第10話 宿題の答え
翌朝、ベッドで目覚めたエルメは、隣にマリオンの姿がない事に気付く。そして、テラスに朝日を浴びる彼の姿があるのを見つけると、ショールを羽織ったエルメの足は自然とテラスへ向いた。
朝の澄んだ空気は身体の隅々まで巡り、心を洗い流すようだった。
「起きたか・・」
エルメに気付いたマリオンが振り向き、彼女はそれに挨拶を返す。
「おはようございます。早いですね」
「ああ・・・昨夜の君の“おはよう”と寝顔が頭から離れなくてな」
彼の言葉で寝ぼけた自分が仕出かした醜態を思い出したエルメは、意図せず頬を染める。そして、彼女の口から出るのは相変わらずの強がりだ。
「また朝から冗談を・・そんな過ぎた事、綺麗サッパリ忘れました。ていうか人の汚点をほじくり返すとかやっちゃ駄目です。あれは私の中でも、ナンバーワン黒歴史ですからね」
エルメの返しにマリオンは笑いを漏らすと「クックッ・・それでこそ君だな・・・」と言った。そう口にしながら彼は瞳を揺らしたのだが、それを一瞬で消すとエルメに尋ねる。
「昨日の答えは出たか?」
「・・答え?答えは・・・・王国に帰ること・・でしょうか」
「数日前に嫁いできたと思ったら、もうホームシックか!?だから言っただろう。私から離れる願いは論外だと」
「違います。ほんの数日でいいんです。両親の顔を見てくるだけ、故郷の景色を見て来るだけです。ちゃんとここへ戻ってきます」
本当はホームシックなんてかわいいものじゃなかった。一人で過ごしていると、“疫病をこの国に振り撒いたのは自分だ”という自責の念にかられ居たたまれない・・・現実から目を背けたいというズルい感情が、彼女にそう答えを出させたのだ。
マリオンはまるでその答えの真意の推し量ろうとしているかのように、エルメに翡翠色の瞳を向けている。エルメの出した答えは彼の望むものではなかったが、いつになく真剣な彼女の様子にマリオンはフッと自嘲気味に笑うと、エルメの頭を軽くポンとした。
「それを早く言え・・」
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マリオンは、疫病対策で忙しく動き回っていた。しかし、いくら医者や魔道士を派遣しても、病の広がりを抑えることは叶わなかった。皇城には、ここでもあそこでも疫病が発生したという知らせが連日届いていた。
エルメは疫病対策が上手くいっていないことに、胸を痛めていた。自分が小説を書いていた時は、ただのストーリーの一部であり、癒やしの乙女を登場させるただのトリガーだった。そしてただの文字だったそのトリガーも、人々を苦しめる国難として自分の目の前に現実として突きつけられると、エルメは自責の念に襲われた。
(やっぱり乙女がいないとダメなんだ。マリオン様たちがどんなに頑張っても、この状況を打開できるのはアリスだけ・・お願いだからアリス、早く出てきて)
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翌日もマリオンたちは、対策に追われていた。エルメは、ひとり自室で市井に下った後の事を想像している。
(実際、お金は遊んで暮らせるだけくれるって言うし、ぶっちゃけ働かなくてもいいかなぁ。でも、それじゃあ退屈よね。王国に戻っても、出戻り王女なんて肩身狭いし、どこかの街でお店開く?田舎で農家ライフってのも悪くないかもね。なんと言っても、しがらみがないのが一番だし・・前に野菜育てた経験もあるし、余裕でしょ。育てた野菜を使った料理で、おしゃれなカフェとか開くのも悪くないかな・・・・あー、これは駄目ね。私、壊滅的に料理出来ない・・・前に作った目玉焼き・・炭にしちゃったし・・・)
彼女のいう“野菜を育てていた”というのは、前世で小さなベランダでプランター栽培のトマトやナスを育てていた程度だった。畑仕事とは訳が違う。だが、お金には困らない予定のエルメは、日中の暇つぶし、道楽程度に畑仕事を考えていた。農家が聞いたら、イチから説教されそうである。
しかし、これも彼女なりの現実逃避だった。楽しいことを考え、今にも逃げ出したくなる負の感情を忘れるための・・・
そして、そんなエルメに思いもよらない誘いが舞い込む。昼食をとっていると、突然姿を見せたマリオンに「ちょっと来い」と手を引かれ、馬車に乗せられたのだ。強引なやり方に既視感を覚えるエルメ。
「突然、今日はなんですか」
相変わらず彼女の抗議を聞き流し、エルメに行き先も告げずに馬車に乗り込むマリオン。打てど響かずの皇太子に、エルメはわざとブスッと不機嫌な表情を浮かべ、向かいに座っている。
「マリオン様は、疫病対策で忙しいのでは?」
「君が気にすることではない。父上に許可も取ってある」
それから、二人の間には目的地に到着するまで、ガラガラと車輪の音が流れるだけだった。