リスタート
さて、衝動のまま家を飛び出して街に出てきた俺だったが一つ問題があった。逃げ出す前の俺は剣術の稽古をしていたので、当然ながら何も持っていない。まさか竹刀を持って街をぶらぶらする訳にもいかないので、唯一持っていた竹刀も捨ててきた。そのため汗臭い服と防具を身に着けているのみ、財布すら持っていない。
取りに帰りたい気持ちもあったが、竹刀を見つけたエルナと鉢合わせでもすれば本当に殺されかねない。それにあそこまで啖呵を切って戻るのはいくらなんでも格好悪い。
「くそ……自宅の庭で稽古するからって財布ぐらい持っておけば良かった……」
悔やんでももはや時既に遅し。何か金に換えられるものはないか。
そこでふと俺は左手につけたブレスレットに気づいた。小さいころエルナにもらったものである。その時はありがたいと思ったが、エルナがああなっていくにつれ、次第に疎ましい物になってきた。
正直全くつけていたくはなかったが、あるときこれを付けずに稽古していたところ、エルナが烈火のごとく怒りだしたのでそれ以降やむなく毎日つけているという曰く付きのものである。
しかしそういう思い出を抜きにして見ると、きらきらした高価そうな宝石がついたいいブレスレットである。これならそこそこの値段で売れるのではないか。
それに、エルナと絶縁した日に彼女との思い出のブレスレットを売り払うというのは俺の決心を強めるようで悪くないような気がする。
そう考えた俺は街の宝石屋を探す。俺たちが住んでいる街エノールはちょうど王都と辺境の中間付近にある。王都での仕事と辺境の魔物討伐の依頼どちらもこなせるよう父はこの辺に住んだのだろう。
魔物もそんなに出ないが、王都付近ほど人口も多くないということで周辺には広い土地を持つ農家が多い。エノールはそんな農村地帯の中で一番大きな都市で、豪農向けに高価な装飾を売る店も出ていた。
宝石店に出入りしている大人たちはいずれも高そうな服を着ており、汗臭い上に粗末な服を着た俺が入っていくのは場違いだったが、仕方ない。
店内にはガラスのショーウィンドウ内にぎっしりと装飾品が飾られている。種別ごとではなく値段ごとにエリアが区切られていることに俺は苦笑しつつ、つけているブレスレットと同じような宝石があるコーナーを探す。
そこは大体金貨二十枚から三十枚ぐらいの商品が多かった。下取りだとそれよりは安くなるが、どんなに安くても金貨十枚を下回ることはないだろう、と思いつつ俺はカウンターに向かう。
店主は白髪に白髭に片眼鏡をかけた結構な年齢のおじいちゃんであったが、俺を見ると一瞬嫌そうな顔をした。おおむね場違いなガキだ、とでも思ったのだろう。
しかし俺がブレスレットを外して差し出すと急に商売人特有の愛想笑いを浮かべた。
「これを金に換えてもらいたい」
「ほう……これはなかなか。しかし一体どのようなものでしょうか?」
俺はそこで少し迷った。ここで正体を明かして変に騒ぎ立てられても困るが、怪しまれて盗品であることを疑われてもな。
「遠方の父が急病で、急に金が入用になって実家からとりあえず金になりそうなものを持ってきたんだ。なるべく急ぎで頼む」
「なるほど。でしたら出来るだけ速やかに査定するのでしばしお待ちを」
俺が十五歳ほどであることもあいまって、意外とすんなり信じられたようである。店主はブレスレットを持って裏へ下がっていった。
そしてその言葉通り十分もしないうちに戻ってくる。額には汗が滲んでおり、なぜか少し興奮しているような様子がある。
「お急ぎということなので査定に粗があるかもしれませんが……金貨五十枚でいかがでしょう」
「五十枚!?」
俺は思わぬ大金で驚く。急いでいるから査定に粗があるということなのか?
いや、おそらく素人の俺の目利きの方が間違っていたのだろう、と思うことにする。店主は俺のリアクションを不安げに見つめているが、不満があるはずもない。
「分かった、すぐに金貨を用意してもらうことは出来るか?」
「はい、これくらいであれば」
さすが高価な装飾品を取り扱う店というだけはある。俺はすっと出てきた金貨五十枚に驚愕しながら店を出た。
うちは裕福ではあるが、現金でこれだけの大金を持ったのは初めてで、ずしりとポケットが重い。
持っているのも怖いし、使ってしまうか。
そう考えた俺はすぐに旅に必要なもの一色を整えた。まずは動きやすいが粗雑には見えないシャツとズボン、それにジャケット。そしてテントや寝袋、保存食といった旅に必要なもの。
それらは全部で金貨一枚と少しだったので、俺は急がなくてはと思いつつも武器屋へ入る。
そこには剣や槍から弓、杖に至るまで様々な武器が並んでいた。見ている限り中古のような品も一緒に並んでいるようであまり高級な店ではないのだろう、金貨数枚で買えるようなものがほとんどだった。
そんな中、俺は店の一角にあるきらきらと輝く剣を見つけた。他の剣とは違い、柄には透き通った宝石がはめ込まれている。そして値段も一つだけ金貨五十枚と場違いであった。すごい魔剣か何かなのだろうか。
「あんちゃん、その剣に興味があるのかい?」
俺がその剣を見ていると店主と思われる中年の男が声をかけてくる。いや、別にそういう訳ではないのだが、と思いつつ興味本位で尋ねてみる。
「これは一体どんな剣なんだ?」
「何でも術者の魔力に応じて威力が上がるという剣らしいんだが……なかなかこいつを使いこなせるほどの者が現れなくてねぇ」
男は困ったように笑う。そう言えば俺は魔力だけは高かったような気がするな。魔法を使ったことがないので実際どれくらいなのかはよく分からないが。それに俺が普通の剣を持っていても大して使いこなせないのはエルナとの訓練で分かった通りだし、どうせ今持っている大金もあぶく銭である。
とはいえ金貨五十枚ではちょっと足が出るし、いくら何でも今後無一文になる訳にはいかない。
「なあ、ちょっと負けてくれないか? 今持ち合わせがないんだ」
そう言って俺は肩をすくめてみせる。すると店主はふむ、と考えてみせる。
「分かった分かった、それならこうしようじゃないか。今からこの剣を使ってある物を試し斬りしてもらう。それが斬れたら半額、もし斬れなくても金貨四十枚で買ってもらう。どうだ?」
四十枚か。それなら当初思っていたぐらいの金額が手元に残る計算になる。後は馬でも借りて、残った金を路銀にでもするか。
「分かった。何を斬ればいいんだ?」
「ではこの石を」
そう言って店主が持ってきたのは黒くてごつごつした一抱えもある岩であった。何かの鉱石のようにも見えるが俺にはよく分からない。
「これは何だ?」
俺の問いに店主は急に嫌な笑みを浮かべながら答える。
「最近この辺りで見つかった黒鋼と呼ばれる最も固い金属を含有する石だ。もっとも下手に斬りつければ刃こぼれするかもな。諦めて四十枚で買ってくれた方が損が少ないかもしれないぜ?」
要するに俺に金貨四十枚でこの剣を押し付けるために一芝居打ったということか。
見たことない石だから分からないが、たかが石を斬って刃こぼれするような剣ならそこまでだったということだ。そのときは元々手に入っていない金貨だったと諦めよう。
俺はその剣を手に取る。俺は魔法は使えないが、魔力自体は持っていたはずだ。
すると俺の魔力に反応したのか、剣の柄にはめ込まれた宝石がきれいな紫色に染まっていく。よく分からないが、俺の中から剣に膨大な魔力が流れていっているような気がする。
「いや、せっかくだから試してみたいな。店内で剣を振り回すのもあれだし、外に出るか?」
「お、おお」
俺が予想外に強気な態度を見せたからか、店主はやや想定外という雰囲気になる。俺たちは裏口から店の外へ出る。そこには普段鍛冶などを行っていると思われるスペースが広がっている。店主はその中央に黒い石を置く。俺はその隣に立つと剣を振り上げる。
「喰らえっ」
俺は一思いに剣を振り下ろす。
すぱっという気持ちのいい手ごたえとともにバターでも斬るように目の前の石が真っ二つに割れる。そして勢い余った剣は地面をも斬り裂いた。
「何だ、思いのほか大したことない石だな」
俺が思いのほか手ごたえにないことに驚いていると、横で店主は口を開けたまま固まっていた。ふと剣を見ると、俺の魔力が循環しているためか、刀身がぼうっと紫色に輝いている。その光は少し神秘的できれいだ。
「な……この石を斬るどころか地面をも斬り裂くなんて……」
「じゃあ約束通り二十五枚だな」
俺は金貨を置くと剣を持って店を出た。もしかしたらとんでもない掘り出し物を見つけてしまったのかもしれない。
18時ごろにもう一話いきます