8.魔獣にご注意(4)
「……本当によくわからない奴だな。ついこの間まで、俺を執拗につけ回していたのに。今度は他の女とくっつけようとでもいうのか? まさかそれで気を引いているつもりか?」
「う……確かに殿下にはご迷惑をおかけしましたし、そう思われてしまうのも仕方ないですが、企んでいるなど誓ってございません」
「お前は口が上手いからな。そう簡単に信用できない」
「前にもお伝えしましたが、今すぐ信用してもらわなくても結構です。少しずつ、わかってくだされば」
はっきりと告げれば、レイモンド殿下は「頑なだな」と薄く笑う。そしてやや真剣な眼差しを私へと向けた。
「……理由を聞いてもいいか。やはりわからないんだ、人の気持ちがこうも簡単に変わる理由が」
「それは……」
魂が変わったからと言えれば楽だけど、それは叶わないため、他の理由について考える。
「相手のことを考えずに一方的に伝えるのは愛ではないと気づいたんです」
自分勝手な愛情表現では、誰も幸せにならないから。先日、フレデリックにジンジャークッキーを無理やり渡した私に言えることでもないが、大切なことだ。
「……それから、今は他にお慕いしている方がいるので」
私が独り言のように呟いた言葉に、レイモンド殿下がピクリと反応する。
「それは――」
「アイリス!」
「えっ……? フレデリック?」
レイモンド殿下が何かを言いかける寸前、洞窟の中に私の名を呼ぶ声が響き渡る。
すぐに雨に濡れたフレデリックが入って来て、真っ先に岩の上に座り込んでいた私と目が合った。
「どうしてここに……?」
ずぶ濡れの服に、焦りが混じった複雑な表情。こんなフレデリックを見るのははじめてのはずなのに、どこか懐かしさも覚えた。
「アイリスこそ、どうして……」
「私はその、魔獣に襲われた時に殿下が怪我を――」
「魔獣っ? 怪我ってどこを?」
「私じゃなくて――ひゃっ」
フレデリックが慌てたように私を抱き上げる。急に密着した身体に、痛いほどに心臓が跳ね上がった。
その瞬間、抑えていた上着の合わせが緩み、再び肌が露わになる。
「っ……」
「ご、ごめんなさい。これは破れてしまって……」
「破れた……? まさか襲われて?」
正確には「破った」のだけれど、咄嗟のことに上手く説明ができない。
フレデリックは一瞬気まずそうに顔を赤らめたけれど、すぐさま深刻な様子で私を見た。
「やっぱり怪我をしているんだね。それに顔も赤い……熱は?」
「いや、えっと……!?」
合わさった額に、また鼓動が速くなる。
予想外のことの連続で、私の脈拍は強く波打ち、状況を説明する余裕すらなかった。
「ん、熱はないか……すぐに戻って休もう。雨はちょうど止んだところだから」
「ちょっと待って……殿下が……」
「レイ? 彼も向こうにいるから大丈夫だ」
「そうじゃなくて――」
「フレッド、落ち着け」
「っ……」
レイモンド殿下の声に、フレデリックがやっと我に返り身体を離す。まるで今の今まで彼の存在に気づかなかったかのようだ。
「魔獣は始末した。そして怪我をしたのは俺で、そいつは無傷だ」
「そう、だったんだね」
「珍しいな、お前が取り乱すとは」
「……ごめん」
フレデリックが私を下ろし、地面に立たせてくれる。そして自ら上着を脱ぐと、私に差し出した。
「それ、一枚だけじゃ寒いだろうから羽織っていて」
「あ、でも寒いわけじゃ……」
「いいから。お願い」
お願いと言われれば、断ることもできず受け取るしかない。
フレデリックは私の様子を見て納得したように頷くと、レイモンド殿下の近くへと寄った。
「歩けそう?」
「ああ、折れてはいない。その女が手当てしてくれたからな」
「アイリスが……?」
「私は何も――」
「フレッド、肩を貸してくれると助かる」
「もちろん」
否定する間もなく、フレデリックがレイモンド殿下の肩に手を回し立ち上がる。そして私を横目に見た。
「……アイリスもごめん、驚かせて。とにかく、君が無事でよかった」
――本気で心配してくれていたんだ。こんなにびしょ濡れになってまで、私のことを必死に探してくれて……。
根が優しいフレデリックのことだから、当然のことかもしれない。それでも今私に向けられている優しさは本物で、雨で冷えた身体が温まっていった。
――ねえ、フレデリック。貴方が私のことをもう愛してないんだって確信できないのは、ただの私の願望? それとも……。
口に出してしまいたいけれど、今は聞ける状況ではない。
黙ってフレデリックの背中を見つめていると、ふとレイモンド殿下が振り返り私を見つめた。
「どうか、しましたか……?」
「いや……今回の件は礼を言う」
はじめて聞く彼からの感謝の言葉に、目をぱちくりさせる。だけど照れくさそうな様子が何だか可愛いらしくて、私は無意識に口元が緩んでいた。




