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【幕間】 シアン Ⅱ

 その後私たちはリエールの近くで街道を外れて休憩した。

 私が少しためらってしまったのには理由がある。アリアさんに真相を伝えても伝えなくても、先ほどの連中経由で遅かれ早かれ教会の耳に入り、私たちは街にいられなくなるだろう。私は街自体には未練はない。両親と会えなくなるのは少し寂しいけど、死に別れる訳ではない。


 問題はそれとは全く別のことであった。


 話は数か月前に遡る。

 私が教会でたまたま一人で当番をしていた時だった。突然、一人の傷だらけの男が駆け込んできた。


「だ、大丈夫ですか!?」


 男はまるでさっきまで誰かと斬り合っていたかのように全身傷だらけで、あちこちから血が噴き出している。左腕には折れた剣の先端が刺さったままになっており、息は荒く髪は乱れ、汗もびっしょりだ。その足取りもふらついていておぼつかない。

 しかし屈強な体つきをしており、兵士か武将に見える。


「た……助けてくれ」


 そう言って男はすがるようなこちらを見る。

 一瞬だけ私は彼と目が合った、と思った次の瞬間、その場にばたりと倒れた。どうにかここまで逃げてくるという一心で繋いでいた緊張の糸がここに辿り着いたという安心感でぷつりと切れたように。


 私はすぐに駆け寄ると男に刺さっている剣先を抜き、回復魔法をかけた。傷はみるみる塞がっていくが、男の目は開かない。


「大丈夫ですか! お願いします、答えてください!」


 私は回復魔法をかけながら体を揺さぶるが、返事はない。体中の傷はみるみる治っていくのに、それに反比例するように体温は下がっていく。

 それを見て私はひどく恐ろしい気持ちになった。

 私は目の前で人が死んでいくのを見るのは初めてだった。しかもこの人の死を救うことが出来たかもしれないのに。

 それもあって私はひどく取り乱していた。


「起きてください、起きてください!」


 が。

 体温が下がっていくはずなのに、なぜか彼の体がぴくりと動いた気がした。


「え……気のせい……ですよね?」


 私は呆然とした。

 最初、私は彼に死なないで欲しいという自分の強い気持ちのせいで幻覚が見えたのだと思った。現実が受け入れられないあまり現実を捻じ曲げてしまうという奴だ。

 しかしそんな考えを嘲笑うように、今度は男がぴくりと体を揺らした気がする。まるで普通の人が朝起きる前のように。


 そこへ外からどたどたと走る音と鎧や武器が触れ合う金属の音が聞こえてくる。さらにその音に混ざって「どこへ行った?」「逃がすな」というような会話も耳に入る。この男は何者かと斬り合った挙句、追われているのではないか。


 追っているのはおそらく兵士だ。普通に考えればこの男は罪人か何かなのだろう。しかし男は私をすがるような目で見た。きっと何か事情があったのだろう、悪人のようには思えなかった。

 そして私は彼を救えなかった。

 そんな自責の念と混乱があいまって、気が付くと私は男の体を書棚の裏に隠していた。

 そこへ一人の兵士がどたどたと神殿へ駆け入ってくる。


「すまぬが、今この辺で血だらけの男が逃げていくのを見なかったか?」

「いえ、見ていませんが……一体何があったのですか?」

「そいつは恐れ多くもオルメイア伯爵様に謀叛を起こしたとのことだ」

「そうですか、任務ご苦労様です」


 私が軽く頭を下げると兵士はすぐに立ち去っていった。彼らもまさか犯罪者が神殿に逃げ込むとは思っていなかったのだろう。


 さて、とっさに匿ってしまったが私は彼を一体どうしたかったのだろう。

 私が書棚の裏へ戻ると、男はうっすらと目を開けた。私は心臓が止まるかと思った。ちなみに兵士の心臓は止まったままである。


 死んだ人間が動き出す。これはつまりアンデッド化したということだ。生前の未練が強い人間が非業の死を遂げた時、一定の確率で動く死体となるという。また、死体の欠損が激しい場合は精神体がゴースト化するというパターンもあるらしい。


 アンデッドは死んでから時間が経つにつれて知性を失い、妄執に囚われて行動する存在となっていく。元の人物の性格や遺体の状況などで個人差はあるが、例外ではない。古の大賢者がアンデッドとして生き延びようとしたが、結局最後は生き延びたいという妄執のみに囚われた現れた死体になり果てたという話もある。


 そのため一般的には討伐対象であるし、アンデッドを作りだしたり保護したりすることは重罪である。平和と秩序の神ディアノールを崇める教会内でならなおさらだ。


 が、そこで男は呻くようにして話し出した。


「辺境伯は……教会から金をもらって悪事を見過ごすだけでなく……人事権も売っている……許せぬ……」

「え、もしかして何か決定的な場面を見たのですか?」


 私は思わず顔を近づけて聞き返してしまう。


「辺境伯は……教会から金をもらって悪事を見過ごすだけでなく……人事権も売っている……許せぬ……」


 男は同じようなことをうわごとのように繰り返した。アンデッドでさえなければ有益な情報が得られたかもしれないのに、と私はもどかしい気持ちになる。


 聖水の販売が横行しているようなこの街でなぜこの男がこれほど怒っているのかは少し分かりにくいが、想像してみると何となく分かる。

 おそらく男は辺境伯のそこそこ名のある家臣だ。彼は体つきや腰に下げた剣を見るに、腕が立ちそうな人物なので、魔物討伐などで命を張って功績を挙げてきたのだろう。

 しかしそんな自分ではなく、教会の息がかかった人物が金で出世しているとなればどうだろうか。それを告発しようとしたのか、文句を言おうとして争いになったのかは分からない。

 これは見過ごしていいことではない。しかしアンデッドの言葉は証拠として認められないどころか、そんなものを連れていけば私自身の首が飛ぶ。


 気が付くと私は貧民街に向かっていった。あまり行くことはない場所だけど、何度か炊き出しなどで行った場所だ。

 そこには衛兵はなかなか立ち入らず、ある種の無法地帯となっている。それに言い方は悪いけど、あまりいい臭いがするところではないので死臭も紛れる。私は男が暴れぬように手足を縛ると男を背負って教会を出た。


 貧民街は壊れかけのあばら屋が立ち並び、狭い路地が四方に伸びている。立ち入るとたちどころに人が集まって来てはお金や食料を乞うてきて、進路を塞がれる。仮に何かを与えたとしてもキリがないので私は無視して突っ切ろうとしたが、一人が服の裾を掴んだせいか、私は重心を崩してその場に倒れる。

 倒れた拍子に背負っていた男が転がる。手足を縛られた男は死んだ目で「辺境伯……許せぬ……」とうわごとのように繰り返していた。


 そこへ運よく私と面識のある男が現れる。彼は昔野垂れ死にかけていたところに私が食べ物を恵んだことがあり、それ以後も貧民街に来た際には時々話すような関係だった。

 彼は「こちらへ」と短くつぶやいて私を狭い路地に引き入れ、追ってくる物乞いたちを追い返す。再び男を背負って立ち上がると財布がなくなっていたが、今はそれどころではない。


 私は少し進んで誰も追ってきていないのを確認してから適当な廃屋に入る。そして男が逃げられないように部屋の柱に縄で縛りつけて固定し、猿轡をはめて毛布をかけ、最後に本棚を移動してその姿を隠す。


「理由は言えないけど、出来ればこの家に誰も近づかないようにして欲しい」


 そう言って私は彼に小銭を握らせた。


 その後も私は折を見てその家を訪れた。貧民街での炊き出しは不人気だったので(それもそれでどうかと思うが)、私が一人でやると言えば皆喜んで任せてくれた。

 そして炊き出しが終わると私はこの家に行き、死体の周囲に氷を置いたり、知性の劣化を食い止める魔法をかけたりした。

 しかしそれでも劣化を遅延させることしか出来ず、男の体と知性は少しずつ劣化していく。


 これではらちが明かないと思った私は教会の禁書棚から拝借した闇魔術の書物を読みこんだ。最高位の闇魔術であれば死者を蘇らせることが出来る。私に出来るのは彼を蘇生して不正の全貌を聞き、国王かもしくは公爵クラスの貴族に訴えることだろう。

 しかし当然ながら死者蘇生というのは闇魔術の素人である私が少し本を読んだだけで使えるようになるものではなかった。


 ちなみにその後調べたところ彼はアンドリューという武将で、辺境伯の家臣の中では武勇に優れた将として有名であったらしい。

 だからこそ金で買う人事に我慢がならなかったのだろう。


 そんな訳で私は貧民街にアンデッドを放置している。もしこのまま私が街を離れれば怨念が増幅した彼は強大なアンデッドに目覚めるかもしれない。それに彼を監禁してまで生かしておいた(生きてないけど)のは証人として連れていくためでもある。ここで始末するのなら私の行為はただの醜悪なものに成り下がることになる。


 そこで私はふと気づく。オルクさんは類まれな闇魔術の魔力を有している。彼ならば初見で死者蘇生の魔術を使うことも出来るのではないか。

 ただ、死者蘇生はディアノールの信仰においては禁呪とされており、リエールを治めるオルメイア辺境伯も禁止している。それを頼んでいいのだろうか。


 でも、もしこんな私を受け入れてくれると言うのであれば、オルクさんは特別な人になるかもしれないな、と私は思った。


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