9 ジェシカ (終)
それから、僕はようやくあの事件について詳しく聞いた。
何やら、聖女崇拝の過激派による襲撃で、実行犯の8割はあの場で長兄が捕まえたらしい。
ウォルト兄さん凄いな。
彼らの主張は『聖女の治療を受けられるという国民の誇りを汚した現在の王族に鉄槌を!』『中位治癒魔法など受けられるか!』というものらしい。
なんだか、うちの国王が同じようなことを言っていた気がするけど、彼らからすると、たった5時間とはいえ、聖女の稼働時間を減らした国王は許せないんだそうだ。
僕たち特別医師団のメンバーは、その話を聞いたとき、言葉もなかった。
「あの現場にお前が最後まで残れなかったのは残念だよ。色々と見ものだったんだぞ」
長兄の茶化した言葉に、僕は苦笑する。
実はあの日、長兄も左腕を折っていたらしい。
けれども、声からはそんな素振りは一切感じ取れなかった。ウォルト兄さんはやっぱり凄い人だ。
「反対派の奴ら、『中位魔法程度を我々にかけるなど、烏滸がましいにも程がある!』って盛り上がっていただろう? だから遠慮なく、治療順を最後にしたんだ」
「あー、なるほど……」
「聖女の力が使えないと分かると、最初は虚勢を張っていたのに、段々泣き出してさ。いい大人が最後は大号泣だ。俺、治療しないほど薄情だと思われてたのかな」
実際のところ、彼らはずっと騒ぎ立てていて、声で負傷の深刻度を測ることができたこともあり、最後に回していたんだそうだ。
まあ、その辺を説明はしなかっただろうから、大臣達は自分たちよりも、侍従侍女たちの応急処置を優先する医師団を見て、不安でいっぱいだったに違いない。
そこから、長兄による大臣達の懇願名台詞集に、僕らはずっと爆笑していた。
お腹の怪我が治っていてよかった。治ってなかったらウォルト兄さんは僕の病室、出禁だったな。
「それで、兄さん。調子はどうなの」
「うん、およそうまくいっているよ。ただなあ、元がボロボロ過ぎて正直げんなりする。あの人、本当に仕事できなかったんだな」
「……」
実は、あの襲撃の際、国王と王妃は亡くなっていた。
そして、王太子であった長兄は、今や国王となっているのだ。
あの日、議場が爆破され、そのままだと全員、建物に潰されて圧死するところだった。
長兄と僕の私兵は事態に素早く気がつき、防御魔法を展開し、僕らを守ってくれた。なんなら、可能な限りその範囲を広げて、近くにいた侍従侍女達も護っていた。
そして、最上階だったこともあり、なんとか落ちてきた瓦礫を魔法で消失させて、医師団達が入って来られる状況を作り出したのだ。
一方、国王と王妃の周りの近衛達は、瓦礫が落ちてくる瞬間まで、悲鳴を上げるばかりだった。
2、3人ほど防御魔法を展開した者もいたようだが、その効果も杜撰なもので、結果は言わずもがなだった。
さらに一方で、会場の壁際に配置されていた国の兵士たちはある程度防御魔法を張ったらしく、大臣や参列者達は大きな負傷はしたものの、命を失う者までは意外といなかった。
「兄さん。……あの、国王と王妃は……」
「うん? ……まあ、お前は現場も見てないし、棺桶の中も見てないもんな」
「……」
僕は彼らの遺体を見ていない。
だから、本当に二人が瓦礫のせいで死んだのか、僕には分からないのだ。
あの日、采配をとっていたのは長兄だ。
砂塵が舞う中、兵を配置し、医師団が入れる場所を指定していたのも彼だ。
一番に守られるべき国王と王妃。
本当に、二人は事故で死んだのだろうか。
実力でなく、コネで選ばれた近衛とはいえ、あの場面で、何も反応できないなんてことはあるのか?
「なんだ。お前、俺を疑ってるのか?」
くつくつと笑う長兄に、僕は冷や汗をかきながら、拗ねた顔をする。
「ウォルト兄さんが優秀すぎるから、洒落にならないんだよ」
「なるほどな。嬉しいような、悲しいような。……そうだなあ」
長兄は僕の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「お前は大事な『聖女の婚約者』だ。対立したりしないさ」
「大事な弟だって言ってほしかった……」
にやりと意地悪な笑みを浮かべる長兄に、僕は苦笑いする。
聖女の婚約者である限り、僕は国王にはなれない。
……僕、ジェシカにフラれたら、暗殺されるかもしれないな……。
1年後、事件の前に結婚していた長兄とクラリス=クローヴィス侯爵令嬢の間に男の子が生まれた。
甥っ子が生まれるやいなや、長兄や僕と対立ぎみだった次兄は、王太子と王族の地位を剥奪され、臣下に落とされ僻地に飛ばされた。
そんな展開に僕が震え上がったのは、また別の話だ。
****
そしてみんな気になってるのは、ジェシカのことだろう?
彼女は今なんと、1日10時間まで、その稼働時間を抑えられているのだ。
あの事件によって反対派閥が勢いを無くしたのが功を奏し、特別医師団の人数は倍以上に増えた。それに、僕の病室でジェシカから溢れた光によって、病人の人数が一時的に減った。さらに、聖女の力が使えないことがあるという事実を周知したことにより、国民の聖女への依存感情が大きく減った。
様々な要素が絡み合ったことにより、ジェシカはようやく、人並みに近い環境を手に入れたのである。
「オズ、オズ! 今度ね、生まれて初めてのお休みをもらえることになったの!」
「うん、よかったね」
「…………」
むーっと頬を膨らませるジェシカに、僕は首をかしげる。
「ジェシカ?」
「……」
「あ、そういえば、実はお休みは初めてでもないよね。僕が怪我してから翌日まで、聖女の力が使えなかったから実質……」
「――オズ」
あ、これは怒ってる。
待った待った。お祝いを言ってもツッコミを入れてもだめとなると、ジェシカの望む返答はなんなのだ?
「オズは……」
「はい」
「私がお休みなのに」
「はい」
「二人でどこか行きたいとか、思わないの」
(あーーーーそっちか!! 僕のばか!!)
ちょっと泣きそうな顔をしている彼女に、僕はただただ慌てる。
「思ってる! 思ってるよ、君とデートするのは僕の夢だから!」
「……」
「嘘じゃない! で、でもさ、初めてのお休みだし、ジェシーはこの間、耐久20時間睡眠にいつか挑戦したいって言ってたし」
「……」
「初めてのお休みは、好きに使っていいんだよ。僕に遠慮なんかせずに、ほら、その」
手をぶんぶん振りながら言い訳をしていると、ジェシカが涙目で、「初めてのお休みは、オズと過ごしたい……」と僕の服の裾を掴んできた。
大天使降臨のその図に、僕は当然イチコロである。
首を縦に振るだけの首振りマシーンと化した僕は、ジェシカのお休みの日の予定を全てキャンセルし、彼女をエスコートするべく全力を尽くした。
そして、そのデートの終わりに、僕は彼女にプロポーズした。
僕はどうしても、彼女の意思で僕を選んで欲しかったのだ。
そんな僕のわがままに、「もう婚約者なのに」「どうしようかしら」と意地悪なことを言いながら、彼女は僕に抱きついてきてくれた。その日のことは、僕は一生忘れることがないと思う。
そんな僕とジェシカは、24歳で結婚した。
貴族としてはかなり遅めの結婚だったと思う。
言い訳すると、調整が本当に大変だったんだ。
まず最初に、結婚休暇やジェシカが妊娠した時の対応などなど、制度的、環境的整備に手間取ってしまったのだ。
「仕事という大義の前には、休暇など……」という反対派の大臣たちの妻を味方に引き入れ、結婚20周年休暇なるものも合わせて法案に盛り込み、「わしは結婚休暇だって切り上げて仕事に!」と言う彼らに「そんなことしていたら熟年離婚ですよ」と囁いて不安を煽り、全員に結婚20周年休暇を取らせて旅行に行かせた。なんだかんだ愛妻家が多かったのか、休暇から戻ってきた暁には、「妻を大切にすることは、重要なことだ……」と、ジェシカの結婚休暇に前向きな議員が増えていた。本当に、彼らの奥さま方には頭が上がらない。
そうやってようやく準備が整ったところで、長兄が「聖女の結婚式だ、大々的にやるぞ!」なんて言い始めてしまったのだ。
ようやく結婚できそうになったところに、ドレスの発注や会場の手配、参列者の招待といった問題が降ってきて、結局1年近く先延ばしになってしまい、僕はあの時はかなり長兄に怒っていた。
いや、確かに、あの結婚式は凄かったけどな。
建国祭なんて目じゃないぐらい、人が集まっていた。
聖女に一度でも治療してもらったことのある国民はみな、こぞって参列したがった。
外国からの来賓も、ついでに聖女の治療を受けられるとでも思ったのか、どの国も普通よりもかなり大人数でやってきていて、迎え入れる宿泊所が足りなくてそれも建てることになってしまった。
何もかもの需要が増え、聖女の結婚の経済効果に、長兄はウハウハしていた。
全く、ウォルト兄さんは本当に悪い人である。
それから、僕とジェシカの間には、2人の子供が生まれた。
長女のリジェリアと、長男のレナルドである。
そして、24年の結婚生活の後、ジェシカは48歳でその人生の幕を閉じた。
若い頃の無理が祟ったのだろう。
心臓麻痺で、部屋で発見された時には既に冷たくなっていた。
「後を追う!」と言って自暴自棄になった僕を支えたのは、二人の子ども達だった。
あの時は散々感情的になっていて、あれから何年も経った今でも、子ども達には頭が上がらない。
あれから僕は、ジェシカの遺品を整理している中で、彼女の手紙を見つけた。
その手紙は何通かが紐でくくられていて、全てが僕に宛てたものだった。
(……僕宛てだから、僕は読んでいいんだよな?)
勝手に手紙を読んだらきっとジェシカは怒るだろうけど、宛先の人物が読むくらいは許してくれるだろう。
一番下のものは紙が黄ばんでいて、僕はなんとなく、古そうな方からその封を開けてみる。
『わたしの婚約者のあなたへ
あなたがこの手紙を見る日がくることはあるのかしら。
わたしは今日、あなたにひどいことを言いました。
でも、あなたが悪いのよ。
あなたが、わたしのためなんて言いながら、浮気をするなんて言いだすから。
あなたはわたしだけの王子様なのに。
わたしを、大切にしてくれるって言ったのに……。
わたしの宝物は、あなたのその言葉だけなの。
だからお願い。わたしが生きている間だけでいいから、夢をみさせて。
……本当はね。
あなたにとても悪いことをしてるって、分かっているの。
わたしがいなくなったら、わたしのことなんて忘れてね。
本当にごめんなさい……。』
『わたしの婚約者オズワルドへ
今日、あなたが言ってくれたこと。
わたしのためにしようとしてくれていること。
それがどんなに、わたしの心に響いたのか、どれだけ嬉しかったのか。
この喜びを、わたしの力では、きっとあなたに伝えきることはできないでしょう。
希望は毒だわ。
救われるはずのないわたしに、希望を持たせるなんて、あなたはとても残酷な人です。
だけど、それでもいいと思ったの。
あなたに騙されて、わたしはとても幸せです。
だから、たとえ何かを成すことができなかったとしても、気にやまないでね。
それにね。
今日、あなたが初めてわたしを抱きしめてくれました。
わたしは……たぶん、環境のせいだと思うんだけど……骨っぽくて全然女の人らしくないから、抱き心地は悪かったと思うの。
だから、あなたはどう思ったのかは分からないけど……わたしはきっと、今日のことをずっと忘れません。』
『わたしの大好きなオズワルドへ
留学に行ってしまった後も、わたしのことを気づかってくれてありがとう。
3日に1回、会う日が待ち遠しくて仕方がありません。
次はもう会ってくれないんじゃないかって、毎日わたしが不安でいっぱいなこと、あなたは知らないんでしょうね。
あなたの世界はどんどん広がって、いつかわたしを置いて、どこかに行ってしまいそう。
だけど、頑張るあなたにそんなことは言えないから、わたし、耐えているのよ。とっても偉いでしょう?
最近、たまに心臓が不規則にドクドクする時があります。
きっと、このままの状況が続けば、わたしは今までの聖女さまたちみたいに、過労死するんだと思う。
怖い。怖いよ。本当は傍にいてほしい。
だけど、わたしのために頑張ってくれているあなたを、わたしのところに閉じ込めたくないの。
だから、わたしの不安を、あなたには教えてあげない。
あなたに教えてあげるのは、あなたに会えて幸せだってことだけ。
なのに、なんでオズが泣くの?
オズに会いたいって気持ちは、わたしの方がずっとずっと大きいんだから。
先に泣くなんて、本当にずるいわ!』
『わたしの愛するオズワルドへ
22時から3時までの5時間。
わたしの、わたしのためだけの時間。
毎日、わたしはこの時間が来るたびに、大切にこの時間を使っています。
ごめんね、オズ。
わたし、色々言っていたけど、今の環境が変わるなんて正直思っていなかったの。
あなたを信じられなかった悪いわたしに、あなたはこんなにも素敵なプレゼントをしてくれた。
本当に、本当にありがとう。
わたしの王子様は、本当にすごい人だわ。
感謝の気持ちだけじゃなくてね、わたし、オズが誇らしくて仕方がありません。
自分がやったことじゃないのにこんな気持ちになるなんて、人間って不思議ね。
でも、元気になっていくわたしとは逆に、オズの顔色が悪くなっていくのが心配です。
オズが先に死んだら、意味がないの。
わたし、オズがいなかったら、生きていけないもの。
オズが一番好き。他には何もいらない。
だけど、オズを縛りたくないの。
だから伝えるのを我慢していたのに、わたしに言わせてしまうなんて、オズはとっても悪い男の人です。
わたしは悪い男の人に引っかかっただけだから、わたしは悪くないもの。オズが全部悪いのよ!』
『わたしの愛するオズワルドへ
あなたが刺されたと聞いたとき、わたしは目の前が真っ暗になりました。
そして、まさかそのことが、聖女の力に影響するなんて思いもよりませんでした。
一番必要なときに力が使えないなんて、わたしはなんて役立たずなんだろう。
あなたの治療が成功するまで、わたしは生きた心地がしませんでした。
あなたが死んだら、わたしも後を追うつもりだったの。
どうせ、治癒の力が使えない聖女なんて、いても仕方がないでしょう?
だけど、あなたは生き残ってくれた。
わたしがいなくても、みんなの命を救ってくれた。
そして、あなたが救ったのは命だけじゃない。
わたし、わたしは……』
『最愛の人、オズワルドへ
明日はわたしとあなたの結婚式です。
今のわたしの気持ちを、あなたはどのくらい知っているんでしょうか。
何も持たなかったわたしに、あなたは沢山のものをくれました。
ひねくれて、みっともなくあなたに八つ当たりをすることしかできなかったわたしに、希望をくれたあなた。
わたしにとって毒だったそれを、光に変えてくれた人。
いつだって、あなたはわたしと真っ直ぐに向き合ってくれました。わたしがここまで生きてこられたのは、あなたがいたからです。
わたしね、オズは聖女なんかよりもずっとずっとすごいと思ってるの。
聖女にできるのは、単に怪我や病気を治すだけ。
だけど、オズはわたしの心を救ってくれた。
わたしに希望を与えて、わたしの未来を作ってくれた。
それはきっと、オズだからできたことで、わたしはそんなオズと出会えた、世界一幸せな女性です。
これからも、沢山いろんなことがあると思う。
だけど、オズといられるなら、それはきっと幸せな未来に違いありません。
わたしを、心から愛してくれてありがとう。
婚約者の役割をこなすだけでいいと言った未熟で狭量なわたしに、本当の愛を与えてくれてありがとう。
わたしもあなたを心から愛しています。
これまでもこれからも、きっとずっと、わたしの心はあなたのものです。
あなたを愛する、あなただけのジェシカより』
せっかくの手紙が濡れるのを止められなかった。
言葉にならない想いが溢れて、息もできない。彼女への気持ちで溺死しそうだった。亡くなった後も僕を翻弄するなんて、僕の妻はなんて悪い女なんだろう。なんて愛しい人なんだろう。
彼女の手紙はそこからも、節目の度に書かれているようだった。
結婚式が終わった後、子供ができたことが分かったこと、長女のリジェリアが生まれた時、長男のレナルドを授かった時や、家族4人での初めての外出……。
結婚後の彼女の手紙はいつだって、最後は『あなたを愛する、あなただけのジェシカより』という言葉で締めくくられている。
そして子供が産まれてからは、『後はよろしく』『子ども達をお願いね』という言葉が必ず入っていた。
やっぱり僕のジェシカは、正しく聖女だった。
こんなに愛に溢れた彼女が聖女じゃないはずなかったんだ。
手紙の中で、彼女は僕のことを凄いと褒め称えていたけれど、凄いのはやっぱり彼女の方だ。彼女は傍にいないというのに、こんなにも僕の心をとらえて離してくれない。
そして、彼女はこんなときでも僕に厳しかった。
すぐにでも彼女に会いに行きたいと、そんな気持ちにさせておきながら、彼女は手紙の中で、決して、僕がすぐに後を追うことを許してくれなかった。
……自分は、僕が死にそうな時に後を追うつもりだったくせに!
「僕だって……ずっとずっと、君だけのものだよ、ジェシカ」
僕はちゃんとそのことを、彼女に伝えきれていただろうか。
彼女は、僕の気持ちを、ちゃんと理解してくれていただろうか。
そして今でも僕は、彼女の墓前に、毎日花を手向に向かう。
毎日ジェシカに会いにいく。
それが、小さな頃から、今になっても変わらない、僕の日課なんだから。
〜終〜
ご愛読ありがとうございました!
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