17.魔女の森(3)
「っ……」
魔獣がじりじりと私に詰め寄る。
まるで獲物に狙いを定めるかのように。
「契約を結ぶ以上、私はこの手でお前の命を奪うことはできない。だけどお前を従わせるための方法はいくらでもあるのよ、アイリス」
カーミラは魔獣を使って私を襲わせるつもりだ。そして瀕死状態にし、カーミラとの契約を望ませる。苦痛と痛みを与えて、最後は生きるか死ぬかを望ませるのだ。
「……だけど、契約しようとしたところでここには証人がいないわ」
あくまで冷静に、口にする。
魔女との契約には、証人が必要だと聞いていたから。少しでも最悪の事態を回避しないと。だけどカーミラは、鼻で笑うだけ。
「知らないの? 証人は人じゃなくてもいいのよ。それこそ、可愛がって育てた愛玩動物でもね?」
そうなれば、私は今度こそカーミラにすべてを奪われてしまう。
最悪の事態を回避するためには、方法はひとつ。私がどんな状況になったとしても、カーミラに何も求めないことだけだ。
私が求めなければ、対価を払う必要なんてないのだから。
たとえこの身体に想像を絶する痛みを与えられようとも、もう彼女の言いなりにはならない。また体を乗っ取られることの辛さと比べたら、どうってことない。
――私はもう、負けない。
強い意思でカーミラを睨みつける。彼女は私の心が読めるのか、余裕な笑みを浮かべた。
「強がっていられるのも今のうちね」
魔獣が唸り声をあげ――あの日と同じ、鋭い爪を振りかざした。
――来る……!
身体の痛みで思うように動けない私は、逃げることもできず、覚悟を決めて強く目をつぶる。
だけど、いくら待ってもその痛みは訪れず……代わりに、獰猛な叫び声が森の中に響き渡った。
――何が、起きたの……?
ゆっくりと瞼を持ち上げる。誰かがカーミラから私を庇うように、目の前に立ちはだかっていた。
一瞬、以前助けてくださったレイモンド殿下が頭を過った。だけどそこにいたのは、フレデリックだった。
「どう、して……」
フレデリックの構えた剣には、赤黒い血が滴っている。奥に苦しんでいる魔獣の姿が見えて、彼が私を守ってくれたのだと気づいた。
カーミラはフレデリックを見て、心底嫌そうにため息をつく。
「しつこい男ね。どこまで私の邪魔をすれば気が済むわけ?」
「それはこっちのセリフだよ。これ以上アイリスに手を出すならば、容赦なく斬る」
フレデリックの後ろ姿には迷いがない。シャーロットに向けて真っ直ぐと剣を向けているところを見ると、彼女が魔女であることには気づいているのだろう。
なぜ気づいているのか、なぜフレデリックがここにいるのか……聞きたいことはたくさんあるけれど、今はそんな雰囲気ではない。
「まったく物騒ねえ……」
正面から剣を向けられているというのに、カーミラはまるで動じることがない。
その理由がわからずにいると、近くにいた魔獣がのそりと起き上がった。ちょうど今、フレデリックに斬られたはずの身体の傷跡は、みるみるうちに塞がっていく。
「やっぱり……通常攻撃は効かないか」
「当たり前でしょう? 人間の力なんて、たかが知れているのよ」
斬っても斬っても倒れないならば、戦いは無謀だ。それならば……。
「フレデリック、逃げて! 魔獣はおそらくこの森の中でしか生きられないわ……!」
確証はない。だけど、狩りで私を襲う時、わざわざ魔女の森へと送り込まれたこと。今だってわざわざここまで連れて来られたことを考えると、あながち間違いでもないはず。そもそも魔獣なんて、私たちの生活圏内には出没すらしないのだから。
実際に、私もシャーロットも、カーミラと契約したのは魔女の森だった。彼女たちはこの森でしか魔力を使えないと考えるべきだろう。
フレデリックはそのことを知っていたのか、冷静に頷く。
「だけど今殺らないと。魔女がシャーロットに憑依している以上また森を出て来るし、アイリスの身体を奪おうとするはずだ。そんな好き勝手は、もう許せない」
あんなにも私を拒絶していたのに、私を守りたいと言っているような言葉に、胸が締め付けられる。
――やっぱり、フレデリックはすべてを知っていたの……? 私が、憑依されていることも全部。
「魔女はここで始末する。何も無策で飛び込んできたわけじゃないから」
「はったりね。この森に踏み込んだ以上、もう――」
「唯一の弱点、そこを突けばいい」
フレデリックが構えていた剣を投げ捨て、腰に下げたもう一本の剣に手をかける。
目に見える速さでそれを抜くと、先ほどよりも大きく魔獣の身体を切り裂いた。
「グォォッ!!」
魔獣のうめき声とともに、傷口から強く発光する。
眩しい光に照らされて、魔獣の姿が徐々に消えていくのが見えた。
「フレデリック、その剣は……」
「これは聖石を使った剣だ。魔女の唯一の弱点……教えてくれたのは君だよ」
――私が教えた? それってどういう意味……?
私が尋ねるより先に、カーミラが焦ったように後ずさる。
彼女から一切の自信が消え、剣を見る瞳は恐怖で揺れていた。
「ま、待ちなさい、それは駄目よ。それだけは――!」
「もう遅いよ」
口をわななかせ、命乞いをするカーミラの胸に、フレデリックは無慈悲に剣を突き刺す。
刹那、先ほどよりも強い光が辺り一面を照らした。
「いやああああっ」
カーミラの叫び声が、キンと耳に響く。
突き刺した胸元から赤黒い炎が浮かび上がり……それはやがて暗闇へと消えて行った。
――何が、起きたの?
代わる代わる起きた出来事に、思考が追いつかない。
魔獣は跡形もなく消えていて、目の前には意識を失ったシャーロットが倒れ込んでいた。
「アイリス、立てる?」
「大丈夫……」
そう答えながらも、視界が霞む。
――あれ……。
「アイリスっ!?」
フレデリックが私の名を呼ぶ。
愛しい人の顔が次第にぼやけていき……私は完全に意識を手放した。




