ルシファー鬼つええ!このまま逆らうやつら全員ブッ殺していこうぜ!
腹が痛い。
胃液で腹が焼けるように痛い。何も入ってない胃が、自分自身を溶かそうとしてる。胃が背骨にくっつきそうなくらい縮んで、それでも胃液は出続ける。もう三日、まともに食ってない。昨日コンビニのゴミ箱から拾ったパンの耳が最後だった。カビが生えてたけど、カビの部分だけちぎって食った。
俺の名前はヒカリ。たぶん、十五歳。
乞食ってヤツだ。
路地裏の段ボールに座りながら、俺は自分の手を見つめる。骨と皮だけになった手。血管が浮き出てる。爪は汚れて黒い。
親父に殴られて家を出たのが十二歳の時。それから四年間、ずっとこうやって生きてきた。学校?知らねえよ、そんなもん。友達?いねえよ。彼女?笑わせんな。
俺には何もない。金もない、家もない、未来もない。
寝る前は段ボールの端を齧る。埃も舐める。何でもいいから、口に入れたい。シーツがあった時は、それをしゃぶってた。唾液で濡らして、口に物をいれて、何かを食べてるような気分になりたくて。
くっそツレェけど、でも死ぬのは嫌だ。
なんでかは分からない。こんなクソみたいな人生でも、死ぬのだけは嫌だった。
「あー、腹減った...」
声に出すと、余計に惨めになる。でも誰かに聞いてもらいたかった。たとえ誰も聞いてなくても。
段ボールから立ち上がろうとして、足がもつれる。栄養失調だ。分かってる。でも病院や飯屋なんて行けるわけがない。保険証もねぇ、金もねぇ。売れるモノも残ってねぇ。
這うようにして近くのコンビニまで行く。バックヤードのゴミ箱を漁る。店員に見つかったらアウトだ。でもやるしかない。
・
・
・
.......ない。
何もない。今日は何もない。
「畜生...糞が。」
膝から崩れ落ちる。アスファルトが熱い。七月の熱帯夜。
死ぬのかもしれない。今夜。
でも、なんか悔しい。俺、何もしてないじゃん。何も手に入れてない。何も経験してない。
彼女も出来たことないし、手を繋いだこともねぇ。
セックスもしたことない。旨いもんも食ったことない。欲しいもんも買ったことない。
友達も....いない。
このまま死ぬなんて、糞食らえだ。
「おい」
声がした。
振り向くと、サラリーマン風の男が立ってる。四十くらいか。スーツはよれよれで、ネクタイが曲がってる。酒の匂いがする。
「そこどけよ、邪魔だ。」
男は俺を見下ろしてる。目が据わってる。完全に酔ってる。
「すいません...」
立ち上がろうとするけど、足に力が入らない。手をついて、なんとか膝立ちになる。
「遅えんだよ」
男が俺を蹴った。
腹に入る。息が止まる。胃液が上がってくる。でも吐くものがない。空っぽだから。液が口から垂れるだけだ。
「ガキが、いい気になってんじゃねえぞ」
吐き捨てられた声と同時に、靴底が横っ腹をえぐった。肋骨にひびく鈍痛が、肺の奥まで響き、息を詰まらせる。
痛い――けど、知っている痛みだ。慣れ親しんだ殴打の重み。
親父の拳が、幼いころから叩き込んできたものに比べれば、こいつの蹴りなんざ、ただの記憶の追伸みたいなものだ。
それでも、気づけば俺はやっちゃいけないことをしていた。
顔を上げ、睨み返してしまったのだ。
....血の味を滲ませた笑みと共に。
「んでてめぇおれの顔を睨んでんだよ殺されてぇのかよ!」
「てめぇみたいなクズは死んだ方がましなんだよ。駆除してやるよ。」
男がポケットから何かを取り出した。ナイフだ。
やばい。
本当にやばい。
こいつ、俺を殺す気だ。
「やめて...やめてください...」
震える声、とめどなく溢れる涙。
とっても情けない。でも怖い。
「うるせえ!お前の涙はしょんべんと同じだ!そうやって演技してきたんだろ!!」
ナイフが振り下ろされる。
その時。
空が割れた。
────
音がした。
ガラスが割れるような音。でも空から聞こえる。
男も俺も、同時に上を見上げた。
夜空に、ひび割れが走ってる。本当に、空が割れてる。
そこから、何かが落ちてきた。
白い。
真っ白な、何か。
骨だ。
人間の骨。いや、人間じゃない。もっと大きい。もっと太い。牛か?象か?いや、もっと別の何かの骨。
骨が、降ってくる。
一本、また一本。
きし、きし、きし。
骨同士がぶつかり合う音。歯が浮くような、嫌な音。
「な、なんだこりゃ...」
男が震え声で呟く。ナイフを持った手も震えてる。
骨が地面に積み重なっていく。山みたいに。そして、動き始めた。
組み合わさって、形を作ろうとしてる。
腕。脚。胴体。頭。
でも、完成しない。途中で崩れて、また組み直して。何度も何度も。まるで自分の形が分からないみたいに。
きし、きし、きし。
音が響く。骨の軋む音。俺の骨も、一緒に軋んでるような気がする。
そして、ついに形になった。
人型。でも人間じゃない。二メートルはある巨体。腕が四本。頭蓋骨が二つ。
『恐れよ』
声が聞こえた。骨の軋む音の中に混じって。
『我アバラ。骨の神なり』
クラウン?
なんだそりゃ?
『汝らの恐怖こそ、我が糧』
アバラが男を見る。眼窩に炎が宿る。青白い炎。
男が悲鳴を上げた。
「ひいいいい、ごめんなさいいいいい」
逃げようとして、転ぶ。這いつくばって逃げようとする。
でも間に合わない。
アバラの腕が伸びる。男の体を掴む。
そして。
ぼき。
音がした。乾いた音。
男の体から、骨が抜けた。全部の骨が。一瞬で。
肉と皮だけが、べちゃりと地面に落ちる。
俺は吐いた。
胃に何もないのに、吐いた。胃液と胆汁だけ。苦い。
「う...うぁあああ...」
声にならない声が出る。
『次は汝だ』
アバラが俺を見下ろす。
恐怖で体が動かない。手が震える。足が震える。歯がガチガチ鳴る。
死ぬ。
今度こそ死ぬ。
でも、嫌だ。
まだ死にたくない。何もしてないのに。何も手に入れてないのに。
「やだ...やだよ...」
情けない声が出る。でも止まらない。
『理由などない。我は在り、汝は在る。ただそれだけだ』
アバラの腕が俺に向かって伸びる。白い骨の指。
触れられたら終わりだ。男みたいに、骨を抜かれる。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ!」
俺は叫んだ。
その時。
『契約はいかがかな?』
別の声が響いた。
───────
光が差した。
路地裏に、まばゆい光。
アバラの動きが止まる。
光の中から、人影が現れる。美しい男。いや、男?女!!分からないがきっと女!!
スゲェよ...人間とは思えないほど美しい。
『私はルシファー。自由を司る神』
ルシファーはアバラを見上げた。小さかった。けれど、なぜかその小ささの奥に、すべてを覆い尽くすような威圧が潜んでいるのだった。アバラよりも小さいというのに、なぜか、すべてが逆転してしまったような、そんな気分になった。
「アバラよ、その子を私に渡せ」
「断る」
「そうか」
ルシファーが微笑む。美しく、そして底知れぬ恐ろしさを湛えた笑顔。
「でも、もらうよ」
ルシファーが俺に向かって歩いてくる。アバラを無視して。
『…よし、契約だ』
「え」
『君の魂と引き換えに、力をやる』
「力?」
『自由になりたいだろ? この惨めな人生から――』
惨めだ。
俺の人生は惨めだ。
惨めで、みじめで、何もない。
『力があれば、何でも手に入る。食い物も、金も、女も』
女…女⁈
してぇ。やりてぇ。
まだ童貞だ。
キスもしたことねえ。手も繋いだことねえ。
『君の憎悪、怒り、絶望。全てが力になる』
憎悪。
....あるよ。
...親父への憎悪。
俺を殴りつけ、蹴りつけ、毎日を恐怖で塗り潰した親父への憎悪。
産み捨てた母への憎悪。
世界への憎悪。
自分への憎悪。
『どうする?』
ルシファーが手を差し出す。
純白の手。
完璧な手。
俺を救い出す、一縷の光。
アバラが咆哮する。
『何をしている、ルシファーよ』
『契約だよ、アバラ。邪魔をするな』
『まさか…合一するつもりか! 禁忌だぞ! あの方に殺されるぞ!!天と人は交わってはならぬ!!』
ルシファーが振り返る。
表情に、一瞬の迷い。
「…望む所さ」
俺は迷った。
でも、一秒だけ。
「やってやる」
俺はルシファーの手を掴む。
ルシファーは顔色を変えず、覚悟を決めて言った。声は低く、鋭く、胸の奥まで刺さる。
『さあ、契約成立だ』
『…これで私も裏切り者だな』
ルシファーの体が光に変わる。眩しい光。そして俺の中に入ってくる。
魂に。
体の奥の奥、もっと深いところ。魂の中心に、ルシファーが入り込んでくる。
俺が俺でなくなるような感覚。でも同時に、もっと俺らしくなるような感覚。
痛みが走った。
体の奥から、何かが湧き上がってくる。熱い。熱すぎる。血管が沸騰しそうだ。骨が軋む。筋肉が膨張する。
『これが契約の代償。君の負の感情が増幅される。』
憎悪が膨れ上がる。怒りが、絶望が渦巻く。
でも同時に、力も湧いてくる。
手に力が入る。足に力が入る。全身に力がみなぎる。
五感が鋭くなる。匂い、音、光、すべてが鮮明になる。
「傷つけろ。恐れが身体を裂き、新しい姿をくれる。」
俺はガラス片を握り、手首を切る。血は夜の紙に滲む朱の罫線となって落ちた。
『さあ、君の負の感情を解き放て。』
絶望は言葉なき潮となり、怒りは追憶を叩く。憎悪は冷たい硝子の破片となって空間を震わせる。やがて火と音が、そいつらを抱え上げるようにして体を包む。
――鳴動。裂帛の叫び。悲しみの匂いが鉄と詩の香りへと変わる瞬間。
「変身。」
背中に黒き翼。羽は煤のように崩れ、ばらばらに落ちて地を汚す。
額には光の角。輝きは歪み、異物のように俺を苛む。
眼差しは青白く澄む。
底に潜むのは飢え、怨嗟、救われたいという渇望。
「楽して生きたい」「幸せになりたい」「満腹になりたい」「眠りたい」「愛されたい」――
その卑小な願いすら、なぜか神に逆らわせ、天を焼く。
『どうだ?力は満ちているか?』
俺は立ち上がる。
アバラを見上げる。
恐怖が消えた。
今なら戦える。
「来いよ、骨野郎。俺達がぶっ殺してやるからな!!」
『小僧が』
アバラの腕が、まるで時間の流れを無視するかのように、俺に向かって伸びた。
俺は、なんとなく、それを躱した。あっけないくらい、簡単に。
そして、気づけば拳を握っていた。震えるほどでもなく、しかし確かに熱を帯びて、光が、宿っている。――ルシファーの力が、俺の内側で静かにうねっているのを感じた。
「右ストレートでブッ飛ばしてやる!」
アバラの胸に拳を叩き込む。
光が爆発する。
アバラが吹っ飛ぶ。骨がバラバラに散らばる。
『ぐおおおお...』
アバラが崩れ落ちる。完全に。
俺は荒い息を吐きながら、アバラの残骸を見下ろした。
『君はもう、人間じゃない』
ルシファーが消える。光と一緒に。俺の中へ。
俺は一人、崩れた路地裏に立っていた。
手を握る。石でも砕けそうだ。
地面を軽く蹴る。数十メートルは跳べそうだ。
これが、力か。
俺はヒカリ。十五歳。
自由に焦がれた少年。
空を見上げる。星が見える。今まで見たことないくらい、鮮明に。
もう、死ぬこと以外、何も怖くない。
何も。
クラウン(神の名を冠する存在)について。
神:自然現象・生理現象・概念への恐怖、信仰から生まれる。八百万の神。
死の神、骨の神、火の神、戦争の神、飢餓の神、ゴキブリの神、コオロギの神、大地の神、海の神、支配の神など
名前を名乗る神もいる(骨の神が「アバラ」、自由の神が「ルシファー」など)