ヒーローは遅れてやってくる。
「イタイ‼︎ イタイ‼︎ オレサマ、ウェンカムイ。オレ、オマエ、マルカジリ‼︎ クウ‼︎」
声が空気を殴った。
鼓膜が破れそうになる。伊織の膝が反射的に折れる。
「全員、散開!」
碇の声が聞こえたが、体が言うことを聞かない。圧倒的な恐怖心。
熊の神の前足が、ゆっくりと持ち上がる。
ヒルメは見てしまった。その爪の下に、人間の骨が刺さっているのを。
まさに——地獄。
音より先に、衝撃波が来た。
地面が消失する。雪が、土が、岩が、最初から存在しなかったかのように吹き飛んだ。
直径10メートル近いクレーターが形成された。
底が全く見えない。
江頭がヒルメの腕を掴み、引きずる。ヒルメの膝が地面を擦る。痛みはない。恐怖が痛覚を殺した。
「……撃て」
碇の声が震えている。
北海道警の隊員が引き金を引いた。
パン、パン、パン。
弾丸が熊の神の胸に命中する。白い毛が赤く染まる。
熊の神は動かない。
そして——笑った。
「イタイ。デモ、ウレシイナァ」
胸の穴が塞がる。肉が盛り上がり、皮膚が覆う。刹那の時間。
「焼夷弾!」
炎が熊の神を包み込む。山全体が赤く染まる。
熱波が押し寄せる。ヒルメの頬が焼ける。
「ガァァァァ……アツイ。アツイ。デモ、タノシイ‼︎」
炎の中から、焼けた肉の塊が歩いて出てくる。
皮膚が剥がれている。骨が見える。目玉が溶けて垂れている。
だが、笑っている。
そして、目玉が再生する。肉が盛り上がり、再び皮膚が覆う。
碇の手が少し震えていた。無線を握るその手が。
「……どうやって殺す?」
「でりゃァァ」
ヒカリが飛び出した。
恐怖はない。あるのは、本能だけ。
爪に意識を集中させる。肉が裂ける感覚。骨が軋む音。
爪が膨張する。
刃物状になった爪で、ヒカリが熊の神の腕を叩き斬る。
ズシャッ。
腕が、肩口から切断された。
血が噴き上がった。
まるで、あの日みんなで眺めた噴水のように。
だがそれは、
確かな熱を持っていた。
頬を打つ滴が、
鉄の匂いを連れて肺の奥へ沈んでいく。
雪に映える赤。
——噴水より、ずっと美しい。
ヒカリは、自分の胸が静かに高鳴っているのを感じた。
「ガァァァァ!」
熊の神が咆哮する。
そして——
切断された腕が、地面に落ちる前に繋がり始めた。
肉が伸び、骨が伸び、神経が纏わりつき、皮膚が覆う。
先程より素早く、遅滞なく再生された。
「……は?」
ヒカリの動きが止まった。
その瞬間——
熊の神の手が、ヒカリの胴を掴んだ。
「オマエ、ツヨイ。ダカラ、オマエカラクイタイ」
「離せ……クソ……!」
ヒカリがもがく。爪で腕を切り裂く。血が溢れる。
だが、傷は即座に塞がる。
握力が増した。
ミシミシ。
肋骨が軋む音。
肺が圧迫され、息ができない。
視界がグラグラと揺れる。
「ヒカリ!」
碇の声が遠い。
「チッ。伊織、今だ!」
「で、でも……!」
ヒルメの声が震えている。手が震えている。天叢雲剣が震えている。
「今しかない!」
「……っ」
ヒルメが剣を引き抜く。
刀身が青白く光った。河川特有の匂い。
「ヒカリ...」
その瞬間、熊の神がヒカリを
——投げた。
上空。
音が消えた。
視界が回転する。
空が見える。山が見える。街の明かりが見える。
凍てつく風が顔を殴りつけてくる。息ができない。
肋骨が折れている、内臓はミキサーでかき混ぜられたかのようにグチャグチャだ。
出血が止まらず口から溢れた。
飛ばされた速度はゆうにマッハを超えていた。
音が追いついてくる、ソニックブーム。
「あっ……みんな……」
血を垂らしながら呟いた。
───
「伊織!」
「はいッ!」
伊織が剣を振り下ろす。
「全てを薙ぎ払え───天叢雲剣‼︎」
刀身から、水流が生まれた。
圧倒的な質量。重力を無視した奔流。
木々を根こそぎ薙ぎ倒す。地面が削れ、岩が砕けた。
そして、熊の神を飲み込む。
「ガァァァァァ!」
熊の神が、水流に押し流される。
巨大な体が宙を舞い——
ドゴォォンッ!
屏風のようにそそり立つ大きな岩壁に叩きつけられる。
壁に亀裂が入り、ゆっくりと崩落した。土煙が舞い上がる。
「……やり、ました……?」
ヒルメが震える声で言う。
碇は答えなかった。
江頭が生存者を抱えて走る。
そして——
土煙の中から、赤い目が二つ、光った。
「……嘘だろ」
「ガァァァァァァァ‼︎ タノシイ‼︎ モット‼︎ モット‼︎」
熊の神が立ち上がる。
全身が傷だらけ。肉が削れている。骨が見えている。
だが、笑っている。
そして、再生が始まる。肉が盛り上がり、それを皮膚が覆う。
「オマエラ、ミンナ、クウ‼︎」
熊の神が、突進した。
地響き。
木が倒れる。
雪崩が起きる。
山そのものが動いている。
「退避!退避だ‼︎」
碇が叫ぶ。
だが——
熊の神の前足が、地面を叩く。
地面が波打つ。
ヒルメの体が宙に浮く。背中から地面に叩きつけられる。肺から空気が全て抜け尽くした。呼吸ができない。
江頭がぐったりと倒れる。抱えていた生存者が転がった。
碇が膝をつき、無線が手から転がり落ちた。
「……くそっ」
拳を強く、地面に叩きつける。
勝てない。
このクラウンは、理の外にいる。
規格外。
殺せない。削れない。止められない。
「どうやって……」
その時——
地平線の向こうから、音がした。
ソニックブーム。
「……あいつ」
碇が顔を上げる。
「それまで、オレがやるしかないな。」
────
ヒカリが地面に叩きつけられた。
ドゴォンッ。
アスファルトが砕ける。落ちた箇所にクレーター形成された。
衝撃で体が思うように動かない。
相変わらず、肋骨が折れている。内臓も破裂している。
血が口から溢れて止まらない。
「……っ、痛ってェ。馬鹿力だな。」
ヒカリが重苦しそうに立ち上がった。
折れた肋骨が肺に刺さる。ズクッという鈍い痛み。
だが、再生が始まる。肉が繋がる。骨が繋がる。
およそ、5秒で元通りだ。
「あー、死ななくてよかった。オレ、最強!」
ヒカリがケタケタと誇らしげに笑う。
周囲に人がいた。
「うおッ。な、何だ……!?」
「化け物か!?」
「いや違う、人だ!」
ヒカリは彼らを無視して、山の方角を見る。
地響き。
木が倒れていく。雪崩が起きている。
「やり……やがったな。相当離れてるな。」
ヒカリがニヤリと笑う。
「面白ェじゃねえか」
そして——
走り出す。
地面を蹴る。アスファルトが砕ける。
ビルの壁を蹴り、屋上に飛び上がる。
そして、山に向かって跳躍する。
「畜生が‼︎待ってろよクソ熊ァ!」
─────
熊の神が、ヒルメに迫る。
ヒルメの天叢雲剣が震えていた。もう、振れない。腕に力が入らない。
「そんなッ……碇さん」
伊織が呟く。
碇は立ち上がれない。膝が折れている。
江頭は動かない。意識がないようだ。
「……終わり、なの……?」
その瞬間——
空から、黒い影が落ちてきた。
その正体、気づいた時にはもう遅い。
熊の神が顔を上げた次の一拍。
ヒカリが、ヤツの頭蓋へ踵を叩き込んだ。
ドンッ——!
轟然たる音。
山が、息を呑んだ。
大地は悲鳴を上げ、土石が波のように舞い上がる。
深々と口を開けた巨大な穴の底で、
熊の神の頭がえぐれた岩盤にめり込んでいた。
粉塵が晴れる。
その上に、片足で立つ影。
「よォ、オレはまだ生きてんゼ。」
血を滴らせた踵で、
ヒカリはゆっくりと熊の神の頭頂部を踏みしめた。
「さっきはえらく楽しそうだったな!もっと楽しもうゼ‼︎」
──第二ラウンド。
ラウンド2、ファイト‼︎




