「完璧主義」は褒め言葉でも何でもない。
「完璧主義者」
一瞬、聞こえの良い言葉ではあるが、その実はあまり褒められたものではない。なぜなら「完璧」を準備するために割かれる必要以上の時間、つまり「タイムパフォーマンス」の問題が、必ずといっていいほど、そこには付きまとうからだ。
完璧主義とは、いったいどこから来るのか?
それはおそらく、一般よりも過度に高いプライドからか。
自己の実力に見合わない、不合理ともいえるプライドの高さ。
それゆえ失敗を隠し、物事を中途で投げ出すのも、実はこの「自称・完璧主義者」に多く見られる傾向といえる(「黒歴史」なんて言葉を使う人間にも、よく見受けられる症状か)。
自称・完璧主義者たちに言いたいこと。
それは、中途半端でもかまわないから、常にやり切る習慣をつける。
平均70点くらいでも構わないから、すぐにアウトプットする習慣をつける。
洗練は「その先」にある結果だぞ、と。
「いきなり満点を目指す」者の多くは、いくら苦心しても、せいぜい80点くらいが関の山で、その80点という数字自体も「稀にしか出せない数字」なので、誰からも信用を得られない。にも関わらず、その自己認識の高さから自分自身を苦しめ、雁字搦めにヘバっていく。
稀に80点は出すが、滅多にアウトプットをしない人間は、彼らが見下しているコンスタントに70点を出す人間にも、大幅に劣る。とにかく「数(=経験)」が先なのである。
量産の中から得る「真なるもの」を集める作業こそが、平均点自体が高まっていく「洗練のカギ」なのだから。
「黒歴史」すら「必要な経験」であったと愛せるくらいの度量を得れるようになった頃には、おそらくアナタは、その道で一端の存在となれたと言えるのかもしれない。
―― 何者が、何目線で書いているのか、よく分からない文章だが、そういうことである(どういうことなの?)。
投稿後、書き終わった文章を読み直していて、思い出したこと。
私も若い時分は、ご多分に漏れず、自称・完璧主義の神経質野郎だった。
「アナタの神経質な振る舞いは、他人に対する無神経でもある」といった指摘を受けたことにより、目が覚めることが出来たが、それはもう鼻持ちならない態度だったな、当時は、と今思い出しても照れ笑い。