16.失われた記憶(1)
翌日、朝一番で公爵邸へと戻ると、意外な人物が待ち受けていた。
「お父様……?」
私が生き返ってから、まともな会話することすらもできなかったお父様に呼び出され、書斎へと出向く。
お父様は無表情のまま、机の上にある本を私へと差し出した。
「魔女について調べていたのはお前だな」
先日、書庫に置きっぱなしにされていたと聞きはっとする。
魔女について調べている途中のまま、書庫を飛び出してきてしまったのだ。
「申し訳ございません、片付けもせず……」
「そんなことは気にしていない。なぜ、魔女について調べていた?」
「それは――っ!?」
自然と答えようとして、また喉が熱くなる。いくら時間が経とうとも、カーミラに憑依されていたことは、まだ口には出せないらしい。
お父様は私を見て「やはりか」とこぼす。
「……アイリス、お前は魔女と契約を交わしたのだな」
「え……?」
「おそらく十年前、あの事故の時だろう」
「ど、どうして……」
「お前の様子がおかしくなった時期と、死んだはずのお前が生き返り、魂が変わったように振舞うようになった。はじめは半信半疑だったが……すべて魔女の仕業だと思えば説明がいく」
書庫で魔女に関する本を見つけた後から、お父様は私をずっと観察していたと話す。そして、魔女に憑依されていたのだろうと核心したらしい。
「魔女などまるで御伽話のようなもの。信じられない話ではあるが、お前の行動を見ればそうだろうと思わずにはいられない」
「お父様……」
「お前はずっと魔女に憑依されていた。そして、なぜだかそれを口には出せなくなっている。そうだな?」
「っ……」
おそるおそる頭を動かす。行動までは制限されることなく、私はやっと頷くことができた。
「アイリス……長い間気づかず、何もしてやれず本当に申し訳なかった」
お母様が亡くなってからというもの、私に見向きもしなかったお父様が私をじっと見つめている。その瞳にはうっすらと涙が溜まっていて、私まで泣きたい気持ちになった。
ずっと、誰かに言いたかった。本当のことを。まさかお父様が気づいてくれるなんて。
「ありがとうございます、お父様……」
詳しいことを喋れない代わりに、精一杯のお礼を伝える。
声が震える。胸がいっぱいになって、私の目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。
「よく考えれば、もっと早くに気づけていただろうに。父親として情けない」
「そんなことはありません!」
魔女の存在が逸話から出ない以上、お父様が気づかなくとも仕方がない。今、こうして気づいてくれただけで十分だ。
そう思うのに、お父様はふるふると首を振った。
「あの事故の後でお前が別人になり、医者からはおそらくショックで記憶が飛び、人格までもが変わったのではないだろうかと診断を受けた。だが、思い返せばあの事故には不可解な点が多かったんだ」
「不可解な点ですか……?」
「あの高さの崖から落ちても、お前が軽傷で済んだこと。そしてお前を庇ったフレデリックは見た目こそ重症だったのに、明らかに回復が早かった。それこそ、まるで魔法でもかけられたかのように」
「え……フレデリックが、私を庇った……? 何を仰っているのですか? あの時崖から落ちたのは私で……」
「……覚えていないのか?」
お父様の表情から、それが嘘ではないことはすぐわかる。私の記憶のほうが間違っているということも。
十年前、崖から落ちたのは私だけじゃない。崖下で見つかった時、私はフレデリックに守られるような形で倒れていた――お父様から真実を聞きながら、忘れかけていた記憶がひとつひとつ蘇ってきた。
あの日、私はフレデリックと一緒に森へ出かけていた。
はじめて一人で馬に乗れるようになって、護衛たちの付き添いの元、フレデリックと一緒に遠出していたのだ。
そのことを思い出すまで、私は乗馬をしたことがある記憶さえも忘れていたのだけれど。
「馬があればもうどこへでも行けるわね」
一人では行けなかった場所、見られなかった景色がぐっと広がって、まだ幼い私にとっては新鮮で心踊る経験だった。
どこまでも青く広い空があまりに綺麗で、掴めそうなほど近かったことを覚えている。
フレデリックは「そうだね」と同調しながらも、出かける時は決して一人では出ないようにと念を押した。
「わかってるわ。でも、心配しなくても大丈夫よ? そんなに遠くへは行かないから」
「遠くへ行かなくたって森には野生動物もいるし、危険がたくさんある。万が一魔女の森にでも迷い込んだら――って、アイリスっ?」
フレデリックの忠告を聞き流しながら、馬を遠くへと走らせる。
もちろん、そこまで遠くへ行くつもりはなかった。ただ自由に森の中を駆け巡りたいだけだったのに……。
「はぐれちゃった……」
気がつけば私は、深い森を抜け、拓けた場所へと出ていた。
先ほどまで一緒にいたはずのフレデリックは、いつの間にか気配がない。
「ここ、どこ……」
あんなに晴れていたのに、空には厚い雲が覆い、今にも雨が降ってきそうだ。
とりあえず来た道を戻ろうにも、戻れる自信がない。
「とにかく、場所を把握しないと」
ちょうど出た場所が高い崖の上だったこともあり、私は馬から降りると崖の上から周辺を見渡した。
「王城があっちに見えるから……帰り道はこっちね」
大体の方角を確認し、帰り道を確認する。
そのままその場を去ればよかったのに、足元に当たるひんやりとした空気に、つい崖の下を覗き込んだ。
目下にあるのは、鬱蒼とした森。他の区画よりも暗くて、何だか不気味な気配がした。
ここから早く立ち去らなきゃと、本能的にそう感じた刹那――
「きゃっ!?」
今度は強い風が吹き、私の身体は不自然に宙に浮く。そして崖の外へと放り出されてしまった。
咄嗟に岩を掴むも、私の腕力ではどうしようもできず、腕が震える。
もう駄目だと覚悟を決めた時、頭上から私を呼ぶ声がした。
「アイリス!」
「フレデリック……? っ、ここ、ここよ!」
近づいて来た足音に、必死に叫ぶ。程なくして顔を出したフレデリックが、私の手をしっかりと掴んだ。
「しっかり捕まって、今助けるから……っ」
フレデリックの表情は、今まで見たことないほどに真剣で強張っている。
私は彼の腕をしっかりと掴み、上へとよじ登ろうとした。けれど――
「っ!?」
手をかけていた岩が、ガコッと音を立てて外れる。
支えを失った私は、今度こそ崖の下へと落とされてしまった。
「アイリス……!」
フレデリックの手を離そうと思ったけれど、彼がそうさせてはくれず、物凄い力で私を引き上げようとする。
しかし彼一人で私の身体を支えきることなどできず……二人一緒に崖の下へと転げ落ちた。




