罪悪感
リリスのオフィス。
静まり返った廊下に、白い照明の光だけが満ちている。
ヒルメは扉の前で足を止めた。
金属のプレートには〈神性事案対策部一課 神崎リリス〉。
その刻印が無機質な光を淡く返している。
息を整え、職員証をリーダーにスライドさせた。
短い電子音とともに、ロックが外れる。
胸の奥が、ひとつ脈を打った。
ヒルメは、ためらいを押し込むようにしてノックした。
「入って」
リリスの声が静かに響く。
ヒルメはドアを開け、中へ足を踏み入れた。
室内は午後の日差しが穏やかに差し込み、静かに沈んでいた。リリスは窓辺に立ち、外の灰色の空を眺めている。
ヒルメの気配に気づいたリリスがくるりと振り返った。顔にはいつもの穏やかな微笑みが浮かんでいる。
「ヒルメちゃん、どうしたの?」
リリスの声は優しく響く、ヒルメは胸の中の緊張が少しほどけるのを感じた。
ヒルメは一歩、静かにリリスの方へ近づいた。
声に少し震えを含ませて、問いかける。
「リリスさん…ヒカリは…?」
リリスは目だけで微かに頷く。
「...目を覚ましたわ」
声は絹の様に柔らかく、まるで自然な安堵を伝えるかのようだ。
ヒルメの胸が温かさで満たされる。
「本当によかった…」
小さく顔を綻ばせるその表情に、心からの優しさが滲む。
リリスはヒルメの微かな安堵の表情を、静かに見つめていた。
その瞳の奥には、何も漏らさぬ冷静さがあった。
やがて、柔らかさを保ったまま、言葉を選ぶように口を開く。
「でも、斎藤くんと田中ちゃん...望月さんの三人は…失ったわ」
ヒルメの胸の奥が締めつけられる。視界が一瞬、揺れた。
「私、何もできなくて…」
思わず俯いて言うヒルメに、リリスは静かに声をかけた。
「ヒルメちゃん、あなたのせいじゃない。
悪いのは全部、聖桜教団よ。
覚えておいて――あなたは正しい...そう、正しいの。
ここにいるのも、あなたが私と一緒にいるべきだから。
だから、自分を責めなくていい。
恐れなくていい。私と一緒に、戦いましょう」
その言葉にヒルメの目から涙がこぼれ落ちそうになる。リリスはそっとヒルメの肩に手を置いた。その手は暖かく、優しさに満ちている。
「でも……」
震える声で言いかけるヒルメに、リリスはそっと口を開いた。
「でも、じゃないの。今はみんなで前を向くのよ。分かった?」
リリスの声は母親のように柔らかく、ヒルメの心に沁みわたった。
ヒルメは小さく息を吸い込み、ゆっくりと顔を上げた。
「はい…私も、戦います」
ヒルメは震える指でリリスの手を握り返した。
「ええ、喜んで。」
リリスは頷き、微笑んだ。ヒルメはリリスの目を見上げ、その微笑みに励まされた。
そのとき、リリスの携帯が短く鳴った。
指先でスッと拾い上げる動作に、わずかなぎこちなさが混じる。リリスは少し驚いたように電話に出る。
「もしもし、リリス。俺だ。明日、対聖桜教団作戦も兼ねた会議だ。ほとんどの主力メンバーが集まる。だから、来い。」
リリスは落ち着いた声で応答する。
「承知しました、牛島くん。私も必ず参ります。」
受話器を置く前に、窓枠に指先を軽くトントンと打つ。
小さな動作は、ヒルメの視界にも、電話の相手にも気づかれない。
電話を切ると、リリスは静かに外の街並みを見つめた。
「明日からよ、私たちの反撃は。聖桜教団には、夜明けの光が夜に巣食う影を照らし出すように、こちらが迫っていると知らしめるの。」
リリスの声が低く響く。力強さと確信のある声色に、ヒルメは胸が熱くなるのを感じた。
ヒルメはそばに立つリリスに目を向けた。夕暮れの淡い光が二人を包み込む。
「さぁ...行きましょう、ヒルメちゃん」
リリスが笑顔で言った。
「はい!」
ヒルメは深く頷いた。リリスの背中を見つめながら、ヒルメは心の中で深く決意した。
『リリスさんを信じて、私も頑張ろう』
ヒルメの瞳は、さっき程より少しだけ澄んでいた。




