紫陽花
あのお方との交わりは1回きりでした。
隅田川から帰路に着き、あの方と一緒に、六角の間で久しぶりに思いっきり笑ったのを鮮明に覚えているのでございます。
その晩だけはずっと一緒におりました。
私が今まで生きてきて、初めてのわがままをぶつけたのです。あのお方はそれを受け入れて、とても優しくしてくださったのでございます。
身ごもったのを知ったのは、必ずと言ってよいほど定期的にくる月のお迎えが来なかった時でした。
本家に仕える医師から正式に妊娠を告げられました。月日を鑑みると、あのお方の子で間違いございません。
六角の間の給仕さんは、同じ女性だったので、身体健康の話は親身になってくださいました。
しばらくして、私は六角の間を脱出することができたのでございます。
と言うよりは、追い出された、という表現が適切なのかも知れません。
身体健康の込み入った話を給仕さんにしてから、その方も来なくなったので直ぐに事情は知り得たのでございます。
生活に一切贅を求めていませんでしたから、ここを出ることが出来ればと、ただただ嬉しかったのを覚えております。
あえてひとつだけ贅を言うなら、あのお方とずっと一緒に居たかった。
外に出てからは、千束から土手通り挟んだ向かいにある、続き長屋をあてがわれました。
生きていく上で困ることのない最低限の生活費もあてがわれ、本家からは、西洋医学を学んだ医師も定期的に診察に来てくださいました。
あのお方との子どもが産まれたのは、紫陽花が咲き始める頃でございます。
そして。
あのお方が不自然に亡くなったと風の噂で聞いたのも、お乳を与えながら、ぽんぽんと子守唄を口ずさんでいた時でございます。
春の河原で水切り。
暖かい陽射しを浴びながら、桜が風に舞っている中で。
あのお方と、もう一度、もう一度だけでも。
水切りがしたかった。
そこからは、ただただ必死にこの子を守ろうと、兎にも角にも一所懸命でございました。
涙は決してあの方に見せてはいけないと、空に向かって誓っておりました。どんなに辛い時があっても、空を見ればあのお方の凛々しいお顔がいつでも浮かんで励ましてくださいます。
私の物語は、そうしてゆっくりと、終焉に向かうのでございます。