3 留学した僕と国にいる彼女
僕は、自国のオルタナシア王国からエインズワース王国に留学した。
一人でじゃない。
十数人の仲間を連れてのことだった。
「こんなふうに国を代表してエインズワースで勉強できるなんて、夢みたいだ」
「殿下は本当に無茶するよなぁ」
「違いねー。議会で殿下の留学が議題に上がったとき、国王陛下のお顔が引き攣ってたぞ」
「……おい、変なことを言うな。足を掬われても知らないぞ」
「わ、殿下のお小言だぞ!」
気の置けない彼らは皆、医者を目指している者や、実際にうちの国で医者として活躍してきた者達だ。
彼らの多くは、聖女切り替えの1ヶ月で身内を亡くしている。医療体制の現状に危機感を抱いていて、何人かは国際医師資格も持っているのだ。
「オズ殿下は真面目だなぁ。そんなんじゃ聖女様に嫌われるぞー」
僕はビクリと震えて、ギギギ、と壊れた人形のように振り向く。
「……いや、冗談だよ」
「なにビビってんだよ、殿下」
「話に聞く限り、お前らほど仲のいいカップルは滅多にいないぞ」
それを聞いても恨めしげな顔をしている僕に、みんなは苦笑いしていた。
僕が留学して以降、ジェシカとは、彼女の要望どおり3日に1回は映像通話で話をしていた。
手紙は毎日書いていたし、長兄に頼んで、毎日日替わりで僕の指定する花をジェシカに届けてもらっている。
そして何より、妹達三人に頼み込んで、僕の代わりに毎日ジェシカを訪問してもらっているのだ。王族の彼女達が訪問する30分間は、ジェシカは仕事を気にせず休むことができるから。
そうやって、僕は離れた場所からできる限りのことをしている。
それでも、僕は彼女の近くにはいないのだ。
僕とジェシカの関係は、常にジェシカが優位にいる。惚れた弱みというやつだ。
いつだって僕は、留学している間に彼女の気が変わって僕は捨てられてるかもしれないと怯えている。僕はジェシカが初恋だし、女性の扱いは正直上手くないと思うし……。
それに、今はヴェールを取ったジェシカを知る男は少ないけれども、僕のやっていることが成功したら、ジェシカは自由だ。交友範囲も広がる。彼女の見た目は美人で愛らしくて可愛くて魅力的な天使だし、中身は意地悪で素直じゃないけど優しくて照れ屋で人情溢れる小悪魔だから、しっかり休んでちゃんと食事を取って外に出たら、彼女はもの凄くモテると思う。
……。
やっぱり僕は捨てられるかもしれない……。
「おいおい殿下。そんな青い顔をされたら、こっちが焦るよ」
「傍を離れても聖女の婚約者を降ろされないんだから、余程仲がいいんだろう? どうせ留学前にキスの一つでもしてきたんだろうに」
青筋を立てて睨む僕に、その場の全員がぎょっと目を剥いた。
「えっ!? で、殿下、まさか……」
「あー、うん、いやあれだな。まさに貴族の見本というか、正しい姿だ!」
「今どきそこまでプラトニック……」
「うるさいな! 僕のことなんてどうでもいいだろ。勉強するぞ!」
僕は勉強に邁進した。
忙しくすることだけが、心の安定剤だったから。
****
「ジェシカ! 会いたかった」
「……3日に1回は会ってるのに、よく飽きないわね」
「昔は毎日だったじゃないか」
「自分が留学したせいでしょ」
「分かってるけどジェシカが足りない」
「……」
最近、僕は極力、自分がジェシカをいかに好きなのか表現するようにしていた。
何故なら、画面越しのジェシカが、あからさまに恥じらうからだ!
留学の話をする前ではあり得ないような反応だ。なんだ、可愛すぎないか。僕はこういう彼女の様子を見て、どんどん一方的に彼女のことが好きになっていくんだけど、本当はこの子は聖女じゃなくて悪魔なんじゃなかろうか。
今も頬を染めて床を見つめるジェシカを、僕は画面越しに堪能している。
……早く帰りたい。また抱きしめるのは怒られるかもしれないけど、せめて近くにいたい。
「そういえば、今も毎日、妹さん達が来てくれているわ。ありがとう」
「そうか、良かった。僕からもお礼を言っておかないとな」
「……特にね、一つ下の……」
「うん。アイリーンだろう?」
「ええ……」
ジェシカの鈍い反応に、僕は頷く。
僕が妹達にジェシカのことを頼んだとき、アイリーンは思い詰めた顔をしていた。
アイリーンは、僕とジェシカの一つ年下。
そして、王族だけあって、魔力には事欠かない。
ジェシカがいなければ、次の聖女はアイリーンだった。
そして、アイリーンは11歳のときにその事実を知らされた。
当時12歳だった僕がジェシカの境遇について国王に嘆願したのがきっかけだったそうだ。
ーーーー
「お兄様が爆発したあの後。私、お母様から聞いたの」
「アイリーン」
「ジェシカがダメだったら、私だったって。……私が助かって良かったって、あの人、そう言ったのよ……」
僕が留学に際して、ジェシカを訪問するようアイリーンに頼んだとき、彼女は震えながら僕にそう告白してきた。
「私が聖女になったら、あの人は確実に私を見捨てる。無かったことにするわ」
「……アイリーン」
「私も、見て見ないふりをしてきた。私にも聖女の器としての資格があるって分かったのに、とても聖女を代わるなんて言い出せなかった。むしろ……」
ぽろりと、アイリーンの瞳から涙が溢れる。
「……ここまで成長した私は、もう聖女候補じゃない。次の聖女候補は、また4歳から7歳の、年端も行かない令嬢達から選ばれて……だから……『ああ良かった』『助かった』って……わ、私…………」
震える声に、彼女の苦悩が表れていた。
アイリーンは、ずっと悩んできたのだ。
彼女は、国王と王妃のように割り切ることができなかった。
「……オズワルドお兄様。彼女のことは任せて。私、他に誰も協力してくれなくたって、毎日彼女のところに行く」
「ありがとう」
「今更だって分かってるの。だけど、私……」
「そんなことはない」
僕が彼女の頬を伝う涙を拭うと、アイリーンは何かを決心したような顔をして僕を見た。
「お兄様。私に、彼女のためにできることを与えてくれてありがとう」
その瞳には、強い意志と、縋るような想いが浮かんでいた。
「お願いお兄様。ジェシカを助けてあげて」
彼女の視線に、僕はただ頷いた。
ーーーー
「アイリーンは気にしすぎなのよ」
「ジェシカ」
「何も思わないって言ったら嘘だけど。でも……」
「でも?」
首を傾げる僕に、ジェシカはしばらく悩んだように視線を彷徨わせた後、ぽつりと呟いた。
「オズに会えたから」
ぽかんとする僕に、頬を染めたジェシカが言葉をつづける。
「アイリーンが聖女だったら、私、きっとオズとは一度も話もしない人生だったわ。だから、いいの」
ジェシカの言葉が全然頭に入ってこない。
一体、なにを言っているんだろう。
「辛いことばかりの人生だったけど、もう充分。もう、いいの。だからオズも、あまり無理をしないで」
ふわふわと、聖女のものじゃない、ジェシカの顔で微笑む彼女。
なんだ、そんな――遺言みたいな。
「ジェシカのばか」
「ば、ばかぁ!? なによそれ!」
「そんなこと言われて無理しない訳ないだろ! この悪魔!」
「ちょっと、なんなのよ!」
「君に会いたい」
僕は、痛いほど手を握り締める。
声も掠れて、本当に情けない姿だった。
「今も会ってるじゃない」
「このひねくれ者」
「……うん」
机を濡らす僕に、ジェシカはただ微笑んでいる。
「オズ。私もう、十分幸せよ」
まだ、何もなしてない。
何もできていないのに、彼女にこんなことを言わせてしまう僕は、何て不甲斐ないんだろう。
僕はその日の面会時間中ずっと、ジェシカに会いたいと言って彼女を困らせてしまった。