6話「熟練度システムがあるゲームはキャラや武器に愛着が湧きやすい」
棒切れを握る。指先から流れる血。皮が剥けた箇所にささくれが刺さり、握る力が弱まりそうになる。体はボロボロ。切り傷、打撲痕、骨も軋む。相手は最強。絶望的。あまりにも絶望的な状況なはずなのに。
剣を握れば、途端に勝てる気がしてならなかった。剣と言ってもただの棒切れに過ぎないのだが、今はそれでも心の支えになってしまう。
「超えてみろ。このピンチを」
ヴァルは言い、手で挑発してくる。かかってこいと言うわけだ。
挑発に乗るのも癪なんだが、守ってばかりじゃ一歩も前に進めない。強くなんてなれない。それに、足ほどの長さもある剣を携えていては、さっきまでのような回避は出来ないし、受けたとしても、ただの棒切れ。簡単に折られてしまうのは目に見えている。
それに、リーチをいかさなければ、剣を持つ意味がない。
「言われなくとも超えてやるさ」
言い、足に力を込めて地面を蹴り、最大速度で勝ちを狙う。右手で握り、左に構えながら突撃。剣身がぎりぎり届く範囲に踏み入ったと同時に右へ薙ぎ払う。想像以上の速い一振りだが、切っ先はヴァルの体を掠めただけで、後ろに一歩飛び退いただけで簡単に躱されてしまう。ならばと二手目三手目、続けざまに左へ右へと切り込む。二歩三歩と下がり続け、反撃のタイミングを窺うヴァル。隙を与えればまた形勢を持っていかれるのは明白。だから休む暇なんてない。
今度は上に構え、肩に叩き付ける勢いで一気に振り下ろす。しかしそれすらも軽々と避けられた棒切れは空を切り、勢い余って土を抉った。隙が生じた。そう考えたヴァルは当然、反撃せんと近づいてくる。咄嗟に屈むと、殴りかかるヴァルの軸足を狙って横へ一振り。切られることを嫌ったヴァルは、それをジャンプして回避した。
狙い通り。どんだけスピードもパワーもあろうが、空中じゃ身動きがとれないだろう。
今更気づいてももう遅い。僕は今出せる全力をもってして、ヴァルの腹部に突きを喰らわした。前のめりになり転んでしまうほどの力を押し付けた結果、ヴァルは吹き飛び、後方の木にぶつけられる。まともに喰らえば大ダメージは必至。これは勝ったのではないか。そんな甘い考えを師匠が許してくれるはずもなく。気にもたれ座るヴァルは腹を抑える腕には青い痣が浮かんでいた。まさか、会心の一突きを右腕で防がれていたのか。驚異の反射神経。恐るべし獣人。
「やるじゃねぇか。必殺技、とまでは言えねぇまでも、初期スキルに収まるほど雑魚スキルでもなさそうだなぁ」
ヴァルはゆっくりと立ち上がる。久しぶりに白熱したバトルを演じられて楽しいのだろう。分かりやすい笑み。普段は無表情の癖に、戦いの時だけ喜怒哀楽が激しいのだから、よっぽどの戦闘狂だ。いるよなぁ、そういうFPSプレイヤー。
だが僕は気付いていた。
「そうでもないよ。現に大してダメージも入れれてないし、それに手加減されてちゃ、誉め言葉もお世辞にしか聞こえない」
戦い方は剣技そのものだが、僕が握っているのは本物の剣じゃない。拾い物の木の棒だ。刃も柄もない。扱いづらくて仕方ない。
そんなただの棒切れ。ヴァルならわざわざ避けずとも、簡単に折れたろうに。
「手加減なんてしてねぇよ。そいつが本物だとして戦ってただけだ。じゃねぇと意味がねぇだろ」
意味がない。それは、僕がこの先の未来、実剣を持った時を想定して動くためか。
それだけじゃない。
「俺ぁ衛兵共と違って、籠手も楯も持たねぇ。剣なんてもっての外。だから基本避けるしかねぇわけだ。打撃ダメージは我慢できても、どっか一部位でも切り落とされちまったらどうしようもねぇからなぁ」
ヴァルも未来を見据えて戦っている。ヴァルはよく、自分のことを最強だと自称するが、未だに向上心を絶やしていない。それどころか、未だ最強の座を狙い続けているような、そんな気がしてならない。
「弱さは乗り越えなきゃならねぇ。詰まる所、お前の痛い所も突いていかなきゃならねぇわけだ。気付いてるぜぇ、お前、迎撃を嫌ってんだろ。あからさまに攻撃姿勢見せてきやがってよぉ」
図星。不利な状況になることはあるだろうと予期していたが、弱点を見抜かれているというのは精神的にも参るものだ。
「今度はまたこっちから行かせてもらうぞ」
ヴァルは言うなり、瞬きの間に数メートルの距離を無くす。咄嗟に棒切れを縦に構え、拳を受け止めようとしたが、さっき話していたことを思い出す。
ヴァルは実剣を想定している。殴れば刃に拳を突き立てることになる。だったら、素直に殴ってくることは有り得ないんじゃないか。
思考を巡らせている間にも、ヴァルは殴る素振りを止めて、立ち止まり、勢いを殺さないまま回し蹴り。棒切れを折ろうとしたが、ようやく思考が追い付いたことで、なんとか回避に成功する。飛び退き、ヴァルとの距離を保とうとしたが、決して許してくれない。瞬きの間には既にヴァルの射程圏内。回避しようにも棒切れが邪魔で動きが鈍く、回避しきれない。受けようにも先読みされ、想定外のところから打撃が飛んでくる。攻撃を受けきれず、よろけ、傍の木に手をつきもたれかかる。咳き込み、ダメージを回復している間にも、ヴァルの追撃は容赦ない。繰り出された拳は体を掠め、木に突き刺さる。魔獣の生息するこの森の木々はかなりの大樹だが、それを割り箸でも割るかのようにいとも容易く折ってしまう。迫る大樹から必死に逃れ、飛び込むと、木は僕とヴァルの間で爆音を立てて倒れた。
土煙が巻き立ち、装飾の葉っぱが見える風となって襲い掛かる。視界が遮られる。だが、ヴァルの動向が見えない。いつ飛び込んでくるか分からない。
だが、それはヴァルも同じ条件のはず。匂いで場所は特定されているだろうが、砂や葉っぱが目に入りそうなこの状況で、索敵を視覚に頼ることはないはずだ。
痛み、軋む体を黙らせ、転がり落ちた棒切れを再度握り締める。屈み、軽く助走姿勢を取ると、ヴァル打倒に向け駆け出す。今頃ヴァルは大木を超えた頃だろう。そして気付くはずだ。地を駆ける足音、急接近する人間の匂いに。学習し、対策を練るヴァルなら、ここはきっと。
僕に合わせて前進してくる。
土煙を切り、両者共に姿を現す。ヴァルは右の拳を握り、僕は棒切れを右に構え、左に切り込む姿勢を。そんなあからさまな剣戟。実剣を想定していると言ったヴァルならきっと、避けてくれる。
問題は避け方だ。背後に飛び退くか、大きく跳躍して僕の頭を飛び越えるか。他にも獣人の身体能力を使えば避け方はあるのかもしれないが、思いつかない可能性は今は切り捨てていけ。勝つためには先々を予測するしかないのだから。
結果、ヴァルは僕の予測通り、跳躍して避けてくれた。後ろに飛び込めば、僕の追撃が可能な初めと同じ展開になる可能性が高い。それを嫌ったのだろう。跳躍は大きく、頭上を軽々と飛び越える。恐らく、飛び越えた先の木に着地して、側面を蹴り、速度で僕を捻り潰すつもりなのだろう。
空中にいれば身動きが取れない。だが、剣のリーチ以上に飛んでしまえば弱点も突きようがない。まったく、呆れるほどの対応力だ。だが、その距離なら攻撃が届かないとは言った覚えはないぞ。
「くらえ、必殺!飛ぶ斬撃ぃ!」
などという戯言を吐きながら、僕は握っていた棒切れをヴァルに向かって投げつけた。空中じゃ回避は出来まい。受けるしかないだろう。実剣じゃ少なくとも大ダメージは必至だ。
激しく回転しながら飛ぶ棒切れはヴァルの頭に叩き付けられる。その直前、ヴァルは空中で見事な身のこなしを披露すると、その動体視力をもってして棒切れをキャッチしてしまった。
跳躍の勢いを殺し、木の手前で着地すると、茫然と立つ僕に向かって棒切れを投げ返す。槍投げの要領で投げられたそれは僕の頬を掠め、後ろに木に突き刺さり、貫通した。
「この投げ方の方がいいと思うぜぇ。あれじゃぁ最悪柄の方が当たっちまうだろ」
ダメ出しを出しながらヴァルが歩いて前までやってくる。
掠めた際にできた切り傷から血が流れるが、そんな些細な痛みなんてどうでもよかった。勝ったと思ったのに、完全に見切られた。完全敗北を喫したのだ。
「まぁ、悪かぁなかったなぁ。俺じゃなけりゃぁ捌けなかっただろうし、あれを飛ぶ斬撃なんて言い張るのはいただけねぇが、まぁ、合格だな」
ヴァルの口調はいつものぶっきらぼうな調子に戻っている。合格なんて言われても、ショックはショックだ。敗北感は拭えない。
「実際、お前の剣術がどんなもんかは知らねぇが、俺とあんだけ殺り合えたんだ。今までに齧ったことあんのか?」
「いや、初めてだ。剣道も習ってないし、まじで感覚頼り」
「そうか?じゃぁ、そんなもんなのかもしんねぇなぁ。雑魚でも剣持ちゃぁ多少は強くなるもんだなぁ。まぁ、俺は剣に関して何も教えらんねぇが、まずは兎に角熟練度上げだな。自力で頑張れやぁ」
なんかやだなぁ、それ。まぁ、雑魚には変わりないけど。でも、確かに、剣を持った瞬間、体が勝手に動いたような、というか、剣の使い方を知っていたような、そんな気がする。剣が主題のアニメを見たから?実際に剣持って体動かしたから分かるけど、スターバーストストリームってやべぇのな。人間の動きじゃねぇよ。今度ヴァルに教えて実演してもらおうかしら。
「それよりどうすんだ?その汚ぇ棒切れ、常に持ち歩くつもりかぁ?」
「いや、流石にこれは……弱いし邪魔だし恥ずかしいし、なんか良さげな木の枝見つけたら拾って振り回して遊ぶ小学生男子の図が出来上がりそうだから嫌だ」
「イヤだっつってもなぁ、剣は買ってやれねぇかんなぁ?」
まじかよ。まぁ貧乏だもんな、ウチ。仕方ないよな。
「加工してひのきのぼうにするくらいなら頼めるかもしんねぇぜ。安上がりだが、初期装備らしくていいじゃねぇかぁ」
ひのきのぼうなんてお粗末なもの携えてたまるか。
「剣を買えるようになるまでは、その場その場で剣の代わりになりそうな良さげな棒を見つけることにするよ」
まぁいいんじゃねぇか、とヴァルの許しも出た。一先ず、ひのきのぼうを装備する羽目にならなくて一安心。
一息つくと、急に体の痛みが帰ってくる。血出てるし、痣だらけだし、なんか骨痛いし。よくこんなボロボロの体で動けていたもんだと我ながら感心してしまう。
いつもの魔獣狩りはヴァルが請け負ってくれた。本当はすぐにでも剣技を試してみたかったのだが、どうにも体が言うことを聞いてくれない。ヴァルは悪びれた素振りもなくすまねぇなと謝ると、右手で魔獣の入った袋を、左肩に僕を担いで家路についた。かなり時間が過ぎたように思えたが、まだ正午過ぎだろう。直上から日光が燦燦と照りつける。春といえども標高が高いだけあってまだ肌寒い。こうしていると、なんだか日向ぼっこしているみたいで心が穏やかになった。
担がれている間、先の戦闘の一人反省会を行っていた。ヴァルのような格上との戦いを想定するなら、もっと小細工を活用するべきなんじゃないか。地力で劣るなら、外的要因から力を引き出すしかない。それに、衛兵は籠手やら盾やらを装備していると言っていた。もし、剣が通用しない敵が現れた場合、僕はまた手も足も出せなくなるのではないだろうか。というか、ヴァルに籠手装備されたら現段階じゃあツミだな。どうしようもない。というか、何故ヴァルは籠手を装備しないのだろうか。
「そりゃぁ、あれだ。金がねぇ。それに、敵が違う。衛兵共が相手すんのは人間だからなぁ」
「人間、って言っても、獣人よりも遥かに弱いんじゃなかったのか?籠手やら盾やら必要ないだろ?」
「そりゃてめえみてぇな雑魚の話だ。国と国との戦争じゃぁ、そういうわけにもいかねぇ。とてつもねぇ技術力の差がある。とんでもねぇ遠距離から、とんでもねぇ速度で、とんでもねぇ硬度の鉄の玉を投げてきやがるんだ。資源の差もある。まったく、せけぇ奴らだよなぁ」
「ヴァルも、いずれ人間たちと戦うために強くなろうとしてんのか?」
ずっと気になってはいた。どうしてヴァルは強くなったのだろう。もう十分、獣人の中でも無双できる力はあるはずなのに、まだまだ強さを追い求めている。もし、その欲望が、人間への憎しみから沸き起こっているのだとしたら。
「あ?違ぇよ。そんなくだらねぇ争いに興味はねぇ」
じゃあどうして。もしかして。アポロンとの戦闘時に叫んでいたセリフを思い出す。
もう負けない。
「ヴァル達って、両親を亡くしたんだよな。もしかしてその時に何か……」
何かあったのか。ヴァル達の家族は、誰かに殺されたんじゃないか。ヴァルは魔の手から家族を守ろうとしたが、守れなかったのではないか。
そこまで聞こうとして。
「あんまし人の内情に土足で踏み入るもんじゃねぇ」
断られた。
「まだ僕の靴は脱げてないのか?」
たったの数週間の関係だけど、それ以上に信頼を勝ち得てきた、つもりだった。
「だからといって、リビング通り越して寝室までズカズカ踏み入るのは違うだろぉ。忘れたか。俺はお前を監視してるだけだ」
仲良くなった気でいた。両親を亡くしたという同じ境遇が親近感を沸かせていたのかもしれない。同じ境遇だからこそ、ヴァルの言葉、指導は信頼できた。もし、ヴァルが、その強さの矛先を復讐心に向けているのだとしたら……。
「これ以上深掘りするようなら、置いていくからなぁ」
僕がまだ諦めきれない顔をしていたのだろう。ヴァルは僕の体を高々と掲げ、投げおろす素振りを見せた。
「あー、悪かった悪かった!もう聞かねぇ!」
心配しなくても、いずれ話してくれるだろう。僕が、ヴァルの信頼を勝ち取れたなら。
僕はヴァルの強さに憧れているんだ。
それが例え、復讐のための強さだとしても……。
僕を照り付けていた太陽が、薄い雲に遮られ、大きな影を落とした。