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モノクロな世界で光る赤い月  作者: 如月弥生
【1章】獣の世界
2/24

1話「最近のゲームのチュートリアルは、やたらと長い」

 『七番ラーメン』はこの地方のみに展開されているチェーン店。店舗数もかなり多く、近所に一店舗はあるイメージ。コンビニほどはない。マクドナルド並。朝からラーメンは重たいが、昨晩から十八時間近く経てば別の話。というかもう昼だし。待ち合わせ相手のほにゃららさんはまだかしら。と周りをきょろきょろしていると、突然後ろから後頭部を叩かれる。

「ちゃんと紹介しろ」

 返信早すぎ女子のご到着だ。というより、既に到着していて、物陰で僕が来るのを待っていたのかもしれない。

「早かったな。ほにゃららさんにしては」

「おい、ほにゃららさんで通すつもりだろ。名前考えるの面倒だからって、メインヒロインに名前与えないのは怠慢過ぎじゃない?」

 彼女はさも怒り心頭だと言わんばかりに鋭い目を向ける。そんなこと僕の知ったこっちゃないんだが。というかメインヒロインなのか。しばらくして、彼女は諦めたように溜め息をこぼし、ふいと顔を逸らしたかと思えば何も言わずに勝手に店の入り口をくぐっていった。

 昼も過ぎ、人盛りも見受けられない店内に軽快なBGMが流れている。これはあれだ。巷で人気のアニメの主題歌じゃないか。今度見てみようかしらと思案している間に、彼女がとっとと店員を呼んでいた。ちゃあしゅうめんを頼むのを聞いてから、併せてちゃあしゅうめんを注文する。店員が注文を確認して去るまで、僕は通されたお冷を飲みながら、彼女はグラスを両手に握ったまま各々待っていた。

「わざわざ呼び出さなくたって、打ち上げすっぽかしたりなんてしないけどなぁ」

 彼女が僕を呼び出した理由、思い当たる節はこれしかない。知り合ってまだ三年弱とはいえ、これほどまで信用されていなかったと思うと、アイアンハートの持ち主でも傷がつく。FPSで培った信頼度は霧散したのだろうか。

「ま、それもあるけどね。別で話したいことがあって」

 話したいこと。そう言われてもピンと来ない。何だろうかと次の言葉を待つが、えっとーとかうんとーとか濁してばかりで中々話してくれそうにない。

「ラーメン食べたら話すよ」

 終いには店員がラーメンを持ってくるなりこの始末。話しづらいのだろう。何か僕にとって不利益な話になることは予想に安い。思い出話とか、共通のゲームの話とか、そんな他愛もない話をするばかり。一足先に食べ終わり、残ったスープを蓮華でちまちま飲みながら、彼女が食べ終わるのを待つ。

「その指輪、いいよね」

 彼女が見つめるのは、左手薬指に嵌った形見の指輪。いいよねと言われても、僕としては腕時計と同じ感覚で嵌めているに過ぎない。デザインとしては質素極まりなく、銀一色に何か分からない赤い宝石が埋め込まれているだけ。

「そんなにか?」

 それに、この指輪を褒められるのももう何度目か分からないくらいには頻繁にこのセリフを零している。

「うん、綺麗じゃん。私も買おうかなー、指輪」

「さっさと食っちまえよ。伸びるぞ」

 聞きすぎて飽きたセリフを流し去り、早く食べてしまうように促す。もう伸びてんじゃねぇの?

 嫌な話をされるなら早く済ませてしまいたかった。会計を済ませて外をぶらついている間も、彼女は中々口を開いてくれない。流石に目的もなく歩き続けるのは非効率的すぎる、なんて考え方をしてしまうのは理系だからだろうか。じゃあと、彼女は近くの公園に誘い、そこで話すよといった。

 昼間の公園、と言っても平日だ。春休みもまだだから子供たちの姿はない。そもそも最近は公園で遊ぶ子供の姿を見かけることも滅多になくなったが。

 公園内にはベンチもあったが、そこに座ろうとはしなかった。中央まで着くと、彼女は立ち止まり、振り返る。そして、意を決したように言葉をゆくっりと丁寧に紡いだ。

「大学生になる前にさ、話しておきたいことがあったの」

 彼女も同じ、地元の国立大学に進学するはずだ。とはいえ、学部が違えば会う機会も減るだろうか。

「本当はもっと早くに言っておくべきだったんだけどね」

 彼女の紡ぐ言葉は本当に丁寧で、時間の流れがゆっくり感じる。

 ふと、左薬指に違和感を感じた。

「私ね、時雨のこと、前から……」

 途端に話に集中できなくなる。指輪がきつく締めあげてきて、鈍い痛みを発生させるせい。正体不明の力、不可視の力が作用しているのが分かる。一体何だっていうんだ。

「時雨?ねぇ、聞いてるの?」

 彼女は話を中断し、心配するように僕の顔を覗き込んでくる。その顔は何故だか少し赤らんでいて……。

「ごめん、なんて――」

 僕の言葉は彼女には届かなかっただろう。

「10年ぶりだな」

 得体のしれない、闇に誘うような声に遮られたから。

 そいつは、僕の背後にいた。そう、まるで始めからそこに居たかのように、音もなく、静かに、何事もなかったかのように、そこに立っていた。

「誰、だ……?」

 異様な気配を漂わせ、頭二つ三つ高い視点から睥睨する赤き双眸。呼吸すらままならない、絶望を与える威圧感。問うた言葉は掠れて形になったかすらもあやふやだ。

「忘れたか。まあいい」

 そいつは呟くだけ呟くと、厳かに腕を掲げ、手刀を振り下ろす素振りを見せた。

 悟る。こいつは僕を殺す気だと。手刀なんかで人が殺せるのか、そもそもこいつは人間なのか、何が何やらさっぱり理解できないまま。しかし、殊更きつく締めあげる指輪の痛みが、数秒先の未来に死があることを報せてくる。

 やめてくれ、殺さないでくれ、声は一切口の外に逃げ出さない。

「――」

 何か、聞こえた気がした。

「時雨、逃げて……!」

 石のように動かなかった体がぐらりと傾き、迫る手刀を潜り抜ける。代わりに切り裂かれるのは。

「おい、馬鹿――」

 叫び、手を伸ばすも、彼女の体に届く前に僕は謎の光に包まれる。光を発する源は、痛みを発する場所と同じ。指輪は光り輝き、やがて何も見えなくなった。



   〇



 湿った風が顔を撫ぜる。そのむず痒さに瞼を上げる。

 立ち並ぶ木々。それは視界に映る限り続いている。空を覆う葉っぱを見るに広葉樹林だろう。幹には野太い蔓が巻き付き、はみ出た箇所が地面に張り付き、足場を不安定にさせている。踏みしだく土は固く、どうにも道があるようにも思えない。しかしながら、所々雑草が踏みつぶされているのを見るに、獣が生息している事は予想できる。

 どうしてここにいるのだろう。こんな密林然とした地域に住んでいた覚えはない。それにさっきまで公園に誰かと話をしていなかったか。そうだ、彼女はどこに。姿は見えない。突然見知らぬ悪魔が来たかと思えば、突然見知らぬ土地に立っている。まったく、訳が分からない。

 混乱が収まらない中、背後で突然音がした。背の高い雑草、その茂みを掻き分ける音。激しい音ではなく、静かな、まるで音を殺して近寄り、獲物を狩ろうとしているような。

 まさか、熊……?

 やばいやばい、どうしよう。混乱する頭がさらに混乱する。ただでさえ理解不能な状況、それに併せて死に瀕する局面。こういう時はどうすれば。どうすれば……。

 次第に草むらを掻き分ける音がすぐ袂まで、そして遂に正体を現す。

 あぁ、ポ〇モンでありますように……。

 そう願いながら、僕は咄嗟に死んだふりをした。熊に遭遇した時は死んだふりをしてやり過ごそう。そうオ〇キド博士も言っていた、はずだ。

 目を瞑る。頬に冷たい土の感触。雑草が鼻を撫ぜてむずむずする。すぐ脇に獣の濃い気配がする。そいつは飛び掛かってくることはなく、どうやら僕の匂いを嗅いでいるらしい。荒々しい息遣いが耳に伝わり、つい身震いしてしまいそうになるのを必死に堪える。

 しばらくして静かになった。獣が立ち去ったのだろうか。いや、それらしき足音は聞こえてこなかった。一体、今どういう状況なのだろうか。分からない。確かめたい。

 そっと瞼を上げる。さりげなく周りを観察する。土に残された獣の足跡、踏み荒らされた雑草。他に不審なものはない。大丈夫だろうと高をくくり、上体を起こす。

 しかし、大丈夫ではなかった。

 突如として沸き起こる、濃い殺意。音なんて聞こえてこなかった。相手が本気で隠そうと思えば、気配なんて感じ取れるはずもなかった。だって、相手は日常的に殺し合いをしているハンターで、僕はただの人間なんだから。

「うおぉぁあっ!」

 今まで必死に押し殺していた叫び声を、惜しげもなく放出する。情けない声だ。だが恥ずかしさに打ちのめされている暇はない。

 獣は背後で待っていた。骨なんて容易く千切るだろう尖った牙を見せつけて。自慢の顎はさながら虎のように、空気を切って迫ってくる。

 僕はそれを飛びのいて躱す。紙一重で避けられたが、次はない。そう感じさせるほどの威圧感。そのまま一旦距離をとって、獣の動向を推し量る。本当は一目散に走りだしたかった。恐怖で足が震えている。心臓がバクバクなってうるさい。傍らに立つ木を支えにしないと倒れてしまいそうだ。

 だが、落ち着け。これは夢だ。落ち着け。

 夢ならば、あるいは。

 あるいは、超パワー的な何かで、この獣にも勝てるんじゃないか?

 というか、何だこの獣は。距離をとったことで露になる獣の全体像。熊だと思っていたが、それは単なる思い込み。虎のように四足歩行で、自慢の牙で獲物を狩る。ただ虎ではない。僕の知っている虎ではない。分厚い筋肉を隠す体毛は黒色で、頭には角が生えている。例えるなら、FFのベヒーモスを一回り小さくしたような、ポ〇モンのヘルガーをより凶暴にしたような。それってつまりメガヘルガーってこと?

 とにかく、やばいことだけは確かだ。しかし落ち着け。大丈夫だ。

 獣も何かを警戒してか、続けざまに襲ってはこない。こちらの動きを観察しているようだ。だったら、次がチャンスだ。次に獣が飛び掛かってきたタイミングで、それを躱し、渾身の拳を胴体にぶち込む。よし、これしかない。

 獣が唸る。口の端から唾液が零れ落ちる。いつもより大きく開いた瞳がそれを鮮明に映している。当然、目が乾く。一瞬瞼を閉じる。獣はその瞬間を狙っていた。

 瞬きの内に、獣は既に一歩近づいていた。やばい。焦る。

 いや、大丈夫だ。すぐに右腕に力を籠める。大丈夫。ケツの穴引き締めて、心の中でこう叫べ。

「スマアアァァッッッシュゥゥゥーーー!!」

 獣が飛び込んでくる。血生臭い牙を胴体に突き刺し、僕の体を噛み千切る、その直前、ひらりと横にそれて躱し、握り過ぎて痛いほどの拳を獣の胴体にぶち込んだ。

 やったか?

 特大なフラグを心の中で立てながら、作戦通りに遂行できたことの喜びを噛みしめようとするが、それが叶う事はなかった。

 確かに、僕の拳は獣の胴体に当たった。しかし、思い通りになったのはここまで。拳は筋骨隆々の体躯を吹き飛ばすことは出来ず、むしろ拳打の衝撃が跳ね返り、体ごと吹き飛ばされた。

 地面を二、三度転がり、大樹に頭をぶつけて止まる。

 痛い、なんてもんじゃなかった。意識が飛びかける。夢だからとて、何事も思い通りにいくものじゃない。そもそも、これは本当に夢なのだろうか。夢だったら痛みは感じないものなんじゃないのか。痛い。もう何も考えられない。意識が薄れてゆく。このまま夢から覚めるのだろうか。それとも、獣に食べられてしまうのだろうか。そんな残酷な未来を想像し、うっすらと瞼を上げる。視界がぼやけてはっきりとは見えないが、先の獣が口をあんぐりと開けている様子が見えた。どんどん視界がぼやけていく。視界が赤くなる。痛みさえ、感じなくなっていく。牙に蹂躙される直前、輪郭がぼやけ、真っ赤に染まった獣が、横っ飛びに吹き飛んでいく光景を最後に、意識が途絶えた。


   〇



 目が覚める。嫌な夢を見た。いつも見る夢と似た光景、だった気がする。いつもの夢ってどんなんだっけ。まあ、いいか。今何時だろうか。目覚まし時計は鳴っていない。

 あれ……。

「知らない天井だ」

 ぼやくと、ドアを開ける音が聞こえ、同時に入ってきた誰かに声をかけられた。

「起きるなり、何言ってるの?」

 誰か、いや、彼女は濡れたタオルを持ったまま、笑って傍まで近づいてくる。誰だろうか。知らない人だ。

「テンプレかと思って。ここは?」

 自分の部屋じゃない。彼女も俺の知っている人じゃない。上体を起こすと、まだ痛みが残っていた。

「やけに落ち着いてるね。彷徨い人とは思えないくらいに。異世界転生特有の妙な理解力の早さってやつ?」

 彼女は不振がりながらも、笑顔を崩さず丁寧に答える。

「私はナナ。ナナ・スタルークだよ。それで、そっちで寝ているのが……」

 彼女、ナナが指差す方向、今まで気づかなかったが、ベッドの傍らで椅子に座りながら寝ている少年、いや、

「ヴァル・ロゼルシアだ」

 起きていた青年は不愛想な喋り口調でそう自己紹介した。名前を聞いた限り、やはり二人とも僕の知り合いではない。それにスタルークやらロゼルシアやら、漢字に変換できなさそうな名前ばかり。キラキラネームなのかしら。

「ここは『ニューレース』。獣人の国よ。ヴァルが森で寝ていたあなたを持ってきたって言ってるんだけど、体の調子が良くなったら、すぐに出ていった方がいいわ。ここはあなたたち人間が居ていい場所じゃないから」

 ジュウジン? ジュウジンとはなんのことだろうか。まさか動物人間のことを言っているわけ。いや、まさか。そんな存在を信じて堪るかって話だ。

「おい、待て。こいつを放つわけにはいかねぇ。何企んでるか分かりゃしねぇんだ」

 不愛想な青年、ヴァルは起き上がると、眉間に皺を寄せて少女、ナナの提案を否定する。

「あの、企むとか獣人とか何が何やらなんですが……」

「あー、いい、いい、臭い芝居なんかすんじゃねぇ。お見通しなんだよ。今までだって何人もそうやって潜入してきた人間がいたんだ。お前らの好きにはさせねぇ」

 彼の馬耳東風ぶりに、僕は何を言い返すこともできない。しかし、僕だって帰るべき場所がある。気がかりだっていくつか残してきたままなんだ。

「じゃあ、どうすれば」

「ここで働いてけ。お前を匿ってやる」

「いや、でも帰りたいからさ、道だけでも教えてもらえれば……」

僕の言葉を聞き終える前に、彼は立ち上がり、背を向ける。

「いいの?オジサンに何も言わずに勝手に決めちゃって」

呼び止める少女の声に振り向かず、しかし立ち止まった彼は相変わらずの不愛想な声で、

「いい。文句は言わねぇだろ。それに、いいかお前ぇ。匿うってのは監視って意味だ。俺らが四六時中近くにいりゃ偵察も何もできねぇだろ。要は牢屋と同じだ」

 そう言うと、今度こそ彼は部屋を立ち去った。

 何をすればいいのか分からない。何が起きたのかも分からない。ここがどこなのか、帰り道はどこにあるのか。何もかも知らないまま。ただ一つ、大ニート時代である昨今に運よく職にありつけた喜びを噛みしめている場合ではない事だけは確かだった。

 ナナは苦笑いを浮かべている。僕は指に収まるただの指輪を眺めた。指輪はもう光ってはいなかった。

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