3話「ホラゲーは深夜に電気を消してやるもんだ」
それから二週間。毎日毎日片道一時間の道を歩いて森に行き、毎日毎日魔獣を探し、毎日毎日魔獣に殺されかける。街に帰っては下水掃除や荷物運びなど、なんでも屋というよりかは雑用係と呼んだ方が相応しい。
こんな調子で、僕は本当に強くなれるのだろうか、本当に元の世界に帰れるのだろうか。不安が募る。
「どうした、そんな暗い顔して。チ〇コでもチャックに挟んだか?」
都市三段目、先程狩ってきた魔獣の死体を商人の元まで運ぶ途中、ヴァルが僕の異変に気付く。どうやら不安が表にも出てしまっていたようだ。
「大丈夫、挟んでたら叫んでるから。このまま魔獣と戯れてるだけで、僕は戦えるほど強くなれるのかなって、悩んでた」
「戦う予定の相手でも出来たのか?」
言いながらヴァルは挑発的な笑みを向ける。
「あぁ。思い出したんだ。元の居場所に帰れたとして、それで解決じゃない」
僕がこの世界に来る原因を作り出した存在。奴の攻撃から僕を庇って彼女は……。あの後、彼女はどうなったのだろうか。考えれば考える程、悪い未来ばかり浮かんでくる。
「奴」を殺さなければ……。
「……そいつは俺よか強ぇのか?」
ヴァルが振り向いて尋ねてくる。その顔は普段より多少締まって見えた。
「それは……ないんじゃないかな」
「お世辞か?」
「いや、あんだけ強い魔獣たちをばったばったと薙ぎ倒せるんだ。ヴァルがいれば、僕の命は安全だよ」
この短期間で随分と信頼してしまったものだ。故意とはいえ、何度も何度も死の危機から救われれば、嫌でも頼ってしまう。最早洗脳なのでは。
「だったら、そんな顔すんじゃねぇ。睨み殺しそうな目ぇしやがって。通行人がびびってやがったぞ」
「そんな目してた?」
「別人かと思ったぜ。いつも死んだ魚の目ぇしてるくせによぉ」
「誰の目が死んだ魚の目だ。そんな設定使い古されてんだろ。先達たちが道切り開きすぎて地平線見えちゃってるよ」
溜め息一つ吐くと、ヴァルはぶっきらぼうに言い放つ。
「安心しろ。俺が鍛えてやってんだ。強くなる。それに、お前は元々身体つきがいいから飲み込みも早ぇんだしよぉ」
自分では成長している自覚がないが、そこは玄人目線ならではなのだろうか。というか、
「僕そんなガタイ良くないと思うんだけど?というかヒョロガリじゃん?」
部活で体を動かしていたのも一年近く前の話。それからは受験勉強でろくに運動してない。気分で時たま筋トレしたくらいだ。の割には確かに筋肉は残ってる方だと思うけど。
「いいや、鍛えてる体だったぜ。お前が看病されてる間に見たんだがよぉ」
僕程度で鍛えられてるって評価されるってことは、実は獣人って大したことないのでは。
そんな無駄話をしている内に、依頼されていた店まで辿り着く。いつも通り荷物を受け渡し、いつも通りなるたけ目を合わせないようにする。ここ、肉屋の店主は気さくな人間だ。普通は自分より下段に住んでいる人に対しては当たりが強くなってしまうものらしいが、店主はそんな素振りは微塵も見せない。ありがとよ、また頼むわ、といういつもの言葉を聞いてさあ帰ろうかと踵を返したが、そこを何事か思い出したように店主に呼び止められる。
「そういやよ、昨日客と話してたんだが、あんたらに仕事頼みたいそうだ。店の場所教えたから、今日あたり来るかもしんないから」
どんな依頼を持ち込んでくるのだろうか。できればお金持ちの方がいいなぁなんて期待と不安に駆られながら宿屋に戻ると、既に玄関前にそれらしき人物が立っていた。宿屋って書いてあるけど、本当にここで合ってんのか、とか言ってそうだ。
「おい、なんだてめぇ、怪しい奴だなおい」
「いや客だろ。さっき肉屋の店主さんが話してた」
開口一番から喧嘩腰になるのは癖なのだろうか。心臓に悪いからやめていただきたい。
客と思しき人物はヴァルに少し怯えつつも、依頼があるんですと、話を持ち掛けてきた。中へ通そうとしたが、話は簡潔にすまして、すぐにでも取り組んでいただきたいと言うもんだから、仕方なく路傍で話を聞いた。
「とある荷物を運んでほしいんです。二段目のとある場所まで」
とあるってなんだよ。依頼内容が不鮮明なまま受けたくはないが、今は家計が火の車。なんでも請け負わなければ生きていけない。今朝からの疲れも溜まっているが泣き言を言っている場合ではない。ヴァルも同じ考えに至ったか、二人で彼に着いていく。空をみればもう日が傾き始めていた。
そうして連れてこられたのは五段目裏通り、ぼろい木造建築、だが公民館の大きさほどある家だった。中に入るといかつい顔したおっさんに囲まれる形に。なんだこいつら、ヤクザだろうか。依頼人として寄越したのは下っ端中の下っ端だったのだろう。
「あのぅ、依頼内容は……」
聞くと、頭と思しき人物が依頼人に怒鳴りつけた。
「てめぇ、ちゃんと話してないんかこらぁ!」
どすの利いた野太い声だ。怒鳴る口の端から尖った牙が顔を覗かせる。さっきまでは尖っていなかったが、怒ると野生の本能が剥き出しになって尖る仕組みなのだろうか。
「すいませんねぇ、こいつ役立たずなもんで。依頼ってのは、とある荷物を運んでもらおう思いまして。二段目までなんですけどねぇ」
だからとある荷物ってなんだ。粉か。白い粉なのか?
「これなんですけどねぇ。まぁ中身は見せらんないけども、別に悪いもん運ぼうってわけじゃあないんですよぉ。大事な商品っちゅうことだけ覚えてもらえれば、大丈夫ですから」
頭が指差す先、勉強机ほどある大きさの木箱が一つ置かれていた。
「まぁ最近、なぜだか衛兵が街中に駆り出されてるらしくてねぇ。あっしら見ての通り、ヤクの付くザじゃないですかぁ。別に悪い仕事してるわけでもないのに、変に疑われるかもしれないからねぇ」
やっぱヤの付くクザだったじゃねぇか!大丈夫かこれ、犯罪の片棒担がされるんじゃねぇかこれぇ!
そんな不安に駆られてると、やはりヴァルが噛みついた。
「衛兵が駆り出されてるだぁ?そんな話聞いたことねぇぞ。てめぇら面倒な仕事押し付けたいだけじゃねぇのか?」
おいぃぃ、ヤクザの付くヤクザに噛みついてんじゃねぇよぉ!喧嘩売る相手くらい見極めろよ!僕を巻き込むんじゃねぇよ!
「なんだ、知らねぇのかあんちゃん。どうやらこの国に、人間が紛れ込んだっつう話だぜ。その虫潰すために町中ハエ叩き片手に駆け回ってるらしいよぉ」
その『人間』って僕のことだろうか。ヤクザなんてどうでもよくなるくらいに、一気に恐ろしさがこみあげてくる。そして再度思い知る。僕は、人間は、この国にいてはいけない存在だということを。つーかハエ叩きで殺されるほど人間も軟じゃねえよ。なめてんのかこの野郎。
ヴァルは怯える僕を気にする体もなく、木箱の傍まで。
「なるほどなぁ。とにかく分かった。この荷物を運べばいいんだな。それで、目的地は?」
「二段目のある家まで。簡易的だが地図も渡しておこう」
「なるほどな。全く分からねぇ、地図書いたの誰だ下手糞過ぎんだろ」
ヴァルが言うと、またしても依頼人の下っ端野郎が頭に怒鳴られた。可哀想に。震える彼を見ていたら、自然と僕の震えも収まってきた。
「目印は三丁目のマックトドナルドだ。そこを左に曲がればその内着く」
マックトドナルドってなんだ。マック&ドナルドなのか。てかドナルドって誰だ、トランプのことか。トランプがマック食ってる絵面って、なんかしっくりくるな。
「目的地に着いたらそこにいるドナルドに受け渡してくれやぁ。アフロ頭だから分かりやすいだろう」
ドナルド実在すんのかよ。ドナルドに薬渡して大丈夫なの?どんなハッピーセットだよ。
「依頼料は?」
頭が三本の指を立てて言う。
「後払いだ。戻ってきたら払おう」
「けっ、信頼されてねぇなぁ。仕方ねぇ、行くぞシグレ」
「あ、あぁ」
到底一人では担げないであろう木箱をひょいと担ぎ上げるヴァル。そんな頼もしい背中に着いていく最中、僕は初めて名前を呼んでもらえたことに感動を覚えていた。
〇
六〇キロはあろうかと思しき木箱を二人肩で担いで歩かされる。それも五段目から二段目まで、何度も上り坂及び階段を上らなければならない苦行。ヴァルには重心近くを持ってもらってる分僕の負担は少ないが、それでも道のりは長く感じた。出発したのは夕方日が沈む頃だったが、太陽はとっくに姿を消し、代わりに満月様が静かに頭上で輝いていた。山中の発展途上都市というのもあって明かりは少なく、流石に星空が綺麗だったが、そんな感動を覚えている暇はない。早く帰りたい。帰って美味しい魔獣の肉を頬張りたい。
「それにしても、何が入ってるんだろうな、これ」
白い粉が入っていると考えていたが、運んでみるにどうにも違うようだ。中は案外すかすかなのだろうか、重心が定まらず持ちづらい。
「さあな。ドナルドが入ってるとか言ってなかったか」
「いやドナルドは入ってねぇよ。ドナルドは受け取り人のことだろ」
「じゃあ何が入ってんだよ」
「だからそれを聞いてんだろ」
だめだ。ヴァルとは話にならない。
「つーか疲れた。ちょっと休憩しない?」
ここまでずっと休憩なしで歩きっぱなしだ。スパルタにも程がある。仕方なくだがヴァルも了承してくれた。木箱を道の傍らに置き、それを背もたれに腰を下ろす。何となく衛兵を避けて裏道を選んでいたせいで、大分遠回りをしている気がする。まっすぐ大通りを行けば今頃着いていただろうか。
「喉乾いた。水は?」
「ねぇよ」
「自販機はどこ?」
「ねぇよ、つーか何だそれ」
自販機もないのかこの世界には。不便な世界に来てしまったものだ。
「もう休んだだろ。行くぞ」
そう言ってヴァルが立ち上がったのは、休憩してまだ一分も経たないうちであった。
「いや早すぎだろ。もう少し休ませてくれ。ヴァルと違ってスタミナが無尽蔵じゃないんだ。せめてこんがり肉でも焼いてくれれば……」
ヴァルが焚火に肉を当ててくるくる回す。
「上手に焼けたぜ、ほらよ」
「なんで焚火セットなんて持ってんの。つーか焦げ肉になってんじゃねぇか。上手に焼けました~も流れねぇよそりゃ。つーかどっから出したその肉」
ヴァルは不満そうに焦げ肉を頬張ると、呆れた声で。
「シグレぇ、お前弱音はいてんじゃねぇよ。それでも男かぁ」
言うと、荷物を指差し、顎で立ち上がるよう言う。
「よし、今度はお前が前持て」
「スパルタかよ」
PTAが黙っちゃいないぞ。スパルタ指導した顧問はクビになり、代わりにやってきた若い男性教師とPTA会長が出来る未来まで見える。
「修行の内だ。弱音吐いてる内はまだまだ弱ぇ証拠だ。確かにお前はスライムにも勝てなかったあの頃と比べりゃぁ確かに強くなった。だが所詮おおきづち程度だ。後々竜王を倒すことになるんだからよぉ、もっと強くなってもらわねぇと」
「スライムともおおきづちとも戦った覚えねぇよ。言うならキラーパンサーだろあれは。つーかこの世界竜王いんの?」
「あぁ。いつも魔獣狩ってるあの森から西に一キロほど進んだとこになぁ」
「そんな近くにいてたまるか!」
いいからさっさと荷物持てよと言われ、抵抗空しく前を持つことに。後ろを担いでいたさっきよりも重い。ヴァルはかなり端っこを担いでいるのだろうことがよく分かる。
その後も淡々と裏道を歩き続ける。三段目への階段を上ってもそう。ひたすらに。
「というか、これ、結局何入ってんだろうな」
「さあな」
ヴァルは適当に相槌を打つ。
「やっぱ白い粉かな」
「さあなぁ」
ヴァルは適当に相槌を打つ。
「もしかして死体とか入ってんじゃねぇの?ほら、あいつらヤクザっぽかったし。殺した奴の後始末とか頼まれたんじゃねぇ?」
「それはねぇだろ。死体だったらわざわざ内側には運ばせねぇ。壁の外、森の中にでも捨てさせるさ」
ヴァルは案外話を聞いていたようだ。
「じゃあ何が入ってるんだろうな。あー、食いもん入ってねぇかなー」
「知らねぇよ。つーか、おい、ちゃんと前見て……」
「うぉっ……!」
話を聞いていないのは僕の方だった。
ヴァルの忠告空しく、僕は足元に転がっていた何かにつまずき、盛大に転んでしまった。同時に荷物も盛大に吹っ飛ぶ。その拍子に蓋が開いて中身が外に零れてしまっていてもおかしくないほどに」
「おい、大丈夫かよぉ」
ヴァルが心配して駆け寄ってくるも、僕は荷物の方が気が気でならない。怪我がないことを確認して荷物の元へ駆けよれば、悪い予感は見事に的中。荷物が地面に放り出されていた。
一体全体、荷物の正体とは。白い粉、ではなく、白い肌に真っ赤な液体が塗られた人間……。
くさった死体があらわれた!
「ホントに死体だったぁー!」
空いた蓋から顔を覗かせる白い肌。見るに普通の少女っぽいが、口から目から頭から血が流れているため、普通から逸脱している。文字通り死んだ目がぎょろりとこちらを睨みつける気さえしてくる。いや怖い、怖いよこれぇ。僕たち本当にモノホンの死体運ばされてたの?いや怖いよ、怖すぎるよ。何が怖いってこんなの運ばせるヤクザが怖いよ!死体を未だにまじまじと観察しているヴァルも怖いよ!つーか未だにこっち睨んでくる死体の目が怖いよぉ!僕あなたに何かしましたっけぇ?
つーか、あれ……。血が、流れている?
「これ殺したの僕らじゃねぇかぁー!転んで荷物放り出した衝撃で頭打って死んだんじゃねぇかぁー!血ぃ流れてるもの。さっきできた傷だものこれぇ!全然くさった死体じゃねぇよ、全然新鮮な死体だよこれぇ!」
「落ち着け、シグレぇ」
いつも通りの淡々としたヴァルの声。こういう時、ヴァルの冷静さというか冷淡さは落ち着くものがある。
「殺したのは俺らじゃねぇ。お前だ」
「ここにきて突然の裏切りぃ!?」
今まで悪口言われながらもキツイ指導されても、なんだかんだ言って後輩思いの良い先輩ポジションだと思ってたのに、ここにきて最後には保身のために部下を切り捨てるダメな上司にジョブチェンジしてくるとは。
「その前にお前ぇ、何につまずいたか分かってんのかぁ。観察力ももっと鍛えねぇとなぁ」
ここにきて素のダメ出し。なんなのお前。
言われてヴァルの指差す方向、もとい足元を見ると、人が道端に寝転がっていた。どうやら彼が放っている足に毛躓いたようだ。
「いやそれよりあの死体処理しねぇと……」
「おいおい、礼儀を通さねぇとは何事だよ。躓いたっつっても、あちらさんの足蹴飛ばしたのと同義なんだぞお前ぇ。ちゃんと謝らねぇと」
そうは言っても、肝心の彼は寝たまんま。わざわざ起こして、どうもすいませんでしたも可笑しいだろう。ほら、あんなに気持ちよさそうに寝ているではないか。よっぽど深い眠りについているのか、いびき一つ、寝返り一つうたないほど。最早そのまま永眠しそうなその顔……。
顔……ってか。あれ、頭蓋骨……丸見えですけど……。
「こっちも死体じゃねぇかぁー!」
嘘、もしかして僕が蹴ったせいなのか?いやいや蹴ったっつってもちょっとぶつけた程度だよ?そんなんで人間死なねぇよ。確かに小指をタンスの角にぶつけたら死ぬほど痛いけど、実際に死ぬことはないからね。つーか小指ぶつけたの僕の方だし。え……てかこれ、まじで死んでんの?死体ってこんなにゴロゴロ落ちてるもんだっけ?
「あ?お前また殺したのか?いかんよそりゃぁ、ちゃんと謝らんと」
「謝るっつうか遅いよね、もう死んじゃってるもの。謝ったって届かないよその誠意」
ヴァルは相変わらず呑気というかマイペースというか。さっきの死体にもしていたように、またじっくりと死体を観察している。
「まぁ死んじまったもんは仕方ねぇ。もしかしたら元々死んでたのかもしれねぇしよぉ。白骨化するくらい時間経ってんだ」
言われて落ち着いてみれば、確かにそうだ。奇想天外な事象が起こり過ぎて気が動転していたのかもしれない。こんなことにも気付けないなんて。
それなら、さっさと少女の死体の方を処理せねば。と踵を返し向かおうとした所、背後から声を掛けられる。
「あー、ちょっと、そこの人、足蹴ったのに謝りもしないなんて、礼儀に欠けるんじゃないかなー、うん。悪いことをしたら謝る。これ、当然のことなんじゃないかなー、うん」
背後、それは道端で寝ころんでいた死体。
いいや、死体ではない。
「あー。これね。大丈夫。死んでないからねー、私。これ、ただの被りもんだからねー。アイマスク的な。これしかなかったんだよねー、うん」
年は三〇代前後、いや不詳。髑髏の被り物を脱ぎ捨て現れた顔、その窪みに嵌められた双眼はより一層死人のそれに近づいている。覇気のない顔だ。
彼はいつのまにか立ち上がっており、僕らの背後数十センチの所まで近づいていた。背丈は高く、頭一つ分、いや二つ分ほど上から見下ろされている。身なりはおんぼろの布切れを何枚も巻いているだけに見えたが、なぜだか貧乏くささが窺えない。
「し、死んでなかったんですね。ど、どうも、すいませんでした」
「すいません、じゃなくて、すみません、だよねー、うん。そういう細かい点も社会人なら気を付けないといけないよねー、うん」
なんなんだ、この男は。やけに上から目線だな。
「すみませんでした。あの、僕ら急いでるんで、これで……」
僕がそう言って立ち去ろうとしたが、どうしてかヴァルは動こうとしなかった。
「おい、ヴァル、どうしたん……」
その言葉を遮り、男が一層不気味な声で語りかけてくる。
「そういうわけにもいかないよねー、うん。謝罪がすみませんの一言だけなんてねー、うん。何か物として誠意を見せてもらえないとねー、うん」
一息の間が空く。男が至上の笑みを浮かべた。
「そう、例えば、命とかねー」
うん、と語尾を付ける前に男の体が後ろに吹っ飛んでいく。ヴァルが殴り飛ばしたのだ。勢い着いて跳ねる男の体は数十メートル先の木造一軒家に突っ込んで止まった。
「おい、ヴァル、流石にやりすぎじゃ……」
「んな気の抜けたこと言ってんじゃねぇ。気付かなかったか、あいつの殺気によぉ」
初めて見るヴァルの本気の表情。今まで強い魔獣を何度も狩ってきた。その時もヴァルは表情一つ変えることなく、淡々と腕を振るってきた。そんなヴァルの姿を見て来たからこそ分かる。こいつは。
「こいつはヤベェぞ、シグレ」
崩れ、落ちる屋根。悲鳴。瓦礫の隙間から男が立ち上がる。
「邪魔、しないでほしいよねぇー、獣人さん。用があるのはその『人間』だけなんだからねー、うん」
じわりじわりと近寄って。
「そういうわけにもいかねぇだろ。こいつは、俺の弟子なんだからよぉ」
再び、今度は僕にもわかるほど露骨に殺気を放ち。
「ようやく見つけたんだからねー、ターゲット。ねー、異界からの来訪者さん」
現在地、三段目南東ブロック四丁目裏通り。時刻は一〇時五分前。煌煌と輝く満月を雲が覆い隠す。