解けない呪い
「はじめまして。ツクノモリです」
「どうも。みはるです」
指定されたファミレスの端の一席に彼女は座っていた。
みはると名乗る女性は席から立ち上がり、すっと頭を下げた。一瞬何かにぴくりと反応するような素振りが気になったが、それなりに礼儀を備えている事が窺え少し安心した。対面に座り適当に注文をしてから改めて彼女を見る。
黒縁の眼鏡にミディアムの黒髪。黒Tに黒スキニーと全身を黒で統一した姿。地味な印象ではあるが顔立ちは整っており、細身ながら痩せすぎているわけでもなくスタイルも悪くない。 年齢は三十五で自分と同年齢と聞いているが、二十代後半と言われても違和感はない。どことなく誰かに似ているなと思いながら最初は軽く雑談を交わした。彼女はミートスパゲティをスプーンとフォークで音も立てず丁寧にゆっくりと食べていた。
「じゃあ、そろそろいいですか?」
「あ、はい。すみません、食べるの遅くて」
食べ終わってから聞こうと思ったが、彼女の食事が思いのほか遅く話題も持たなかったので本題を切り出すことにした。
「信じてもらえるかは分かりませんが、こんな事話せる相手もいないので」
そして彼女は語り始めた。
*
ツクノモリという名前で趣味程度に怪談系のラジオ配信を始めて一年が経った。毎日こつこつひっそりと続けてきたが、継続は力なりの言葉通り着実にリスナーは増えていった。
最初は配信上で話を聞くだけだったが、人が増えてくれたこともあって専用のSNSアカウントでDMを解放し怪談を募集してみると、ありがたい事にこちらにも色々な話が送られてくるようになった。
『末代まで呪われてる者なんですが、良ければお話を聞いていただけませんでしょうか?』
溢れかえったDMの山の中で表示された一文目に僕は完全にやられた。素直な興味に引っ張られるようにメッセージを開き、ぜひ聞かせてほしいと返信した。
『出来れば会ってお話がしたいのですが、難しいでしょうか?』
これまでも何度か実際に会って話を聞かせてもらうパターンはあったので抵抗はなかった。嘘や作り話の可能性は十分にあるが、それでも面白い話を聞けるならそれでいいと思い、僕は彼女と予定を合わせ実際に会う事にした。
*
「うちの家系は男が必ず死ぬんです」
彼女の話ではずっと昔からこの呪いが続いているという。呪いの内容は産まれてきた男が必ず悲惨な死を遂げるというものだった。
彼女が知っている範囲で、まず彼女の曾祖母にあたる代で男二人、女二人が産まれた。
長男は溺死、次男は首吊りで死んだ。理由や詳細は分からない。長男はもともとカナヅチで水辺に近寄るような人間でもないのに、家から5km以上も離れた川辺で見つかった。
次男が死んだのは長男の死から三年後。朝になっても起きてこないので部屋を見に行った所、部屋で首を吊って亡くなっていた。遺言も何も残さず、前日には友人と元気に遊んでおり全くそんな兆候もなかったという。長男次男共に亡くなったのは十五歳の時だった。
曾祖母から産まれた娘二人も結婚しそれぞれ子を授かった。
姉は男一人、女一人。妹は男二人に、女一人。しかしここでも男が全て死んだ。
姉の息子は暴漢に襲われ絞殺。妹側は、一人は風呂で溺死。もう一人はまたも首吊りだった。
姉妹はここでさすがにおかしいと感じた。兄弟も死に、自分の息子達も悲惨な死を遂げた。それだけでなくどれも理不尽で不可解な死であり、全員が十五歳で亡くなっている事もあまりに奇怪で不気味だった。
うちは何かがおかしい。
母からは何も聞いていないが、これだけ死が続けば呪いめいた何かがあると考えてしまうのは無理もない事だった。
何かが憑いているのか。何に呪われているのか。伝手を頼りその筋の人間に見てもらった所、予想通り呪いがかかっているとの事だった。
「とんでもない鎖で繋がれたものだ。こんなもの誰にも解けん」
彼女達を見た霊媒師はそう口にした。
諸悪の根源は彼女達の先祖で、身分の高さから貧しい者達をいわば奴隷として働かせていた。それだけならまだしも悪趣味な先祖達は奴隷達をまるでおもちゃのようにいたぶり尽くした。女性は性のはけ口とされ生かされたが、男性の扱いは凄惨だった。殴る、切る、刺す、焼く。様々な方法で極限まで痛めつけ苦しめ殺してきたが、特にお気に入りの方法が窒息死だった。
首を絞める。水に沈める。空気を奪い殺すという方法に魅力を見出し、散々に痛めつけた後、最後は必ず窒息させる形で数多の奴隷達を殺してきた。
その恨みつらみが蓄積し成熟した一つの怨念となった。その力は末代まで続く呪いとして決して許されることはなく、祓う事はもちろん、どれだけ子孫達が誠心誠意彼らの死に向き合い供養しても鎮める事は出来ないという。
「あんたらにとったら無関係でとんだ飛び火やろう。でも貧しいからという理由だけでいたぶられ殺された彼らからすればあんたらも同罪や。あきらめ」
以来誰を頼ってもこの呪いを絶つ事は出来ず、今に至っているという。
「私の兄と弟も十五で死にました。どっちも首吊りでした。二人とも明るくて優しい人でした。でも突然死んだ。何の前触れもなく。あぁ、ほんまに呪いなんやなって」
彼女の口調に地元の訛りが混じった。とても聞き馴染みのある自然なものだった。
ふいに記憶が繋がり始めた。最初に見た時の既視感。同年齢。地元の言葉。海晴というハンドルネーム。
「……あの、もしかして、晴海?」
呼びかけると彼女はふっと微笑んだ。
「やっと思い出してくれた」
最初に彼女が見せた僅かな表情の変化の意味が分かった。おそらく、自分の事を覚えていないという事に対しての反応だったのだ。
「久しぶりやね、月森君。あ、ツクノモリさんって呼んだ方がええ?」
悪戯っぽく笑う彼女に僕は苦笑するしかなかった。
「何十年も会わんかったらさすがに気付かんよね。でもびっくりした。お互い地元離れてたのに、こんなふうに会うなんてね」
晴海は小中学生の時の同級生だった。特に男女の関係ではなかったものの、当時ひっそりと想いを寄せていた相手だっただけに心臓が自然と高鳴った。
「怪談、昔から好きやったもんね」
「覚えてくれてたんだ」
「あの頃から話すの上手かったもんね」
夏になると輪を囲んで怖い話大会なんてやった事もあった。暗い部屋でろうそくを灯してわーきゃー言いながらも、男女が同じ空間にいる事にどこか淡い期待を持った青臭い記憶に懐かしさと恥ずかしさを覚えた。
「わりと最初から配信来てくれてたよね」
「うん。ってかすっかり関東弁」
「こっちの方がもう長いからね。それにしても、まさかこんな恐ろしい体験をしてる人間がこんな身近にいたなんて」
「もちろん嘘ちゃうよ。ほんまに呪いかどうかは正直分からんけど」
「分かってるよ。この話、使ってもいいの?」
「もちろんええよ。その為に会おうって言ったんやから」
「ありがとう」
「なぁ、月森君」
「ん?」
「また会おうよ。今度は怖い話とか抜きで」
「う、うん。もちろん」
「やった。約束やで」
大人になった彼女の笑顔は、幼い当時よりもずっと魅力的に映った。
これがきっかけで僕は彼女と付き合い、その一年後には子供を身籠り結婚した。仕事に子育てにと忙しい日常を過ごす内にいつしか生活から怪談は離れていった。大変な事もあったが平穏で幸せな時間だった。
「分かってたはずやのにね」
息子の隆介が十五歳で首を吊って亡くなった日、僕も晴海も絶望した。
「あの話聞いた時さ、簡単な事やと思わんかった?」
僕に話しているのだろうが、虚空を眺めながらうわ言を言っているようにしか見えなかった。
「とんでもない鎖で誰にも解けない呪いって。解けるやんって思わんかった?」
昔晴海から聞いた、彼女の家系にまつわる末代まで続くという永遠の呪縛。
「結婚せんと子供産まんかったらええやんって。男の子産むから死ぬんやって。話聞いた時めっちゃ思ってん。何が解けへん呪いやって」
確かに彼女の言う通り、それなら霊媒師やら何やらの力など不必要なはずだ。
「でもちゃうかった。勘違いしてた。ずっとこの呪いってうちらの家系の男にかけられたもんやと思っとった。ちゃうわ。うちらやねん。うちらに関わる全部やねん。死ぬと分かってる男を産ませる私らにかけられた呪いや」
晴海は笑っていた。どうにもならない運命を呪って笑うしかないといった様子だった。
「呪われてたって恋はしたい。結婚したいし子供も産みたい。全部偶然で呪いなんてない。たまたまやった。だから私は大丈夫。気付いたらそんな気持ちで呪いを上書きした。ちゃうよな。呪いってそんな程度のもんで勝てるはずないよな」
だからこそ解けない。虐げられた者達の思いがそんな程度で掻き消せるわけがない。
「何で止めてくれんかったんよ」
僕に言ったあと、晴海の視線が横にずれた。
視線の先には来年五歳になる娘の沙希がいた。