17.魔女の森(2)
何かにぶつかったのか、大きな音とともに馬車が傾き横転する。
私は馬車の壁に身体を強くぶつけ、全身に鈍器で殴られたような痛みが走った。
「いっ……」
何が起こったのかを考えようにも、頭も打ったせいでぼんやりとする。
なんとか開いた扉から這い出ると、御者席からは男性のうめき声が聞こえた。
私はやっとのことで草の上まで移動する。そこで身体を起こすと、辺りを見回した。
――ここは……。
まだ日は落ちていないはずなのに、真っ暗な森。ひんやりとした空気。そして、しとしとと降り出した雨。先ほどまでとはまるで違う空気に、確信した。
「魔女の、森……」
「大正解ですわ、アイリス様」
シャーロットが得意げに語る。彼女は一緒に馬車に乗っていたにもかかわらず、無傷で私を見下ろしていた。
「そしてここは十年前、貴方が崖から落ちた場所……懐かしいでしょう?」
「何で、このことを……?」
見た目も声もすべてがシャーロットであるのに、その奥に見えるのはまったく違う人物で……。
「もしかして貴方、カーミラなの……?」
直感的に、そう尋ねていた。
シャーロット――カーミラは畏まった言葉遣いをやめて、「やっと気づいたの?」と口元を釣り上げて笑う。その姿はまるで魔女だ。
「そんな、いつから……」
「この姿でお前とはじめて会ったのは、お茶会の時よ? わざわざ私を招待してくれて、仲良くなりましょうとまで言ってくれたんだもの。私感動しちゃった。こちらから接触する手間が省けたことには感謝してるわ」
――うそ、あの時からずっと……?
「どうして貴方がシャーロットの身体に?」
「そんなの決まってるでしょ? お前の身体を追い出されたから、別の身体を探す必要があっただけ。たまたまちょうどいい器があって本当によかったわ」
「器って……じゃあシャーロットは……」
「いるわよ? この身体の中に。以前のお前と同じように、ね」
挑発的な視線を向けられて、カッと頭に血がのぼる。
私が十年以上経験していた辛さを、今は別の誰かが経験している……そう思ったら、ふつふつと怒りが湧いてきた。
そして、その原因が私が身体を取り戻したせいであることにも、やるせなさが募る。
「カーミラ、今すぐシャーロットを解放しなさい。他人の身体を奪うなんて、そんなこと許されないわ」
「奪うだなんて酷いわね。私はちゃんと契約してるのよ? 昔お前と交わしたように」
悔しいけれど、カーミラの言う通りだ。彼女は私の身体に憑依する代わりに、フレデリックを助けてくれた。それは紛れもない事実だった。
「しかもこの女は死ぬことを望んでいた」
「え……?」
「お前が昔落ちた崖から自ら飛び降りてくれたのよ」
「! そんなことあるわけ――!」
「あるのよ。彼女ってほら、ずうっと塞ぎ込んでいたから」
カーミラの言葉に、シャーロットのことを思い出す。
レイモンド殿下との縁談をきっかけに、周囲からの嫌がらせが悪化し、ついに社交界へ顔を出さなくなったこと。その理由は、彼女の心が病んでしまったからであるとカーミラが語る。
彼女に対する嫌がらせは見るに堪えなかったけれど、まさか自死を選ぶほどに追い詰められているとは思わなかった。
だけど、自殺の原因が彼女への嫌がらせだとすれば、それはカーミラのせいだ。
「もう、そんなに睨まないでくれる? 虐められるほうが悪いんだから。心を強く持っていれば自殺なんてしないでしょうし」
「そんなことない……死人の身体を乗っ取るなんて、悪趣味にもほどがあるわ」
「誤解しないように言っておくけど、結局死ねなかったのよ、彼女」
死を覚悟して崖から飛び降りたシャーロットは、幸か不幸か自殺に失敗し一命を取り留めおた。しかし、誰も助けの来ない魔女の森でひとり、痛みに苦しんでいたという。
生きることも死ぬこともできない彼女の姿があまりに可哀想だったから声をかけてあげたのだと、カーミラは人助けでもしたかのような口調で話す。はらわたが煮えくり返って、どうにかなりそうだった。
――だけど、怒っている場合じゃないわ。カーミラの真の目的を探らないと。
今すぐにでも彼女に飛び掛かりたい衝動を抑え、カーミラを見据える。
「それで……シャーロットに憑依してまで私に近づいた理由は何?」
「決まってるじゃない。私のことを出し抜いて、身体を取り戻したお前が許せなかったのよ。もう一度近づいて、今度はお前を確実に私のものにしたいと気が済まなくてね」
シャーロットは国一番の美人だが、やはりハミルトン公爵家の財力には勝てないから、とカーミラが話す。
本当は狩りに出た時に実行するつもりだったけれど、レイモンド殿下の邪魔が入り叶わなかったらしい。
「それじゃあ、あの時襲ってきた魔獣は……」
「魔獣だなんて酷いわね。私の可愛い愛玩動物なのに。まあ結局? お前たちが思ったより良い雰囲気だったから泳がせることにしたのよ。あの男を手に入れてから身体を乗っ取ったほうが好都合だから」
「そこまでして、なぜレイモンド殿下のことを……?」
「だって未来の国王よ? あの男の妃になればこの国を手に入れたも同然……でしょ?」
――そうか、だからカーミラはあんなにレイモンド殿下に付きまとっていたのね。
はじめから、目的は明白だった。彼女が興味があるのは、金と地位。だからフレデリックにも、レイモンド殿下に見向きもされなかった伯爵令嬢のシャーロットにも興味がなかった。
そして、カーミラが望むものすべて手に入れられる可能性が高い公爵令嬢という私の器を、カーミラはなんとしてでも自分のものにしたかったのだ。
万が一カーミラが――魔女が王妃になったとしたら……考えただけでぞっとする。
この国の未来のためにも、そんなこと絶対にあってはいけない。
「それならどうしてフレデリックに手を出したの?」
私に憑依していた時、あんなにフレデリックのことを嫌っていたのに。いまさら彼を好きだというのは、やはり考えられない。
「そんなの、あの男と仲良くするとお前が悲しむでしょう?」
「ただの私への嫌がらせってこと……?」
「ああ、そうね。やられっぱなしは性に合わないのよ。ま、おかげで痛い目に遭わされたけど」
カーミラが吐き捨てるように告げる。フレデリックとカーミラの間には、まだ私の知らない何かがある気がした。
「さあ、おしゃべりはお終い。さっさと済ませないと」
「済ませる……?」
「私たちの契約よ。もう一度……今度はお前の身体を永遠に奪ってみせる」
カーミラの瞳が、猛獣のようにギラリと光る。
それを合図に、以前私とレイモンド殿下を襲った魔獣が目の前へと現れた。




