く。


「準備完了です!」


(あとは——ヒカリ次第……)


 ───



 ヒカリが、雪庇に到達した。


 足元が柔らかい。


 張り出した雪の棚が、微かに揺れる。


 **風が吹く。雪庇が軋む音が聞こえる。**


(マジか……やべェな、これ)


 ヒカリが内心で呟く。


(思ったより不安定だ。俺が乗っただけで崩れるかもしれねェ)


 だが——笑っていた。


(だったら、**走り抜けるだけだ**)


 背後から、熊の神が迫る。


「ニゲルナァァァ!」


 巨体が、雪庇に飛び込もうとする。


 その瞬間——


 **ミシッ**


 雪庇が、音を立てた。


 **小さな亀裂が走る**


 熊の神が——一瞬、動きを止める。


 **足元の異変に気づいたのだ**


「……?」


 熊の神が、疑念を宿す。

  ──違和感。


(まずい——**気づかれた**)


 ヒカリが舌打ちする。


(なら——)


 その隙に——


 ヒカリが素早く方向転換した。


 熊の神の足元を滑り抜ける。


「**逃げてねぇよ**」


 ヒカリが笑う。


「**堂々と立ち向かう、それが俺のモットーだ**」


「ナンダト……!?」


 熊の神が振り返ろうとする。


 その瞬間——


 **重心が移動した。**


 雪庇に乗った巨体の重量が——


 一点に集中した。


 **ミシミシミシッ!**


 雪庇が、崩れ始める。


 **亀裂が広がる。雪が滑り始める。**


「ガァ……!?」


 熊の神が動揺する。


 足元が崩れ、体が傾く。


 **バランスを失う**


「嘘だよ‼︎バァ〜カ‼︎じゃあな、クマ公」


 ヒカリが蹴る。

  崩れゆく雪庇の上を、素早く駆け抜ける。


「**いい夢見ろよ**」


 そして——


 **ゴゴゴゴゴ!**


 雪庇が、崩れた。


 巨大な雪の塊が、谷底へ落ちていく。


 熊の神を巻き込んで。


 **空気が震え、雪が舞う。轟音が銀世界を満たす。**


「ガァァァァァァァ!」


 熊の神が吠えた。その声は、この世界の生物のものとは思えぬ、遠く冷たい絶叫だった。


 ——だが、止むことはない。


 雪庇が崩れ、獣はもがきながら、深淵へとゆっくり落ちていく。

 **重力は、抗うことを許さなかった**


「オマエラ……!」


 熊の神が悲痛そうに叫ぶ。


 だが——


「碇先輩!」


 ヒカリが叫んだ。


「分かってる!」


 碇が対物ライフルを構える。


 狙いは——**熊の神の足**。


 空中で姿勢を立て直そうとする獣の、後ろ脚。


 **距離、約200メートル。風速、秒速3メートル。落下速度——

 全てを計算する**


 息を止めた。


 心臓の鼓動を数える。


 **引き金に指をかける**


 **パァン!**


 銃声が、山中に響く。


 弾丸が、空を切り裂く。


 **12.7mm徹甲弾。**


 熊の神の膝を——撃ち抜いた。


 **ズブッ!**


「ガァァッ!」


 熊の神が姿勢を崩す。


 回転し、背中から落ちていく。


 **制御を失った巨体が、谷底へ落ちていく。**


 そして——


 **ドゴォォォンッ!**


 谷底の氷に、叩きつけられた。


 氷が割れる音。


 鈍く、重く、世界が震えるような音。


 **バキバキバキッ!**


 氷が蜘蛛の巣のように割れる。


 **亀裂が広がる。氷の破片が飛び散る。**


 氷瀑の一部が崩れ、落下してきた氷塊が熊の神の脇腹に直撃した。

 衝撃で足元の氷が割れ、できた亀裂が一気に広がる。

 支えを失った巨体はバランスを崩し、割れ目へそのまま滑り落ちていった。



「……やった……!」


 伊織が呟く。


 だが——


「まだだ」


 ヒカリが言う。


「**ここからだ**」


 ───


 熊の神が、氷の中から起き上がろうとする。


 だが——


 氷が邪魔をする。


 手をつくたびに氷が割れ、足場が崩れる。


 "冷水が、傷口に染み渡る"


「ガァ……ガァ……!」


 熊の神はもがき苦しむ。


 しかし、"低体温。酸欠。足場の喪失"


 再生にエネルギーを奪われ、動きが鈍る。


 その時——


 ヒカリが、口を開けた。


 喉の奥に、光が灯る。


 **熱が集まる。空気が歪む。**


「……これで、終わりだ」


 そして——


 **熱光線を放った**


 赤い光が、斜面を撃つ。


 **雪が一気に溶ける**


 表面が水になり、内部の層を不安定にした。


 **ゴゴゴゴゴゴゴゴ!**


 雪崩だ。


 巨大な雪の波が、斜面を駆け下りる。


 **壮大な音が世界を埋め尽くす**


「ガァァァァァ!」


 熊の神が吠える。


 だが——


 雪崩は止まらない。


 白い濁流が、獣を飲み込む。


 **氷の割れ目に雪が流れ込む**


 隙間を雪で埋め尽くした。


 熊の神が、雪に埋まる。


 そして——


 **氷は扉を閉した**


 割れた氷が、雪の重みで再び繋がった。


 **雪と氷が混ざり合い、壮大な棺が形成される**


 雪崩が収まると、山は嘘みたいに黙り込んだ。

 粉雪が宙に漂うだけで、風さえ息を潜めている。

 その白い虚無の中に、熊の神の低い咆哮がひとつ、ぽつりと落ちた。


「ガ……ガァ……」


 雪と氷の世界に閉じ込められ、もう動けない。


 いくら再生しても、脱出できない。


 **低体温。酸欠。圧迫。**


 全ての要素が蝋燭の燈を吹き消す。


「…やった?」


 ヒルメが呟く。

 碇は答えない。


 ただ、谷底を見つめる。


 ヒカリも、黙っている。


 **風だけが、静かに吹く。**


 数分後——


 とうとう熊の神の声が、聞こえなくなった。


 静寂。


 白い雪片が、戦場を覆い隠す。


「……終わった」


 碇が呟く。


「ああ」


 ヒカリが答える。


「**腹一杯らしい**」


 その声は、静かで、確かで——


 そして、どこか疲れていた。


 ────


 ヒルメは静かにその場にぺたりと座り、周囲を見渡した。


「とうとう倒せた……良かった」


 声は震えながらも、どこか安堵を帯びていた。


「本当に……良かった……」


 ヴェレスも、涙を流していた。


「ヒカリ様……ヒカリ様……」


「やったな、ヴェレス」


 ヒカリが笑う。


「お前がいなきゃ、無理だったな。」


「……!」


 その瞬間、笑顔が光のようにぱっと広がり、ヴェレスの瞳に温かい涙が溢れた。


「ありがとうございます……!」


 碇が、後方を振り返る。


 そこでは、北海道警の隊員たちが江頭と生存者を介抱していた。


「江頭は……?」


「意識はありません! でも、呼吸は安定してます!」


 隊員が答える。


「生存者の方も、低体温症ですが命に別状はありません!」


「……そうか」


 碇が安堵の息を吐く。


「すぐに病院へ運べ」


「了解!」


 碇が、空を見上げた。


「……帰るか」


「ああ」


 ヒカリが頷く。


「帰ろうぜ」


 ヒルメが立ち上がる。


「みんな……無事で良かった……」


 そして——


 彼らは、雪の中を歩き始めた。


 疲れ切った体で。


 だが、確かな安堵を胸に。


 雪が降り続ける。


 白い雪片が、彼らの足跡を消していく。


 戦場だった場所に、穏やかな静寂が戻る。


 ───戦いの果てに、静寂が訪れた。


 そして——


 遠くの谷底で。


 雪と氷の棺の中で。


 熊の神が、眠り続ける。


 二度と目覚めることなく。


 永遠に。


 ───ごちそうさま。

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