腐敗
「ではとりあえず話を聞きにいきましょうか」
「そうだな」
依頼人はアリアという女性で、失踪した父のゴルドという人物は鍛冶職人だったらしい。商店が立ち並ぶ区域の一角に武器屋があり、その前で店番をしている女性がいる。多分彼女がアリアだろう、年齢はそんなに変わらないが長髪で落ち着いた雰囲気をまとっている。
「いらっしゃいませ」
俺たちがやってくると客だと思われたのか、店の前に立つ彼女は笑顔であいさつする。しかし父の失踪がこたえているのかどこかやつれて見える。
「俺たちは客じゃない。依頼を受けて来たんだ」
「本当ですか!? お願いします、もう一週間以上も音沙汰ないんです……」
そう言ってアリアは涙ぐんだ。
彼女はすぐにドアを閉めて『休業中』の札を出す。店の中にはたくさんの武器があり、中には金貨百枚以上のものもあったが、今はじっくり見ている場合ではなかった。俺たちは店の奥の居間に通される。そしてアリアは紅茶を出してくれた。
「すいません、大したもてなしも出来なくて。父がここを出たのは一週間、正確には十日前です。うちは父が武器を作って私や母が店番をしていることが多いのです。しかしある日、父は教会から請け負った剣を納品するために教会に持っていったんです。そして戻ってくると『次の仕事を受けたんだが黒鋼が足りないから隣街で買ってくる』と言い出したんです」
黒鋼と言えば、俺が斬っためっちゃ固いと言われる金属か。
「母が代わりに行こうかって聞いたんですけど『黒鋼にも良し悪しがあるから自分で行く』って言ってそのまま出発したんです。隣町アルクまでの距離は馬で半日ぐらい。昼に出れば夜にはついて、翌日中には戻ってくるでしょう。ですが全然戻ってこないので、アルクから来た人にも聞いてみたんですが、全然見てないとのことなので依頼を出したのです」
アルクは小都市で、あまりここリエールとの往来が多いとは言えない。だからといって街道に魔物が跋扈しているということもないが、絶対に出ないとは言い切れないだろう。
「ゴルドさんの行動は不自然だったと言えますか?」
シアンが尋ねる。アリアは首をかしげた。
「多少は……でも職人気質の父は時々そういうことがあるので。前にも一度納品した剣を『品質が納得いかない』と言って、先方は『これでいい』と言っているのに奪い取って打ち直すということもありましたし」
「それは確かに頑固だな……」
「教会から新しい武器を依頼されて良質な黒鋼が必要になったのでしょうね」
「他に変わったことは何かなかったか?」
「いえ……別に」
アリアは目を伏せる。まあそれはそうだ。変わったことがあったら「おそらく魔物か盗賊に襲われた」という依頼にはならないだろう。
「では手がかりとはありますか?」
今度はシアンが尋ねる。
「そうですね、一応父の外見的な特徴をまとめたものです」
そう言ってシアンは一枚の紙を差し出す。そこには右耳にほくろがあるとか、右手の薬指に切り傷があるとか、そういった細かなことがびっしりと書き出されていた。こんなものか、と思って俺はシアンを見る。
「では最後に一つだけ。ゴルドさんはどのくらい武術の心得がありましたか?」
「その辺のごろつきよりは剣は使えますよ」
そうじゃなかったら一人で隣街には行かないよな。とはいえ、魔物でも盗賊でも敵が多ければどうにもならないだろう。
「ありがとうございます。ではアルクへの街道に行ってきます」
「はい、よろしくお願いします」
俺はこういう依頼を受けるのも初めてなこともあってシアンに任せきりになってしまった。心優しい性格の彼女はしばしばこういう依頼を受けているのだろう、慣れている雰囲気がある。
俺たちはアリアの家を出ると、とりあえず現場を確かめるべく何かがあったと思われる街道に向かう。
が、街中を歩いていると突然シアンは足を止める。そして何かをじっと見つめている。
「どうした?」
「いえ、ちょっと気になったもので。依頼中にすみません……」
そう言って彼女は道の端っこで修道服をまとった小太りの神官の男が数人の取り巻きとともに身なりのいい男と話しているのを見かける。そして男の手には何か液体が入ったきれいなビンが握られているのが見える。
「あれは何をしているんだ?」
「遠目に見ただけなので分からないですが、聖水を売っているのではないかと。でも今は依頼を優先した方がいいですよね」
シアンはそう言っているものの、なおも目の前の現場が気になっているようでもあった。自身の信条と冒険者としての義務感の間で揺れているのだろう。
とはいえアリアには悪いが事件が起こったのは十日前。今更数分か数十分遅くなったところでどうにかなるとも思えない。それよりもシアンがあえて気になったということなら
「いや、聞いてみよう」
「えっ、あ、ありがとうございます」
俺の言葉にシアンは驚いて、そして頬を赤らめる。
俺はさりげない風を装って集団の方へ歩いていく。身なりのいい男はおそらく商人だろう、少し困ったような顔をしており、神官の男が一方的にしゃべっている。
「本来罪というのは魂に残るもので決して消えることはありません。犯した罪が消えることはないのです。しかしこの神が聖別した聖水を使えば魂を清めることが出来るのです」
「私のような者でもですか?」
商人風の男はすがるような目つきで神官を見つめる。
すると神官は得意げに頷く。
「その通りです。あなたの罪は重く、魂には大きな穢れが生まれました。しかしこの聖水を使えばそれを清めることが出来ます」
一方、そんな会話の横では通行人たちが「あんな詐欺師の魂が清められて溜まるか」「あいつは地獄に落ちろ」などということをこそこそと話している。
それを聞いて大体状況は分かった。あの商人の男は何か悪事を行い、神官がそれにつけこんで聖水を売りつけようとしているのだろう。
「あの……」
それを見てシアンが声を上げようとする。俺は咄嗟にそれを手で制する。
「え、でもあのようなことは見過ごすわけには……」
てっきり彼女は俺が見て見ぬ振りをしようと思っていると思ったらしく、一瞬悲し気な表情になる。
「いや、俺がいく」
「ですがこれは私の……」
しかし俺には何となく図式が読めつつあった。おそらくこの街の教会は腐敗している。そしてシアンはそれに対して今のように物申しているのだろう。そのせいで浮いている。それで昨日も教会の伝手ではなく俺を頼ったのではないか。
シアンに関わるなと言ってきた男も教会の嫌がらせではないか。だとすればここは彼女に行かせるよりも俺が行った方がいい。俺はよそものだから教会の好感度なんてどうでもいいのだから。
「おい、そんなことで許される訳ないだろ常識で考えろ」
俺はシアンが止めるのを振り切って勝手に割って入っていく。いきなり現れた俺に神官は怒りを、商人は怪訝な色を見せる。
「素人が何を言う。これは大司教様が神に祈りを捧げて聖別した水であるぞ」
「知るか。お前が何したのかは知らないが、悪事を働いたなら大人しく投獄されろ。魂の穢れがどうかは知らないが、法で定められた罪を償え。何なら俺が衛兵に報告してやろうか」
「や、やめてくれ……それは困る」
すると商人の男が俺に向かって膝をついてすがってくる。
が、後ろからは野次馬たちが「やっちまえ」「誰だか知らないがそいつを牢にぶちこめ!」と声援を送ってくる。大方正面から教会に楯突くのは嫌だが、商人の行いや教会の腐敗にも憤懣が溜まっているのだろう。
俺はそれに力を得て商人の男を睨みつける。
「おい、今すぐ立ち去らなければお前を神を冒涜した罪で投獄するぞ」
「やれるものならやってみろ。それからお前に言っておくが、もし俺が黙っていたとしてもお前に騙された者たちがいなくなる訳じゃない。悪評が広まればこの街にはいられなくなるぞ」
そう言って俺が周りを指さすと、すでに野次馬たちは男を見てひそひそと悪口を言っていた。俺が介入したことで余計に目立っているようである。
「くそ!」
男はそう叫んでどこかへ走り去っていった。逃げようとしているのではなく自首しようとしてくれているのだと願うしかない。
男がいなくなればこいつらも聖水を売りつけることは出来ない。
「お前をこの街にいられなくしてやる!」
神官は捨て台詞を吐いて去っていった。それを見て俺はほっと一息をつく。この後何が起こるのかは知らないが、とりあえず今の危機は去ったようである。