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8  ささやかな結婚式

 離宮に到着した翌日、サラはリシャールに連れられて離宮の隅にある小さな教会に向かった。

 部屋を出る際に侍女が白いドレスを着せてきたのでまさかとは思っていたが、「どういうことですか」とサラが問うたため、リシャールは「……結婚式、したくなかったか?」と落ち込んだ様子だった。


「え、ええ!? そんなことありません! でも、まさか、式を挙げてくださるとは思っていなくて……」

「俺も、別にどちらでもいいと思っていた。だが侍女たちが、一生に一度のことなのだから思い出を作ってやるべきだと言って……それもそうかと思った」


 そう言うリシャールも、白い礼服を着ていた。

 フェリエは同じ時季でもサレイユより温かいこともあり、燕尾服のようなデザインではあるが生地は薄く、その薄い布地を数枚重ねて腰巻きのように垂らすなどのちょっとした意匠の工夫が見て取れた。


 サラが着せられたドレスもサレイユのそれよりふんわりと軽くてスカートの裾も短いので、こういったデザインがフェリエの伝統なのかもしれない。

 サラは髪を結われてネックレスやティアラ、そしてサラの希望で母の形見のコサージュも付けたが、リシャールも癖のある髪を整えている。ただ、残念ながら仮面は付けたままだった。


 小さな教会の前で思わずサラがまじまじとリシャールの姿を見ていると、視線に気付いたらしい彼は顔をこちらに向け、そして逸らした。


「……悪いが、この仮面は取りたくない」

「……分かりました。では、誓いのキスもなしでいいですね」

「……誓いのキス?」


 興味を惹かれたように、リシャールがこちらを見た。彼に見られ、そういえばフェリエの結婚式ではそういった風習がないのだと思い出す。


「あ、いえ、すみません。サレイユでは、結婚の宣誓をした後に皆の前で口づけをする風習があったのです。フェリエにはなかったのでしたよね」

「聞いたことがないな。…………」

「……殿下?」

「……れたいのか?」

「えっ?」

「いや、何でもない。……行くぞ」


 会話を無理矢理切ったリシャールはサラの手を取った。そのとき気付いたが、リシャールは男性にしてはそれほど背が高くなく、サラの目線の高さに彼の顎があった。


 フィルマンは背が高かったので、彼の頬にキスをしようと思ったらうんと背伸びするか、彼にしゃがんでもらわないといけなかった――と思い出しかけ、ぶるるっと首を横に振る。


「……エルミーヌ王女?」

「い、いえ。ちょっと、虫が飛んできたようで」


 下手な言い訳をし、サラはふうっと息をついた。


(……私はこの国で幸せになるって誓ったんだ。もう、あの人たちのことでウジウジしたくはない)








 結婚式は、あっという間に終わった。

 そもそもフェリエの結婚式はさっくりと短めに終わり、その後のパーティーで盛り上がるものらしい。それに、今回の結婚式の参列者はいない。国王と太后からは祝福の手紙だけ届き、サラとリシャール、そして神官だけのささやかな式となった。


(……でも、小綺麗で温かい感じがして、私には十分すぎるくらいだな)


 華やかなことが大好きなエルミーヌだったら残念がるだろうが、サラとしては文句はない。神官は優しそうな高齢の男性で、おっとり丁寧に祝福の言葉を述べてくれた。


 リシャールも仮面越しなので表情はよく分からないが、侍女にせっつかれたからとはいえ、女性の夢の一つである結婚式を実現させてくれたのだ。


 男爵家の娘だった頃は無邪気で、将来は白いドレスを着て結婚するのだと夢見ていた。両親はそれほど権力欲がなかったので、いつか好きな人を作って、お付き合いして、幸せな家庭を築く。そんな未来を想像していた。

 両親が死んでエルミーヌに引き取られてからは、そんな夢を見る暇もなかった。自分はきっとエルミーヌの影武者なのだから、夢は握りつぶし、ただ今を生きるだけだった。


 王女の代わりに政略結婚するとなっても、結婚式は諦めていた。でも、リシャールは望んだわけでもない花嫁のために式を挙げてくれた。


(お父様、お母様。……ちょっと事情はあるけれど、私、結婚したよ)


 フェリエの伝統らしく、式の最後にリシャールはサラに花束を贈ってくれた。どうやらこの花は新郎が新婦のために自ら鋏を持って摘み、束ねることになっているそうだ。


「……俺はあまり花には詳しくないので、どれを選べばいいか分からなかった」


 そう言うリシャールが差し出した花束は確かに、花の色や大きさがまちまちで、数も多くない。だが茎は丁寧に処理したようで長さが揃っているし、何よりもラッピングの紙やリボンが非常に丁寧に巻かれていた。三色のリボンを少しずつずらしながら結んで花のように仕上げた飾りには、感嘆のため息が漏れてしまった。


 このままだと枯れてしまうので、花は侍女が花瓶に生けてサラの部屋に置いてくれた。そしてリボンも花瓶に巻き付け、リシャールほど丁寧にはできなかったが蝶のように結んでおいた。


 そうして夜になったが、リシャールとは結婚式の後に国王や太后からの手紙を一緒に読んだり贈り物を点検したりしたっきりで、顔を合わせていない。そっとダニエルに聞いてみたのだが、「殿下はこれから書類を読まれるので、エルミーヌ様はお休みになっていてください」と言われてしまった。


(……それもそうか。いくら新婚初夜といっても、私たちは愛し合う必要のない夫婦だものね)


 サレイユでもフェリエでも、新婚初夜の妻は美しい寝間着を着て夫のおとないを待ち、一緒にベッドに入る。だがサラたちがそんなことをする必要はない。そうだとしても、乙女の夢を叶えて式を挙げてくれたリシャールに感謝するべきだろう。


(……それでも)


「……あの、せめてお休みの挨拶をするのもだめかしら」


 おずおずとサラが問うと、ダニエルは少し驚いたように目を丸くした後、嬉しそうに微笑んだ。


「それくらいなら、大丈夫ですよ。それに……」

「は、はい」

「殿下がお一人で離宮で過ごされるようになって十五年近く経ちますが、これまで殿下と就寝の挨拶をしあった方は誰もいらっしゃらないのです。ですのできっと殿下も、エルミーヌ様におやすみと言ってもらえると喜ばれますよ」


 ダニエルが優しい表情で言った内容に、サラはわけも分からず胸が苦しくなった。


 十五年前というと、リシャールは十歳に満たないくらいだ。確か彼の実母もその頃には亡くなっているはずだというのに、彼は離宮で一人で暮らしていた。ダニエルたちも就寝の挨拶くらいはするだろうが、それはあくまでも臣下が主君の安眠を告げるための言葉。


 しっかり眠ってね、あなたもゆっくり休んでね、という意味での「おやすみ」のやり取りは、もう十年以上もしていない。それどころかひょっとしたら、生まれてからまともに「おやすみ」と誰かと言い合ったことは、ないのかもしれない。


 サラがほんのり微笑むと、ダニエルも笑みを返した。そして、「まだ書斎にいらっしゃいますよ」とのことなので、一旦部屋からエントランスに出てから、リシャールの書斎のドアをノックした。


「……ダニエルか?」

「いえ、エルミーヌでございます」

「……」


(あっ、黙ってしまった)


 このまま会話を続けてもいいのだろうか、と思いつつ振り返るとダニエルが頷いたので、ふんっと鼻を鳴らしてからドアに向き直った。


「あ、あの。これからわたくしは寝るのですが……もしよろしかったら、就寝のご挨拶をしたくて」

「……」


 しばし、沈黙。

 やがて重い足音が聞こえてドアが開かれ、怪訝そうな目を向ける白い仮面が顔を覗かせた。


 寝間着の上にガウンを着ているサラと違い、リシャールはまだ普段着姿だ。ダニエルの言っていたように、まだこれから書類仕事をするのだろう。


 リシャールは何も言わず、じっとサラを見ている。用があるなら早く言え、と態度で訴えられ、サラは指先でそわそわとガウンの布地を弄りつつ、顔を上げた。


「えっと……先に、休ませてもらいます。殿下も、お体にさわりが起こる前にお休みになってくださいね」

「……ああ」

「……」

「……」

「……お、おやすみ、なさいませ!」


 思いきって言ったからか、少し声が裏返ってしまった。

 仮面の奥の両目が怪訝そうに細められた気がしてつい顔を伏せてしまったが、やがてぼそっと「……おやすみ」という返事が聞こえ、静かにドアが閉められた。


 ぽかんとして顔を上げるが、そこにあるのは閉ざされたドアのみ。あれからことりとも物音がしないので、もうリシャールはデスクに戻って書類確認作業に戻ってしまったのかもしれない。


(……よ、よし。ひとまず、お互い「おやすみ」と言うことは……できた、よね?)


 ダニエルが言ってたほど嬉しそうではなかったしリシャールの方は渋々言ったのかもしれないが、とりあえず就寝の挨拶はできた。人間嫌いの殿下とのやり取りとしては、まずまずなのではないだろうか。


(……もしできるならこうやって、少しずつ殿下のことを知っていきたいな)


 あの仮面の奥に隠された素顔は、決してただの人間嫌いな引きこもりではない、とサラは思っていた。

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