【幕間】 エルナ Ⅰ
私の物心がついたときにはすでに私とルクスは結婚する流れになっていた。私の母とルクスの父は何度も冒険を供にした仲間。だから婚約なんて大仰なものじゃなくて、“そういう雰囲気”だったとしか言いようがない。
私は母の跡をついで聖女になり、ルクスも父の跡をついで剣聖になり、二人は結婚する。非の打ちどころのない完璧な筋書きだと思わない?
そんな雰囲気のせいなのか、元からなのかは今となっては分からないけど、私はずっとルクスのことが好きだった。もっとも、いっしょにいるのが当たり前だったからその気持ちを自覚すらしていなかったけど。そして私たちは一緒に成長して、結婚してずっと一緒にいるものと思っていた。婚約指輪代わりに、母が持っている高価そうなブレスレットを勝手にプレゼントしたこともある。
幸いにして私は母譲りの魔力があり、聖女の魔法を覚えるのに不自由はなかった。だからルクスが剣聖になれば自然と婚約は果たされる、そう思っていた。
おかしい、と思ったのは六歳か七歳のころだったと思う。ルクスが剣の訓練を始めたというので私たちは一度おふざけでチャンバラごっこをした。当然私は適当に戦って、ルクスの腕を見て、怪我する直前ぐらいで負けるつもりだったんだけど。
こともあろうに私はルクスに勝ってしまったのである。
聖女とはいえ魔物討伐に行く以上最低限の剣術が出来なければ危険である。そう考えた私は母から時々護身術程度の剣術を習ってはいた。とはいえ、それで剣をメインに習っているルクスに勝つことなどあるのだろうか。
ルクスが剣聖になれなくても、私は聖女になるだろう。そうなれば私たちは不釣り合いな存在になり、もしかしたら婚約もなかったことにされるかもしれない。私はもっと強い男と結婚させられるかもしれない。
そう考えた私は焦った。だからルクスを徹底的に鍛えることにした。
が、そんな私の気持ちとは裏腹にルクスの剣技は全く上達しなかった。稽古のたびに私にぼこぼこにされる。
その上私の気持ちも知らずに、剣は向いてないから出来もしない魔法の練習をしたいなどと寝言を言い始める。別に聖女と賢者という夫婦でも私は良かったが、ルクスには魔法の才能も特になかった。
大体、剣技で私にすら勝てない状態でそれを放り出して他のことを始めてそれでうまくいくとでも思っているのだろうか。そもそもこいつは私との結婚などどうでもいいのだろうか。そう思うと余計に腹が立ってきた。そしてこうなったのも私の鍛え方が足りないせいだったのではないかと思い、私はますますルクスを激しく鍛えた。
そして、その結果ルクスは私の前から消えた。
色んな感情が渦巻いていたが、まず最初に覚えたのは激しい怒りである。ルクスはあろうことか私だけでなく家まで捨てるとか言い出したが、そんなのは一時の気の迷いに過ぎない。
大体、剣技も中途半端で魔法の才能もないルクスが外に出てやっていけるはずがない。もちろん日雇いの力仕事とかなら出来るかもしれないけど、それだってあの程度の根性で出来る訳がない。
だとすれば私はあいつがどこかで野垂れ死ぬか、魔物に負けて殺される前に助けてあげるべきではないか。世間の厳しさを知れば私との稽古がどれほどありがたいものだったか思い知るだろう。
そう考えた私はやや前向きさを取り戻した。そして旅の支度をして母とルクスの父に手紙を残して家を出た。
エノールの街に出た私はすぐに聞き込みを始めた。私はこの街では有名だったので街の人たちは愛想よく接してくれた。
一方のルクスは着の身着のままで飛び出しただけあって、街の人たちは剣聖アレクセイの息子ルクスではなくただの小汚い恰好の男としか認識してないようで、聞き込みは難航した。
そしてその事実も私の苛立ちに拍車をかけた。ルクスは将来剣聖になるのに、何でそうなの。
夕暮れぎりぎりまで粘って私はルクスが旅支度を整えていたことや馬を借りたことを知る。しかし行き先までは分からない。私は藁にもすがる思いでルクスが行ったらしい宝石店に向かった。これから旅に出るというのになぜ宝石店に向かったのだろう、とふと疑問に思ったが考えても分からない。
私が店に入ると宝石店の店主はすぐにへこへこと愛想笑いを浮かべた。が、そんなものに興味はない。私は単刀直入に尋ねる。
「今日ここに来たルクスがどこに行ったか知らない?」
「あの、ルクスさんなんて今日来ましたっけ……あ、もしや昼頃来たエルナさんと同い年ぐらいの少年でしょうか?」
私の許嫁の癖にそんなモブみたいな認識されているんじゃないわよ、と内心苛々するがそれを懸命に抑える。
「そうよ。彼、どこに行くとか言ってなかった? そもそも何でここへ?」
「何か高価そうなブレスレットを売っていきましたけど。父が急病で即金が欲しいとか言って……」
バンッ!
あからさまな嘘に苛々した私はついカウンターを叩いてしまう。店主は突然の私の行為にあからさまに脅えている。ふう、何とか落ち着かないと。確か高価そうなブレスレットって……えっ? ブレスレット?
急激に私の視界が闇に染まっていく。
「それってもしかして……という感じじゃなかった?」
私は思わず食い気味に尋ねてしまう。まだ仲が良かったころ、私が勝手にプレゼントしたブレスレット。どれだけ仲が険悪になってもルクスがつけてくれていた私たちの絆の象徴。
「はい、それですが……」
「くそがっ!」
店主の答えに私は思わず人前で口走ってはいけないような言葉を口にしてしまう。
気がつくと私は店を出て走り出していた。
ブレスレットを売ったということは。衝動的なものとはいえ、ルクスの心は完全に私から離れたということだろう。
許せない。私がどんな思いであんたと稽古していたのかも知らずに。絶対後悔させてあげる。私は心の中に暗い炎が燃え上がるのを感じた。
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