躁鬱
神性事案対策第一課。
室内は均質なLEDの光に満ち、画面の青と紙の白が互いに顔を刺す。外の蝉の声は窓越しに僅かに響き、日差しの熱だけが遠くで固まっている。机の上には事案番号が書かれたファイルがきちんと並び、赤い「要注意」のスタンプが押されている。
名簿は無造作に置かれていて、碇は指先で紙を確かめながらめくる。
冷たい紙の感触を頼りに、手は自然と動いた。
彼の身体は今、ここにあって、時間は書類の頁のめくれる音だけで進む。画面のダッシュボード上で、データの点がわずかに動いている。
隊員のログが線として表示され、淡く画面をなぞるように流れる。 彼はページをめくる。めくる。指先に伝う紙の摩擦だけが確かな接触で、胸の奥の熱はその裏側で膨れていく。
望月がいない。
斎藤がいない。
田中もいない。
あの日、襲撃があった日。碇は入院していた。現場にいなかった。
だから、三人を守れなかった。
――時間が止まったように、何も感じなかった。視界の端で、書類の白とモニターの青が交互に点滅する。内線の最後の着信履歴が画面に残り、未読メッセージは消せるはずなのに手が伸びない。無感情の後、記憶の断片が押し寄せる。机に手をつき、顔を覆う瞬間、体内で積もった感情が噴出した。
「うーん...…もう、いないんだよな…」
死んだんだ。
いくら呼んでも帰っては来ないんだ。
もうあの素晴らしい時は終わって、俺も現実と向き合う時なんだ。
碇の心は振り子みたいに暴れ、落ち着いたかと思えば底まで沈む。
冷静も激情も、交互に襲っては過ぎていく。
紙面に目を戻せば、そこに並ぶ文字はただの報告書だ。
事案番号の横に赤い丸を打ち、上申のチェック欄に印を付ける。
指先は震えるのに、作業だけは止まらない。
冷房の風が首筋の汗をさらっていく。
外のむっとする熱気がガラス越しに揺れ、世界だけが別の温度で動いているみたいだ。
感情は内側で燃え続け、書類は外側で淡々と進む。
碇は束ねたファイルを鞄にしまい、ゆっくり立ち上がる。
室内の光は安定したまま。
碇の背には、紙より重いものが載り続けていた。
「はぁ…」
碇が呟く。
その時、電話が鳴った。
受話器を取り、立ったまま答える。
「はい、碇です。」
「碇くん。少し時間をもらえる?」
電話はリリスからであった。
「何でしょうか?」
「新しい班員の紹介よ」
リリスが微笑む声に、空気がわずかに温かくなる。
「今日、三人が配属される。だからヒカリくんやヒルメちゃんにも声をかけておいてくれる?みんなに会ってもらいたいの」
「三人?」
「ええ。私の部屋に来て。」
碇は受話器を置き、立ったまま深く息をつく。
冷静な表情の裏で、感情は再び大きく燃え上がっていた。
短い言葉のやり取りだけで、必要なすべてを含んでいるように感じられた。
室内の光は変わらない。碇の身体はそこにあり、内面の熱と外側の静けさが、不思議な対比を作っていた。




